ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

病の兆し

2018-01-17 | アメリカ事情

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今まで行ったことのない場所で、先祖の墓地や墓石を探す時、出会う「偶然」は、数多くある。夫と私もそんな経験がある。ケンタッキー州のボーリンググリーンにあるという先祖の墓所を探しに行った時、それは競走馬を育成する牧場の草地の真ん中にあるのを発見した。並大抵のことではその墓所は見つけられないと思うが、走行中に、道路から牧場を見ていてその真ん中に小さな木立があり、そこに墓石らしきものを目撃したのだ。見過ごすかもしれないところを、自然に顔がそちらに向かさせられたとしか言いようがない。

立派な厩舎のある牧場に車を停めて、おそらく怪訝な顔をされるだろうと、住宅のドアを叩くと、そこの持ち主は気軽に厩舎まで案内してくれ、最近そこを買い取り、すべて引っ越しが終わってはいず、オハイオから時々来ている、と言った。たまたまその日そこに来ていたのである。墓所へは背の高い牧草をかき分けて到達し、墓石はすべて写真を撮り、名前と月日を記録し、再びそこの持ち主にお礼を述べ、私達の住所を渡してハイウェイに戻ったのだ。後日その持ち主は、あの墓所が市の歴史的価値のある「墓所」として登録され、永代管理を市がするという旨を伝えてくれた。

このような経験は私達だけではない。系図調査者に共通する経験である。下もその例の一つ。


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病気の兆し

私の夫は、高祖父の父、ジョージ・パーカーについての情報を15年を費やして探していました。ケンタッキー州の遠い親戚は、彼がどこでいつ生まれたのか、またいつどこで亡くなったのかしりませんでした。謎に包まれたジョージ・パーカーを探すありとあらゆる手立ては、みな無駄に終わり、私達の調査は、永久に停止してしまったように見えました。

七年前、夫と私は、高校卒業四十五周年の同窓会がインディアナ州のエヴァンズヴィルで開かれたので出席しました。そしてジョージアへの帰路の途中、私は突如として非常に痛烈な乗り物酔いに襲われたのでした。あまりに具合が悪くて、レストストップやガソリンスタンドに近づくのを待つよりも、ただちにフリーウエイを降りて、そこで停車しなければならなかったのです。他に誰も降りないような、よく開発されていないような出口がすぐにやってきて、そこで降り、淋しい田舎道へ入って行きました。

行く手には、埃っぽい一方通行の道があり、それは木陰に駐車場のある小さな教会の墓地につながっていました。そこへ停車し、私は車外に出ました。少し気分がよくなると、夫は、そこにある墓地を探索してみようと決めました:彼は、親戚に何人かは、ケンタッキー州ウェブスター郡だったと知っていて、たまたま私達が停車したのが、そこだったからでした。

突然に襲った吐き気から徐々に回復しつつあった私は、彼が興奮気味に、遠くから私を呼ぶのを耳にしました、「ベッツィ。。。こっちへ来て!僕がなにを見つけたのか、君は絶対想像もつかないよ。」

私は夫が立って下の墓石を見ている所へ行きました。その墓石には、「ジョージ・パーカー、1824年1月11日生まれ、1904年8月10日没」とありました。私達のとらえどころのない”獲物”は、巧にいままで何年も隠れていたけれど、隠れるのに疲れ果てたのでしょう。そんなつもりはなかったのでしょうが、(ふいの吐き気を催させて気づかせるなど)なんというやり方で私達に気づかせたのでしょう!

ーベッツィ・スタンズベリー、ジョージア州

ーIn Search of Ancestors by Megan Smolenyak

コメント (3)
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