歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

永井隆博士のこと~プロローグ

2024-05-19 17:33:53 | 島根県
先週、島根県を旅してきた。

夫と共通の楽しみは、城めぐりだが、
この機会に、ぜひ永井隆博士のゆかりの地を歩きたいというのが
わたしの希望。



希望はかない、雨の中、リニューアルしたばかりの
雲南市三刀屋(ミトヤ)の永井隆記念館(↑)を訪ねている。
博士は、松江で生まれ、この地で少年時代を過ごしたのだ。

本家ブログでは、ざっくりと、訪問記をアップしているが、
ここでは、心のままに(=マニアックにw)
まとめておきたいと思う。

ただし・・・
こちらのブログでは、永井隆博士についての
まとまった記事がないので、
(まとめようとして挫折💦)
本日は、博士について、簡単にまとめておく。

なお、本記事は、
本家ブログの「永井隆博士のこと~長崎原爆忌に」(2020.8.9記事)を
元にまとめ直したものだ。お許しを!

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長崎は大好きな街で、何度か旅をしてきた。
キリシタン、遠藤周作、出島、天正少年使節、洋館、軍艦島・・・
気になるワードが、たくさんあることが大きい・・


最後に訪ねたのは2017年秋のこと。
(その後、2022年秋にも訪ねている)

その折り、念願だった、如己堂を初めて訪ねることができた。
永井隆博士の最晩年の住まいだ。



永井隆博士(1908<明治41>ー1951<昭和26>)。

長崎大学の放射線科・医師で、白血病に冒されていた。
長崎へ原爆が投下された、その日、自宅にいた妻を喪う。
自身の病状から、二人の幼子の行く末を託した妻・が、
先に逝ってしまったのだ。

妻の死を嘆く間もなく、
博士は病身を押し、被爆者の救護活動にあたり、
ついに倒れる。



すると、博士のカトリック信者仲間が、
小さな小屋を建ててくれる。
博士は「如己堂」(↑)と名付け、この小屋で療養しながら
執筆活動を続けた。



博士の著作は、やがて「長崎の鐘」や「この子を残して」など
映画化もされ、人気を博す。
博士の下には世界中から手紙が届けられたという。



わたしは『乙女峠』を読んだ衝撃が忘れられない。
どうしても現地へ行きたくなり、
2019年夏には、「乙女峠」のある島根県・津和野を旅している!

乙女峠」は「浦上四番崩れ」の弾圧で、長崎のキリシタン送られ、
厳しい年月を送った土地の一つである。

(冒頭画像は乙女峠のマリア聖堂。↓はマリア聖堂内部)



博士の自宅に近い土地で起こり、また妻の家系に連な悲劇を
博士は書かずにはいられなかったのだろう。
『乙女峠』は生前に刊行された、最後の著作となった。


さて、如己堂のとなりには、長崎市永井図書館がある。
もともとは、博士が、私財を投じて創った「うちらの本箱」だ。

この小さな図書館は、戦後、子ども達のすさんだ姿に、
心を痛めた博士が、海外からの援助を受け、整えた。
日本の家庭文庫活動の先駆けとも言えよう。
ここには、連日、子ども達が詰めかけていたそうだ・・・


初めて「うちらの本箱」の展示を観ていた、あの日。
閲覧席で、静かに本を読む少年を見つけ・・・
涙が止まらなかったことを覚えている


永井隆博士は・・・
原爆の直後から、自身も被爆した病身の博士、医療活動を行っていた・・・
さらに、病床から起き上がれなくなってもなお、執筆活動を通し、
平和を訴え、子ども達の未来を考え続けた・・・

そのことに、圧倒される。
おりあるごとに、博士の面影を追いたいと、切に願ってきた。



もうひとつ。
大事な人について触れたい。
わたしが永井隆博士に惹かれるきっかけである。

10年以上前に、長崎を旅したときのこと。
大浦天主堂(↑)を見学し、ふと裏手にまわると・・・
コルベ神父の資料が展示されていた(当時)。

コルベ神父!
ポーランド人の神父ながら、長崎で布教、一時帰国のつもりで
故国へ戻ると、そのままアウシュヴィッツへ・・・

神父は餓死刑を命じられた、囚人の身代わりを申し出ると、
驚異の生命力で生きながらえ、最後は薬殺されている。

コルベ神父は、長崎時代、既に肺結核と診察されていた。
その診察をしたのが、永井隆博士だった

コルベ神父と永井隆博士の邂逅に
心惹かれ、はや10年以上・・

・・・今回も、島根を訪ね、
雲南市はもちろん、県境の津和野まで、馳せ参じた次第だ。

レンタカーを走らせ、わたしの趣味につきあってくれる夫には
いつもながら感謝してやまない。


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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

◆書影は版元ドットコムより使わせていただきました。
如己堂の画像は、2018年秋に、それ以外、島根県の写真は
先週の旅で撮影しました。
◆記憶を元にまとめたので、勘違いや間違いもあるかもしれませんが、
素人のことゆえ、どうぞお許し下さいませ。
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