NICUにてある日のできごと・・・
手を洗うところはガラス張りになってるからお部屋の中が見えます。 面会しようと私が手洗いしてると、ある赤ちゃんのおじいちゃんがガラス越しに面会している様子。
視線を移すとガラスの向こうにはママに抱っこされた赤ちゃんとおばあちゃんの姿が見えました。
そのおじいちゃん・・・でっかい声で「小さかねー小さかねー(注:小さいという意味)」もう何回も。
「何グラムね?19○○グラム?小さかねー。なんでこげんなったかねえ。ほんとに。」
NICUがどんなところか知らないのかな。みんながんばって生まれてきた赤ちゃんたちなんだよ。かわいいねえ。とか、がんばったねえ、とかないの?
1900以上あったらここでは大きい方じゃないの?
悪気がないってこともわかっています。でも、多くないですかこの五十代、六十代の暴言失言。旧優生保護法世代。
もうちょっと、小さな生命を慈しみましょうよ。
この赤ちゃん、しばらくは小さい小さいと言われ続けるんだろうな。せめて私達はそんなばあばにはならないぞー。
手を洗うところはガラス張りになってるからお部屋の中が見えます。 面会しようと私が手洗いしてると、ある赤ちゃんのおじいちゃんがガラス越しに面会している様子。
視線を移すとガラスの向こうにはママに抱っこされた赤ちゃんとおばあちゃんの姿が見えました。
そのおじいちゃん・・・でっかい声で「小さかねー小さかねー(注:小さいという意味)」もう何回も。
「何グラムね?19○○グラム?小さかねー。なんでこげんなったかねえ。ほんとに。」
NICUがどんなところか知らないのかな。みんながんばって生まれてきた赤ちゃんたちなんだよ。かわいいねえ。とか、がんばったねえ、とかないの?
1900以上あったらここでは大きい方じゃないの?
悪気がないってこともわかっています。でも、多くないですかこの五十代、六十代の暴言失言。旧優生保護法世代。
もうちょっと、小さな生命を慈しみましょうよ。
この赤ちゃん、しばらくは小さい小さいと言われ続けるんだろうな。せめて私達はそんなばあばにはならないぞー。
じぃばぁは思ったこと口に出しちゃうんでしょうね、きっと…
なんでこげんなったかわかるなら、あんたの小さか孫も小さく生まれんとたいね。病気の子供もおらんとたい。
そげなことを言うとらんで、応援しちゃらんね、詩ママの言うごつ。
こん子たちは、小さかばってん一生懸命頑張りよるとたいね。
私がその場に居たならば、思わずこう言ったかもしれません。
で、私たちの父母以上の年代の方々は、更にスゴイです。
「よかよか、次ばはよ産まんね」
っておい!しかもニコニコ笑ってるし。
クリニックに来るおじいおばあが一番口にする言葉です。あ~あ、聞き飽きたよぅ。
あのことの記憶が少し蘇りました(分かりますよね?)
本当にこの年代の肩はデリカシーがないというか人の気持ちを考えない方が多いですよね。
私も看護師をしてきていろんな人間と会い、いろんな会話もしてきましたが、どうもこの年代の人たちはニガテです、いや苦手になりました。
自分の親の世代ではあるんですけどね。
自分たちも親の愛に育まれて生まれ育ってきたことを忘れてしまったのかしらね?
ホント、すくなくとも私たちはそんなばあ場にならないでいようね
しゅーたんの退院が決まった時、義母が
「わたしはしゅーちゃんは抱っこしないさかいに。怖いわ」と言われました。化け物扱いでした。。。
しゅーたんのミルクを注入してるときも「普通の子なら一回にどれくらい飲むんや?」と聞かれたことも。
何をとっても「普通なら○○できるころか?」と言います。
ほんとデリカシーもくそもないです
そういう爺婆を見ると後ろからスリッパで叩きたくなりますね。
たいちゃんの病院はちょっと変わった風景でした。
両親以外は待合室の「モニター」で面会。
一家族30分の持ち時間。じい・ばあたちは必死。
で、我が孫が映し出されると、決まってモニターに手を振ります。
次に「写メ」の嵐。
我が母上もその状況に最初は驚いたようですが、すぐに馴染み、母上も負けじと、しておりました。
そして、お互いの孫を褒めあうらしいです。
「お孫さん小さいのにがんばってますね。」なんて。
私に孫ができたとき、どんな状況でも、褒めてあげたいですね。
「産まれてきてくれて、ありがとう。」って。
あと10年後かな?孫の誕生も・・・