ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

報道価値のあること

2018-01-12 | アメリカ事情

https://www.dreamstime.com

時には、系図探索、調査では、情報拡散が有効であるので、ファイスブック等のSNSを用いることは至極当然なことであるが、以下の実話は、インターネットがまだ生まれてもいなかった、でもそれほど大昔でもない時代の話である。

 新聞のお陰

数年前、私は、マーティン家の祖先がどこからやってきたのか突き止めようと決めていました。 メイン州ポートランドの連邦裁判所では、英国エッセックス・バーンハムオンクローチで出生したと、記録してある曾祖父の合衆国への帰化記録を発見しました。

この時点で、他にいくつかの方法でもう少し、このことについて調べよう、と思っていましたが、私は、バーンハムの町役場へ手紙を書くことにしました。そこの役人は、私の調査の助けにはならなかったので、ここで私の調査は終わるのだと思えました。しかしながら、この親切な役人は、わざわざ私の手紙をその地方の新聞に出してくれたのです。

私がその役人に手紙を書いて数か月過ぎた頃、英国からの郵便を私は受け取りました。中には、私の(系図上の)立場について新聞に書かれた三つの記事コピーがありました! 見たところ、私の父親の年取った二人の従兄たちが、その記事を読み、新聞社に連絡を取ったようでした。そして編集者は、これは報道価値があると、再び記事にしたらしいのです。いままで知らなかったその新しく見つかった父の従兄たちが、1900年メイン州ポートランドで写された私の曾祖父の写真を同封してくれたのでした。どうやらこの写真は、当時まだバーンハムに住んでいた弟に送った写真のようでした。これは、曾祖父の孫娘にわたり、80年の「休日」を経て、メイン州へ、私の手元へ、戻ってきたのでした。

 

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その後、そう時を経ずして、私は英国へ渡り、幾人かの親戚に会いました。町の役人の機転、そして新聞社の私の系図探求への関心と助けがなければ、私は自分の先祖を探せず、今ではすっかり私の人生の一部となったエセックスの従兄たちにも会えず仕舞いでした。このことは二十年前に実際にあったことです。

ジェフリー・E.・マーティン医学博士、メイン州 

ーIn search of Our Ancestors, by Megan Smolenyak

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