稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

県立歴史館の見学会を実施しました!

2014年03月07日 | 日記
2月22日(土)。

この日は、当館主催の県立歴史館見学会を実施いたしました。



水戸市の歴史館では、「常陸南北朝史―そして、動乱の中世へ―」
を開催しています。

「南北朝の動乱」と言えば、稲敷市におきましては、南朝方の
北畠親房がこの地に漂着し、「神宮寺城」と「阿波崎城」と
転戦して、つくば市に在る「小田城」へと移ったことは、
よく知られています。


(スナップ写真は許可を得て撮影しています)

まずは歴史館の展示担当者の講座を聞いてから、展示を
見ます。

この日は、残念ながら稲敷市関連の回ではなく、「結城合戦」
の回でしたが、歴史館の講堂に人が入りきれないほどの大盛況
でした。



今回の展示では、『烟田文書』(京都大学総合博物館蔵)から、
「烟田時幹軍忠状案」等が出陳されており、その中の建武4年11月
と建武5年10月のものには、「東条亀谷城」、「神宮寺城」、
「阿波崎城」の名称が見受けられました。

烟田時幹は、北朝方の佐竹義篤に従った鹿島氏一族の一人とされて
おり、上記の文書には「神宮寺城」や「阿波崎城」において、
「散々合戦致し切り捨てしめ訖(おわん)ぬ」や
「敵の処阿波崎城没落しめ訖ぬ」といった記述も見られます。

「神宮寺城」や「阿波崎城」で繰り広げられた戦いの激しかった
ことが窺えます。

また、展示では「十三塚」や「ほいほい地蔵」等、南朝方に味方
した郷土の人達の悲劇的な後日譚についても、丁寧に取り上げら
れていました。

「東条亀谷城」については、稲敷市羽賀説や稲敷市釜井説などが
あるようで、詳しいことは分かっていません。

また、「霞ヶ浦の海夫」の一つとして、「信太庄下条佐倉郷古渡津」
(現在の稲敷市信太古渡)などもクローズアップされ、円密院文書
なども展示されていました。

そして稲敷市関連作品としては、東条庄高田郷の鍛冶の祖と言われている
「来橘光定」の太刀が展示されています。
この作品は普段は見られないものなので、興味のある方は、
この機会に是非ご覧ください。