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先祖によってアレンジされた結婚?
(ロン・オンマット、ノース・キャロライナ州コンコード)
妻と私は1985年、ニューヨーク州ブルーム郡で出会いました。これ以前に私達の家族はお互いを知りませんでした。私達は1987年に結婚し、1990年と1992年に娘達は生まれました。私達は、ニューヨーク州ヴェストルに住んでいましたが、1996年に仕事の転勤でノース・キャロライナ州に越したのです。
私の両親が、1800年代後期から1900年代初頭にかけての古い先祖の写真の入っている何冊かのアルバムをくれたことから、私達は系図に興味を持ちました。私達は私のオンマット系、妻はマッカーチャー系を調査し始めました。
私達は、国勢調査を通じて、私の高祖父母、レオとバーバラ・オンマックと妻タミーの高祖父母、ジェイムスとサラ・マッカーチャーが1900年にペンシルヴァニア州ジャーマインでお互いに近く暮らしていたのを発見しました。ジャーマインのサイズを考えると、この二組の高祖父母は、きっとよくお互いに話し会ったりしたのではないかと考えたりしました。
1999年10月、この二組の私達の高祖父母が、ペンシルヴァニア州モントデールに隣同士で埋葬されているのが分かった時は、二人とも仰天しました。
こんなことが起こる確率は一体何なのでしょうか?
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あちら側の答え
(スー・ニッカム、カリフォルニア州フリモント)
二、三年前、私の祖父が94歳の時書いた回想記を出版しようとしていました。その回想記の第二巻に載せて出版しようと、他の家族の記録や写真を引っ張りだして集めていました。
当時母はまだ生存していて、郵便によってできる限り私に手助けをしてくれていました。私達はもうすでに何年もお互いに毎週手紙を書いていたので、手紙書きは私の身に深くしみ込んだ習慣でした。
私の調査で、やがてある女性を見つけ、彼女は、私の曾祖父ハーディ・トムプソンが引退した鉱夫であったということで、ある本からの引用句を送ってくれました。母への一通の手紙に、私は(曾祖父)ハーディの職業についての最初の示唆する参照だと、述べ、母がそれが本当かどうか知っているか訊ねました。母は知りませんでした。
私の手紙は、常にコンピューター上で書かれた二枚の表と裏でした。私は、金曜日の夜に最初の一枚を少なくとも完成し、土曜日の朝早く手紙の残りの部分を終えていました。ということは、最初の一枚が、私の机の上に一晩中あったわけです。
二、三週間後、母は私に何故手紙のレターヘッド*に”well driller”(試験用井戸掘削機)と書いたのか、と訊ねました。彼女はその部分を破り、私に送ってくれましたが、その裏には、私がハーディの職業について尋ねた一節が書かれており、その表に書かれた物は、私の筆跡でも母の筆跡でもありませんでした。私の名前と住所の上に横書きで”well driller”(井戸井戸掘削機)と書かれていました。私達は当惑しました。
私はその後私の叔父への手紙にそれについて書きましたが、叔父は私がその知識を持っていると思い込んでいたと誤解していました。叔父はその返信の中で、こう書いています。「父は父の父が掘削機を扱う仕事をしていた、と聞いた時、それを正そうと、”井戸掘り人ってことなの?”と聞いたのだった。父は、”違うよ!掘削機を使って試験的に穴を掘る仕事だ、”と答えたのです。[ 天然ガスや油井の可能性を探るために試験的に穴を掘る仕事のことをここでは述べている ]
というわけで、ハーディ・トンプソンは、試験掘削をする仕事をしていたと私は理解し、彼のスピリットが手紙のレターヘッドに私のために書いたのだと納得しているのです。
*レターヘッドとは便箋上部に差出人の名前や住所などをまえもって、印刷するかタイプするかしてある場所
http://c1.peakpx.com
あちら側からの助け?
(ジュデス・グライムス、カリフォルニア州ヨーバ・リンダ)
病院への階段近くに停車し、父親が泥酔して後部座席で気を失っているタクシーの中で、私は生まれました。母は父を離婚し、私は一切彼や彼の家族について見たこともなければ、知りもしなかったのです。私は、義父によって育てられました。
父親は、女たらしで、酔っ払いで、大晦日に泥酔し、吸っていた煙草の火が引火し、燃える家の中で焼死したのだ、と言うこと以外になにも実父について話してはもらえませんでした。私は16歳の時から40年以上系図探索をしていて、母親の方の家族や夫の家族についてはよく調査したのですが、実父については何一つ調べたことがありませんでした。
55歳の時、私はとうとう母に私と一緒に墓地へ行き、私の実父の墓所を探してくれるように頼みました。彼女は拒否し、系図調査は押しつけがましく、彼女の生涯についてあちらこちら掘り起こすようなことは嫌いだと言いました。
その日以来、母は目に見えてファミリツリーについて否定的になり、どんな質問にも答えてはくれませんでした。母は、その時まで保管していた写真を焼却するなどの手間をかけさえして廃棄してしまいました。彼女は卒中から脳障害を起こし、それは彼女の思考回路をすでに破壊し、私が訊ねる質問が、邪悪なものに満ちているとしっかり信じていました。
彼女は私を裏切り者の謀反人と考えていました。母は、2000年の9月に亡くなりました。そしてその日は、私の父の家族に関するデータが洪水のように私のコンピュータに溢れて墓地から帰宅した日でした。私が今まで一切耳にしたことのなかった父の母親、伯母や叔母、伯父や叔父、従兄弟や従姉妹についてのデータが、要請もしなかったのに、それらが一気に溢れ出たのでした。その日まで私は父方の祖母の旧姓や誕生日やその他なにも知らなかったのでした。
そうした情報源は合衆国のあらゆるところからやってきて、私が一度もコンタクトをしたことのない人々からでした。私は感嘆し、母があちら側から助けてくれたのだろうか、とさえ思いました。あるいは、母の人生の痛みに起因する障壁が取り去られたのでしょうか。私はその系図探求結果に嬉しく思うと同時に、大きな悲しみをも感じたのでした。
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参照:Serendipity セレンデイピティ
...genealogical discoveries with a little help from above. あちら側からの少しの助けによる系図調査上の発見
https://www.genealogytoday.com/family/stories/serendipity.html