夏至のスエーデン・スコーネ地方の小麦畑の上に広がる空は、カリフォルニアの紺碧な空と異なって、遠慮がちな、優しい、優しい薄い青だった。ちろちろと白い小波をたてているエーレスンド海峡が、青い小麦畑の果てに見える。ここ南スエーデンの小さな村に住む家族の一人娘が、村の広場へ、花冠をかぶり、自分で仕立てた木綿の夏らしい、でも控えめなドレスに身を包んで、婚約者と手をつないで村の広場へ歩いて行った。
広場の中央には、綺麗に草や葉で飾られたマイストング(メイポール、五月の柱)が立てられ、その周りを村の人々に混じって、婚約者や友人や家族と共に踊った。彼女の笑顔は、ことのほか明るく、その笑い声は陽気に弾けた。ミッドサマー(夏至祭)はクリスマスの次に大事な祝日よ、と夏至祭につきもののストベリーショートケーキを切り分けながら、ナタリーは、アメリカからの彼女の新しい家族になる私たちに、楽しそうに言った。その傍らで、彼女と翌日結婚する息子は、柔らかな微笑みを浮かべていた。
翌日コペンハーゲンで彼女と婚約者は、両家族の見守る中、厳かに結婚した。午後には、村から少し離れた城で披露宴があり、せわしなかったが、誰もが高揚とした幸せな気分で、あの長いオーレスン橋を渡って、スエーデン側に戻って行った。あちらもこちらも子供は五人、同じ年頃で、うちはすでに長女と三男が結婚していたが、あっという間に打ち解けあって、ゲームの話などもしていたほどだ。ナタリーには四人の兄弟がいて、生まれた時から彼女は父親の目に入れても痛くないほどのお気に入りであるのは、すぐわかった。
ナタリーと次男はハワイの大学で知り合った。三男も彼の妻もその大学へ行っていたので、すでに四人は“仲間”である。同じ教会へ四人は毎日曜日集い、勉学に励み、三男以外は、揃って一緒に卒業した。あの年ナタリーの家族も私の家族も忙しい夏を迎えたものだ。五月にはハワイの卒業式に行き、六月はコペンハーゲン空港でナタリー家族が、私達夫婦と子供五人と義理息子と義理娘、そして日本の親族をも迎えに来てくれたのだ。
遡る一年前、次男は夏休みで大学からスエーデンに帰省しているナタリーにプロポーズする計画で長男とヨーロッパへ発った。長男は応援団な役割で。ナタリーの家族は、非常に親しみやすく、親切で楽しい人たちで、次男のプロポーズは計画通り運んだ。長男は、テキストで、逐一実況中継のように私達に連絡してくれた。彼女の父親は、息子達と意気投合し、母親も包容力のある人で、翌年に決めた結婚式が本当に待ち遠しいものになった。
その年のクリスマス休暇に次男はハワイから、ナタリーを連れてカリフォルニアに帰省した。スエーデン人には珍しく、彼女は小柄で、金髪のピキシーカットがとてもチャーミングで愛らしく、スエーデン人は、英語が達者だが、彼女の英語はアクセントもなく、話してみて、聡明な、気さくな、そんな素敵なお嬢さんと見受けた。彼女を嫌いな人などいるだろうか?
この続きはまた明日。