ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

三本の弦

2018-10-27 | わたしの好きなもの

 https://www.tdf.org

 

 

私はカリフォルニア州の中都市とよばれる所に住む。そんなところにも、フィルハーモニックオーケストラがあり、時には、信じられないほどの高名な演奏者がやってくる。いままでに夫と私が行ったコンサートには、ウィーン少年合唱団や、ジョシュア・ベルというアメリカの誇るヴァイオリニストがいたし、また世界的に有名なイツァーク・パールマンもいる。初めてセサミ・ストリートに出演したのを幼い子供達と観た時と同じように、パールマンの演奏は、誰もの目を見開かさせる彼の才能をふんだんなく披露し、聴く者の心をつかむ。そんな彼の素晴らしい生演奏を拝聴できた時の私の感動は言葉では言い表せなかった。これはジャック・ライマーと言う人が語った私の尊敬するイツァーク・パールマンの話である。


 

1995年11月18日、ヴァイオリニスト、イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)がニューヨーク市のリンカーンセンター(Lincoln Center)のエイヴァリーフィッシャーホール(Avery Fisher Hall)でのコンサートの演奏のために舞台に上がった。


パールマンのコンサートに出席したことがあれば、ステージに上がることは彼にとって小さなことではないとお分かりであろう。彼は子供の時にポリオを罹患し、両足に補強用具を付け、2本の松葉杖を使って歩く。彼が一歩ずつステージを痛々しくゆっくりと横切って歩くのは、印象的である。


彼は自分の椅子に達するまで、痛そうに、けれど威厳を持って歩く。着席すると、ゆっくりと、床に松葉杖を置き、足の補強用具を外し、片足を後ろに引き、もう一方の足を前に伸ばす。そして、彼は体を曲げてバイオリンを拾いあげ、顎の下に置き、指揮者にうなずいて演奏し始める。


今では聴衆は、このやり方に慣れている。彼がステージを横切り席につくまで、聴衆は静かに各自着席している。彼が足の補強具を外す間、聴衆はうやうやしく静かにしている。そして彼らは演奏する準備が整うまで待つ。


しかし今回は何かが間違った。彼が最初のいくつかの小節を終えた時、彼のバイオリンの弦の一つが切れたのだ。聴衆はその切れた音を聞くことさえできた - それは部屋の向こう側に飛んだ銃砲の弾のように消えた。


その音が意味することは、彼が補助用具を再び足につけ、松葉杖を持って立ち上がって、他のヴァイオリンを取りにいくか、切れた弦の代わりを張るか、どちらかに違いないと思えた。


しかし、彼はそうせず、代わりに、しばらく待ち、目を閉じて、指揮者に再び始めるよう合図した。


オーケストラが始まり、彼は先に途絶えたところから演奏した。そして、彼はこれまでに聞いたことがなかったほどの情熱と力と純粋さを注いで演奏した。


もちろん、誰もが、ただ三本の弦で交響曲を演奏することは不可能であることを知っている。私は、それを知っているし、あなたもそれを知っている。しかし、その夜、イツァーク・パールマンはそれを知るのを拒んだのだった。


彼が頭の中で作品を調整したり、変化させたり、再構成したりするのを見ることができたのだ。ある時点では、まるで弦を調律して、以前にはない新しい音を奏でるかのようにさえ聞こえた。


彼が演奏し終わったとき、場内は素晴らしい静寂に包まれていた。それから人々は立ち上がり、歓声をあげた。割れんばかりの拍手が爆発のように講堂のあらゆる場所から沸いた。私たちは彼がおこなったことに、どれほど感謝しているかを示すために、出来る限りの絶賛を叫んで、喝采を彼に浴びせたのだった。


彼は微笑んで、眉に浮かんだ汗を拭い、弓を上げ下げして聴衆を静かにさせ、穏やかで控えめな敬虔な気持ちで - 誇らしげではなく - 言った。「皆さまはご存知でしょう、時には、演奏者は残されたもので、どれだけ音楽を作れるか努力することを。」


なんと強力な台詞だろうか。それを聞いて以来、それは私の心の中にとどまっている。ひょっとすると、おそらく、それはアーティストだけでなく、私たち全員に言えることではないだろうか。


ここでは、4本の弦のバイオリンで音楽を奏でることに全人生を捧げて準備した男は、コンサートの途中で突然、3本の弦だけで演奏しなければならなくなり、たった3本の弦で音楽を奏でた。彼が3本の弦でその夜に奏でた音楽は、4本の弦を持っていたときよりも、はるかに美しく、より神聖で、思い出深いものだった。


だから、おそらく、私たちが生きているこの目まぐるしく急速に変化する世界で、私たちのすべきことは、最初に私たちの持つすべてを使って(人生という)「音楽」を作り、それがもはや不可能になったら、 残されたもので「音楽」を作っていくということだろう。


   

https://academictips.org                                 http://muppet.wikia.com

天才少年だった頃と、セサミストリートに出演した頃のイツァーク・パールマン

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七歳で | トップ | 自分を信ずること »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

わたしの好きなもの」カテゴリの最新記事