相洲遁世隠居老人

近事茫々。

日本人は どこから來たのか?

2020-11-04 11:28:15 | 日記

日本人は どこから來たのか?
Where did we come from? New revelation of the great human journey to Japanese Islands.

國立科學博物館人類史研究グループ長
海部陽介 著 2016年2月10日 文藝春秋社 刊

を讀む。

學者の學術論文を素人向けに書き直したものであり、阿弗利加(アフリカ)を起源とする人類が いつどこから日本列島に到達したのか と謂う命題は、余りにも浮世離れしてゐて、
それは恰(あたか)も メイフラワー號を起點とするアメリカ合衆國の歴史を語るに 氷河期ベーリング海を渡ったホモ・サピエンスから説き起こすに似て 人類學者でも考古學者でもない私の興味は薄い。
只、参考になる點は 二、三ある。
その一つが 25,000 年前 西比利亞(シベリア)から渡來したとされる大移動の南限が大隅諸島まで で 沖縄への民族の移動は臺灣からの北上だったと謂う點である。(P-166)

先ずは結論だけを要約すると;
約100,000年前に阿弗利加を出發したホモサピエンスは
1. 38,000年前  對馬ルート
2. 35,000年前 沖縄ルート
3. 25,000年前 北海道ルート
三つのルートを經由して日本列島に到達したと謂うもの。

孰れも 後期舊石器時代の事であり、小規模での渡來であったと考えられ、狩猟・採集民族であってみれば、食糧調達の限界から増殖の勢いは弱く、悠久の時空の中で 絶滅したか ないしは その後の渡來人の中に吸収されたかして 現代の日本民族に繋がった可能性は低いとみる。

私の大膽な假説を下記しよう;
10,000年以上前の 新石器時代、ジャワ原人の末裔が 丸木舟で臺灣から琉球列島を經由して 東流の黒潮に乘って九洲をはじめ渥美半島以南の日本列島東岸に上陸。
  これが所謂 奈良朝時代「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれる存在である。  後に平安朝時代 蝦夷(えみし)と呼ばれる種族と 熊襲も この一族であらう。  その數は限られたものであり、同じ經路で渡來する後續のホモ・サピエンス、壓倒的な數の 馬來オーストロネシア語族と縄文時代を共生する。

BC400 年頃、彌生式水田農法を携えて 支那・江南地方から移住して來た同じ馬來オーストロネシア語族は九洲西岸、筑紫、山陽、山陰から北陸道にまで及ぶ。
同じく 黒潮に乘っての渡來であるが、琉球列島東側の潮流とは異なり 西側の潮流である。 この頃になると 船も一段と大きくなり、東側ルートの丸木舟と異なり 大量輸送を可能にしている。
 彼等が日本の農耕民族の主體となり、食糧の潤澤さのもたらす結果として 爆發的人口増殖がおこる。

もう、20年以上も前の事であるが、釧路で初めて「アイヌ」の人に遇った時、直感で
「これは 沖縄の人だ!」と謂うものであった。

近年、DNA鑑定の普及により、愛知縣田原市伊川津貝塚から發掘された 2,500年前の縄文人のDNAが アイヌに近い事が判った。 しかも この遺傳子は ラオスで發見された8,000年前の遺傳子に近似し、一方、25,000年前のバイカル湖周辺で發掘されたものとは関連性が薄い事も判ってゐる。

沖縄本島で發掘され港川人と名付けられた20,000年前のDNAは、 骨相がニューギニア、ニュージーランドのマオリ、濠洲原生のアボリジニに似て、 ジャワ島ワジャク人のそれと一致する。(P-159)

既述 25,000年前 北海道ルート西比利亞渡來人の南下南限が大隅諸島だとする説 等を総合的に俯瞰して アイヌ人はワジャク人一派の集團が 琉球列島を經由して日本列島を北上し 北海道で明治時代を迎えたと謂う推論は無理なく肯定出來るのではあるまいか。
即ち、縄文時代中期 中部地方にまで擴がってゐた現代日本人の創始集團が、後に 日本武尊(やまとたけるのみこと)により 白河の關の北に追いやられ、更には 桓武天皇により征夷大將軍に任命された 坂上田村麻呂により 北辺陸奥に追いやられ、蝦夷(えぞ)地で明治時代を迎える。
この推論には妥當性を感じる。

それ以前、BC400年頃から 支那・江南地方(現在の 浙江省近辺)より 彌生式水田
農法を携えて農耕民族が大擧して渡來し 瞬く間に 西九洲、山陽山陰道、北陸道に定住し、先住の縄文人にまで水田農法を普及させる。
そして AD240 – AD260卑彌呼の農耕民族國家・邪馬臺國による倭國統一へと發展していく。

以上、現代の日本民族の構成を 俯瞰的に総括するなれば、渡來順に;

1. ワジャク人の遺傳子を受け継ぐ 臺灣、琉球列島を經由して渡來した人々。
(アイヌならびに一部の沖縄人、特徴は南方系骨相)

2. 臺灣、琉球列島を經由して渡來した 馬來オーストロネシア母音語族。
(主に 九洲東岸、瀬戸内海沿岸、四國・土佐、紀伊半島・渥美半島沿岸部の
     夜這い習慣のある地域の人々)

3. 黒潮西岸流に乘って九洲西岸、筑紫、山陽、山陰から北陸道に渡來した
馬來オーストロネシア母音語族。(2.と共に 現代の日本民族の大半を占める)

4. 朝鮮半島經由渡來した 塞外のツングース系騎馬民族の末裔、始皇帝の末裔を
自稱する漢民族、朝鮮族。 孰れも アルタイ語子音語族。(三母音語族)
(出雲地方、関西地域、北関東一圓に散在。 顎の骨格的に言語の發音を異にする)



以上、すっかり本論から外れたが、私の上述假説を裏付ける有力な後援者である。

令和貮年菊薫ル明治節ノ佳日ニ

(2020/11/03 初稿)

日本人は どこから來たのか?  海部陽介 文藝春秋社 2016年2月10日