ソン・ウォンピョン『他人の家』

本の見返しに、著者のものと思われるハングルで書かれたサインがあった。
読めないので撮影してGoogleで調べると「本を読む社会を夢みて」という意味が出てきた。作家らしい言葉だと思ったが、サイン本と表示して売られていなかったので偽物かもしれないと、本を買った丸善のサイトで過去に開催されたサイン会を検索した。ソン・ウォンピョンがサイン会を行った形跡はなかった。
これは調べ方が悪かったのだが、適切に調べれば版元のXにこのサインのことがある。ぼくは読み終わって、最後に訳者あとがきを読むまで、サインの真贋が気になったままだった。
このサインは本物だが、印刷だった。
文章の意味は「本を読む社会を夢みて」で、Googleの優秀さに驚いた。
8つの短編が並んだ小説集。最初の2つまで読んで、関係がうまくいかなくなった家族の話が集められているのかと思った。タイトルが『他人の家』だから。
親や配偶者とギクシャクすると、家の中が急に居心地が悪くなり、自分の家ではないような気がしてくる。まるで他人の家のように。
表題作『他人の家』は、シェアハウスに住む女性の話。文字通り『他人の家』だ。
シェアハウスとは言っても、マンションの一室をオーナーに内緒で、つまり契約に反して4人がシェアしている。普通の賃貸よりさらに『他人の家』感が増している。
ここで語られるのは家族とは別の人間関係だ。
住人同士に仲間意識はなく、語り手の女性はほかの住人と顔を合わせるのを避けている。唯一の逃げ場である自分の部屋も、ある日突然退去しなくてはならない、まるで蜃気楼のような空間だと思い知るのに、彼女は心の内に逃げていく。
ほかに住める場所がないという閉塞感。
安心できる住空間の確保は、生きていく上でもっとも大事なものだろう。
他人の些細な行動を嫌悪する自分の感情を正当化したいところだが、それでは関係がこじれてさらに居心地が悪くなる。
内に逃げず、外で他人と関わることが、快適に生きる方法だ。
とはいっても、嫌なものは嫌だ。
『他人の家』
ソン・ウォンピョン[著]
吉原育子[訳]
鈴木久美[装丁]
祥伝社