ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

不思議な事件

2019-09-23 | 調査・探求

Unsplash.com 

子供の一人は空中に灯った電球のような明るい光をたくさん目にしたと父親に語った。

 

 

 

 

1986年5月17日、私は生後8日目の次男の世話に明け暮れ、産後の肥立ちにも気を付けていた頃であった。夫がつけたTVのイヴニング・ニュースで前日5月16日にワイオミング州コークビルにある小学校で起こった事件について報道していたのを覚えている。コークビルはアイダホやユタの州境に近く、羊業や鉄道、そして少しばかりの炭鉱で19世紀末に原住民ショウション族の地であった所へヨーロッパ人が入植して始まった町である。人口は500人に達したのが1970~1980年代である。来年2020年の国勢調査で、あきらかになるが、現在でも人口は600人にはなっていないと思える。多くの住民は敬虔なクリスチャンで、小さなアメリカの町特有な仲間意識がある場所でもある。

 

そんな町で何が起こったのか。この町の法務官(=保安官)であったが、狂信的な考え方から数年前に辞職を余儀なくされ、その「間違い」を正したかったのか、1986年5月16日デイビッド・ヤングと妻のドリス・ヤングが、コークビル小学校で167人の子供と大人を人質にしたのだった。 自家製ガソリン爆弾の発火装置を腕に巻いたデイビッド・ヤングは、いくつかの銃やライフルを小学校へ持ち込んだのだった。彼の目的は人質を皆爆死させ、自分はそれから(その死から)復活して新しく始まる世界のリーダーになると狂信しての企みだった。

 

ところがこの爆破装置を妻、ドリスの腕に巻いて、自身は洗面所へ行った時、ドリスはうっかりとその腕を挙げて、爆破させてしまったのだ。その時、火だるまになったドリスを、デイビッドが射殺し、その後再び洗面所へ戻った彼はその銃で自殺した。つまり人質犯のデイビッドと妻のドリスだけが、この事件で死亡したのである。人質の大半は爆破時逃げ、79人負傷した。

 

この爆発は、本来ならば、横方向へ伸び、その火勢と爆風で全員が殺されてもおかしくはなかった。しかし、この爆発は、縦方向に起こり、天井めがけて爆発し、それはその爆弾のすぐとなりにいたドリス以外、誰も火だるまになることはなかった。79人の負傷者は主に子供たちで、腕や手などへの火傷を負った。ヤングがガソリンを入れていた容器は真新しいものではなく、ゴミ捨て場で見つけてきたようなミルクを入れる1ガロンの古いプラスティック容器だったので、小さな穴が開いていてそこからガソリンが蒸発し始めていた。気化するガソリン臭のせいで子供達は気持ちが悪いと訴え始め、教師の一人が窓を開けるようにヤングに請願した。ヤングは窓を開けてもいい、と言い、それで幾人かの気分が悪かった子供達はそのまま開けられた窓近くにいた。

 

子供達は、敬虔なクリスチャンの家庭で育っているので、一人で、あるいは他の子供にそっと呼び掛けて少数づつで祈りはじめていた。教師も然りで、それぞれが祈っていた。事件が起こると同時に警察に通報したヤング夫妻の娘は最初は両親と共にいたが、小学校の子供たちを人質にとるという狂気におののき、タウンホールへ駆け込んで助けをもとめ、この小さな町の住民すべては、事件を知った。人質犯が身代金を要求し、人質を解放するなら、喜んでチェックを切ると言った牧場主もいたが、ヤングが要求したのは、人質一人に付き、200万ドルで、つまり約2億ドルだった。小さな町の一農場主には到底切れないチェックの額であった。町の人々は、すすり泣きながら祈り始め、またコークビル高校の生徒たちも同様に祈り始めた。

 

これがコークビルの奇跡と呼ばれるようになったのは、この事件で死亡した人質犯たった二人であったこと、爆発が広がらず、窓を開けていたことから、火傷を負っても人質は全員逃げ出し、命を失わなかったこと、そして事件後しばらくしてから、子供達が語り始めたことによる。

 

子供達が子供達らしく振舞っていたことに対して、だんだんと苛立ってきていた犯人の癇癪を恐れて教師の一人がマスキンテープで犯人のいる所を広く四角く区切り、子供達はその四角区域に入ってはいけないゲームだから、と言ったことが、実は子供達が助かった理由の一つにもなった。犯人は爆弾を間近に置き、もし子供達が少しでもそこに近づいていたらば、爆風と火で悲惨なことだっただろう。その教師の機転が一つの奇跡でもあった。

 

そして犯人の自家製ガソリン爆弾も、彼が計画したようには作動しなかった。人質の負傷は主に火からきた火傷や爆破時の破片などからであった。

 

子供達はやがて大人たちにその日、教室で起こったことをぽつぽつと話し始めた。多くの子供は、「きれいな婦人」が「白いローブ」を来て、自分の傍にいつもいてくれ、「あなたは大丈夫よ、私がついているから」と言ったと話した。ある子どもはそれが自分の祖母(実は曾祖母ですでに事件の三年前に亡くなっていた)、別の子供は、自分の大叔母さん(すでに逝去していた)だったと話した。そして数人の子供は、白い衣を身に着けた人たちが、盾のように爆弾を囲み、爆破した途端に天井へ上昇していった、と述べた。

 

この事件と子供達が経験したことは、後にテレビドラマになり、本も出版され、最近では2015年に劇場映画として、制作された。この映画は、Netflixで見ることができる。私は1990年代にテレビドラマ化されたものを当時見た。それは白人至上主義者で、自分自身を神と同じ存在だと狂信していたディビッド・ヤング役をリチャード・トーマス(ウォルトン家族シリーズのジョン・ボーイ役だった)が演じ、コークビルで起こった事件に、なにかただならぬ加護があったことを知ったのだった。その後事件に関する新聞や書籍を読み、やはり祈りの力や信仰がこの人質たちを救ったのではないかと信じている。

 

この事件について2015年再び劇場用映画ができた時、新しい隣人一家が越してきた。話すうちにこの家族の父親はコークビルからの人で、当時彼はまだ就学年齢ではなかったが、彼の姉は、人質のひとりだったと語ったのだ。そして彼は姉があの日コークビル小学校で他の子供達同様不思議な体験をし、子供達を守ってくれた「白いローブ」をまとった人たちを見たと言う。彼女は今や何人かの子供の母親である。映画の最後に当時小学生だった彼女の写真と現在結婚して幸せに暮らしている彼女と彼女の家族の写真も出てくる。

 

私がこの事件について不思議だと思ったのは、犯人の妻ドリス・ヤングが学校内にいた人たちをすべてひとつの教室に集めた時、これから何をするのかと子供達に聞かれ、「あなたたちが自分の子供や孫たちに語り継ぐようなことが始まるのよ」と答えたことだった。この夫婦は人質を全員殺戮するはずだったのにも関わらず、それに相反するかのように、つまり人質が生きることを前提に彼女が話したことだった。神、あるいは人間の英知を超える存在があるということを信じるか否かは、人の自由だが、私は、この小さな町の人々、高校生、そして人質たちの祈りは決して無駄ではなかったと思う。祈りは人知の及ばぬ偉大な力を持つものである。

 

 

ジョージ・ムーアと爆破以来初めて登校する彼の息子。

Bill Wilcox photo, Casper Star-Tribune Collection, Casper College Western History Center.the week after the bombing. Bill Wilcox photo, Casper Star-Tribune Collection, Casper College Western History Center.

 

参照:

  • WyoHistory.org、”Cokeville Elementary School Bombing" by Jessica Clark
  • “A Projectile Killed Doris Young, Not Bomb Blast, Police in Cokeville Say.” Deseret News, May 24, 1986, 11. 
  • “Cokeville Bombing.” Undated scrapbook. Cokeville Public Library.

 

 


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