稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

東中学校1年生の皆さんが、見学に来られました!

2013年07月21日 | 日記

7月17・18日。

この両日、東中学校1年生の皆さんが、

資料館に見学に来られました。



縄文時代から奈良時代までの地域の歴史について

実物の資料を見ながら学習しようということでした。

教科書の歴史は、かなりメジャーなものばかりですから、

それと同じ時代の郷土の歴史がどのようなものなのか?

あまり知ることなく通り過ぎてしまいがちかもしれませんね?


東地区ですと

縄文時代では人面装飾付注口土器で有名な福田貝塚、

古墳時代では福田古墳群などの大規模な遺跡があります。

古代ですと茨城県で一番古い白鳳時代(飛鳥時代後半)の金銅仏が

阿波崎にあったりします。


奈良時代の資料では、文字を書くための道具や仏教の道具を展示しています。

この時代では「律令」と「租庸調」という言葉がでてきますが、

当時は(当時も?)田舎だった稲敷地域でも、ちゃんと「租庸調」の

管理をする必要があり、文字を書くことのできる人が増えていったのでしょう。

下の様な資料も知られています。


「白布鍾乳床裏墨書銘(正倉院御物)」

  (表)常陸国信太郡大野郷の戸主生部(みぶべ)衣麻呂の調壱端
     専当国主は正八位上志貴連秋嶋  
     郡司は擬主政無位物部大川   天平勝宝四年(七五二)十月一日
  (裏)大野郷の生部金万呂


これは、正倉院に納められた宝物にある墨書の文字ですが、

現在の大野郷の戸主である生部金麻呂と言う人物が、

天平勝宝四年(七五二)十月一日に、「調」として白布

を治めたことがわかる資料です。


大野郷は、現在の美浦村大谷・受領・宮地・茂呂・谷中

・山王・山内・本橋・木および稲敷市鳩崎一帯にあたる

と考えられています。

この資料からは、この地域の人々が1261年前にもちゃんと

「税」を治めていたことが、わかりますね!
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