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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

日常のヒーローたち

2020-12-02 | クリスマス

キリスト中心、という名のネイティヴティ・セット

 

 

 

ヒーローにハイライトをあてたい時、あなたが思い浮かべるのは、どなただろうか。私が意味するのは、日常の英雄である。十万馬力のアトムでも、地球侵略を狙う「宇宙の帝王」ゴアとの戦いのために、地球創造主のアースが作ったロボット、マグマ大使でもないし、正義の味方エイトマンでもない。こう書くと、私は昭和の人間だとつくづく思う。とにかく、今日書きたいヒーローは二人いるのである。

最初の、フォックス・ニュースの記事はすでに一年近く前のものだが、私の「良いニュースファイル」に今でも入っているものである。合衆国アイオワ州の消防士たちのニュースである。

アイオワ州の消防士たちは最近(ほぼ一年前の記事である)、臨月で産気づいた女性を助けるために、出動したのだが、実際には出産介助以上の支援をした。

その女性のために出動した消防士は、女性のシーダーラピッズの自宅の居間で「赤ちゃんの出産を手伝った」とFacebookに書いた。

新しい母親の叔母であるラリッサ・ラフィンによると、消防士は、分娩後、ママと新生児が暖かい毛布を持っていることを確認してから、厳寒の中病院への搬送を手伝った。

家の中では別の消防署から3人の消防士が家族を助けていた間、その後に駆けつけた別の署からの消防士は、屋外で素晴らしいことを展開させていた。

 自分の車で現場に対応していた2人の消防士は、その家のドライブウエイをすべて自分たちでシャベルを持って雪かきをし、その家族の人たちが、スムーズに駐車できるよう取り計らったのだった。

ラリッサ・ラフィンはこの消防士たちと出産を介助した消防士たちに感謝の意を表し、目には涙を浮かべ、消防士たちの助けについてオンラインに書き込んだ。

 

2番目の記事は、つい最近、11月13日付のJersey Journal(ジャージージャーナル紙)からである。

11月10日火曜日の午後、29歳のアンソニー・カプアーノは、叫び声を聞いたとき、公園でのトレーニングを終えたところだった。

およそ20人の傍観者のグループがニューアーク湾の岸に集まり、海中に飛び込んだ一台の車が沈むのを見ていたと彼は言った。

たまたまライフガード兼水泳コーチを務めていたカプアーノは、飛び込むのをためらうことは全くなかったが、彼はまず最初に左足の義足を外さなければならなかった。

11年前、カプアーノは電車事故に巻き込まれ、救急隊は彼の命を救ったが、片足が犠牲になった。

下のビデオでは、見物人が岸から叫びながら、カプアーノが湾から岸の車両に向かって激しく泳ぐのを見る。

「車の運転をしていた人は 『泳げない、泳げない』と言っていたが、私は彼に、 『大丈夫、自分はライフガードです』と言ったんです」とカプアーノはWABC局に語った。

カプアーノは事故の犠牲者を安全に岸辺に引き寄せるのを助けたのだった。

「最後の1秒で彼を連れ出したので、それはクレイジーでしたね」とカプアーノは言った。 「車が水域に入り、すべての空気が放出されて沈む瞬間でした。つまり、間一髪で彼を車から引き出したのでした。」

警察の調査の結果、携帯電話使用中に、駐車しようとして、運転者は、車両の制御を失い、誤って同時にブレーキペダルとアクセルペダルの両方に足を踏み入れたようだと言った。そのため、彼は加速して湾に飛び込んでしまったのだった。

 

このヒーローの活躍は、下のヴィデオでご覧いただけるが、見物人の声が大きいので、音量をお下げになられることを提案する。

 

こうした日常のヒーローは、思いがけないときに思いがけなく人を助けてくれる。こうした人々について知ることは希望を与えてくれる。あなたの周りにもきっといらっしゃるはずである。あるいはあなたご自身かもしれない。

 

 

 

 

 


GivingTuesday

2020-12-01 | クリスマス

大好きなアーテイスト、グレッグ・オールセンがデザインしたネイティヴティ・セット

 

 

 

日本で合衆国感謝祭翌日の金曜日が、ブラック・フライデーとして知られるばかりでなく、アメリカのごとく、クリスマスショッピングの皮切りのセールを目的とした日になっていると聞く。そこに商魂のたくましさを感じるが、日本人に文化的な意味を問うても無駄なことである。その商業主義、消費主義のブラックフライデーに対抗するようにできたのが、Giving Tuesdayギビング・チューズデーである。これは「寄付の火曜日」で、2012年にニューヨークの慈善団体92nd Street Yと国連基金が始めた。

Wikiによると、ハッシュタグ効果(#GivingTuesday)を狙った国際的な社会的運動で、マイクロソフトやソニーなどのパートナー組織もあり、消費者文化に対する防御手段として、また人々がお返しをする方法として称賛を受けて徐々に拡大しつつある。このトレンドは、好意を持って人々に受け入られ、ソニーが協賛しているあたり、日本でももっと広がったら、素晴らしいと思う。

何をするのか、と言えば、それは慈善事業団体に寄付をしたり、奉仕をすることである。そうした寄付団体のリンクをSNSに載せて知らしめることもその運動の一つ。日本でも歳末助け合い運動があるし、参加することはたやすい筈である。アメリカでは感謝祭の翌日から、商店の入り口で、赤いケトルを下げ、チリンチリンとベルを鳴らす人が立つ。サルヴェイション・アーミー(救世軍)の募金活動である。

これは、1865年英国の貧しい労働者階級の人々の多い東ロンドンでメソジスト牧師夫妻によって、伝道するために始められた教会組織である。その牧師ウィリアムスが、伝道にあたり、天啓で「義勇軍に非ず、救いの軍なり(Not volunteer army, but Salvation army.)」というメッセージを受け、救世軍は設立された。今では、この組織は世界で131カ国に渡り、存在している。

救世軍の生活困窮者支援等の為の年末の街頭募金運動は、アメリカでは赤いクリスマス・ケトルと呼ばれる鍋に募金を入れてもらう。日本では社会鍋として知られている。この救世軍は、軍組織を模したキリスト教プロテスタントの一派で、伝道の他、社会福祉事業、教育事業、そして医療事業で有名である。日本には1895年に伝来、サルヴェイション・アーミーを救世軍と訳したのは、クリスチャンで政治家だった尾崎行雄である。

これはキリスト教徒であろうが、また新旧のキリスト教会を問わず、つまり宗教や宗派を問わず、万人が、気軽にポケットの小銭をケトルに入れて募金活動に参加できる。たとえ1ペニー(1セント)でも、寄付できるから、幼い子供達も、親に小銭を持たされて寄付している。またこの組織はアメリカの各都市に、Not-New-Shop(古着・古道具などを販売)やTrift Shop(同じくセカンドハンド店)を経営し、そこの収益を奉仕活動に使っている。アメリカではどこの街にもこうした救世軍のセカンドハンド店はあり、古い書物や懐かしい玩具やパイレックスの食器など、マニアな人にとっては、宝庫である。もちろん靴下から靴、ウエデイングガウン、寝具、リネン類も格安で売っている。

断捨離で、まだまだ使えるものを処分するのは、ただ大ゴミとして清掃局に出すよりも、まずこうした団体に寄付することが勧められる。捨てる神あれば拾う神、である。そしてその店で購入すれば代金は福祉や教育、医学にも回されるから、無駄ではない。

私にとってクリスマスシーズンに見かけるあの赤いケトルは、幼かった子どもたちに寄付を教える第一歩でもあった。多くの人が少しずつでも出せあえば、それは人の役に立つことに繋がる。現に救世軍のこうした福祉と伝道によって救済された有名人もいる。

その一人、MyPillow(マイ・ピロー)という枕製造会社の設立者は、クラック・コケイン常習・中毒者で夢も希望もなく、世間からは拒絶され、いつ息絶えて路上で発見されてもおかしくはない人生を20年間送っていた。しかしながら、彼は救世軍によって救済され、救世軍の教育事業(成人向けリハビリテイションセンター)によって、常習を断ち、更生し、会社を設立したのだ。やがてホワイトハウスに招かれる事業者となった。そして「助けられた」ことを忘れず、生活に必要なものを除いた収入を寄付している。

あなたのわずかなポケットの小銭は、非常に有意義なことを行う初めの一歩である。今日、街角で、店先で赤いケトルを目にし、チリンチリンという鈴の音を耳にしたら、ポケットやバッグを探って小銭を手にして、ケトルにお入れになると、思わぬ未来をどなたかにプレゼントすることになるかもしれない。

 

Photo Credit: Salvation Army

 

 


11月の終わりに

2020-11-30 | クリスマス

 

 

 

今年の11月も今日で終わり。なんとせわしなく、ある意味暇で、がっかりの多かった3月からの8ヶ月だったろうか。アルコール類は嗜まないが、なんだかワインだのウイスキーだのの気持ちが分かるようなそんな今年である。月日を重ねて黙々と芳醇な味を香りを蓄えて、いつかポンっと栓を開けられて、華々しくグラスに注がれる晩を夢見て、ひたすら暗闇に耐えているような。

お酒なら飲まれてそれで終わりだけれど、人間は、栓を開けられると、あれもできる、これもできる、あそこへ行ける、ここへ来てもらう、などと楽しいことをもう一度できる喜びが待っている。仕事も増えて、失業も少なくなり、学生は学校で級友と親しく勉強や活動に時間をかけられ、信仰を持つ人々は再び礼拝の場所で、多くの信仰者と礼拝できる、そんなことを考えるだけで、高揚してくる。人という漢字が、ただの「ノ」じゃなくて、もう一本の線が右で支えている「人」であるのは、決して偶然じゃあないだろう。

人は1人で生まれて、1人で逝くが、その二つの極自然なことの間は、1人ではなく、多くの人と関わって生きていく。それが中途半端にできなくなるこの8ヶ月だった。これがいつまで続くのかわからないが、私たちは、それがやがて終わり、再び家族に、友人に、級友に、隣人に会うという喜びがあることを忘れまい。ワクチン開発の朗報を支えに、もう少し頑張ってみるとしよう。

そして明日から12月。一年で一番私の好きな時である。今年は早めにクリスマスツリーを準備し、ダイニングテーブルの上には、ネイテイヴィテイ(キリスト降誕シーン)セットを飾った。今年のクリスマスは、やはり長男一家と次男一家は帰省できないので、寂しいが、それも人生。そんなクリスマスもあるのが人生だ。

そんなことを思いながら、私たち夫婦の結婚年月の積み重ねのようにたくさん集めたクリスマスツリーの飾りを一つ一つ手に取っているうちに、「そうだ、今年はかつての懐かしいクリスマスのTreats(お楽しみ、主にスイーツなど)を作ろう!」と独り言ちた。チーズ・ボール、キャテドラル・クッキー、 キャシュウ・ブリトル、ホイップト・ショートブレッド、などなど次から次へ頭に浮かんでくる。

こうしたものは、1980年代初めくらいまでは、結構多くの家庭で作って供していたものだった。そういえば、今ではチーズ・ボールなど誰も作ろうとも思わないかもしれない。これらのレシピは追々載せていくつもりだが、今日は、どうしてもこれをご紹介したい。それは、カテドラル・クッキー。

私は、これはGlue Goodies(グルーグッディズ=ベタベタの美味しいもの)という名前で覚えている。クッキーと名がついても、通常のクッキーではない。1970年代初頭、家族の友人であったミセス・カーにもらったレシピは、難しいことは一つもないので、私はよくこれを作り、留学してからもルームメイトたちと楽しんで作ったものである。秘訣は、何もなく、強いて言えば、ミニチュア・マシュマロの色のついたものを使うことである。淡い色とその色にあったフルーツフレイバーのあるものが楽しい。作るときは子供達と一緒にすると面白い。

 

材料:

セミスイートチョコチップ  1カップ(アメリカのカップ)

バター  大さじ2

パステルミニチュアマシュマロ  3カップ

作り方:

  1. ダブルボイラーを使用するか、または金属製のボウルを沸騰したお湯の上に置き、チョコレートチップとバターを弱火で溶かし、時々かき混ぜる。
  2. マシュマロを入れてそっとかき混ぜる。 30分間冷やす。
  3. ワックス・ペイパーの上で、混ぜ合わせたものを直径4センチほどの丸太に成形する。 お好みで丸太の周りにココナッツをまぶす。
  4. ワックスペイパーでしっかりと包み、端をねじって密封し、4時間または一晩凍結する。 ワックスペイパー紙を取り除く。 生地を1/4インチにスライス。 冷蔵庫の密閉容器に保管する。

 


あなた自身

2020-11-28 | クリスマス

 

 

 

高価な贈り物や美しいカードよりもあなた自身のお顔をお声を面前で見たり聞いたりすることが、年老いた親には、何よりのギフトである。それは皆知っていることだが、そうできない、そうしたくない、という方も多い。何故このクリスマスコマーシャルが、深く胸を打ち、涙をそそられるかは、言葉がわからなくとも、また言葉がなくとも、はっきりわかる。こうした優れた作品をコマーシャルに創作し、製作した方々に感謝の気持ちをお伝えしたい。

この老人は、1人暮らしで、子供達はそれぞれの世界で成功をしているようだが、クリスマスはカードを出すだけで、それぞれに日々の生活に没頭している。隣の老人宅には子や孫たちが和気藹々と寄り集まっているのを窓越しに見る老人は今夜も1人で食事である。クリスマスも近いのに、子供達も孫達もいるのに、一人きり。老人は自らの死を装う。知らせを受けた子供達はすぐに老人宅へ集まる。食堂から出てきたのは、亡くなったはずの父親であった。そうまでしないと家族に会えない老親の気持ちが切ない。

 


愛を贈る

2020-11-27 | クリスマス

 

 

 

大学のある街の外れに、小さな古い女性修道院がある。その古い住居建物は、スパニッシュ風なレンガ造りで、建物内外は修繕することによって保たれているものの、荒れ果てた外回りや庭園は、小さいながらも、かなりの人手と人力が必要に見えた。そこでカトリック教会に許可を得て、カトリックではない私の属する教会の青少年、中学から高校の男女が、奉仕活動をすることにして、道具持参で、清掃と庭園美化のためにある土曜日に集まったのは、もう15年程前のことだった。

総勢100名近くの少年少女は、朝早くから、泥だらけになって雑草を抜き、背丈の伸びすぎた植木をきちんと見栄え良く切り込み、芝生を刈った。寄付された草花を丁寧に植え終わった頃は、もう午後の陽が傾いた頃だった。途中で大人の指導者が用意したサンドウイッチをつまみ、皆懸命になって楽しみながら働いた。修道院の修道女たちは、かなり年配で、老修道女と言った方が正しいかもしれない。彼女たちは、綺麗になった庭園を見て、ただただ感謝し、胸を打たれ、涙ぐみさえした。少年少女は、奉仕のもたらす大きなものを胸にそれぞれ抱えて家路に着いた。

普段おそらく母親に口を酸っぱくして「きちんとベッドを整えて学校へ行きなさい」と言われている少年少女だろうこの若い人たちは、実際舐めるように、修道院の庭園を綺麗にし、まさに美化し、よく働いた。娘や息子も参加したが、疲労困憊のようで、帰宅してシャワーを浴びて、夕食のすぐ後ですぐに就寝してしまったのを覚えている。お疲れ様、とその寝顔を確かめてから、夫と私は子供達のそれぞれの寝室のドアを閉めた。

手から生えたスマートフォンに四六時中かかりっきりで、お手伝いチャートに自分たちの名前が書かれた、ゴミだし、食後の皿洗い、などのおきまりの当番をおろそかにすることもあるのに、他人の、他教会のために、奉仕することは、楽しみでさえあったようだった。

それが若い人のもつ力である。精神である。普段は怠け者の仮面をかぶることがあっても、必要な時にはマントを引っ張り出して、空をも飛びかねない素晴らしさがある。今日はそんな少年少女への感謝の気持ちを伝えたい。

このコマーシャルは、Hobby Lobby(ホビーロビー)という手芸・クラフト・洋裁・アートなんでもござれの店で、大きなチェーンストアだ。いかにも十代の少年らしい息子が食べっぱなし、脱ぎっぱなしの衣服や靴下をそこら中にほっぽらかして、ゲームに遊び疲れて眠っている。看護師の母親が出勤前にざっとその居間を片付け、急いで家を出る。この先はヴィデオをご覧あれ。この少年も「仮面」を被っているだけの、スーパーヒーローなのだ。