何か、これを知っているというものが、漠然と欲しいのだろうと思う。世界についての洞察、私という主観から、客観視した世界の姿、それを知りたいのだろうと思う。私が見ている世界は、常に私の視点であるのだが、それを横から眺めるかのように真実の姿、私というバイアスがかからない世界。そういうものが、そういう見方が可能であるのか。世界の側と私の側を分けると、世界に私が辿り着くことはない。物自体という考え方をする限り。私が見る世界は、事実とは、真実とは違うのだろうか。
実在を探すということは、こういうことなのか。世の中の多くの物が、イメージや幻想でしかない。では、幻想でない物が何か。その線引きが分からない。物は、観測すれば、する程にその境界は曖昧になる。その幻想も、現実ではあるのだが真実ではない。世界にある物が幻想だと知りながらその中で、幻想を身近に引き受けて、幻想を忘れて生きる。
幻想に巻き込まれて、真実という考え方自体、それが幻想。そう思うと、全てが幻想になる。この共同幻想を支える人間全体。
幻想の渦で、生きる人々、幻想に気がつくことなく、それが真実と信じ疑いを持たない。むしろ幻想を楽しむ。