*一輪花* 예쁜한꽃

日常ありのままにつらつらと

愚痴の多い人

2018-04-16 21:47:20 | 考察・哲学
何かにつけて愚痴の多い人って、
身の回りに必ずってくらいいると思います。

私の知ってる人でも、何人もいます。
悩みを打ち明けるのではなく、ただの愚痴。
嫌なことがあったり悩んだりすると
愚痴になる人が実に多い。

それはもちろん自分の思いを共感してほしい、
受け止めてほしいところからきてるのでしょうけど、
とにかく何かにつけて愚痴と文句しか言わない人が多いです。

はっきり言って、
そういう人は自分のことを棚に上げてる。
私から見たら「え?自分だってそうじゃん」と思えるようなことばかり。

言ってあげたいけど、
私も人のこと言えないの分かってるし、
この人はただ話を聞いてほしいだけなんだろうと思うと
何も言わないほうがいいと思いとどまるし。

愚痴っぽい人は自分のことでいっぱいいっぱいだから
自分が愚痴っぽいとなかなか気づけないもの。
きっと、自分の中で消化しきれなくて
人に吐き出してしまうタイプなのだろう。
だけどずっと聞いてるこっちとしては
ただ文句聞いてるだけだから疲れてくる。
そして愚痴っぽいのを毎日聞いてると、
自分も愚痴っぽくなって鬱になる。
これは本当にそう。


昨年、学校に息子の付き添いで毎日登校していたとき、
担任が愚痴しか言わない先生で、
登校してから帰るまでそれを聞かされてました…

私は24時間息子と一緒でもう手一杯なのに、
超ネガティブ発言連発で、
「こいつ教師のくせに」とイライラして
最終的には鬱になりました。

この時はもう本当に心が折れました。。
毎日イライラして体中も謎に痛かったです。
愚痴を聞かされていると、
自分も同じような境涯に引っ張られてしまうんですね。
本当に大変でした。

この担任と距離を置きたいし、
体調もめちゃくちゃ悪化したため、
私は一切登校も付き添いもしないことにさせていただきました(笑)



気持ちが落ち着いてつくづく思うのですが、
愚痴は自分の境涯を低くしてしまうし、
自分自身の成長も止まってしまうだけなので、
冷静に分析することと、
では自分に何ができるかを考えるべきです。

それに気づいて行動にうつせたら、
おのずと愚痴など一切出てこないはずです。
すべてにおいて、愚痴は無駄である、
ということに気づいてほしいです。

桜は短命?

2018-04-09 21:29:04 | 考察・哲学
桜の花は一年に一度しか咲かないくせに、すぐに散ってしまう。

その儚さに「桜は短命」と言う人がいる。



いやいや、待って。
たしかに桜の花は美しいものだし、私も好きだけど、
みんなにとってみたら桜は花が咲くことがすべてで、
あとは散ったら用無しってこと?


桜は花を咲かせ、すぐに散ってしまうけど、
死んでしまったのではないし、枯れたのでもない。
厳然と、生命を宿しているし、生きている。
緑の葉を茂らせ、まもなく実もつける。

それが終わると厳しい冬がやってくる。
人々の手厚いケアを受けながら、冬を越し、
また春には花を咲かせる。

何年も、何年もそうして生き続けている。


私は桜が短命だとは思わない。
人間の人生と同じように思う。
厳しい冬も、必ず、暖かな春となる。
試練を乗り越えれば、勝利の姿で人生を飾っていける。
また苦難が降りかかろうとも、また乗り越え、勝ち越え、
自分だけの花を咲かせるのだ。
そうして、実になっていく。

それが人間の成長の姿とも思う。


桜は短命じゃない。
推し量らずとも、人々は、そこに自分の人生を重ねて、
力強く生きていく勇気と希望を見出そうとしているのではないかと思う。

事件があるたび聞く言葉

2018-04-08 02:22:12 | 考察・哲学
ニュースで殺人事件などが報道されると、
「この県は治安が悪い」「ここは血の気の多い奴がいる」等々…
こんな偏見の言葉が聞かれます。

ごく身近でこんな言葉を聞くので、
はっきり言ってしまえば、
のんびりド田舎イメージ満載のわが県も、
全国ニュースで殺人事件が何度か報道されています。
ここ数年のうちでも大きく報道されたものがありました。

私は「都道府県」による治安の悪さは関係ないと思います。
たしかに、人口の多いところではその分いろんな人が多いので、
都市部などでは事件の数も多いのかもしれませんが。


だけど、こうして毎日のように報道される事件を見ていると、
日本全国どこででもありうることだと思わざるをえません。

静かな町なのに事件が起きたとか本当によく聞きますが、
静かな場所こそ、人目にもつきにくい危険があります。

にぎやかな場所での事件なら、
逆に何が起こったかもわからないことだってあるでしょう。


実際、場所は数々様々。
ここはこういう場所だから事件が起きた、
という考え方をされたら、
その地域で暮らす平凡な人々はどう思うんでしょう。


そんなふうに考えるよりまず先に、
これ以上、恐ろしく悲しい事件が起こらないようにと、
どの地域の人たちもみんな仲良く暮らしていける工夫を考えていくべきなのでは。

事件を未然に防ぐ方法はあるはずです。
それはみんなが関心を持ち、
人のために考え行動することから始まると思っています。


「世界平和」といいますが、
「平和な世界」は家庭から、地域から、
そして自分がいる社会で築き上げるものです。

家族、友人を、大切に。
近隣住民を、大切に。

笑顔であいさつ、励ましの言葉。
みんなが温かいと感じる行動が、
仲良く、団結の心を育てていきます。

このシンプルなことこそが、
平和への近道だと、私は思います。

ありのままに☺️

2018-03-28 00:40:24 | 考察・哲学
人や環境のせいにして幸せになどなれるはずがない。

私はシングルマザーであり、子どもがとても大切で、
この先も親子共々、健康に楽しく暮らしていきたいと思っている。


もっといえば、
人を好きだと思う気持ちもあっていいと思うし、
それは子の親とはいえ、
夫もおらず、人間であり、女であるからごく自然なことのはず。

その中で、良いご縁があったなら、再婚ということも望みたい。

でも、再婚することが人生の全てではないし、
何よりも息子を一番に大事にしていくことが、母親である私の役目。


これからどう生きていくか、どんな姿で生きていくのか、
まったく分からないけど、
誠実に、朗らかに、友人と語らいながら、
ありのままの姿で頑張って生きていくことが、
子どもや周りの人たちから信頼を得て、
人生の終わりまで幸せに生きていけることなのではないかと思います。

宿命を使命に変えて、日常に感謝し、苦難にも感謝、
日々、心こそ大切なれ、で生きていかねばです。

日々、誠実に

2018-03-26 02:07:58 | 考察・哲学
この先の物事を理屈で考えても、決して答えなど出ない。

日々の生活を真面目にやり抜くことが今の私にできること。


将来への不安、人生設計、
そんなのを頭だけで考えても、絶対に答えは出ない。

「人生とは、歩いたところが道になる」
という言葉は、まさにそのとおりだし、
「冬は必ず春となる」
と、自然の道理と同じように、
厳しい試練の時期も、
乗り越えれば当然のことのように栄光が訪れるという希望の言葉も然り。


行き着く先は、何のために生きるか、すべてはそれに懸かっている。
何のため、誰のためを、決して踏み間違えないように、誠実に。

終わりのない闇の中に思えても

2017-12-07 22:08:10 | 考察・哲学
この先の自分の人生がどうなっていくのか、
ずっとこのまま何の進歩もないまま、
何もつかめずズルズルと年老いて貧乏のまま死ぬのか、

私の思考回路はひたすらマイナス思考でしかないのだけど、
先日、私が小学生の頃からお世話になっている大先輩から、

「あなたまだ若いじゃない。どうなるか分からないわよ~😁」

と励ましていただきました。
「(再婚相手)必ず見つかるわよ」とまで…

少し、希望をもてたけれど…
でもなぜか、いつも再婚のことを考えると無理な気がして、
涙が止まらずなかなか前に進めずにいる私です。。。

もちろん、再婚が人生のすべてでも、幸福のすべてでもないけれど…
人生のパートナーがやはり必要だと感じる年頃のようです。

思えば…

2017-10-28 22:37:20 | 考察・哲学
私がアコースティックギターを始めたのは20歳頃。


当時、大好きな人がいまして。
「友達以上、恋人未満」と互いに言ってましたが…

最初はお互いに付き合っている人もいて、
ただの友達程度の感覚だったんですが、
私が彼氏とうまくいかなくなってきたあたりに、
次第にこの彼に惹かれるようになっていきました。

人懐こい性格なので、いろいろ楽しく話もできて、
本当にいい時間を一緒に過ごせて幸せだと感じるようになっていました。

すごく懐かしい…
本当に本気で好きでしたからね(笑)
あんなに恋したのは今まででこの時くらいかなぁと。。
他の人と結婚してからも、心の中では会いたい気持ちがありました。
まぁ、結婚した身なのでそれはもちろん諦めましたが…
と言いつつ私離婚しましたけど。。(^^;




そんで、
その彼がアコースティックギターで弾き語りをしていて、
ミスチルとかスピッツとか…
自分で作った歌なんかも聴いたことがあります

私も当時、ようやくミスチルの曲に目覚め始めた頃で、
アコギにも興味を持ち始めたあたりでした。


彼に「私もギター始めたい」と話すとそれにもノッてくれて。

ミスチルの哲学を私に説法し続けてくれていた兄とも、
ギター面白そうだよなと、一緒に楽器店を見て。。

その楽器店にあった有名外国メーカーのアコギを店員さんに指名。
ギターが何かもよく分かっていないので、
とりあえず音の違いなど他の安いギターとも比べ、ついに決めました。


お持ち帰りされたのは、Martin D-14。

ちょっと高いほう(笑)


自分で選んで決めて買ったくせに、
最初はボディの大きさとネックの太さが気になってました。
ドレッドノートタイプとは大きいアコギなのだと、はじめは後悔しました。

が、
「上手下手は、楽器の大きさや手の大きさではなく、練習が足りないだけ」
という話を聞いて自分を責め恥じました。
そりゃそうだ。。。



その当時は弾き語りがしたかったので、
もっぱらコードでジャカジャカ弾いてました。

ところがそれから2年くらいして、妊娠、出産。
まったく弾けなくなりました。

理由は、妊娠中はほとんど体調不良。
出産後は、育児にあまりにも手がかかりすぎるため、
そしてほんの最近まで、まったく弾くことができませんでした。
(何度かは湿度調整剤の交換や、弦の張り替えはしてきましたが…)



なので、本当に最近、アコギ復活したばかりで楽しくて楽しくて😳

今はジャカジャカ弾くよりも、アルペジオを用いたギターソロにハマってます。
約10年ぶりのアコギ、めちゃめちゃ楽しいです😊✨






※本当は、妊娠の前にはエレキもやりましたが、これは性に合いませんでした。。
見た目の可愛さでポールリードスミスの赤いやつでしたが、
ギターの音が機械から出るのが違和感で、私は楽しめませんでした。。
かっこよく弾けるようになれたらと思ってましたが、これは私には絶対無理だと悟ったんです😅

エレキ弾く皆さんは本当にすごいです。。

苦手なことへの挑戦

2017-10-17 22:06:15 | 考察・哲学
本当に悩むところですし、常日頃の私自身の行いや至らなさを、こういう時に実感します。
人付き合いが苦手な私が挑むべきことは、
友人を作ること、増やすこと、ひとりひとりを大事にすること。

多様な人と関わるほど難しいけれど、挑戦し続けなければ、努力し続けなければ、誠意も伝わらない、信頼も築けない、何も変えられない。

人間関係は信頼が大事ですが、その信頼を築くためには、誠実さの積み重ねがもっとも大切であると思います。
どんな人とでも、よい友人になり、よい対話をしながら、自分自身の境涯を磨き、革命をしていきたいです。

余計なこと

2017-09-29 23:44:19 | 考察・哲学
他の方のブログで、
わが子が、友人から事実無根の罪を疑われ、
とても傷つき激しくショックを受けている、という相談がありました。

相談を受けたブロガーの方は、
この案件についての対処法を実に的確に回答されておりました。


ところが、そこでとある方のコメントで
「友達は裏切っても裏切られてもいい」
という文を見た時は「おっ…」と…
そのお子さんが目にしないことを願います。


人生において、ふとしたことで友人から裏切られることもあるかもしれません。
でも、「裏切ってもいい」とは絶対に思いません。

自分自身はそういう人間であってはならないと意識を新たにするべきです。
友人関係の修繕も難しく、それで離れていく友人は、
たしかに所詮その程度なのかもしれません。

それによって「人間なんて信じない」とふさぎこんでしまうのも当然でしょう。
ですが、だからと人を裏切っていいわけがありません。
自分自身までそんな低い境涯に至ってしまっては、ただの敗北です。



私も中学時代、かなり規模の大きいイジメに遭いました。
死んで逃げることしか頭になかったし、自殺未遂もありました。
小学生の頃、あんなに仲が良かった子まで私を避ける。
汚がる。陰口を言う。ヒソヒソ声が聞こえる。
すれ違い様、バカにするような笑い声まで。。
先生も同じような態度でしたから、なんの罪にかけられた拷問かと、
毎日毎日ひとり隠れて泣く日々でした。
およそ2年間でしょうか…地獄でした。
卒業まで何も解決することなく、とりあえず死までは避けられましたが、
それでも人間が怖いと思うようになっていました。

社会人になってもイジメはありました。
いい友人になれそうと思っていた人が、
陰で色々と私に対して悪口と、良からぬ策略を練っていたこともありました。
でも今までの経験があるので、
日々知恵をしぼって、努めて朗らかに対応してきたのです。

今だって、人間が苦手です。
できれば人に会いたくないと毎日思います。
でも、人間は人間との関わりの中で錬磨され、成長すると教わりました。
人間関係で苦しむのは、人間同士、それぞれの人間性が違うゆえ、当たり前のことなのです。


自分以外の人たちは皆、自分にはないものを持っている。
当たり前のことでしょう。
「個性、個性」とよく言うわりに、この点に気づけない人も多いと思います。
周囲の人を尊敬することは、結局、自分のためになるのです。
互いの年齢に関係なく、相手から学ぶ姿勢、敬う心、
これこそが自分自身を成長させる糧となると、私は思います。

「考えすぎてしまう自分」という言葉

2017-09-29 22:05:39 | 考察・哲学
考えすぎて、悩みすぎて苦しい、とよく見たり聞いたりしますが…
そこでまた「肩の力を抜いて…」とも聞きます。

悩んでツラいのに、どうやって肩の力を抜けというのか?
理屈っぽいと言われたらそうでしょうけど、
幼い頃からこの言葉の意味がわからなくて、
励ましの言葉ということはもちろん分かるけど、
自分で苦しみから脱出できずにいるのに、
いったいどうやって?と思ってしまう。


考えすぎ、悩みすぎ、私はこれ悪いことじゃないと思います。
むしろ、考えに考え抜くべきだし、
悩みに悩み抜くべきだと思うんです。

「だめだ、私考えすぎて」とか言ってる人には、
ずばり「悩み抜くことが大事」と言ってます。

そんなに厳しくは言えませんけど…
私も現在進行形で重苦しい悩みを抱えてますし。
相手即自分。
相手の苦しみは自分の苦しみともなります。
悩んでツラいときこそ、悩み抜き、実践しなければいけない。
そうしなければ、何も変わらないからです。



でも、こういうことを誰かのブログ記事にコメントなんかしたりすると、
逆に真面目すぎて反発を食らってしまったり。。

ネットでは真面目さよりも、
核心ついてるっぽく見えるチャラいコメントの方が
「メッセージ性が高い」とかで評価されますね。

そういうのってどっかで見て借りた言葉にしか見えないのは私だけなんでしょうか。