相洲遁世隠居老人

近事茫々。

村上春樹 『騎士團長殺し』

2019-01-15 11:02:52 | 日記

村上春樹 『騎士團長殺し』

タイトルからして 中世 地中海で活躍した 聖ヨハネ騎士團あたりのお話かと思いきや、題名の由來は 飛鳥時代を題材にした「騎士團長殺し」と謂う日本畫にありだと。

ご丁寧にも『Killing Commendatore』と謂う、英語と伊太利亞語混交のサブタイトルがついてゐる。

Collins Dizionario伊英伊語辭典を索くと、<commendatore> は <official title awarded for services to one's country> とあるので、著者が わざわざ注釋してゐるように、ちょっと無理筋の譯語かも知れない。 因みに、<killing>には <assassinio> と ズバリの伊太利亞語が見へる。

少し氣になって、武田正實 現代伊和熟語大辭典(1982)を索いてみた。

commendatore; イタリアの勲位保有者、聖職禄の保有者とあり、Collins Dizionarioに庶幾する。
 小學館 池田 廉・伊和辭典も 同様の記述であり、 西川一郎・和伊辭典では 騎士團ordine, cavallerescoとみへ、團長はcaposquadraとある。

筆者のハルキさんが本文中で言ってゐるように;
モーツアルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の冒頭のシーンで殺される老人には名前がなく、伊太利亞語の臺本では『Il Commendatore』となってゐる。

それを、日本人の誰かが、 明治の末か大正時代に『騎士團長』と 日本語に誤譯し、
或いは 擴大意譯し、その譯語が日本のオペラ關係者の間に定着してしまったものである。
ハルキさん自身 その事を 重々承知で、それを奇貨として 副題を『Killing Commendatore』としたものと考へられる。

ノーベル文學賞選考委員會に提出される、多分 英譯版のタイトルが副題通り;
Killing Commendatoreとなるのであらうか? 然からば 作品全體に與へる印象に影響なからんや?
因みに、聖ヨハネ騎士團やマルタ騎士團では 役職名は正式には羅甜語だが、
騎士團長は伊太利亞語では;Principe e Gran Maestroであり、事務方のトップが
Gran Commendatoreである。

2,000枚、第一部512頁、第二部544頁の大作、遅讀の僕には、長時間を要する大作である。

翻譯はPhilip Gabriel氏とTed Goossen氏が擔當、表題は 『Killing Commendatore』。
 翻譯者に馴染みはないが、Gabriel氏は猶太系、Goossen氏は 阿蘭陀系でせう。

表題がcommendatoreになっただけでも、我々日本人が「騎士團長」から受ける 威嚴や荘重感が輕減されるし、ましてや 本文で使はれる騎士團長が総て「Commendatore」で置き換へられると 作品 そのものの印象も解釋もちがったものになりはしまいか。

この辺はperceptionの問題で 翻譯物の限界といえまいか。
pedanticなハルキさん、細工が過ぎて 上手の手から水が漏れねばよいが。

ちなみに、中國語版は既に出版されてゐて 表題は「刺殺騎士團長」。
このへんは、流石 嘗て「文字」を共有した民族で 違和感はない。

この小説、小説と呼べるものかどうか? mysterious phantasyには 澤山の小道具が使はれてゐるが、その一つが 『第六師團』(師團長 谷 壽夫陸軍中將、熊本)である。

コミンテルンの指令を受けた 劉少奇一味が 北平郊外廬溝橋で、支那駐屯軍歩兵旅團
(旅團長 河辺正三陸軍少將)歩兵第一聯隊(聯隊長 牟田口廉也陸軍歩兵大佐)麾下、
夜間演習中の歩兵第三大隊(大隊長 一木清直陸軍歩兵少佐)に 三發の鐵炮の銃彈を撃ち込んだのが;

昭和十二(1937)年七月七日深夜。

7月27日 第六師團(歩兵第十一旅團、歩兵第13聯隊(熊本)、歩兵第47聯隊(大分)ならびに 歩兵第三十六旅團、歩兵第23聯隊(都城)、歩兵第45聯隊(鹿児島))
に動員發令。
8月1日   師團主力は 門司を發し、釜山、奉天を經由して 北支戰線へ。
8月31日  天津、北平地區平定。
9月24日  保定陥落。
10月20日  新設の 第拾軍に命課替へ。
11月5日  杭洲灣上陸。

この小説の主人公、雨田具彦の實弟で 當時 二十歳で東京音樂學校ピアノ科の學生であった 雨田継彦が この年6月に徴兵されて 陸軍二等兵として この杭洲灣上陸作戰に參戰したと謂う設定になってゐる。

大正7年 東京生まれ、東京育ちの 私の從兄は 昭和12年春、戸籍筆頭者の本籍地の大分聯隊區で徴兵檢査を受け、昭和13年1月10日、大分歩四七聯隊に入營。
 初年兵教育を受けた後、同年初夏 陸軍二等兵で 補充兵として前線配属。
武漢三鎭攻略戰の最中 9月10日早曉 中華民國湖北省廣濟縣呉伏七村で戰死してゐる。

その前後の 師團の動向は詳細に調査してをり、七十一年目の命日には 慰霊の爲 現地を訪ねて 何編かの拙文にも纏めてある。

雨田継彦が 本貫地の熊本聯隊區で徴兵檢査を受けた經緯はその通りであらうが、6月に(熊本歩一三聯隊に)應召入營し、杭洲灣上陸作戰に參戰し、翌年6月に除隊した謂う事は 當時の 第六師團の動向から 時系列的に ちと疑問が残る。

 しかし、杭洲灣に上陸し、南京攻略戰に参加して 翌年6月に除隊せねば この部分の舞臺裝置は成立しない。

(7月7日以前は 所謂 平時であって、昭和12年度徴兵檢査合格者も 志願兵だけで補充が満たされ、6月に召集される事は 可能性としても低かったと思はれるし、若し 應召・入營しても 半年位は 内務班で初年兵教育を受けた筈で、 11月5日の 杭洲灣上陸作戰に間に合ったか否か?  第六師團 北支作戰は 比較的損害も少なく、補充兵を多數 必要とするようになったのは、武漢三鎭攻略戰あたりからで、その前夜、復學の爲に除隊と謂うのも現實離れしてゐる。
孰れにしても、この部分は 作品全體からみれば、ほんの附けたりの瘤か 空間を埋める埋め草みたいなもので、現實と乖離してゐても 作品の優劣に影響はない。)


博識、博覧、博學、多趣味なハルキさん、例によって 大道具、小道具が あちこちに 嫌み無くちりばめられてゐる。

先ずは、古典音樂に對する蘊蓄である。
モーツアルトの歌劇 ドン・ジョバンニに關しては前述した。 騎士團長Commendatoreを始め、その娘、ドンナ・アンナDonna Annaが 文中 度々 登塲する。

續いて、ショルティーの名前が 二番目に多く引用されてゐる。
Sir Georg Solti は、私がシカゴに駐在してゐた80年代、シカゴの常任を勤めてをり 馴染み深い名前である。 シカゴから歸任の時、引っ越し荷物の中にLP アルバムを何冊か放り込んでおいたが、未だ 一度も針を載せたことがない。 聴く前に 先ず ターン・テーブルとアンプを整備しなければ。

自動車についても 博識が披瀝されてゐる。
脇役の一人 免色 渉がいつも乘ってゐるのが銀色のジャギュアー・クーペ 4.2リッターV8 最新モデル。 舞臺設定は 2011年3月11日の東北地震の數年前とあるから、2005/2006年モデルであらう。
その愛人である秋川笙子が若い頃 運轉免許を取る爲に竊かに運轉練習したのが 
父親のジャギュアー・セダンXJ6 L-6, 4.2リッター。
両者の大いなる相異は、コノリー社のleather seatが使はれてゐるか否かである。

Connolly leather、私にとって 懐かしい名前である。
1970年代、貿易収支是正に必死のMITIの號令で、輸入促進の一環としてConnolly社を トヨタ購買に紹介した事がある。  その時、Connolly社幹部とも 度々 接觸する機會があった。  慥か トヨタの最高級車にoption採用された筈である。

1990年代、私が乘ってゐた Rover Sterling 827にも Connolly leatherが使はれてゐた。
家内のお氣に入りの車種で、十數年 乘りつぶした。  最後、廢車にする時、
Recaroのseatと mahoganyの内装を取り外す事を眞劍に考へたものである。

12年間乘って20,000Kmに届かづ、2014年6月に、運轉免許返納とともに手放した CITROЁN C5 にも Connollyが使はれてゐた。   あの 他にない 獨特の「匂い」が懐かしく想い出される。

ハルキさんによると、最後の供給が2002年だとあるから、もしかして最後の貴重なConnolly leatherだったかもしれない


村上春樹氏の 十四作目の長編との事だが、私が讀むのは、「ノルウエイの森」
「1Q84」につづいて 三作目である。

「1Q84」讀後感想のメモをみると、2012/06/01附けである。
即ち、僕にとって 六年ぶりのハルキさんだと謂う事になる。 そのメモの一部を引用してみよう;

登場人物は多岐多彩である。   山岸會、ものみの糖、エホバの商人、それに僧架學會、いや空中遊泳の淺原紹興が出てくるから モデルは鸚鵡心理教だらう。  赤軍派、あさま山荘事件、點利教だか成鳥の家もどきも登場する。
加へて ドストエフスキーだ 古典平家物語だ、ヤナーエックだ ジョン・ダウランドだ、はたまたHeckler und Kochだとか 筆者の博識・博覧・博學ぶりを遺憾なく披瀝してゐる。 そのあたりが村上春樹ファンにとっては たまらない魅力らしいが、一般のひとにとっては鼻持ちならぬsnobbishなところ。

六年ぶりの作品は、文章力、表現力に 益々 磨きがかかってきた。
即ち、ハルキ文學は まだまだ 進歩、進化、發展してゐると謂う事である。

(但し 「文章力」と謂うのは 飽くまでも日本語でのことであって、表音文字の外國語に變換すると、翻譯者恃みと謂う事になる。)

大道具、小道具の類も ますます その數を増したが、緻密な描寫と 絶妙な表現で snobbish なところは 微塵も感じない。  物語の全體構成も仲仲なものがある。

圓熟、磨き、緻密さに加へて、ハルキ作品には珍しい「濡れ塲」が嫌み無く頻繁に登塲する。

再びメモを引用しよう。

讀んでゐるうちに、だんだん1Q84 の世界に引き込まれて、恰も自分自身が そこに棲んでゐるような錯覺に襲われてしまう。

チェーホフによると 『小説家とは問題を解決する人間ではない。    問題を提起する人間である。』さうだが、この作家も大いなる問題を提起してゐる。

『 a novel 』(「(ichi-kew-hachi-yon) a novel」)と謂うのは もしかして 筆者が
『 a Nobel prize for literature 』を期待しての謎賭なのかも知れない。

1Q84の世界は月の彼方の宇宙空間であったが、騎士團長が住むのは 小田原山中の地下空間。  讀む者をして その地下空間に引きずり込まれる錯覺は前作よりも一層 嚴しいものがある。


2018年のノーヴェル文學賞發表は一年間延期となった。
もしかして、英譯本出版を俟つ爲だったのかも知れない。

眞相を知るは、『騎士團長』COMMENDATORE のみである。

(2018/05/16 初稿) (2019/01/15 改稿)


支那人、朝鮮人には、ご用心!

2019-01-11 12:37:42 | 日記


支那人、朝鮮人には、ご用心!

儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇

ケント・ギルバート○cKent Gilbert 2017
講談社+α新書 2017年2月


歴史で讀む 中國の不可解

岡本隆司
日經プレミアシリーズ 2018・10・9

孰れも、日本への 『支那人、朝鮮人には ご用心!』の 警鐘の書であり、平和ぼけ日本人への 啓蒙の書である。

我が水産廳職員を乘せたまま遁走する支那漁船。  海上自衛隊哨戒機に射撃管制レーダー(FC; fire control radar)を照射する南鮮海軍驅逐艦。
その他、尖閣列島の問題、從軍慰安婦、徴用工問題、等々、両國との間には 問題山積である。

この非常時に、今こそ 我々日本人が 心して讀まねばならぬ 必讀の書である。

著者 ケント・ギルバート氏は モルモン教布教士出身だけあって 日本の俗事を知り盡してゐる。
列擧されてゐる事例は 孰(いず)れも 我々日本人なら誰でも知ってゐる事柄だが、
ややもすると、日々の生活の中では忘れがちな事を思い起こさせてくれる。
余りにも時宜を得た指摘で、時として 「外人(がいじん)の あんたには言はれたくないよ!!」との惟(おも)ひもある。

後著の著者、岡本隆司氏は、京都府立大學文學部教授で、中國、朝鮮史が御専門であり、「不可解の支那民族」 を 語り盡してゐる。
目次を見てみよう。

序章
この國はなぜ傲慢なのか。

第Ⅰ章
歴史を知らずして隣國を語るなかれ。
1. 自他が轉換する論理
2. すり替わってしまった「属」概念 ― 沖縄領有權主張の根據
3. 歴史が語る中國とロシアのDNA

第Ⅱ章
かけ離れた體制
1. 「上から目線」の國
2. 國家權力に歴史が結びつく ― 「反日」の起源

第Ⅲ章
權力と腐敗 ― 構造的病理
1. 獨裁を生む構造 ― 皇帝から共産黨へ
2. 雍正帝も手を燒いた腐敗
3. 政權移行のパターン ― 明・清のあいだで揺れる中國共産黨

第Ⅳ章
經濟の時限爆彈

第Ⅴ章
解けない國内對立
1. 終わらない民族問題の深層
2. 香港と中國のねじれた關係

特別講義 ― 「失敗の研究」としての日清戰爭

終章
日本は歴史から何を學び、警戒すべきか

以上、ヘッドラインを見ただけで 内容の見當がつくだらうと思うが
就中、第Ⅰ章 第2項は 由々しき問題である。

「沖縄は支那の領土だ!」 と言われても、我々日本人には ピンと來ないが
琉球王國が 嘗て、滿洲女眞族が支配した 清王朝への朝貢國であった事實は 
紛れもない史實であり、歴史學者である著者も、「その事實については、間然するところがない。」と言い切ってをられる。

しかし、その事を根據に 「沖縄は我が領土」だと言われても、唯々 當惑するだけである。 しかし、同じ論據を以て、 民族も宗教も違う チベットを始め 新疆ウイグル自治區、内モンゴル自治區、寧夏回族自治區を 自治區の名穪の下に 領有・併合、實効支配してゐる現實をみれば、安閑としてはゐられない。

筆者は、「同文異意」に由來する 『藩属國』の解釋、即ち 近代日本語から派生した 「属國」、「属地」を 支那語の「藩属」と同義だとするところから齟齬が生じたものだと指摘する。

一方では、昭和六年から十四年間存在した女眞族による滿洲帝國については その存在した事實すら 一切 認めようとはしない。 その頑なな態度は 恰も 樂浪郡、帯方郡の存在を 一切 無視する 朝鮮人にも似通う。

藩属國 = 自國領土 なりとすれば、沖縄にとどまらず、朝鮮半島も 越(ベト)南(ナム)
も 尖閣列島は固より 沖縄、果ては 「日出ずる國」日本本土そのものも 何れ自國領であると主張しかねない。  現に、九段線なぞと 大眞面目にわけの判らぬ事を言ってゐるのは、その前哨だと 警戒するを要す。


以下の 二著作もご参照;

日中漂流
ー  グローバル・パワーはどこへ向かうか  ー

21世紀は 「力の対抗」の時代なのか
毛利和子 岩波新書 2017


中国人には ご用心!
日本人は何も言うな、私が話す。

孔 健  三五館 2012


平成三十一年一月十一日 初稿