相洲遁世隠居老人

近事茫々。

氣候の變化が言葉をかえた

2018-12-07 16:29:46 | 日記
氣候の變化が言葉をかえた
言語年代學によるアプローチ
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東京大學教授 鈴木秀夫、 NHK BOOKS
日本放送出版協會 平成2年10月(1990)


衝撃的なタイトルである。
興味深々 讀み進んだ。

小學校で、「氷河期ハ 壹萬年前ニ終ハッタ。」と學習し、人類は 以後 平穏な生活を送ってきたものだと思ってゐたが、以後 1000年單位、100年單位、10年、5年單位で 寒暖、乾燥、洪水が 地球上のどこかで繰り返されてゐた事を知り 認識を改めた。

本書は二十八年前の出版であるが、昨今の地球温暖化騒動も 強(あなが)ち トランプ大統領の強辯ならず、その一環であるかとも思はせる程に 説得力がある。

筆者は 地球物理學の専門家であり、その面での博學・博識には敬意を表する。

しかし、専門外の『言 語』に首を突っ込み、剩(あまつさ)へ、氣候の變化と言語の變遷を 無理に結びつけようとするアプローチは 將に「牽強付會」「我田引水」そのもので 全く感心しない。


言語の移動、擴散には 民族の移動の他に 所謂 外來語、借用語の採用の二つがある。  しかし、民族移動の塲合、その最大の實例であるゲルマンの大移動、ノルマンの南下、或いは 十三世紀 當時の世界の三分ノ二を征服したとされる モンゴル帝國にしろ、移動の因は氣候變化に非ず、言語の移動を來たした痕跡もない。


旱魃等により、部族が言語と共に移動した例は 歴史上 多々あるが、そうゆう 負の面のみならず、氷河期、ベーリング海の凍結を利用して 北南米大陸に人類が移動したと謂う様な 快擧もある。


先ず、本文を引用しながら 單語の分布からみてみよう。
筆者は實例として、歯、血、鹽、五、火、眼 等を取り上げてゐるが、先ずは 歐洲諸語から取り上げてみる。

日 英 佛 獨 西 伊

鹽 salt sel Salz sal sale
火 fire feu Feuer fuego fuoco
太陽 the sun soleil Sonne asolear sole

ここまでは、快らかに語源を共有してゐる。 ホモサピエンスから言葉を喋る人類が 各人種に分かれる以前から 語源を共有してゐたと考へられる。

歯 tooth dent Zahn diente dente
月 moon lune Mond luna luna
蜂蜜 honey miel Hönig miel miele
王様 King roi König rey re
女王 Queen reine Königin reina regina
お早う Good Morning bonjour Guten-morgen Buesnos dias buongiorno
今晩は Good evening bonsoir - Buenos nastardes buonasera
お寝み Good night - Guten-nacht Buenas noches -

明らかに、南北で語源が分離してゐるが、その相異は 人種が分かれて以降の言語だと考へれば判り易い。

もう少し見てみませう。

父親 father pere Vater padre padre
母親 mother mere Mutter madre madre
息子 son fils Sohn hijo figlio
息女 daughter fille Tochter hija figlia
兄弟 brother frere Bruder hermano fratello
姉妹 sister soeur Schwester hermana sorella
お家 house maison Haus casa casa
お金 money monnaie Geld moneda denaro
パン bread pain Brot pan pane

以下 代表的「數」を列記してみる。
1 one un eins uno uno
2 two deux zwei dos due
3 three trois drei tres tre
4 four quatre vier atro quattro
5 five cinq fünf cinco cinque
1,000 thousand mille tausend mil mille

歐洲諸言語に附いての私の知識は甚だ貧弱なので、これくらいにして、
オーストロライド諸言語の代表として取り上げられてゐる マレー(馬來)語、
インドネシア(印度尼西亞)語、 通稱 Bahasa Malaya/Indonesiaの例を見てみませう。

Bahasa Malaya/Indonesia は nasi(飯、米)、ikan(魚)、kuè(菓子)に代表される様に、鰺とか鯖のような 細かな區別はなくて、大雑把な包括單語が主流です。

garam(鹽)、api(火)、air(水、アイルと發音)、gigi(歯)、mata(眼)、bulan(月)、

この辺までは、原生單語でせうか。  panas(暑い、熱い)dingin(寒い、冷たい)
awas(危ない、氣をつけて)などは、數少ない原生表現單語です。

四季のない國で、夏が musim panas、冬が musim dingin と謂うのも面白い。
(春は musim semi/bunga、 秋は musim gugur/rontok)

因みに、dingin panas は マラリヤを意味します。

ところが、太陽(matahari)になると 俄然 外來語、借用語の様相を呈して來ます。

數字を見てみませうか。
1 satu/isa 2 dua/dalawa 3 tiga/tatlo
4 empat/apat 5 lima/lima 6 enam/anim
7 tujuh/pito 8 delapan/walo 9 sembilan/siyam
10 sepluh/sampu

satu が Bahasa Indonesia で、後出 isa が 菲葎賓言語(Tagalog)です。
5 lima が何故か共通です。 その他、本文にもある通り、火 api/apoy、眼 mata/mataが共通語源だと思はれます。

共通語源であってもおかしくない バナナが なぜかsagin (Bahasa Indonesia) pisan (Tagalog)と 全く異なる言葉です。

また、lima が 東遷するに随い rima に變化してゐるのも、L と R の區別がつかないマライ・ポリネシア語族の特徴を 如實に顕してをります。

私は 上掲數字はタミール語源だと睨んでをります。 ヒンズーが通過した時の痕跡です。

Tagalog の塲合、上述に加へて、西班牙語から變化した;
uno/dos/tres/kuwatro/singko/seis/siyete/otso/nuwebe/diyes が今でも 併用されてゐます。

丁度、日本で、イチ、ニー、サンに加へて、one, two, three、それから 麻雀で
イー、リャン、サン、スー、ウー、リョー、チー、パーと使うようなものでせう。

この地域は、緬甸、泰を經由して、有史後 ヒンズー、佛教、イスラームが通過してをり、結局 ヒンズーは どこにも定着せず、觀光地として有名な バリ島だけに痕跡を殘してをります。
  佛教の方は 緬甸、泰に定着し、最後にボルブドールに痕跡を遺してをります。

馬來、印度尼西亞、南部菲葎賓におけるイスラームの影響は絶大で、言葉にもその影響を留めてをります。

イスラームがこの地域を侵攻したのは、紀元千年頃、十一世紀の事だと思われますが、 右(kanan)、左(kiri)と謂う言葉も亞刺比亞方言からの借用であり、それ以前には 斯かる概念が存在しなかった事を示してゐます。

朝晩の挨拶である Selamat pagi, Selamat siang, Selemat malam も亞刺比亞語のSelematに 朝晝晩を意味する土語のpagi/siang/malamをくっつけて お早う、今日は、今晩は。

即ち、イスラーム傳來以前には 挨拶の習慣が無かった事を示してゐます。

これがTagalog になると; Magandang umaga  お早う。
Magandang hapon 今日は。
Magandang gabi 今晩は。

となります。 これは 明らかに廣東語語源であり、イスラームより先に華僑が進出した事の證左でせう。

 因みにTagalog語でsalamat(selamatとスペルも違う) は 「有り難う」を意味します。


日本語に「新鮮」と謂う單語があります。 北京官話、現在の普通語の發音では xînxiân ですが、これが、マルコポーロで有名な 福建省泉洲市近辺では 現在でも「シンセン」と發音します。
  同じく 福建語由來だと考へられる、行燈(あんどん)、行脚(あんぎゃ)、行在(あんざい) 等の單語は 本國では すっかり忘却されて、日本にだけ 痕跡を留めてゐるようです。

孰れも室町末期、十五世紀、當時 福建省で最も榮へた港町、泉洲から 倭寇が持ち歸った 輸入語です。

氧(气かまえニ羊)(酸素)、氫(气ニ巠)(水素)、氮(气ニ炎)(窒素)、氟(气ニ弗)
(弗素)、氨(气ニ安)(アンモニア)、氬(气ニ亞)(アルゴン)等々の漢字は
 結局 日本に輸入される事はありませんでした。

逆に、明治以降の 純日本製近代概念語である、人民、共和國、民主主義、社會主義、共産主義、資本主義、委員會、秘書、思想、圖書館 等々は、主に中江兆民が モンテスキューや ジャン・ジャック・ルッソーから譯出したものであるが、これらの翻譯語は 今や 漢字世界での共通語となり、堂々、國名にまで採用されてゐる事は周知の通りです。

現在 定着してゐる近代語、例えば、「憲法」も 木戸孝允は「政 規」を使ってゐたが、伊藤博文に依って憲法が制定される。

  福澤諭吉が 戊申戰爭の時 上野の彰義隊の砲聲をききながら、Francis Wayland; The Elements of Political Economy を講じてゐた話は つとに有名であるが、その時 福澤はEconomy を「理 財」と譯した筈である。
 
後に 大隈重信により「經濟」と改められる、等々 曲折があったが、經濟とは「經世濟民」の事で 元々の意味は違うのだが、今では 漢字圏での世界共通語になってゐる。

「郵便」が 前島 密(ひそか)の創作である事は 廣く知られてゐる。
「巡邏」が 江藤新平失脚により「警察」となったが、これを採用した支那が その事に氣付き「公安」にかえつつある。


Bahasa Indonesiaについて更に謂うと、原住民がes(氷)と謂う言葉を知ったのは、十六世紀末 阿蘭陀人との接觸が始まってからの事であり、部屋を意味する kamar も阿蘭陀語のKamer(カーメル)からの借用であり、Kantor(事務所)Apotek(藥局)Polisi(警察)等々 枚擧に遑ありません。

文字に附いて言及するなら、緬甸、泰には 固有の文字があり、現在まで 頑なに固執してゐる。  越南(VietNam)では 永い漢民族支配、それに續く350年に及ぶ佛蘭西植民地で固有文字を喪って、26文字を採用してゐる。  しかし、多彩な安南語の發音は26文字では とてもカバーしきれず、種々の記號を併用して 多岐、多彩、流麗な安南語の維持に努めてゐる。

馬來では英國の、印尼では和蘭の、比島では西班牙に續く米國の350年に亘る植民地支配にも拘はらず、固有言語が喪はれずに維持されてゐる事は 幸いな事です。

この民族は固有文字を持たず、26文字を採用してゐるが、オーストロライド語族の特徴として、5母音、子音の數も少なく、26文字で 十二分にカバー出來てゐます。
(尤も、印尼に於いては、近年 急速に 和蘭綴りから英語綴りに變換された。)

上記事實は、孰れも 氣候の變化とは 何等の關聯性もない事は明白です。
變遷は 二次元では判らず 時間を座標軸とした三次的考察を要します。

讀み終はってからも、表題の「気候の変化が言葉をかえた」の概念そのものが 私には全く理解出來ません。

昔 よく『白河ノ關ヨリ北ハ 三母音』だと言はれたものです。

その意味では多少關聯するかも知れませんが、筆者の意圖するところとは異なるでせう。


私の この本の採點は、全く評價しないと言いたいところですが、氣候變動部分は100點、言語部分は -50點で、おおあまにおまけして 差引き50點です。

2018/12/04 初稿

追;  先程 NHK TVを視てゐたら、(私はTVは NHKしか視ない)
カザフスタンのアルマトイが出て來た。
柔道着の事を『キモノ』と呼んでゐた。 イスラームの國です。
今や 言語は 意味を異にして遠くにまで傳播するものだ。
逆に、「呉 服」と言う外來語も 今や 日本だけにしか通用しまい。


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