![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/49/2513be0adeb88eb7cb10a619041ef519.jpg)
録画してあった、NHK・BS「英雄たちの選択」、
「どうする家康」最終回の余韻も覚めやらぬ時なので号泣・・・
というのは、昨年春に山形を旅したときのこと。
山形の鶴岡は庄内藩、大森南朋さん演じた酒井忠次の孫を藩祖とする。
その鶴岡で戊辰戦争の跡をたどり、深く感動したからだ。
縁もゆかりもないくせに、20代で会津藩に惹かれ、
以来、ずっと戊辰戦争の奥羽越列藩同盟に、
勝手な思い入れを抱いている。
で、番組の余波をかって、
あの旅の感動をまとめようとしているのだが、
なかなか難しい。
悪戦苦闘しているうちに、
もうひとつ、大事なことを思い出した。
旅から戻り、手に取った
広岩近広、岩井忠正・忠熊『特攻と日本軍兵士ー
大学生から「特殊兵器」搭乗員になった兄弟の証言と伝言 』(毎日新聞社)。
時代は、戊辰戦争から一気にアジア太平洋戦争へ飛ぶわけだが・・・
(80年余。今の世から太平洋戦争敗戦までと、ほぼ同じ年数なのだ)
以前、梨木香歩さんがエッセイで書かれていた
岩井兄弟についてアップした(→「本と歴史と散歩と」)が、
その、ご兄弟の別の本である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/40/aa7d9bd9fbbb91b637f206dedfdd9f60.jpg)
重なるが、お二人について、もう一度簡単に触れておく。
「特攻」に興味をもつ者には、
「岩井兄弟」としてよく知られている、お二人だ。
兄・忠正氏は慶應義塾大学、弟・忠熊氏は京都大学、
それぞれ在学中に学徒出陣、海軍特攻隊員となる。
戦後は、それぞれに証言と、
若い世代に伝言するためにと、
「特攻」つまりは戦争について語る活動をなさっていた。
忠正氏は今年の春、忠熊氏はこの秋に、それぞれ亡くなられている。
享年103歳と101歳でいらした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/8d/36ad77187fc7db6c7cb7dff0538de182.jpg)
そのお二人が、出征が決まってから旅に出た。
去年、わたしが旅した、新潟県村上市の瀬波温泉だ。
村上市は新潟でも最北、山形県の鶴岡(旧庄内藩)と隣り合っている。
わたしは村上城に登城したくて、
米沢や鶴岡から足を延ばし、村上市内のここに宿をとった。
静かな海辺の温泉だったが、ここを岩井兄弟が80余年前に
お二人で旅されていたとは!
ご兄弟は学徒出陣が決まると、姉上から
「出征前に先祖の墓参りをし、温泉にでもいっていらっしゃい」と
お小遣いをもらったという。
姉上の心づくしだろう。
姉上の夫君は現役の陸軍中佐。
このとき既に、忠正氏は義兄から戦況の見通しを聞かされていた。
京都からやってきた弟・忠熊氏と新潟県新発田で落ち合い、
米沢で墓参りを済ませると、二人は瀬波温泉に向かう。
その汽車の中で、忠正氏は、そっと心の内を弟に明かす。
「戦争に行くのだから生きて帰れないだろうな」
「そうだろうな」と弟。
息を潜めて二人は語り合う。
車内に乗客はチラホラながら、「天皇」と口にすることはできず、
代わりにドイツ語の「カイザー(皇帝)」を使ったという。
「おれはカイザーのために、死ぬつもりはない」
「おれも、そう思っている」
兄と弟は、天皇制軍国主義国家について語り合い、
基本的に同じ考えだと理解し合ったそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/e6/0c0dcbeb44f52eb957a04c80d249a902.jpg)
「天皇」に結びつけた「戦史」について語ることはタブーであったため
「面従腹背」でいくことを決めていた忠正氏が、
1度だけ心中を明かしたのが、この汽車の中だったという。
このあと、二人は海軍に入り、横須賀第二海兵団で新兵教育を受ける。
そして、忠正氏は人間魚雷「回天」に、
忠熊氏は爆弾ボート「震洋」、人間機雷「伏龍」の特殊兵器の
乗員に志願することになった。
当時の軍隊では、志願せざるをえない雰囲気があたりまえだったからだ。
「カイザーのために死ぬつもりはない」と
心の内を確認し合った、ご兄弟・お二人。
その後のご活動を思うと、瀬波温泉へ向かう汽車の旅は
大事な人生の通過点ではなかったかと思うのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/75/99618094929ade8d1a69dcf0d4a7a37c.jpg)
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80年前に岩井兄弟が、私と同じ温泉地を歩いていらした・・・
こういうささやかなことが、たまらなく嬉しいのです。
おつきあいいただき、どうもありがとうございました。
📷 本日の画像は瀬波温泉、
お世話になった「椿のやど 吉田や」です。
海岸まで歩いて数分、家庭的な気持ちの良い宿でした。
明治40(1907)年創業という旅館(↑)、
もしやお二人も・・・と夢想しています。
こちらの部屋はー
あまりにも重い内容が多く、それをまとめられるぴあ野さんの筆力に圧倒されて、ただただ読ませていただくしかありません。この記事に触発された想いは溢れるほどありますけど。
が、今回の特攻隊に関連した新聞記事を読んだので、多分ご存知だと思いますが、ちょっとだけ書かせていただきますね。
特攻兵にはヒロポン(覚醒剤)入りの、菊の紋章のあるチョコレートが配られたということ。その製造に携わった人が証言しているそうです。また、特攻兵にヒロポンを注射していたとも。
特攻兵が自ら志願した、という美談に終わらせてはならないと、記事にはそう書いてありました。
あまりにもおぞましい、人間の醜さに震えました。
これからもコメントは書きませんが読ませていただきますね。
あたこさん、嬉しいお言葉をありがとうございます。
こちらはわたしの備忘録というか、気持ちの整理のために綴っている、実に個人的なブログです。
本当はノートにでもまとめて置くだけで良いのでしょうが、
なんせ整理がよいもので、ノートだと散逸してしまいそうで、
こちらにまとめている次第です。
なので、読んでいただけるだけでありがたいので、
コメントなんてお気になさらないで下さい。
そして、貴重な情報も、どうもありがとうございます。
知らなかったことなので、さっそく新聞記事を調べ、本も図書館に予約しました。
年内に借りられると良いのですが・・・
特攻が始まったのは、ヒロポンの注射が始まる半年ほど前なので、
ヒロポンの力を借りることもあった・・・ということなのでしょう。
わたしの力不足で、うまくお伝えできなかったのですが、
志願せざるをえない「当時の雰囲気」というのは確かにあったようです。
でも、それもヒロポンと同じですよね、結果としては。
「自ら志願した、美談」ではありませんもの。
自己犠牲の美しい物語ではないことを、しっかり考え定期たいと思います。
本当をいうと・・・
なんで、こんな辛いことばかりを考えているのかなぁと、しょっちゅう思います。
具合も悪くなるし。
でも、やっぱり考えるのを止めたらいけないと思うらしく、気付けば戻っています。
わたしの中で大病したことが大きく影響しているのだと思います。
なんだか変な使命感に駆られてしまって・・・お恥ずかしいです。
長々失礼いたしました。