相洲遁世隠居老人

近事茫々。

COVID-19 其の七

2020-04-27 20:47:05 | 日記
CPR檢査體制;

アベ官邸は、習近平來日延期に一ヶ月、東京オリンピック對應に一ヶ月、 合計二ヶ月を空費した。

獨逸は 4/11 の段階で、一日 70,000件の CPR 檢査が可能だとある。
紐育洲で、20,000 を 40,000 件に増強中。
大英帝國全體で、40,000 を 100,000 件に増強中。 これは、人口比率からすると 日本での 80,000/200,000 に相當する。 

東京大學法學部、大藏省出身で 加藤六月の婿殿が「檢査能力一日貮萬件ニ擴充」を唱えて早二ヶ月。
4/19 までの檢査累計件数; 關東一都七縣で 39,871
     東京都    9,227
     神奈川縣    8,399

お話にならぬし、山中伸彌先生が おっしゃってをられる通り、やってないに等しい。

現實は、日本の設備は 少ないだけでなく、老朽化で能率上がらず、加えて 人材不足。
急な對應に間に合わず。

あべのマスク 466億圓もの無駄遣いにうつつを抜かしてゐる程 余裕があるなら、檢査體制の擴充が 必緊の急務である。

檢査機器の増設擴充、遊休看護師の緊急動員と共に、醫學生、看護學生、薬剤師、自衛隊衛生兵に緊急召集を掛け、net 講習で、檢體採集者、檢査技師を 臨時、緊急養成の要あり。

緊急の臨時措置として 齒科醫院、藥局での檢査實施、等々 色々 手段や方法はある筈。
466億圓の豫算があれば、いろんな事が出來る筈。

勇帥ノ許 弱卒ナシ。  弱帥ノ許 優卒ナシ。

CPR 檢査の次は、抗體檢査だが、 モタモタしてゐる遑はない。
智恵を絞れ!! アベ君。
 
寫眞は 孰れも 4/28 東京新聞朝刊から借用。

漢字の音訓について。

2020-04-26 16:14:16 | 日記
  私の研究;   漢字の音訓について。

漢字の「音」については、「呉音」、「漢音」、「唐音」が廣く知られてゐる。
ここで「唐 音」とは、廣辭苑によると、「宋、元、明、清時代、禪僧や商人によって傳えられた 主に 江南地方の發音の総稱」とある。 そして、「江南地方」とは揚子江以南の地域とあるから、具體的には 現在の 浙江省、福建省、廣東省と謂う事になる。

先ず 呉音であるが、六世紀初め、五經博士段楊爾、高安茂博士 等 百濟からの來朝が續き、さらに欽明天皇の御代、AD538 に 佛教傳來、經典と共に百濟を經由して輸入されたものだと考えられる。 當時、百濟と交流の深かった「蘓」、現在の浙江省蘇州市近辺で使われてゐた「音」、即ち 六朝時代全盛期の「呉」の音である。
大和朝廷から奈良時代にかけて使われたものであるが、庶民一般に普及することなく、僧侶と 文筆を生業とする渡來人のあいだで用いられた。
一方、漢音の方は、弘法大師空海が二年の留學生(るがくしょう)を了へて長安から歸國したのが、AD806。
空海自身は渡海前に呉音を完全にマスタアしてゐたと謂われるが、長安に至って 都では呉音の通用しない事を知り、本格的に漢音を學び持ち歸る。
この塲合 漢音とは當時の都 長安、即ち 現在の陝西省(せんせいしょう)西安で流通していた音である。
それ以前、二百年前のAD607の 第一回遣隋使の小野妹子、翌年 隋使・裴世清に同行して渡海した 高向玄理、僧旻、南淵請安(AD640 に歸朝) 等は 「呉音」が 一地方音であることを知った筈である。

更には 遣唐使に随行して 吉備眞備、僧玄昉 等々が長安を訪ねてをり、中でも
 吉備眞備と僧玄昉は長安で學ぶこと18年に及び、充分に「漢音」を習得して AD735に歸朝してゐる。
奈良朝の或る時期、朝廷は 漢音を「正音」として 取り入れ、「漢音で統一しよう」としたらしいが、興福寺などの大寺(おおでら)の僧侶團が反對しておこなわれなかった。(司馬遼太郎 中國・閩のみち)
日本書紀、萬葉集が 呉音基調で書かれたのは 宜(むべ)なるかな。
結局、漢音の普及は 弘法大師空海の歸朝を俟つことになる。

現元號「令和(りょうわ)」の素となった 太宰帥大伴卿宅で 梅花の宴が催されたのが天平二年(AD730)の事で、この時期 大伴旅人が漢音で吟じたとは到底考えられない。
律令國家、大寶律令、養老律令に代表される斯く 音は「リョウ」である。
世間一般で、萬葉の泰斗と謂われるお方が 漢音で「よみ」を綴るとは。

そして、AD894 遣唐使が廢止されて以降、支那との交流は暫し途絶える。
一方、お隣の國では AD660 に百濟滅亡と共に、呉音も消滅。 以後 北宋に服属した高麗を經て 李氏朝鮮と續く朝鮮半島では 朝鮮式漢音で統一される。

支那との交易が復活するのは、「唐」が滅び、平安末期、「南宋」の時代となってからの事である。
伊勢平氏である 清盛の父、平忠盛は伊勢や博多を據點に南宋貿易で財を成し、さらに 
清盛は 攝津福原(現在の神戸)に湊を築いて交流を深める。 この頃 流通してゐた貨幣が 宋銭であった事からも その繁榮ぶりがうかがえる。
この時期の宋船は、浙江船と福建船が略々半々で、孰れも 明洲、現在の浙江省寧波を出港據點としてゐる。

時代下って、頼朝から北條氏の時代、鎌倉は「和賀江嶋」に築港、宋船を呼び込んでゐたであらう事は、颱風の後 小坪の海岸に 今でも 南宋時代のものだと思われる陶器の破片が露出するし、材木座・光明寺正面の海岸に 「舟揚塲」の古穪が残る。

この時期、交易は 南宋からの一方的なものであったが、禪僧が多數 歸り船に便乘して
渡海してゐる。  又、南宋が滅びて 元が取って代はり 暫く 交流が途絶えるが、異民族支配を遁れて、建長寺を開山した蘭溪道隆や、圓覺寺を開山し 「電光影裡 春風ヲ斬ル」で有名な 無學祖元をはじめとして 多數の 支那僧が渡來してゐる。
 禪僧の行動範囲は 天臺山を中心に 祖元自身の出身地である明洲近辺で、禪宗特有の用語には 浙江音が多い。
例えば、臨濟宗特有の用語である「塔頭」は、呉音でもなく漢音でもない「タッチュウ」と發音するが、これは 浙江音だと考えられる。

また、禪宗(臨濟宗、曹洞宗、黄檗宗)ならびに淨土宗では、「和尚」を「オショウ」と發音するが、「和」を「オ」(ヲ、または ウオ)と發音するのは 浙江音である。
(e.g. 一休和尚、 澤庵和尚)

ちなみに、天臺宗、華嚴宗では 同じ「和尚」の字を「かしょう」(漢音、「か」または「くわ」)と發音し、眞言宗、法相宗では「わじょう」(呉音)である。
一方、律宗ならびに淨土眞宗では 同じく「わじょう」であるが、「和上」と綴る。
(e.g. 鑑(がん)眞(じん)和上)
 このあたり、呉音、漢音、唐音が 南都六宗、平安二宗、鎌倉佛教、臨濟禪各宗派の輸入された時期と發祥由來が反映されてゐて面白い。

元が滅び、明の時代となるが、日本でも室町幕府の時代となり、明との國交を結んだが、
幕府の命運の斯く、断絶、回復の反復。 その間 倭寇が南シナ海に跋扈。
時代は移り、戰國時代を經て 信長、秀吉時代に その受け入れ港として臺頭したのが
和泉國(いずみのくに)・堺。 名乗を わざわざ「泉洲堺」としたのは、マルコポーロが 世界第一の貿易港だと絶讃した(福建省)泉洲、即ち ザイトン/ZAYTON/Zaitūnに肖(あやか)ったものであらう。

この 明が滅んで、異民族支配の 清に變るのが 江戸幕府の鎖國政策が徹底された時期と略々一致する。
この、宋、元、明、清、日本側では平安末期から 鎌倉、室町、安土桃山、江戸に至る 約千年の間に輸入された「音」を 十把一絡げにして「唐 音」と呼ぶが、主に熟語として輸入されたものの「よみ方」で それぞれの出身地は明確でないし、日本の字音に影響をあたえることも僅少であった。

暖簾(のれん)、蒲團(ふとん)、湯湯婆(ゆたんぽ)、緞子(どんす)、椅子(ゐす)、簞笥(たんす)、饂飩(うどん)、普請(ふしん)、行燈(あんどん)、(司馬遼太郎 閩のみち)
等々であるが、この内「行燈」については、行脚、行宮、行在所、等、「アン」と讀ませる「よみ方」は、私は これは「泉洲」即ち ザイトン/ZAYTON/ Zaitūn の「音」であるとみる。
上代「閩(びん)」(門カマエに虫)と呼ばれた福建省は 複雑な海岸線の背後に 十畳たる山脈を擁し、山一つ超えた村とは お互い 言葉が通じないと謂われたのは 支那大陸の中でも この地方の事を指す。

抑も、「泉洲」は 呉音では ゼンシュ、漢音では センシウ で、Mandarin では Quánzhou、
閩南語では Chôan-chiu、閩東語では Cuóng-ciù である。
これを ザイトンと呼ぶのは 街路樹の名前からとった亞剌比亞(アラビア)人の命名だとか。
同じく、厦門(アモイ) は Mandarin では Shamen (Xiamen) である。 これを「アモイ」と發音するのは閩南語の漳洲方言Ê-mûiからであるし、香港(ホンコン)も併(ビン)音 では Xianggang のところ これを「ホンコン」と發音するのは イエエル式廣東音Hēunggóngに由來する。
一方、上海、寧波(ネイハ) が Mandarin でも それぞれShanghai, Ningbo であるのは、上海音、浙江音が そのままMandarinに取り込まれた事を示す。

さて、行宮、行在所であるが、この熟語のコンセプトは 宋朝廷のものであらう。
即ち、宋朝(北宋)は 元々 汴京(べんげい) 現在の河南省開封市を首都としてゐたものを、北狄・金に追い立てられて、 心ならずも 臨安、現在の浙江省杭洲に都落ち(南宋)。
飽くまでも 本貫は 汴京であり、杭洲は 假りの都であるとの意から「行宮」「行在所」なる熟語を發想したものだと考えられる。
因みに、支那の王朝で、都を逐われて遷都したのは 宋朝のみ。
宋朝は 中原(ちゅうげん)の漢民族であったから、本來なら漢音で コウキュウ、コウザイショ
と發音した筈であるが、これを傳へたのがZaitūn人であった爲、アングウ、アンザイショとして日本に輸入されたものである、というのが 私の確信的理解である。

因みに 現在の普通話/Mandarin では; 行宮/xinggong、行在所/xingzaisuo、
行燈/xingdeng、行脚/xingjiao であり、「行」の音としては xing, hang, hengがあるが、
アンとは似ても似つかない。

我々日本人と先祖を同じくする 馬來オウストネシア系民族である福建人は、一般の福建語そのものが日本語に似通ってゐると謂う。
例えば; 人民解放軍 は普通話(Mandarin)では「rénmín jiêfàngjûnレンミンチェファンチュン」であるが、福建音では「ジンミンカイフォングン」であり 日本語に非常に庶幾(ちか)ゐ。
  (司馬遼太郎 中國・閩のみち)

これは、福建省が閩と呼ばれた六朝時代全盛期の代表的な「呉音」が二千年の時空を經て そのまま残ってゐる所爲である。
因みに、「人民」と謂う熟語は、「民主主義」「共和國」等と同じく、中江兆民が ジャン・ジャック・ルソウやモンテスキュウからの飜譯に造語した和製熟語で、明治末、清國からの留學生が持ち歸って普及させたものである。
習近平や金正雲が その事を知ったら、地團駄踏んで悔しがるところ、今更 國名の變更もなるまいて。 同じく日本製熟語、江藤新平の警察、前島密の 郵便は それぞれ、「公安」「郵逓」と 替える事が出來たが。
司馬遼太郎が指摘するもう一つの例は 英語の Club に 「倶樂部」の字を充てるのは
福建語由來だと謂う。 Mandarin なら jùlèbú であり、だから倶樂部の造語者は
北京人ではなくて 福建人だと。


ツングース系滿洲女眞族の清朝は 明の都 順天府を引き継ぎ、紫禁城を王宮として
 首都を 北京 と改名。 第三代 康煕帝の頃には すっかり漢民族文化に取り込まれ、固有文字も固有言語もすっかり忘れ去られていった。

現在の 普通話(プウトンホア)の源である 北京官話 (Mandarin) は、アルタイ語族である女眞族が  北方系漢民族の言語を アルタイ語化したものである。

北方系漢民族は 佛蘭西語に比肩される程 非常に廣瀚な音、おそらく 12 を超える母音、60 を下らない子音を持ち、Mandarin は 世界で最も麗しい言語の一つだといわれるが、ツングース系アルタイ語族は、同じ ツングース系騎馬民族の末裔だと謂われる 我が東北人種同様「K」の發音が出來なかったと。

因みに、戰前の日本語は 8 母音、46 子音に加へ 現在では 全く使われなくなった
「鼻濁音」と 非常に多彩であった。
それが戰後 GHQ の國語改革指令により、金田一京助一味が 鼻濁音をなくし、
更には 5 母音 41 子音に改悪してしまった。
尤も、陸中盛岡出身の京助自身は 鼻濁音は勿論のこと、自身發音も聞き分けも 3 母音しか出来なかったと 後に息子の春彦が證言してゐる。


清朝も徳川幕府も鎖國政策を採った爲、異民族支配を嫌った亡命學者、朱舜水を常陸水戸藩が抱へて尊皇攘夷の皇國史觀を確立したりと 思想的には多少 感化があったが、國語に影響を及ぼすような言葉の輸入はなかった。

具體的には 江戸時代、蘭學から輸入した「水素」「酸素」「窒素」等の熟語は、我が國獨自の創作品で、同時期、清國で創られた 「氫」、 「氧」、 「氮」 等の漢字が輸入される事はなかった。
(气 ガマエに 巠 が  水素、  +羊:  酸素、  +炎:  窒素、  +弗:  弗素、  +安: アンモニア、 +亞: アルゴン、等々)


王朝と音の變遷はあったものの、支那からの出發湊は 遣隋使の頃から 浙江船であれ福建船であれ 一貫して 明洲(浙江省・寧波)であった。
一方、日本側の出發/受け入れ湊は、難波津に始まって、筑前博多、攝津福原、相洲鎌倉、
泉洲堺、肥前長崎と變遷してゐる。

「行」の字を例に 「音」を整理して見みよう。

呉音・・・ギャウ/ガウ  ぎょう・ごう
漢音・・・カウ  こう
唐音・・・アン(福建音)
訓讀・・・ゆく、いく、おこなう
Mandarin・・・xing hang heng

日本語の中で、如何に 呉音と漢音が交錯してゐるか、熟語でみてみやう;

行爲、行軍、行雲流水、行進、行程
行啓、行幸、行司、行住坐臥、行商、行政
行事・・こうじ(使命を帯びて行く)、ギョウジ(年中行事)
行者・・こうしゃ(道行く人)、ギョウジャ(修行者)
行書・・こうしょ(筆耕)、ギョウショ(cf 楷書)
行水・・こうすい(流水)、ギョウズイ(清めの水浴び)
行相・・ギョウソウ(形相)
行年・・こうねん、ギョウネン(享年)
行人・・ギョウニン (根來寺 僧兵)
行方不明
移行、運行、敢行、執行、暴行、淫行、難行(難航)
亂行、勤行、難行苦行

名乘;
楠 正行・・くすのきマサツラ
橋本以行・・はしもとモチツラ

行方(地名)・・なめがた(茨城縣)、なめかた(福島縣)、ぎょうほう(岡山縣)、なみかた、ゆきかた

(令和貮年卯月四月二十五日 初稿)


Brief Explanation of;
Pronunciation (sound) of Chinese characters among contemporary Japanese language.

There are 4 basic sound;
1.  呉音 (go-on)
2.  漢音 (kan-on)
3.  唐音 (tou-on)
4.  訓讀 (yomi, Japanese own pronunciation)

呉音 is the one that imported from 呉 near by 浙江省蘇洲, through 百濟、dynasty which existed in central Korean peninsula, from 6th century through AD660.
漢音 is the one that imported from 随 and 唐 dynasties in 長安、current 陝西省西安、from 7th century through AD894.

唐音 is the one that imported during 宋、元、明 and 清 dynasties, mainly through
明洲 current 浙江省寧波。

The followings are the typical examples of the sound;

呉音    漢音   唐音   訓讀(Japanese own pronunciation)
行 gyou/gou  kou  ann(福建音) yuku, iku, okonau
京 kyou  kei  kin(北京音?) miyako
清 shyau  sei  shin(北京音?) kiyoi
暖 nan/quan     dan/ken non   atataka/atatameru/atatamaru
令 ryou    rei    ―    ―
井 shou sei  ―    i
手 shu    shū  ―    te, ta, zu
留 ru    ryū  ―    tomeru, tomaru, todomaru, todomeru
正 shou sei  ―    tadasii, tadasu, masasiku, masani
月 guwachi/gatsu getsu ―   tsuki
西 sai sei  ― nishi
關 en/ヱン wan seki/kan

關西 kansai quwansei kansai/quwanzei

讀 zu/ズ・ヅ tou yomi/toku/doku
人 nin jin   ― hito
田 den ten   ― ta (rice field)
畠、畑 Japanese own characters, a field to plant vegetables, except rice. Pronounce hatake.

栂、栃、椚、椡、榊、椙、椨、椥、椛、櫤、樫、橲、橳、橸、
   Japanese own characters, names of trees indigenous to Japan.

魹、魸、鮖、鮗、鮲、鮴、鮱、鯑、鯑、鯒、鯐、鯱、鯳、鯲、鯰、𩸕、𩸽、鰄、鰯、鰡
   Japanese own characters, names of fishes indigenous to Japan.

In addition to the Chinese characters, we have our own phonetic symbols.

いろはにほへとちりぬるお
i ro ha ni ho he to chi ri nu ru wo,
which consists of simplified Chinese character.
ie; 「い」is a simplified 「以」。
以、呂、波、仁、保、部、止、知、利、奴、留、遠、
和、加、與、太、禮、曽、川、禰、奈、良、武、
宇、爲、乃、於、久、也、末、計、不、己、衣、天、
安、左、幾、由、女、美、之、惠、比、毛、世、寸、无

アイウエオ カキクケコ サシスセソ
a yi u ye wo ka ki ku ke ko sa si su se so,
which consists of a part of Chinese character.
ie; 「ア」is a part of 「阿」(阝)。

阿、伊、宇、江、於、加、幾、久、介、己、
散、之、須、世、曽、多、千、州、天、止、
奈、二、奴、禰、乃、八、比、不、部、保
末、三、牟、女、毛、也、―、由、―、與
良、利、流、禮、呂、和、井、―、惠、乎


48 phonetic symbols in all, 五十音。
8 vowels and 40 semi-vowels. No consonant phonetic symbol.


 參照引用出典; 大修館書店 大漢語林
(Wrote April 26, 2020, revised on 06/01/2020)




P.S.  本稿を閲した方から 以下のご指摘、ご高説を賜りました。
目から鱗とはこの事か。  以下 ご披露申上げます。


「行」の福建音は < hang >
福建人の發音を日本人が聞くと、< h > の音は殆ど聞こえず < ang > に聞こえるとの事。

鎌倉・室町時代、福建人の 行宮/hanggou、 行脚/hanggjiao の發音を聞いた
オウストロ・ネシア語系母音族の日本人に アングウ、アンギャと聞こえたのも肯けます。


追 了 (2020/06/25)

い  ゐ  イ  ヰ  yi
え  ゑ  エ  ヱ ye
お  を  オ  ヲ oh (wo)

じ  ぢ  ジ  ヂ  jih dih
ず  づ  ズ  ヅ  zu du






COVID-19 其の六

2020-04-25 13:56:39 | 日記


東京新聞今日の朝刊に 関東地域の CPR檢査実施件数が 出ている。
4/19 迄の 累計 4/13 迄の 累計 差引7日間の檢査件数
東京都 9,227 8,062 1,165
神奈川縣 8,399 7,252. 1,147
関東全域 39,871 32,674. 7,197

1日平均では 東京都が 166、 神奈川縣が 164。
驚くべき少なさである。
これでは、山中伸彌先生がおっしゃっておられる通り、やってないに等しい。
因みに、紐育市では 1日20,000件の能力を 40,000 に、
大英帝國全体で、40,000 を 100、000 にしようとしている時に、
安倍官邸は あべのマスクの不手際の処理に 汲々としている。
466億圓で
どれだけ檢査が出来た事やら。






COVID-19 其の四

2020-04-21 14:38:51 | 日記
東京新聞朝刊に CPR 検査数累計が出ている。



東京都が 8,062、神奈川縣が 7,252。
驚くべき少なさである。
一日ではなくて四月十三日までの累計ですよ。
1日の数字であっても、決して多くないのに、
これでは、全く 検査が行われていないに等しい。

あべのマスクに460億圓もの大金を浪費するより、検査体制の強化が必須、先決、優先でせう。!