烏鷺鳩(うろく)

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沖縄切手 ジュゴン 1966年:天然記念物シリーズ

2018-08-16 | 切手


ジュゴンは古来より「人魚」と呼ばれてきた神秘的な動物である。
沖縄でもその生息と出産が確認されていたが、近年、その数は減少し続けているようだ。
愛らしい姿とのんびりおっとりした様子。私は本物を見たことがないが、映像で見ても大変愛嬌のある海獣である。

沖縄切手に描かれたジュゴンについて、面白いいきさつがある。
インテリアデザイナーで、数多くの沖縄切手をデザインされた、伊差川新(いさがわ・しん)さんの手記をご紹介したい。

まぼろしの人魚、といわれている珍獣ジュゴンのデザインの委嘱を受けたときは、全く参ってしまった。これといった資料もなく、どの図鑑をひっくり返してみても、決まって申し訳のように小さくしか載っていない。開設に至ってはマチマチで、はなはだ心細い限りであった。ジュゴンをモチーフに主張したのはわたしたちであり、うかつにもジュゴンが50年に一度しかとれない珍獣であることも知らずに引き受けて、ひっこみがつかなくなってしまった。
これではならじと、琉大の生物学のI教授やT教授に助けを求めたが、おふたりとも遠い昔の記憶が頼りで、具体的なことになると話だけではどうにも絵にならぬ。I教授が気の毒がって一生懸命になって琉大図書館の中から資料をさがしてくれた。これならまず大丈夫だろうということで、小学一年の頃那覇の公会堂でなにかの時展示されたウロ覚えの、豚みたいだったというイメージに合わせて描きあげた。審議会でも、これなら大丈夫だということで、大蔵省印刷局に送付した。
ところが、思いがけなくも、この50年に一ぺんの珍獣が宮古沖で獲らえられたのである。氷漬けにして箱につめ、那覇の泊港にある漁連倉庫に送られてきた、というニュースに、取るものもとりあえず泊港にかけつけた。さあ、現物と対面してみて驚いた。これは大変なことになったと思った。なにしろ、わたしのデザインとまるで感じが違うのである。これでは、世界中のもの笑いのタネになるだけである。第一にイメージが違うし、色も似ていない。
さっそく琉球政府郵政庁から、大蔵省印刷局に印刷中止の電話を入れてもらい、その日から描き直しをはじめた。もし、あの時ジュゴンがあがらず、最初のデザインのままの切手が発行されていたらと思うと、いまでも背筋の寒い思いがするのである。(『沖縄切手のふるさと』p.20)



また、当時の琉球大学学長、高良鉄夫氏のジュゴンに関する手記も載っている。
こちらはジュゴンの生態に関して興味深い情報が簡潔に語られている。

俗に“人魚”と呼ばれているが、切手に見るように美しい人魚のイメージとは、似ても似つかぬ顔をしている。外見は一見、クジラか、イルカの仲間のようにみえるが、実は陸に住むゾウに縁の近い珍獣である。
私は捕殺されたジュゴンを学術用として解剖した一人であるが、ヒレ状の前肢(まえあし)皮下のしなやかな5本の指は、人の手そっくりであった。メスが子供を抱き、上半身を水面上に出して授乳している様相は、人間によく似ているという。また、ジュゴンの性器の外形は人間のそれとよく似ている。沖縄では俗にアカンガイユ(赤ん坊魚)と呼んでいるが、それはジュゴンの泣き声が、人間の赤ん坊の泣き声に似ていることに由来するようである。
昔は、琉球近海で多くとれた様であるが、近年減少の一途をたどり、その生きた姿に接することは容易ではない。琉球大学風樹館には、ジュゴンのはく製と、組み立てられた骨格標本がそろって保管されているが、それは国内における唯一の珍重なものである。(『沖縄切手のふるさと』p.87


種は異なるが、昔「ステラーカイギュウ」という巨大な海獣がいた。あまりにも警戒心がうすく(というより人間を見たことがなかったから、強い好奇心のためか)、自ら人間の乗った船に近寄って捕獲されたため、その姿を消してしまったのである。

沖縄のジュゴンは、どうやら基地建設の騒音のために、その近海から姿を消しつつあるようだ。

辺野古ジュゴン「姿消した」 移設調査の着手直後
2016年8月28日 朝刊(東京新聞)

沖縄県名護市辺野古(へのこ)の沖合にすむ海獣ジュゴンが姿を消したのではないかと懸念する声が、地元で上がっている。防衛省が二〇一四年八月、米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の辺野古移設に向けた海底ボーリング調査に着手した直後から、藻場の食べ跡が途絶えたためだ。有識者は工事が影響した可能性を指摘している。
 ジュゴンは国内では主に南西諸島に生息する。成長した個体は五十頭に満たないとされ、環境省が〇七年、絶滅危惧種に指定した。ただ、辺野古が面する大浦湾では目撃例が絶えなかった。
 ジュゴンが生息しているか知るための手掛かりとなるのが、海草の食べ跡だ。沖縄防衛局の一四年の調査では、大浦湾で四月から四カ月連続で見つかっていた食べ跡が、八月を境に確認できなくなった。日本自然保護協会によると今年の春も、以前は食べ跡があった藻場で、見つからなかった。
 一四年八月からのボーリング調査に先立ち、工事区域を明示するためのブイ(浮標)の重りとして、コンクリートブロックを船から投下したのが原因との見方もある。
 同協会の安部真理子主任は「物音に敏感なジュゴンが辺野古から逃げてしまったのでは。ジュゴンは豊かな海の象徴。工事関連の船舶はすべて引き揚げ、平穏な海に戻すべきだ」と強調した。


琉球大学にはまだジュゴンのはく製が保管されているのであろうか。
我々の選択によって、将来、このジュゴンのはく製が、「ニホンオオカミ」のはく製と同じ運命をたどらないようにと願わずにはいられないのである。



【参考サイト・文献】
・東京新聞 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082802000128.html
・『沖縄切手のふるさと』 月刊 青い海 編集部 編 (高倉出版会 1973年3月30日)

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