ジョン・ケネディ・トゥール『愚か者同盟』

表紙に描かれた男のイラストは、一見コミカルだが、よく見ると何を考えているのかわからない薄気味悪い雰囲気がある。
帯の「爆笑 労働ブラック・コメディ!!!」の文言で、普通ではない笑いなのだろうと想像する。
1行目から登場するイグネイシャスの描写は、表紙の男そのもの。ただその書き方は、若干悪意を感じられなくもない。
大きな頭に無理やりかぶったハンティング帽、耳から生えている剛毛は耳当てに押し潰され、口髭にポテトチップのかけらが詰まっている。
彼は百貨店の前で母親を待っていて、肥満体を支える足が腫れてきている。これは母親に言って聞かせなければならないと叱責の言葉を考える。
そこへ警官がやってきて彼に職務質問をする。
イグネイシャスははなから喧嘩腰の対応で、2人の言い合いに、徐々に人だかりができてくる。
ついに警官は警察署への同行を求め、側で見ていた老人がイグネイシャスを弁護する。そこへ母親がやってきて、何か問題を起こしたのかと問うと、イグネイシャスは面倒を起こしたのはこの人だと、老人を指す。さっき庇ってくれたのに。
変なのはイグネイシャスだけではないが、彼の変人ぶりが際立っているので、この小説世界そのものが少し歪んでいることを忘れる。
読んでいるうちに気づく。
イグネイシャスは、いまなら発達障害と思われるのではないかと。40年以上前に書かれたもので、障害に関する知識はいまとは異なる。
変わった人を小馬鹿にし面白がるのは、いまでも変わらないが、そこに障害者という認識が入ると笑ってはいけないと自重するようになる。
でも、悪意を持って愚弄するのでなければ、笑いは許されるのではとも思う。笑われる当事者がどう感じるかにもよるが。
イグネイシャスは、彼の理念に従って行動しているだけで、ある意味真っ直ぐだ。常軌を逸した部分もあって、それが周囲の人たちと軋轢を生む。
そこを面白がらないと、この小説は成り立たない。
厄介な感覚になってしまったと思う。
装画は塩井浩平氏、装丁は山田英春氏。(2024)

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