稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

秋季資料館講座① 木村修先生の講演会をおこないました!

2022年09月04日 | 日記
去る9月3日(土)、あずま生涯学習センターにおいて、


令和4年度稲敷市立歴史民俗資料館 秋季資料館講座の第一回講座として、


木村 修先生(香取市文化財保護審議会会長)による

「鹿島・香取神宮と八龍神の信仰」についてのご講演を頂きました。

「八龍神」という言葉は、現在の私たちには聞きなれない言葉かもしれませんが、
様々な宗教改革がおこなわれた明治維新を機に失われた信仰の一つで、江戸時代まで
は、鹿島・香取の両神宮と切っても切れないほど密接な関係にあった神だったことが、
木村先生の調査により明らかにされています。

講演会では、はじめに「龍」とはどのようなものか、その始まりのインドから中国を経て、
仏教の伝来と共に日本に持ち込まれたと考えられること、それ以来、『豊後国風土記』や
『万葉集』に「龗(おかみ)」がみられることや奈良県室生に伝わる龍穴信仰、
源実朝の『金槐和歌集』に詠まれた八大竜王などから、古代・中世の日本における
龍神のとらえ方を概観いたしました。


そして、地域を常陸国(今の茨城県の大部分)に限定してみると、たくさんの龍神が祀られ
ていることが分かったのだそうです。

稲敷市においても、当館の北側すぐ近くにある「結佐神社」(稲敷市上須田)は、
高龗尊(たかおかみのかみ)をお祀りしていることから、龍神信仰のあったものと考えられ
ているとのことです。

茨城県内にもたくさん八龍神がお祀りされていますが、県内の特徴として鹿島神社と一緒か、
その近くにお祀りされている傾向が把握できるそうです。

ここから鹿島神宮と八龍神の関係を考察するため、鹿島神宮と近しい関係にあり、史料の保存
が比較的に良好な香取神宮と八龍神の関係を調べることとして、中世(鎌倉時代から戦国時代)
の香取神宮で八龍神がどのように扱われてきたのかを探りました。

すると香取神宮においても八龍神は、社殿の造営や遷宮、神幸祭とも深く関わり、
天正20年(1592)の「諸社人連名起請文」に香取神、その御子神と共に誓約の対象となる
神威であるなど、とても重要な神であったことが分かりました。


おわりといたしまして、明治期の祭祀改変により鹿島・香取両神宮における八龍神の役割が
終わったことや、八龍神が鹿島・香取の神の勧請にあわせて常陸・下総国の各地に勧請され
ていること、奈良県の春日大社では、第一殿(祭神は鹿島神)の後ろに八龍(八雷)神社を
祀っていることを示されました。

天候、特に雨をつかさどるとされ人々の信仰を集めた八龍神の信仰の興亡を通じて、この地
に住んでいた私たちの先人たちが有していて、現代の私たちが失ってしまったものを
考えさせる内容でした。

当館の講演会では、受講生からの質問に講師が答える質疑応答を設けています。
受講生の方も、ご自分が疑問に思う点を質問され、講師の的確な回答にご納得
されたことと思います。




これから「鹿島神社」や「香取神社」の境内や周辺に、失われた「八龍神」はあるかな?や、
先人たちは八龍神にどのようなことを願ったのかな?など、
私たちの歴史と文化を見つめる目が豊かになったように思います。

受講されたみなさんが、失われたものを知ることにより、
何かを大切に思える気持ちになって頂けましたら幸いに思います。