ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

夜のどこかで

2022-09-23 | わたしの思い

Pampers

 

 

 

 

何が嫌かと言ったら、疲れてやっと就寝したのに、夜中にふと覚醒してしまうことである。 それは大抵夜明けには程遠い。 明日は大事な予定や、旅に出る、などがあるから、しっかり睡眠をとっておきたいのに、と再び寝入ろうとすると、ますます目が冴えてしまう。 

そんな話を同僚たちと話していると、皆あるある、その体験。 「家族の中で夫も子供たちもすでにすっかり寝入っているのに、私だけ夜中にひとり取り残されて、仲間はずれな気分がしないでもないわよ。」とある同僚は言った。 

昔バリー・マニロウがSomewhere In the Nightという歌を作り、ヒットさせたが、そのメロディが脳裏を駆け巡る。 でも「夜のどこかで」ぱっちりと目をあけてしまうことは、ちっともロマンティックではないのだ。

すると、ある55歳の同僚が話し始めた。 

「僕は11歳になるまで、母、父、兄二人、祖母と一緒に、築70年の壊れそうな木造の家に住んでいたんだ。 ところがある運命の夜、火事で家もなにもかもを焼失してしまってね。 僕たちは皆、命からがら逃げ出せたが、所有していたものすべてを失ってしまって。 ありがたいことに、愛情と思いやりのあるコミュニティが助けてくれて、すぐに父は小ぶりの家を手に入れることができたんだ。 でも、祖母だけは、数マイル離れた所に小さな 二つ寝室のついたトレイラー・ホームを購入してね。 それまで毎日祖母と暮らしてきて、その時から毎日会えなくなって僕はかなり寂しい思いをしたんだ。 でも、祖母の新しい家を訪れては、彼女が作ってくれたおいしい食事を楽しみ、さらに、そこには僕が今まで見たことのないケーブル・テレビという贅沢があったんだよね。

祖母のトレイラーハウスで初めて一泊したときのことをよく覚えているよ。 僕は祖母が寝てからもずっとテレビを観ていたのさ。 そしてとうとう夜も更けたから、テレビの電源を切ったとき、しーんとした家の中で、奇妙な感覚になったんだ。 両親や祖母さえも先に寝てしまうほど夜更かししたのは、僕には、これが初めてだと気がついたんだ。 すると突然、世界は暗く、怖く、孤独な場所に思えちゃってね。 僕は起こさないように静かに祖母の部屋に行き、かすかに寝息をたてているのを静かに見ていたんだ。 自分は安全だと思ったのさ。

あれから44年経った今でも、夜中に目が覚めると、時々あの時のような感覚がするんだよ。 僕は自分の家族の中で今や最年長の世代であることにまだ慣れていないかのように。 両親や祖母が恋しいほど懐かしくなるんだ。 そしてふと、この世界はいまだ冷たく、暗く、孤独で、恐ろしい場所なのかもしれないとさえ思っちゃうのさ。」

実際、私たちは何歳になっても、その心の一部はまだ子供で、どこかまだ親の愛を必要としているような気がする。 心の一部は、祖父母や両親に抱きしめられ、慰められる必要がまだあるような気がする。 セピア色になった古い家族写真を見る時、そこに写っている幼い自分は、今と比べるとなんと自由だったのだろう、としばし思うこともある。 その時は、電気不足だの、ガソリンの高騰だの、そんな世間の喧騒など憂うことなく、明日の宿題をすれば、逆上がりが格好良くできれば、世の中は暮れて明けていたのだった。 夜、突然暗闇のなかで目が覚めて、ああでもないこうでもないと下降するような気持ちにもならなかった。 

そんな中途半端に覚醒した夜、不安な気持ちを優しく背中を撫で、時には抱きしめてくれる父母、祖父母はとっくのとうに、亡い。 隣の夫をたたき起こすのも無慈悲だから、寝かせておく。 その代わり、私は天父に心のなかで小さな祈りを捧げる。 それは何かを求めるのではなく、平安と愛と光が心にあることを確かめるためである。 そしてそれはいつもあるのだ。 それは温めたミルクよりもずっと効果がある。

 

 

 

 

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覚えていてほしい

2022-08-19 | わたしの思い

 

 

 

 

 

「一緒にいない明日があるとしたら…
常に覚えておかなければならないことがあります。
あなたは自分が信じているよりも勇敢で,
見た目よりも強く、
そしてあなたが思っているより賢いということを。
でも、一番大切なことは、
離れていても…
私はいつもあなたと一緒にいます。」

ークリストファー・ロビンからプーへ

 

 

 

トム・ソーヤーの忠実なお気に入りの相棒ハックルベリー・フィンと同じようなハックルベリー友達

 

   

   

 

  

ハックルベリーいとこ

 

Screenshot 2022-08-17 at 6.03.22 PM.png

           

 

たくさんの愛を込めて、


ハックルベリーおばあちゃんより

 

 

 

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哀悼

2022-07-09 | わたしの思い

 

心より謹んでお悔やみ申し上げます。

 

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遠い国の言葉でも

2022-05-28 | わたしの思い

Disney

アリス「ここからどちらに行けばいいのか教えていただけませんか?」

チシャ猫「それはあなたが行きたい場所にかなり依存します」

魑魅魍魎的な世界に、アリスのようにこんな質問もしたくなる。

 

 

6月の北への旅行の航空券手配を終え、ついでに二番目のCovid-19ブースター接種を定期検診も済ませ、オフィスは卒業時期で、多忙に次ぐ多忙の日々も先週でついに終了。 それでもまだまだ学生の抱える問題は尽きず、そうしたことに対処するための電話相談は絶えない。 ブログを更新する暇は、なかなか見つけられずだったが、更新できる時が更新時と割り切り、ストレスを解消している。 否、ストレスはなくなるかと思う頃にどっとやってくるものだ。 

先週は別の場所で発砲事件を起こした者が、警察から逃げ切って1.5マイルほど離れたグローサリーストアまで運転し、駐車場に車を捨て、店内へ駆け込んだようだった。 警察は即時その店舗を立ち入り禁止にし、買い物客を店から出した。その周辺を含めての1ブロックは、封鎖状態になった。 大学の職場からそう離れたところではなく、案の定、同僚の子供がそのグローサリーストアの隣にある学校へ通っているため、学校も1日閉鎖された。 

容疑者がストアの天井に忍び込んだことは、その時点では警察は知らなかったため(警察は探しもせず、犯人は逃げたようだ、と住民の1人はコメントしていた)、うやむやではあったが、封鎖は解けた。 すると2日後の朝、空腹と疲れから、容疑者は天井を蹴破り、店内に文字通り落ちてきた。 そこにはちょうど元警官が買い物に来ていて、容疑者の容貌を知っていたため、早速通報し、素早く到着した警察によって逮捕された。 幸いなことに銃撃戦にはならず、負傷者もいなかった。

つい先だって、小学校近くで銃撃があり、孫息子達生徒と教職員は直ちに教室内のロックダウンに従った。 それも平和裡に終了した。 ところが5月24日テキサス州ユーヴォルディの小学校で起こった銃撃事件は教員2人を含む21人が死亡し、17人が負傷した(5月26日現在)。 結局銃撃犯は、射殺されたが、18歳の若者だった。 射殺された教師だった女性の夫は、その2日後に心臓麻痺で亡くなった。 これは明らかに最愛の妻をこのような形で奪われたことへの傷心からに違いはない。

その後政治家間では、銃規制に関しての意見の差から、醜い口論が繰り返され、パンデミック、インフレーション、物価高、物不足、不法移民問題の無策、多発する犯罪など、現政権の無能さばかりを次々と見せつけられて米国民は、忿懣やるかたなく、末の世の兆候だと絶望気味である。

なにしろその5月24日には、ユーヴァルディだけでなく全米の至るところで30件,銃撃事件が起こっていたし、その前も後もほぼ毎日アメリカのどこかで二桁数の銃撃事件が起こるこの国の現実は考えなくとも耳にし、目にしている。 なんと暗く、苦しい世界であろうことか。

DCコミックスやマーベルコミックスのヒーローたちの名を叫んでもひとりもやってこない虚無感が押し寄せるだけ。 この世は試練の場、ああ、今が心身打たれている状態なのだ、と理解しても心はほぼ冷え切ってしまいがちな人々は多い。 私もそんな1人であるが、こんな時、チシャー猫ではなく、どうしたらいいのか吐露できるお方を知っているのが救いである。

 

救い主的なスーパーヒーロー、というより心をなごまさせてくれる孫娘。

 

以前から疑ってはいたが、私は、おそらくポリアンナ症候群に罹っているのかもしれない。 何故ならば、こうした軋轢ばかりで憂慮の堪えない世の中にあって、ふと口をつく言葉が、Baba Yetuババイェツの歌、であるからして。 スワヒリ語の歌詞で、ほんの17年前、ゲームクリエイターのソーレン・ジェンセンがシヴィライゼイション4というゲームを作り、そのテーマソングをスタンフォード大学在籍時のルームメイトだったクリストファー・ティンに依頼し、作ってもらった。 その曲はアレンジされてグラミー賞も獲得した。その歌詞はスワヒリ語だが、何を歌っているのかというと、つまり英語でいうLord's Prayer、「主の祈り」(マタイ伝第6章6-13節)である。

数多くの合唱団や歌手が、アカペラやあるいは楽器演奏とでリリースしているが、私のお気に入りは、次。 難しいことなくスワヒリ語の美しさを楽しめ、最後には、少しだけ光を見たような気持ちにさえなれる。

歌詞は下記:スワヒリ語、それから日本語。

 

 

Baba Yetu 

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Utupe leo chakula chetu
Tunachohitaji utusamehe
Makosa yetu, hey
Kama nasi tunavyowasamehe
Waliotukosea, usitutie
Katika majaribu, lakini
Utuokoe, na yule, milele na milele

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Ufalme wako ufike utakalo
Lifanyike duniani kama mbinguni, amina

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Baba yetu, yetu uliye
Mbinguni yetu, yetu, amina
Baba yetu, yetu, uliye
M jina lako e litukuzwe

Utupe leo chakula chetu
Tunachohitaji utusamehe
Makosa yetu, hey
Kama nasi tunavyowasamehe
Waliotukosea, usitutie
Katika majaribu, lakini
Utuokoe na yule msiba milele

Baba yetu, yetu, uliye (Yetu, amina)
M jina lako e litukuzwe (Baba yetu)

Baba yetu, yetu, uliye (Yetu, amina)
M jina lako e litukuzwe (Baba yetu)

主の祈り

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

 

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復活祭の朝に

2022-04-17 | わたしの思い

Associated Press/Efrem Lukatsky

 

 

 

イースターの日曜の朝、教会へ行く支度をしている間、時計代わりにつけているテレビのニュース番組では、相変わらずロシア軍の残酷さを報じている。 三男夫婦の住むスエーデンとフィンランドがNATO(北大西洋条約機構)に加入する希望を述べてから、あの独裁者は核兵器があることをちらつかせて反対している。 呆れを通り越して、この独裁者が落ちるところまで落ちていく将来を自ら急がせているのを絵に描いたように目に浮かべた。 

このイースターの朝、私にできることは一体なんだろうと再び思う。 すると今から24年ほど前に夫と観劇したあるブロードウェイの舞台俳優・歌手の歌った歌を思い出した。 あれは、ヴィクトル・ユーゴーのLes Misérables レ・ミゼラブル(ああ、無情、あるいは悲惨な人々)で、ジャン・ヴァルジャンが歌った祈りの歌である。 

それはジャン・ヴァルジャンが、かつて彼のガラス宝石工場で働いていた女工の娘をコゼットを我子のように慈しみ世話をしてきて、そんな彼女を愛するマリウスという青年の無事な帰還を祈り求める歌だ。 

マリウスは、「ABCの友人」と称する革命的なフランスの共和党学生の(物語上の架空の)協会に入り、民主主義の擁護、支援など、さまざまな政治的視点から活動をしていた。 この架空の団体はユーゴーの小説では、1832年6月5日に実際に起こった、六月暴動あるいはパリ蜂起として知られるパリ市民による王政打倒活動にマリウスが加わったことになっている。 物語後半の山場において、マリウスが無事に帰還できることを神に祈るジャン・ヴァルジャンの懇願のこの歌が歌われる。 

舞台を観た時にこの歌にとても感動したが、それからだいぶ経って、タバナクル合唱団のコンサートでゲストとして招かれた舞台俳優アルフィ・ボーが、ジャン・ヴァルジャン役としてこの曲を歌ったのを観た。 その時2万2千人を収容していたカンファレンスハウスは満員で、それにも関わらず、彼が歌い始めると、水を打ったように会場はなんの物音も聞こえなくなった。 ボーの熱唱が終わると、3,4分間のスタンディング・オベイションが続いた。 それほどアルフィ・ボーの歌唱は心を動かす懇願の祈りの歌だった。 

今この世界の嵐において、この歌は、ひとりひとりが聴いて心にかけたなら、それは祈りに近く、祈りに近ければ、それは祈りとなり、どの名前でも呼ばれている神に届くのではないだろうか、ウクライナの国と人々に安寧が戻るように、と私はふと思った。 イースターの朝、窓から上を見上げると、カリフォルニア・クラシックと言われる青い空が光っていた。

 

 

Bring Him Home

God on high
Hear my prayer
In my need
You have always been there
He is young
He's afraid
Let him rest
Heaven blessed.
Bring him home
Bring him home
Bring him home.
He's like the son I might have known
If God had granted me a son.
The summers die
One by one
How soon they fly
On and on
And I am old
And will be gone.
Bring him peace
Bring him joy
He is young
He is only a boy
You can take
You can give
Let him be
Let him live
If I die
Let me die
Let him live
Bring him home
Bring him home
Bring him home.
 
Source: LyricFind 
Songwriters: Alain Albert Boublil / Alain Boublil / Claude Michel Schonberg / Herbert Kretzmer
Bring Him Home lyrics © Warner Chappell Music, Inc

日本語訳

家に戻して

高きにまします神よ

私の祈りを聞き給え

若い彼を救い給え

彼を家に帰らせ給え

御心は存じております

彼はまるでわが子なのです

 

歳の波が寄せて

やがて私は死ぬでしょう

 

まだ若い彼に平和を与え給え

全能の神よ彼に命を与え給え

死ねばならぬならば私を死なせてください

彼を家に帰らせ給え

彼を家に帰らせ給え

 

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