ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

復活祭の朝に

2022-04-17 | わたしの思い

Associated Press/Efrem Lukatsky

 

 

 

イースターの日曜の朝、教会へ行く支度をしている間、時計代わりにつけているテレビのニュース番組では、相変わらずロシア軍の残酷さを報じている。 三男夫婦の住むスエーデンとフィンランドがNATO(北大西洋条約機構)に加入する希望を述べてから、あの独裁者は核兵器があることをちらつかせて反対している。 呆れを通り越して、この独裁者が落ちるところまで落ちていく将来を自ら急がせているのを絵に描いたように目に浮かべた。 

このイースターの朝、私にできることは一体なんだろうと再び思う。 すると今から24年ほど前に夫と観劇したあるブロードウェイの舞台俳優・歌手の歌った歌を思い出した。 あれは、ヴィクトル・ユーゴーのLes Misérables レ・ミゼラブル(ああ、無情、あるいは悲惨な人々)で、ジャン・ヴァルジャンが歌った祈りの歌である。 

それはジャン・ヴァルジャンが、かつて彼のガラス宝石工場で働いていた女工の娘をコゼットを我子のように慈しみ世話をしてきて、そんな彼女を愛するマリウスという青年の無事な帰還を祈り求める歌だ。 

マリウスは、「ABCの友人」と称する革命的なフランスの共和党学生の(物語上の架空の)協会に入り、民主主義の擁護、支援など、さまざまな政治的視点から活動をしていた。 この架空の団体はユーゴーの小説では、1832年6月5日に実際に起こった、六月暴動あるいはパリ蜂起として知られるパリ市民による王政打倒活動にマリウスが加わったことになっている。 物語後半の山場において、マリウスが無事に帰還できることを神に祈るジャン・ヴァルジャンの懇願のこの歌が歌われる。 

舞台を観た時にこの歌にとても感動したが、それからだいぶ経って、タバナクル合唱団のコンサートでゲストとして招かれた舞台俳優アルフィ・ボーが、ジャン・ヴァルジャン役としてこの曲を歌ったのを観た。 その時2万2千人を収容していたカンファレンスハウスは満員で、それにも関わらず、彼が歌い始めると、水を打ったように会場はなんの物音も聞こえなくなった。 ボーの熱唱が終わると、3,4分間のスタンディング・オベイションが続いた。 それほどアルフィ・ボーの歌唱は心を動かす懇願の祈りの歌だった。 

今この世界の嵐において、この歌は、ひとりひとりが聴いて心にかけたなら、それは祈りに近く、祈りに近ければ、それは祈りとなり、どの名前でも呼ばれている神に届くのではないだろうか、ウクライナの国と人々に安寧が戻るように、と私はふと思った。 イースターの朝、窓から上を見上げると、カリフォルニア・クラシックと言われる青い空が光っていた。

 

 

Bring Him Home

God on high
Hear my prayer
In my need
You have always been there
He is young
He's afraid
Let him rest
Heaven blessed.
Bring him home
Bring him home
Bring him home.
He's like the son I might have known
If God had granted me a son.
The summers die
One by one
How soon they fly
On and on
And I am old
And will be gone.
Bring him peace
Bring him joy
He is young
He is only a boy
You can take
You can give
Let him be
Let him live
If I die
Let me die
Let him live
Bring him home
Bring him home
Bring him home.
 
Source: LyricFind 
Songwriters: Alain Albert Boublil / Alain Boublil / Claude Michel Schonberg / Herbert Kretzmer
Bring Him Home lyrics © Warner Chappell Music, Inc

日本語訳

家に戻して

高きにまします神よ

私の祈りを聞き給え

若い彼を救い給え

彼を家に帰らせ給え

御心は存じております

彼はまるでわが子なのです

 

歳の波が寄せて

やがて私は死ぬでしょう

 

まだ若い彼に平和を与え給え

全能の神よ彼に命を与え給え

死ねばならぬならば私を死なせてください

彼を家に帰らせ給え

彼を家に帰らせ給え

 

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クイズとBooと

2022-04-08 | 私の好きなこと

アリゾナの夕暮れ (モンティ・ネヴェット撮影)

 

 

 

夫は自宅勤務で、私が仕事から帰宅する5時半から6時半の間に軽い夕食を取る私たち夫婦。 食後はカウチに二人して座り、7時からのJeoparday!という長い間続くクイズショウを30分。 カウチから「参加」して思いつく答えをそれぞれ口に出す。 このクイズは、答えが質問になっていて、回答者は、質問を回答する。 

Wikipediaに説明されているので、以下引用:「クイズは司会者が問題文を全文読み上げてからの早押し形式で行われる。問題文はほとんどが短文あるいは数個の単語であり、日本のクイズ番組で見られる『日本で最も高い山は何でしょう?』といった質問文形式ではなく、『それは日本で最も高い山です』といった答えの形で書かれている。回答者は『富士山とはどんな山でしょう?』のように質問文形式で回答する。」と、まあ、ややこしいが、1964年から続いているクイズ番組であり、昔から我が家では人気がある。

 

ABC.com

「1929年6月17日、この航空会社の最初の旅客便はダラスを出発し、シュリーヴポート、モンロー、そしてジャクソンに寄港しました。」

答えは「デルタ航空は何ですか」である。

 

そのテレビの前の床の犬ベッドにハスキーのBoo(ブー)が寝そべり、大好きなNylaboneという安全な齧りトイを熱心に齧っているというのが毎夜の定番構図。 

Booは今年初めから六週間に渡って毎月曜夜1時間のトレイニング・コースを取っていた。 驚いたことにクラスに来ていた神経質なコーギー犬ややんちゃなマルチース犬よりも、早くに飼い主の言うことを聞き、吠えることも、文句を言うこともなく、一応飼い主に従うことを覚えたが、習ったことをすぐ忘れるので、落伍犬(落語でも可)ではある。 ラッシーやベンジーやリンティンティンが目標とは思いつきも期待もしていなかったので、とにかく人を噛まず、脅かさず、飛び付かず、愛想笑いの一つや二つできれば、たいしたものだとする飼い主も飼い犬同様、ある意味落伍者ではある。

そんなBooは、Jeopardy!が終わるや否や、寝ていても、目を開けて私の傍へ来る。 その時点で、私は、「7時半だものね、Boo, もう行こうか?」と尋ねると、Booは跳ね上がるようにベッドから起き上がり、私と競争するかのようにガラージの自分の寝所へ向かう。 つまりBooのクレイト(檻)である。 

ガラージに置いてあるクレイトが大好きで、昼間外で遊び飽きると、パティオのドアをノックしてくる。 居間の犬用ベッドの時もあるが、そのまま真っ直ぐガラージへ向かうことが多い。 ハスキー犬は始祖の狼にも似て、デン(巣穴)のような環境を好むのか、夜間暗く静かなガラージのクレイトに入り、クレイト専用のカバーを掛けて貰って休むのをとても好む。 

朝は私が起こしに行くまで熟睡している。 坐禅をして、瞑想でもしていたかのような、妙に悟った顔つきで起きる。

お気に入りのガジガジになった齧り骨とボールを身近に居眠りするBoo

 

先回の健診(人間の)では、ウクライナのニュースを目にするたびに、やりきれなくなります、とぼやいた私に、主治医は言った。 「あなたはウクライナへの基金をし、また毎日ウクライナのために祈っていますよね。 それが今あなたの出来ることなのですから、なるべくニュースをご覧にならないようにしてください。 血圧は正常ですが、毎日ニュースをご覧になると、ひと月もしないうちに、不具合が見つかるようになりますよ。 人生は短いのです。 大切になさってください。」

その通りかもしれない。 ウクライナのために戦おう、とこの私がランボウのように銃を取ったところで、それを抱えて機敏に戦場を駆け抜けるなど自信はないし、第一今から武器の扱いを習ったとて、習得する前に理不尽な暴虐が集結するかもしれない。 せめてスパイダーマンに生まれていたらと地団駄を踏んでみても何にもならない。 第一蜘蛛の親戚にはなりたくない。 医師は毎日のんびりできる時間を少しでもお取りください、と言いながら私をドアまで送った。

だから夫とふたりでカウチでJeaopady!を見て、Booとしばらく遊び、クレイトに入れてやり、それからホレイショ・スパフォードの”It Is Well With My Soul"を聞きながら眠りに着くことにしている。 多くの避難民を思いつつ、どうぞその人々の安寧がこの夜あるようにと祈って。

下は同じIt Is Well With My Soulを英語、スペイン語、ロシア語、そしてウクライナ語で歌っている。

コメント (2)
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駆けて翔(かけり)

2022-04-05 | 家族

 

 

 

コペンハーゲン勤務の次男が、土曜日に走者番号の下記の画像をテキストしてきた。 あら、今度はどこのマラソンを走るのだろうとよく見ると、パリマラソンとある。 金曜日までベルギー出張だった次男は、スエーデンに帰宅するや否や再びコペンハーゲン空港からパリへ飛んだようだった。 見ると今回も目標は全走3時間45分で、らしい。 走行全長42.195Km(26.22マイル)で、凱旋門をスタートし、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、バスチーユ、セーヌ河畔などの名所を廻って、ブローニュの森がフィニッシュ地点と言うことだ。 

夫、末娘と私は、その次男のコペンハーゲンでの結婚式、スエーデンでの披露宴の後、パリへ足を伸ばして訪問したが、あの時、凱旋門からブローニュの森までいつの間にか歩いてしまっていた。結婚をその年の暮れに迎えていた末娘と私たち夫婦はいろいろ話しながら歩いていたからだろう。 42.195Km(26.22マイル)は、どちらかと言うと、「亀科」に属する私にとって、漢字で書けば、難儀、である。 それを完走、しかもたった3時間45分で? 正気の沙汰とは思えない。 

ボストンマラソン参加資格はこのパリマラソンで3時間5分だかの記録が求められる、と末娘の夫が教えてくれる。 実際、ケニア人男性はこのパリマラソンで2時間5分7秒、ケニア人女性は2時間19分48秒で優勝している。 全く私の知らない世界である。 だいたい勝つ人がいること自体不思議だ。

次男の健闘結果は、下の通り。 目標よりも1分超えるが、このマラソンでの平均時間は5時間22分だから、本人は嬉しかったようだった。 「亀科」の母親を持つ息子だもの、完走しただけでもあっぱれだ。

 

よ〜い、どん、で走り始めから、次男は笑顔で、走ることが楽しい、参加することに意義がある、を地で行っていたようだ。 ちなみに伴走して、水やスナックを渡してくれていたのは、大学時代からの親友の一人、Iで、ついでに写真も撮っては送ってくれた。 

戦い終わって、ニューヨークから妻帯して駆けつけて応援してくれた大学時代の同級生M(右端)と息子が推薦してコペンハーゲンの会社に勤務するやはり同級生のI、一緒に参加した同僚と記念撮影。 思いがけず、同窓会。 大抵はこの同窓生3人は国境をものともせず集まって、次男の結婚披露宴にもわざわざスエーデンまで出席してくれた。 次男もMの結婚式にはニューヨークへ飛んだ。 IもMも2mを越す身長で、至ってフレンドリーな若者である。 仲良し3人はそれぞれ国際ビジネスマンとしてオランダやドイツやニューヨークなどで働いてきている。

ルーブルで記念撮影を終えたら、豚骨ラーメンでお祝い、だそうだ。 4人共タバコはもちろんアルコールも嗜まないが、日本のラーメンは大好物である。  

戦い終えてスエーデンへ帰宅した息子を待っていたのは、5歳の長女と今年3歳の長男と驚くほど忍耐強くしっかりと息子を支えてくれる、やはり大学時代の同窓生でもある妻。 週60時間働くこともある次男だが、育児に関わったり、家事をすることは楽しみでもあると言う。 

土曜日や休みの日には図書館や博物館や遊園地(海峡を渡れば、コペンハーゲンのチボリ公園がある)へ出かける。 そしてなによりも毎日曜日教会の後で、午餐を妻の両親宅で過ごすことが楽しみだそうだ。

また次のマラソンに向けて、健康を維持し、家族を大切にし、しっかり働いて、羽ばたいていけるように、遠くの母は願っている。

  

 

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