歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

「黄泉の国」の意味

2024-07-01 07:25:51 | 島根県
5月に出かけた、島根の旅。
どうしても訪ねたかったところのひとつに
黄泉平良坂(ヨモツヒラサカ)がある。
「黄泉の国(あの世)」と「この世」の境、入口とされている。



由来は、『古事記』による。

ーーはるかはるか昔。

夫婦神である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と
妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)は
睦まじく島々や神々を生む・・・

けれども、
火の神の出産で、妻・イザナミは死んでしまう・・・

妻恋しさに、夫イザナギは黄泉の国を訪ねる。
夫の熱意に、妻イザナミは
何とか帰れるよう、黄泉国の神々と相談すると、別室へ。

「決して中を見ないで下さいね」と約束させて・・・

でも、見てしまう、夫イザナギ。
そしてびっくり、大慌てで逃げ出す。
妻・イザナミは黄泉の国で、醜い姿に変わっていたのだから。

恥をかかされたと、怒り狂う妻・イザナミ。

さっそく、黄泉の国側は、大勢で追いかけてくるが、
夫イザナギは蔓(カズラ)、筍、桃を投げつけ、
何とか逃げ帰る。

そして、黄泉の国の入口を
大きな岩でふさいだのだったーー



この入口こそが、「黄泉平良坂」とされる。

地元のボランティアさんが管理し、
亡き人への手紙を出せるポストも置かれ
NHK「72hours」で放送されたこともあってか
訪れる人が絶えなかった。



この訪問記は、本家ブログでも綴っているのだが
興味深いことがある。

「あの世とこの世の境目」は全国に存在するというが、
出雲にいたっては、「黄泉の国」と言う。
調べてみると、そんな土地が、いくつか見つけられた。

おかげで、かなり混乱したのだが・・・
実を言うと、わたしが行きたかった「黄泉の国の入口」は、
ここ「黄泉平坂」ではなかったと、旅の直前にわかったくらいだ。

とにかく、出雲の「黄泉の国」は、いくつかあり、
人を寄せ付けないような難所も多いようだ。
しかも、かなりスピリチュアル(科学的に理由があるが)。



混乱していた頭をスッと冷やしてくれたのが、
お隣、鳥取県の米子市立図書館で見つけた本だった。

ザ・出雲研究会編『出雲国風土記 フシギ発見の旅・ガイドブック』に
よると・・・

「『記』『紀』(注『古事記』『日本書紀』)を見ると、
出雲は根の国(地底の国、死者の国)であるとほのめかしたり、
<ちはやぶる荒ぶる国つ神の多(キワ)なる国>(記)
<さばえなす悪しき神><邪(ア)しき鬼>の満ちている国(紀)」37頁
などと書かれているという。

さらに「大穴持命オオナムチノミコト/大国主神オオクニヌシノミコト」を
八千矛神(多くの武器を持つ神)と別称し、
出雲は荒々しく、得体の知れない国であることが強調されている
そうだ。

「大和朝廷が編集した国史『記』『紀』が、
出雲に対す悪印象をうえつけよう」と図ったのではないかと、
著者は考える。

『古事記』の<国譲り神話>だ。
大穴持命は、高天原に敗れ、壮大な宮殿に自分を祀ることを
条件に、国を譲っている。

出雲に大和朝廷と対抗する勢力があり、
やがて屈服したと史実の反映と見なされる。

「大和朝廷は、長年のライバルのイメージダウンを図るため、
古来の伝承を利用して出雲を利用して
出雲を黄泉の国と結びつけたのかも知れない 39頁」と、
このエピソードは結ばれている。



なるほど・・・
歴史は勝者が作るものだったのかもしれない。

・・・と、わたしのにわか知識。
学生時代、記紀万葉が、どうも好きになれず、
避けたことが悔やまれる。

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モロモロの不備は、どうぞお許しを。
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