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烏鷺鳩(うろく)

切手・鉱物・文学。好きな事楽しい事についてのブログ

和菓子切手:和の食文化シリーズ 第4集

2018-10-26 | 切手


天高く馬肥ゆる秋。
食欲の秋。
ついに完結した和の食文化シリーズのトリを飾るのは、この美しい「和菓子の切手」である。
和菓子の持つ繊細な美をそのまま再現したような、品のある絵である。
よく見ないと、このシート、目打ち(切り取り線)が見分けられない。最初「あれ?切り取り線は?」と思ったほどである。シート全体の完成度を損なわない工夫であろうか。
特に「花びら餅」のほんのり透けた牛皮の感じや、「松を表した上生菓子」のあんこのずっしりとした重みが、本当に美味しそうで涎が垂れてしまうほどである。


郵便局のHPに、それぞれのお菓子について詳しい説明が載っていたのでご紹介したい。



・「菊をかたどった上生菓子」
菊は秋の代表花。練りきり(※1)にはさみで切り込みを入れ、丁寧に花弁を作っていく「はさみ菊」を表しました。職人技が光る逸品で、菊の芳香が漂ってくるようです。お気に入りの皿にのせ、黒文字(※2)を使ってゆっくりと味わいたくなります。

・「紅葉を表したきんとん」
餡玉のまわりにそぼろ状の餡を箸でつけた菓子を、「きんとん」と呼びます。薄紅で桜、緑で松、黄で菜の花など、そぼろの色によって、四季折々の植物が見立てられます。今回の赤と黄は、色鮮やかな紅葉を思わせるもの。「照紅葉」「錦秋」などの菓銘が思い浮かびます。

・「干菓子(秋)」
有平糖(※3)で「しめじ」、雲平(※4)で「松葉」、色づいた「楓」や「銀杏」を、落雁(※5)で小さな「ぎんなん」をかたどりました。風によって寄せ集められたような風情から、こうした取り合わせは「吹き寄せ」と呼ばれます。箕みに盛って、景色を楽しみたくなります。

・「松を表した上生菓子」
餡を包んだ二層のこなし生地を松の形にし、雪に見立てて氷餅(※6)をまぶしました。松は常緑であることから、古来、長寿の象徴として親しまれています。竹や梅の意匠の菓子と合わせ、新年や婚礼など、祝いの席に用いるのもおすすめでしょう。

・「織部饅頭」
つくね芋をすって生地に混ぜて作る、風味豊かな薯蕷(じょうよ)饅頭です。井桁と梅鉢の焼印を押し、釉に見立てた緑色を配し、焼き物の織部焼の特徴を表現しています。見立てのおもしろさに、作り手の遊び心が感じられるのではないでしょうか。




・「花びら餅」
正月の菓子の定番と言えるでしょう。宮中のおせち料理のひとつ「菱葩」が原形で、甘く煮た牛蒡と味噌餡の組み合わせが珍しいものです。味噌は雑煮、牛蒡は正月に食べたという押鮎(※7)に見立てていると伝わります。

・「椿をかたどった上生菓子」
1~2月にはあでやかな紅椿や清楚な白椿のほか、様々な椿の花が練りきりやういろう(※8)などで形づくられます。花びらや葉だけでなく、花芯の表現にも注目したいものです。けしの実やあら粉をつけるなど、職人の工夫を感じさせます。

・「干菓子(春)」
春の喜びを謳うような干菓子の数々です。「流水」と「蝶」は雲平で、「蕨」や「土筆」は木型を使った落雁で表しました。紅白の縞模様の千代結びは有平糖で、お祝い事にも喜ばれます。ひな祭りや野遊びを思いながら器に並べた後は、お抹茶を用意して一息つきましょう。

・「梅を表した上生菓子」
花の形を模すだけでなく、抽象的に表現するのも和菓子の魅力です。中央に餡を置いたういろう生地を四方から折りたたんだこの意匠は、開花前の梅をイメージしており、「未開紅」の名がつくことが多いものです。つぼみを意識し、内側を濃い赤にしました。

・「桜をかたどった上生菓子」
日本人が愛してやまない桜の花。咲き始めから満開になって散っていく姿までが、菓子に意匠化されます。ここでは木型でかたどった、こなし(※9)製の美しい桜の花を表しました。木型が山桜の木で作られることを思うと、桜の菓子が一層愛おしく感じられます。

※1 練りきり:餡に求肥や山芋などをつなぎとして入れ、練りあげたもの。 ※2 黒文字:クロモジで作るようじの一種。 ※3 有平糖:飴の一種。 ※4 雲平:もち米を加工した寒梅粉と砂糖で作る細工物。生砂糖ともいう。 ※5 落雁:砂糖に寒梅粉などを混ぜ、木型に詰めて打ち出したもの。 ※6 氷餅:もち米を加工した粉のこと。 ※7 押鮎:塩漬けした鮎のこと。 ※8 ういろう:砂糖を煮とかし、上新粉などを混ぜ、蒸したもの。 ※9 こなし:餡に小麦粉、寒梅粉を混ぜて蒸し、揉んだもの。




そしてこの切手シート、まん中で二つに折り曲げると、まるで重箱に収まっているかのようになるのだ。芸が細やかである。


和菓子は、「季節を感じ、愛で、味わう」ことを思い出させてくれる。季節の微妙な変化というのは、本来は日々感じられるものなのかもしれないが、つい見落としたり気づかなかったりする。
お菓子屋さんの前を通りかかったりすると、少しだけ季節を先取りしたお菓子が並んでいたりする。
「そうか、そろそろ木々が紅く色付く頃か」とか、「蝋梅のつぼみがふくらんできたな」とか、ふと自然の変化を思い出させてくれるのかもしれない。

「和菓子の甘さは干し柿の甘さを基準にする」と聞いたことがある。その味の基準も、「お日様によって甘くなった干し柿」だという点が、当たり前のようではあるが、自然に寄り添ったような感じがして好いなあと思うのである。

そうだ、和菓子屋に行こうっと。



【参考サイト】
・郵便局
https://yu-bin.jp/kitte/special/03/?utm_source=japanpost&utm_medium=kitte_japan_food_4&utm_campaign=inbound_link 

ベトナム 古生物切手 1979年

2018-09-18 | 切手


上段左からプレシオサウルス、ブロントサウルス、ステゴサウルス。ジュラ紀の古生物達である。
続いて白亜紀の古生物達。中段左からイグアノドン、ティラノサウルス、モササウルス。下段左から、トリケラトプスとプテラノドンである。



このベトナム切手、色合いがとても好きなのだ。プレシオサウルスの水の表現の仕方が特に素敵である。波を色分けして波頭を白い線で表現している。今まさに捕らえようとしている魚は白抜きになっている。



プテラノドンの翼が美しいグラデーションになっているところも、いいなあと思う。
ティラノサウルスの背景が白というのも、その存在の恐ろしさを表しているのだろうか。


さて、ベトナム社会主義共和国の通貨はなにかというと、「ドン」である。ところが、この切手、ほとんどが「xiu」、つまり「シュウ」という単位になっている。そこで、これが一体どのくらいかというのを、現在のレートで換算してみる。もっとも、これは39年前の切手だから、その頃と比べると物価は上がっているだろうけど。

1ドン=0.0048 円(2017年9月現在)。
1ドン=10ハオ=100シュウ。

「シュウ」は「ドン」の百分の一である。なお、現在は100、200、500ドンでさえ、ほとんど流通していないそうだ。

ちなみに、2014年の年賀切手は3000ドンと10500ドンであった。ということは、1979年当時と比べ、ベトナムの物価は約1万倍かそれ以上に高くなったということなのだろうか。
1975年にベトナム戦争が終結し、その4年後に発行されたのがこの切手。悲惨な戦争の記憶もまだ新しい頃だったろう。

私は、10年ほど前に親友達とベトナムを訪れたことがある。穏やかだけれど活気に溢れたホーチミン市を訪れたのだ。その時の、現地ガイドさんの言った言葉が未だに忘れられない。
「ベトナム戦争のときは、日本の皆さんに反戦運動をして頂き、どうも有り難うございました」
私とあまり年代の変わらない男性だった。もしかするとベトナム戦争を経験せずに住んだかもしれない世代だ。
私はすこし恥ずかしかった。というのも、第二次世界大戦中、日本軍がベトナムに侵攻し、食料を略奪したためたくさんのベトナム人が餓死したという話をきいたことがあったからだ。
「ありがとう」と言われる資格は本当はないのかもしれないけれど、それでもそんな風に言って下さったと言うことは、よほどベトナム戦争が悲惨だったということだろうか。

ガイドさんの言葉でもう一つ忘れられない言葉がある。
「ベトナム語で『こんにちは』は『シンチャオ』と言います。新茶の時期には是非ベトナムを思い出して下さいね」
お茶を飲む度に、楽しかったベトナムの旅を思い出していますよ。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア「ドン(通貨)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3_(%E9%80%9A%E8%B2%A8) 
・『よみがえる恐竜たち 切手ミュージアム1』長谷川善和・白木靖美著(未来文化社、1994年7月25日)

ケツァルコアトルスの切手:ベキア島(セントヴィンセント及びグレナディーン諸島)

2018-09-12 | 切手


うっすらと桃色に染まった大空を、巨大な翼竜の群れが飛んでいる。大きく広げた翼をゆっくりと羽ばたかせている。あるいは風に乗って悠々と滑空していたかもしれない。
こころなしか下の方を向いているから、夕暮れ時、巣へと戻るところなのだろうか。
現在発見されている翼竜の中でも、最大級のサイズであったと考えられている、ケツァルコアトルスである。
キリン位の大きさがあったとされているので、その大きさの翼竜が何羽も群れて空を飛んでいたら、地上の動物たちも思わず空を見上げるほどの迫力だったのではなかろうか。


発行したのはカリブ海に浮かぶ島国、「セントヴィンセント及びグレナディーン諸島」の中の一つ、「ベキア島」である。幾つもの島からなる国であるが、その一つの島、「ベキア島」の名義で1984年から切手が発行されている。
発行年は書いていないから、古くて1984年ということになる。


ところで、この「ケツァルコアトルス」、翼竜であって恐竜ではない。空飛ぶ爬虫類である。
翼竜と言えば「プテラノドン」が有名である。翼竜は大きく分けて、プテラノドンの仲間と、ランフォリンクスの仲間に分かれる。プテラノドンの仲間はしっぽが短いかもしくはない。ランフォリンクスの仲間はしっぽが長いのである。頭が丸っこくて短いのも特徴だ。勿論これはざっくりとした見分け方である。ケツァルコアトルスはプテラノドンの仲間になる。
この、ケツァルコアトルスについて、化石の発見場所や名前の由来について詳しく書かれていたので引用したい。



アメリカにあるビッグ・ベンド国立公園。テキサス州とメキシコの国境に広がるこの公園にあるのがジャヴェリナ累層だ。この地層は白亜紀の終わり、7000万年前に堆積した。ここから見つかる化石は巨大ワニやアンキロサウルス、あるいは南半球からわたってきた竜脚類アラモサウルスなどだ。そして1975年に翼竜の上腕骨が見つかった。形は1500万年前に栄えたプテラノドンに似ている。しかしこの翼竜の上腕骨は長さが55センチもあった。最大級のプテラノドンのほぼ2倍である。最大級のプテラノドンの翼が7メートルであったことを考えると、この翼竜は14メートルあったということだろうか?

この翼竜の化石にはケツァルコアトルスという名前がつけられた。この名はメキシコにかつて栄えたアステカ帝国の神ケツァルコアトルに由来する。神ケツァルコアトルの名はケツァール(羽毛)と、コアトル(蛇)の2語をあわせたもの。すなわちこの神の名は羽毛を持つ蛇という意味である。空飛ぶ大爬虫類ケツァルコアトルスにふさわしい名前だろう。ちなみに翼竜ケツァルコアトルスの語尾がトルスになっているのは、神ケツァルコアトルの語尾トル(tl)にusがついたからである。これは名前をラテン語化した結果だ。ラテン語はローマ人が使っていた言葉だから、メキシコの神の名をローマ風にしたと思えばよい。例えば初代ローマ皇帝アウグストゥスも語尾はusである。

ケツァルコアトルスの化石は少ないが、見つかった化石や類縁種から考えると、プテラノドンとは体型がずいぶん違っていたようだ。海を飛ぶプテラノドンがアホウドリのように細長い翼を持っていたのと対照的に、ケツァルコアトルスの翼はむしろ太短い翼だった。だから翼の幅は14メートルもない、多分10メートルぐらいだと考えられている。これはちょうど人間が使うハンググライダーの大きさである。翼をたたんで地上に降り立てば、方までの高さが2メートル、首の長さ2メートル。もしも首を直立させれば高さ4メートル。現在のキリンに迫る身長だ。

もちろん体重は全然違う。キリンの体重は1~2トンあるが、ケツァルコアトルスの体重は妥当なところで200キロぐらいだったらしい。つまりキリンの5分の1から10分の1だ。ケツァルコアトルスとキリンを比較してこんなにでかいんだと強調する比較図があるが、あれは安易にふかしすぎである。(『大人の恐竜図鑑』p.222)


というわけで、キリンほどでかくはなかったかもしれないが、それでも結構な大きさだったということだ。


翼を広げて10メートルの空飛ぶ巨大生物、ケツァルコアトルス。
この切手では、その巨大な翼竜の群れを一枚の小型シートに描いている。そのスケール感というか、小さなシートに巨大翼竜を何羽も描いたところが、なんとういうか素敵なのである。ちょっとうまく言い表せないけれど、小型切手シートという限られた小さな世界に、素晴らしく広大な風景を描き込んだ、このベキア島の郵政のセンスがとっても素敵だと思ったのである。



【参考文献・サイト】
・ウィキペディア「ベキア島 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AD%E3%82%A2%E5%B3%B6 
・『大人の恐竜図鑑』北村雄一 著(ちくま新書、2018年3月10日)

ガンビア 恐竜切手:幻のセイスモサウルス

2018-08-22 | 切手


昔慣れ親しんだ恐竜の名前が、実は既存の種と同じ分類だったために消えてしまうという事例はいくつかある。ブロントサウルスが有名な例だ。
竜脚類はかつて「雷竜(かみなりりゅう)」と呼ばれていた。地面を歩く音が「まるで雷が鳴り渡るように大きかったことだろう」という想像からつけられた。そのサイズ感を良く表している名称だったように思う。

そんな風に呼ばれるくらいだから、竜脚類はとにかく巨大なものが多いのだ。1990年代には、新たな竜脚類が次々と発見され、「世界最大の恐竜」の名前は何度も塗り替えられたものだ。
「セイスモサウルス」は、そんな元・世界最大の恐竜の一種である。1979年に発見された肩胛骨(長さ2.4m)と椎骨(1個が1.4m)の大きさから、その体長は大きく見積もられてなんと52mもあったのだ!超弩級である。しかしながら、「世界一」というのは塗り替えられるための称号のようなもので、その後、スーパーサウルスやアルゼンチノサウルスなんていうのが登場したりして、世界最大の王座を譲ってしまったセイスモサウルスである。




セイスモサウルス (Diplodocus hallorum) は、中生代ジュラ紀後期の巨大竜脚類の無効名。属名は「地震トカゲ」の意で、「歩くと地震が起きるほどの巨体」ということから命名された。現在はディプロドクスのシノニム。

推定全長33メートル、体重40トン前後。長大な首と、同様に長い尾を持つ。体格は比較的細身であった。四肢はその巨体に比してやや短い。腰側がやや低いため、胴体は後傾する。

1979年にニューメキシコ大学所属の古生物学者デビット・ギレット博士によって発見された。発掘された骨格は、現在この一つのみが知られている。発見当初は全長50 - 60メートルとも言われていたが、現在は前述の体格と判明している。

当初は本種が史上最大の恐竜とされていたが、1993年にさらに巨大とされるアルゼンチノサウルスが発見され、その座を譲ることとなった。しかし、それでもスーパーサウルスやマメンチサウルスと共に、ジュラ紀最大級の恐竜であることには変わりはない。

2004年に同じディプロドクス科のディプロドクス (Diplodocus) の1種であることが判明し、「ディプロドクス・ハロルム」として再分類された。(ウィキペディア)



セイスモサウルスは、「世界最大の恐竜」という称号と共に、その名前自体も幻となってしまった。このガンビアの切手は、発行年が記載されていないのだが、2004年以前の、セイスモサウルスがまだ王座に就いていた頃に発行された物ではないかと想像できる。
ただし、ディプロドクスの仲間だということが判明しただけで、その存在が消え去ったわけではないのだ。

想像を超える大きさの生物がこの地球にかつて存在していたことが、奇跡であるし、何だか憧れのようなものを感じてしまうのだ。



【参考サイト・文献】
・ウィキペディア「セイスモサウルス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B9
・『大自然の不思議 恐竜の生態図鑑』 (学研、1994年6月28日)

沖縄切手 ジュゴン 1966年:天然記念物シリーズ

2018-08-16 | 切手


ジュゴンは古来より「人魚」と呼ばれてきた神秘的な動物である。
沖縄でもその生息と出産が確認されていたが、近年、その数は減少し続けているようだ。
愛らしい姿とのんびりおっとりした様子。私は本物を見たことがないが、映像で見ても大変愛嬌のある海獣である。

沖縄切手に描かれたジュゴンについて、面白いいきさつがある。
インテリアデザイナーで、数多くの沖縄切手をデザインされた、伊差川新(いさがわ・しん)さんの手記をご紹介したい。

まぼろしの人魚、といわれている珍獣ジュゴンのデザインの委嘱を受けたときは、全く参ってしまった。これといった資料もなく、どの図鑑をひっくり返してみても、決まって申し訳のように小さくしか載っていない。開設に至ってはマチマチで、はなはだ心細い限りであった。ジュゴンをモチーフに主張したのはわたしたちであり、うかつにもジュゴンが50年に一度しかとれない珍獣であることも知らずに引き受けて、ひっこみがつかなくなってしまった。
これではならじと、琉大の生物学のI教授やT教授に助けを求めたが、おふたりとも遠い昔の記憶が頼りで、具体的なことになると話だけではどうにも絵にならぬ。I教授が気の毒がって一生懸命になって琉大図書館の中から資料をさがしてくれた。これならまず大丈夫だろうということで、小学一年の頃那覇の公会堂でなにかの時展示されたウロ覚えの、豚みたいだったというイメージに合わせて描きあげた。審議会でも、これなら大丈夫だということで、大蔵省印刷局に送付した。
ところが、思いがけなくも、この50年に一ぺんの珍獣が宮古沖で獲らえられたのである。氷漬けにして箱につめ、那覇の泊港にある漁連倉庫に送られてきた、というニュースに、取るものもとりあえず泊港にかけつけた。さあ、現物と対面してみて驚いた。これは大変なことになったと思った。なにしろ、わたしのデザインとまるで感じが違うのである。これでは、世界中のもの笑いのタネになるだけである。第一にイメージが違うし、色も似ていない。
さっそく琉球政府郵政庁から、大蔵省印刷局に印刷中止の電話を入れてもらい、その日から描き直しをはじめた。もし、あの時ジュゴンがあがらず、最初のデザインのままの切手が発行されていたらと思うと、いまでも背筋の寒い思いがするのである。(『沖縄切手のふるさと』p.20)



また、当時の琉球大学学長、高良鉄夫氏のジュゴンに関する手記も載っている。
こちらはジュゴンの生態に関して興味深い情報が簡潔に語られている。

俗に“人魚”と呼ばれているが、切手に見るように美しい人魚のイメージとは、似ても似つかぬ顔をしている。外見は一見、クジラか、イルカの仲間のようにみえるが、実は陸に住むゾウに縁の近い珍獣である。
私は捕殺されたジュゴンを学術用として解剖した一人であるが、ヒレ状の前肢(まえあし)皮下のしなやかな5本の指は、人の手そっくりであった。メスが子供を抱き、上半身を水面上に出して授乳している様相は、人間によく似ているという。また、ジュゴンの性器の外形は人間のそれとよく似ている。沖縄では俗にアカンガイユ(赤ん坊魚)と呼んでいるが、それはジュゴンの泣き声が、人間の赤ん坊の泣き声に似ていることに由来するようである。
昔は、琉球近海で多くとれた様であるが、近年減少の一途をたどり、その生きた姿に接することは容易ではない。琉球大学風樹館には、ジュゴンのはく製と、組み立てられた骨格標本がそろって保管されているが、それは国内における唯一の珍重なものである。(『沖縄切手のふるさと』p.87


種は異なるが、昔「ステラーカイギュウ」という巨大な海獣がいた。あまりにも警戒心がうすく(というより人間を見たことがなかったから、強い好奇心のためか)、自ら人間の乗った船に近寄って捕獲されたため、その姿を消してしまったのである。

沖縄のジュゴンは、どうやら基地建設の騒音のために、その近海から姿を消しつつあるようだ。

辺野古ジュゴン「姿消した」 移設調査の着手直後
2016年8月28日 朝刊(東京新聞)

沖縄県名護市辺野古(へのこ)の沖合にすむ海獣ジュゴンが姿を消したのではないかと懸念する声が、地元で上がっている。防衛省が二〇一四年八月、米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の辺野古移設に向けた海底ボーリング調査に着手した直後から、藻場の食べ跡が途絶えたためだ。有識者は工事が影響した可能性を指摘している。
 ジュゴンは国内では主に南西諸島に生息する。成長した個体は五十頭に満たないとされ、環境省が〇七年、絶滅危惧種に指定した。ただ、辺野古が面する大浦湾では目撃例が絶えなかった。
 ジュゴンが生息しているか知るための手掛かりとなるのが、海草の食べ跡だ。沖縄防衛局の一四年の調査では、大浦湾で四月から四カ月連続で見つかっていた食べ跡が、八月を境に確認できなくなった。日本自然保護協会によると今年の春も、以前は食べ跡があった藻場で、見つからなかった。
 一四年八月からのボーリング調査に先立ち、工事区域を明示するためのブイ(浮標)の重りとして、コンクリートブロックを船から投下したのが原因との見方もある。
 同協会の安部真理子主任は「物音に敏感なジュゴンが辺野古から逃げてしまったのでは。ジュゴンは豊かな海の象徴。工事関連の船舶はすべて引き揚げ、平穏な海に戻すべきだ」と強調した。


琉球大学にはまだジュゴンのはく製が保管されているのであろうか。
我々の選択によって、将来、このジュゴンのはく製が、「ニホンオオカミ」のはく製と同じ運命をたどらないようにと願わずにはいられないのである。



【参考サイト・文献】
・東京新聞 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082802000128.html
・『沖縄切手のふるさと』 月刊 青い海 編集部 編 (高倉出版会 1973年3月30日)