稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

祝・稀勢の里優勝&関連展示品紹介

2017年01月24日 | 日記
寒い日が続いていますね!資料館内の暖房を入れると窓ガラスが結露してしまう季節…はやく春にならないかなあと願うばかりです。

さて、今月22日の初場所千秋楽にて、茨城県牛久市出身の大関・稀勢の里が初優勝を飾りました。第72代横綱昇進も決定し、相撲の展示に力を入れている当資料館としましても大変喜ばしいニュースです。
歴史を紐解いてみると、茨城県出身の横綱は計3名です。
1人目は茨城県稲敷市の阿波崎出身の、第7代横綱・稲妻雷五郎(1802~1877)。江戸時代後期の相撲人気を、第6代横綱・阿武松緑之助と共に支えました。天保10(1839)年に引退するまでに上げた彼の成績は驚異の9分9厘。「待った」を嫌う潔い相撲を取りました。当時まだ見世物としての要素が強かった相撲に対して「相撲訓」を記し、力士としての心構えを説くなど、文化人としての一面も持った人物です。
2人目は茨城県東茨城郡(現水戸市)出身の、第19代横綱・常陸山谷右衛門(1874~1922)。谷風の再来と呼ばれた彼は、横綱同時昇進を果たした二代目梅ケ谷と共に明治時代後期の大相撲隆盛期「梅常陸時代」を築きあげ、初代両国国技館建設への機運を高めました。引退後は相撲協会取締役として力士の地位向上に尽力した人物です。「明治の角聖」とも呼ばれます。
3人目は茨城県つくば市磯部出身の、第34代横綱・男女ノ川登三(1903~1971)。全盛期は191㎝の巨体を活かした取り組みで「動く仁王像」とまで呼ばれ、活躍を重ねました。引退後は日本相撲協会理事を務めたのちに衆議院議員選挙に出馬するなど、波乱に満ちた半生を送った人物です。
茨城県出身の横綱の4人目として、稀勢の里の活躍を紹介できる日が今から楽しみです。
なお、当資料館では実際に使用されていた稀勢の里幟が収蔵されています。現在二階の展示に続く階段に展示してございます。



また、常設展示では稲敷市出身の第7代横綱・稲妻雷五郎についての展示がございます。
相撲好きの方もそうでない方も、この機会にぜひご覧ください♪

企画展「稲敷の景観」も開催中です♪

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