ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

情けは人の

2022-03-21 | わたしの好きなもの

Luke 6:31

 

 

 

日本語に浸って暮らすことがなくなって久しいが、TV Japanという北米向けの殆どがNHK構成によるケーブル局をたまに観る時、あら、この言葉使いは、なんだかおかしく聞こえる、と思うことがしばしばある。ニュースでもそうである。 

〜をさせていただきます、というような慇懃無礼にさえ聞こえる物言いは 〜致します、〜致しましたであったものと思う。 何をなさっていらっしゃるのでしょうか、と言うところを何を「されている」のでしょう、になってしまうと、なにか悪いことを「されて」いる、という意味合いにも取れる。

そうした混同や勘違いによる誤用は、ことわざの世界にも及んでいる。 たとえば、情けは人の為ならず、という本来の意味が全く異なった意味となってしまっているのがある。 現代人の多くはこれを誤用し、「ならず」を「~ではない」ではなく「~にならない」と誤解している。「情けは人の為ならず」は「情けをかけることはその人の為にならない」という意味に間違えている。 

これは、「ならず」を「ならない」と誤訳し、そのために起こった間違いだ。 ここで言う「ならず」は「だけではない」である。 つまり情けは人の為ならず、は「人に情けをかけることは巡り巡って自分に返ってくる」あるいは「人にする良いこと(善行・親切)は自分にも巡ってくる」という意味だ。 次の実際にあった話は、情けは人の為ならず、を本来の意味で非常によく表している。 

フレミングという貧しいスコットランド人の農民がいた。 ある日、家族のために細々した生計をどうしたら改善できるか考えながら歩いていると、近くの泥炭沼から助けを求める声が聞こえた。 彼は持っていた農具をその場に置いて、沼地に駆け寄った。 そこには、黒い泥炭に腰まで沈み、恐怖に駆られている少年が、そこから抜け出そうともがき苦しみつつ叫んでいた。 父親であるフレミングは、ゆっくりと恐ろしく死に至ったであろう窮地から、少年を救い出した。 

翌日、豪華な馬車がフレミングの貧相な家に着いた。 優雅な服を着た貴族が馬車から出てきて、フレミングが救った少年の父親として自己紹介した。 「私はあなたにお礼をしたいのです」と貴族は言った。 「あなたは私の息子の命をお救いくださいました。」 「いいえ、私がしたことに対する支払いは受け入れられません。」とスコットランド人の農民は申し出に答えた。 

その時、農夫の息子があばら家の戸口にやって来た。  「このお子さんはあなたのご子息ですか?」貴族は尋ねた。 「はい」と農夫は誇らしげに答えた。 「それではこの提案をしたいと思います。 あなたのご子息を私がお連れして、良い教育をお受けになられるように致しましょう。 この若者が父親のあなたのような人格をおもちになるならば、彼はあなたが誇りにお思いになられるお方に成長なさいます。」

さて、この農民フレミングの息子が成したことは、やがてロンドンのセント・メアリーズ・ホスピタル・メディカルスクール(セントメアリー病院医学部)を卒業し、ペニシリンの発見者の有名なアレクサンダー・フレミング卿として世界中に知られるようになったことだ。 

数年後、泥炭沼から救われたあの貴族の息子は肺炎に襲われた。 何が彼を救ったのか?  ペニシリン。 その貴族の名前はランドルフ・チャーチル卿。 彼の息子の名前はウィンストン・チャーチル卿であった。 人はかつて言った、情けは人の為ならず。

 

 

 


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