*一輪花* 예쁜한꽃

日常ありのままにつらつらと

余計なこと

2017-09-29 23:44:19 | 考察・哲学
他の方のブログで、
わが子が、友人から事実無根の罪を疑われ、
とても傷つき激しくショックを受けている、という相談がありました。

相談を受けたブロガーの方は、
この案件についての対処法を実に的確に回答されておりました。


ところが、そこでとある方のコメントで
「友達は裏切っても裏切られてもいい」
という文を見た時は「おっ…」と…
そのお子さんが目にしないことを願います。


人生において、ふとしたことで友人から裏切られることもあるかもしれません。
でも、「裏切ってもいい」とは絶対に思いません。

自分自身はそういう人間であってはならないと意識を新たにするべきです。
友人関係の修繕も難しく、それで離れていく友人は、
たしかに所詮その程度なのかもしれません。

それによって「人間なんて信じない」とふさぎこんでしまうのも当然でしょう。
ですが、だからと人を裏切っていいわけがありません。
自分自身までそんな低い境涯に至ってしまっては、ただの敗北です。



私も中学時代、かなり規模の大きいイジメに遭いました。
死んで逃げることしか頭になかったし、自殺未遂もありました。
小学生の頃、あんなに仲が良かった子まで私を避ける。
汚がる。陰口を言う。ヒソヒソ声が聞こえる。
すれ違い様、バカにするような笑い声まで。。
先生も同じような態度でしたから、なんの罪にかけられた拷問かと、
毎日毎日ひとり隠れて泣く日々でした。
およそ2年間でしょうか…地獄でした。
卒業まで何も解決することなく、とりあえず死までは避けられましたが、
それでも人間が怖いと思うようになっていました。

社会人になってもイジメはありました。
いい友人になれそうと思っていた人が、
陰で色々と私に対して悪口と、良からぬ策略を練っていたこともありました。
でも今までの経験があるので、
日々知恵をしぼって、努めて朗らかに対応してきたのです。

今だって、人間が苦手です。
できれば人に会いたくないと毎日思います。
でも、人間は人間との関わりの中で錬磨され、成長すると教わりました。
人間関係で苦しむのは、人間同士、それぞれの人間性が違うゆえ、当たり前のことなのです。


自分以外の人たちは皆、自分にはないものを持っている。
当たり前のことでしょう。
「個性、個性」とよく言うわりに、この点に気づけない人も多いと思います。
周囲の人を尊敬することは、結局、自分のためになるのです。
互いの年齢に関係なく、相手から学ぶ姿勢、敬う心、
これこそが自分自身を成長させる糧となると、私は思います。