12月7日から3日間、「秋の宮島」だと思っていた「冬の宮島」に行って来た。
世は還暦旅行だとか、フルムーン旅行だとか、良いタイトルをつけるものだが、我々夫婦は共に還暦旅行もせず、さりとてフルムーンなんて似合わない。
せめて名づけたら「カレー旅行」か。いやカレーライスでなく、そう「加齢旅行」である。
K社の「厳島神社ライトアップ遊覧と世界遺産安芸の宮島・萩・津和野・錦帯橋3日間」のツアーに参加した。総勢30名で、うち夫婦は5組であとは女性だった。女性の添乗員さんが親切で楽しい旅だった。3日間は天気に恵まれ、ご利益があったらしい。
我々は新横浜から10:09の「のぞみ」に乗車で、広島まで新幹線。右側に座れたので、天気良く富士山は雪をかぶって大きく見えた。
名古屋駅で「だるま弁当」をいただき、広島13:52着。宮島口まで山陽本線で行き、フェリーから宮島へ行く途中で厳島神社の大鳥居を撮影。
干潮の能舞台から遠くに大鳥居。(この日の干潮は13:09)
まだまだ紅葉はきれいだった。「宮島」は町の名前で、島の名前は「厳島」が正解だと言う。
大願寺にある九本松。伊藤博文が植えたとされる。
夕やみ迫る大鳥居。ここからフェリーで宮島口経由でホテルに向かう。
そして夕食後、再びホテルのクルージングでライトアップを見る事になる。
闇夜に浮かぶ大鳥居。満潮でないと鳥居の下を通り過ぎる事が出来ないので、誠にラッキーであった。この日の満潮は19:01で我々のクルージングは20時からだった。
大鳥居はクスノキで高さが約17m、棟の長さ24m、重さ60トン。その重さで土台の石の上に立っていると言う。
ホテルは宮島口のAホテルで、夕食は当然、定番のカキ鍋にカキフライだった。
私は熱燗一杯いただいた。
朝食は瀬戸内海を見ながらバイキング。旅行の朝食はおかゆと決めている。
翌日は8:00から貸切バスに乗る。山陽自動車道で一旦広島に戻り、中国自動車道で津和野に向かった。バスガイドさんが言う通り、中国自動車道はほとんど自動車が走っていない。
写真は太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)大変珍しい名前である。日本五大稲荷のひとつで願望成就などの御利益あり。
朱色がきれいで、美しい。高台にあり、津和野の町を見下ろしている。
なまこ壁が続く津和野の殿町。イチョウはもう落葉した後だった。
殿町にある武家屋敷が、今は「津和野町役場」になっている。
水路にはメタボの鯉がいっぱい。上流で護岸工事をしているため、水質が悪くかわいそう。
観賞用の鯉で、太いのは胴回り70㎝もあると言う。鯉が一か所に偏らないように、ところどころ仕切りがあり、エサは食い放題だからメタボになるそうだ。
「沙羅の木」の2階で昼食の郷土料理「うずめ飯」と「蕎麦」セットをいただく。さらに「源氏巻」なる和菓子とコーヒーも美味しくいただいた。各ツアーがわんさかとやって来る。
萩の吉田松陰を祀る松陰神社。
吉田松陰が開いた「松下村塾」(しょうかそんじゅく)。表札には「松下邨塾」と表記されている。
ここから伊藤博文・高杉晋作・木戸孝允らが育った。
奥に吉田松陰門下生の13人の写真が貼ってある。
菊屋家住宅は重要文化財。日本最古の豪商宅で主屋・本蔵・米蔵などがある。
菊屋家の庭園
美術品・民具・古書も展示されており、武士が使ったのか、尺八がまるで私を待っていたかのようだ。
見たところ右側は延べ管で、歌口も切込みが浅く虫が食って音律は悪そうだ。
高杉晋作の誕生地の敷地。1839(天保10)年生まれ。19歳で松下村塾で学ぶ。
明治維新の志士として活躍したが、29歳の若さで病死した。
萩と言ったら萩焼が有名であり、「ぐい呑み」を求めて「昭雲堂」に行く。何故「昭雲堂」か?
それは自営業時の名称に似ていたからである。
手作りだからスマートさは無いが、飲むときに唇に誠にしっくりするのである。それで日本酒を飲んだら美味さが増した。
美人の店員さんだからって、おべんちゃらを言っていたら出発時間がせまり、あわててバスに戻ったが我々が最後だった。
2日目の宿泊地は湯田温泉。キャッチフレーズは「白狐が見つけた美肌の湯」。知らなかったが、かなり有名な温泉らしい。いくつも湯船があり、無色のいい温泉だった。
バスガイドさんのお薦めで夕食後、山口市まで他の夫婦と割り勘でタクシーを飛ばし、ライトアップの国宝「瑠璃光寺五重塔」を無料で見学。日本三大名塔の一つで、全国で最も美しいそうだ。瀬戸瓦でなくすべて桧皮葺き(ひわだぶき)の屋根で、そり具合が良いと言う。運転手さんの解説が名調子だった。上手いので聞いたところ自己流だそうだ。
ここはついでに、山口ザビエル教会のライトアップも見る。牧師さんの気まぐれで、点灯する時も、しない時もあるようだから見られたのはラッキーと言うべきだった。
湯田温泉はKホテル。夕食はフグ刺しにフグ鍋、瓦焼き蕎麦。やはり熱燗一杯いただく。
翌朝ホテルを8:00出発で再びバスで秋吉台。カルスト台地だと学校で習った所に、やっと来たという感じだ。海の中のサンゴ礁が地殻変動により2億年前に隆起して、石灰岩が露出して台地となった為、大木が生えないそうだ。
特別記念物の洞窟は「秋芳洞」だから「秋吉台」とは「よし」の漢字が違うのにはびっくり。
ここで集合写真を撮る。買うつもりが無かったが、私たちが回った津和野や萩の写真集もセットになって1000円と言う事で、ほとんどの人が買ったと思う。
バスガイドさんがベテラン女性で、これが最高に弁舌さわやかで、バスの旅行中1分たりともマイクを離さなかった。本当に話が、ヘタな講談師より上手いくらいで、歴史だろうが、政治だろうが何でも知っていて、よどみが無かった。抑揚があり、面白いから眠くもならずに、良く聞いていた。まるで我々は松下村塾生だった。勉強になったのはうれしい。
これは写真の定番、黄金柱。気が遠くなるような時間をかけて出来たのには感心する。
見学中、沢井忠夫作曲「石筍」を思い出す。
洞内は一年中17度Cらしく、最初はメガネが曇った。夏は涼しくて良いと言う。
出口近くなると、地下水がこんこんと出てきて大雨の時は、溢れ出るので途中で引き返すと言う。
ここは出口。我々は上から入ったので下って来たが、ここから入る人は登って行くのである。
朝一番だった為に、混んでいなくて洞内の説明もじっくり聞けて良かった。
小学校6年次に「青の洞門」と言う劇を「学芸会」でやった事を思い出した。
秋芳洞から再びバスに乗車して、中国自動車道から山陽自動車道に入り岩国に向かった。
岩国では錦帯橋の見学であるが、その前に昼食となり、写真のように山口名物の「岩国寿司」をいただく。
これは見本であるが、これを人数分に分けるのである。
昔、岩国城のお殿様に献上されたそうだ。城は山の上だから、持っていくのに腐らない工夫をしたそうだ。
たっぷりと量があり、その上「うどん」も付いていたから、腹いっぱいだった。
錦川に架かる錦帯橋は日本三名橋の一つで、1673(延宝元年)年に創建された。
五連のアーチで、木造。ヒノキの板が広いものでは一枚100万円を越えて、普通でも30万円はするそうだ。
佐々木小次郎像。吉川英治が書いた「宮本武蔵」には、佐々木小次郎は岩国で生まれた事になっているそうだ。遠くに岩国城が見える。
1608(慶長13)年、吉川広家が築城。江戸時代に取り壊されたが、1962(昭和37)年に再建。
展望台があり、いつかは登って見たいものである。
メタセコイアが余りに美しく記念に一枚。
天然記念物の「シロヘビ」。全長2mでおとなしい。江戸時代に金運を授ける神の使いとして、保護されて増えたと言う。目は光ってしまったが赤い。
錦帯橋は往復だから、入橋券を無くすなと言われる。帰りに見た「もみじ」がきれい。
いよいよ最後の広島に向かって、再び山陽自動車道に入る。
世界遺産の原爆ドームは2年前には後ろにビルは無かったのだが、建築中である。
私には2度目の見学となった。
原爆死没者慰霊碑。埴輪の家形をモチーフにしたもので、28万人以上の原爆死没者の名簿を納めてある。毎年8月6日には追悼式が、ここで行われている。
8月9日は長崎に原爆が落ちた日だ。長崎原爆をモチーフにした「母と暮せば」の映画を早速見て来た。吉永小百合主演、二宮和也が息子役で原爆死したが亡霊で出てくるファンタジー。
平和祈念館も見たが、どうか地球上の人類が、戦争をせず、血を見ないように願ってやまない。
添乗員さんには、ツーショットの写真を積極的に撮っていただいたり、気配りが素晴らしかった。旅行は添乗員さんで決まり、と誰かのブログにあったが、本当である。
広島始発の「のぞみ」17:04に乗り、早速気を許して弁当と、宮島ビールを飲む。
外は暗闇だから景色は見えない。気が付けば「新横浜」20:44で皆さんと別れを告げた。快適な旅だった。
世は還暦旅行だとか、フルムーン旅行だとか、良いタイトルをつけるものだが、我々夫婦は共に還暦旅行もせず、さりとてフルムーンなんて似合わない。
せめて名づけたら「カレー旅行」か。いやカレーライスでなく、そう「加齢旅行」である。
K社の「厳島神社ライトアップ遊覧と世界遺産安芸の宮島・萩・津和野・錦帯橋3日間」のツアーに参加した。総勢30名で、うち夫婦は5組であとは女性だった。女性の添乗員さんが親切で楽しい旅だった。3日間は天気に恵まれ、ご利益があったらしい。
我々は新横浜から10:09の「のぞみ」に乗車で、広島まで新幹線。右側に座れたので、天気良く富士山は雪をかぶって大きく見えた。
名古屋駅で「だるま弁当」をいただき、広島13:52着。宮島口まで山陽本線で行き、フェリーから宮島へ行く途中で厳島神社の大鳥居を撮影。
干潮の能舞台から遠くに大鳥居。(この日の干潮は13:09)
まだまだ紅葉はきれいだった。「宮島」は町の名前で、島の名前は「厳島」が正解だと言う。
大願寺にある九本松。伊藤博文が植えたとされる。
夕やみ迫る大鳥居。ここからフェリーで宮島口経由でホテルに向かう。
そして夕食後、再びホテルのクルージングでライトアップを見る事になる。
闇夜に浮かぶ大鳥居。満潮でないと鳥居の下を通り過ぎる事が出来ないので、誠にラッキーであった。この日の満潮は19:01で我々のクルージングは20時からだった。
大鳥居はクスノキで高さが約17m、棟の長さ24m、重さ60トン。その重さで土台の石の上に立っていると言う。
ホテルは宮島口のAホテルで、夕食は当然、定番のカキ鍋にカキフライだった。
私は熱燗一杯いただいた。
朝食は瀬戸内海を見ながらバイキング。旅行の朝食はおかゆと決めている。
翌日は8:00から貸切バスに乗る。山陽自動車道で一旦広島に戻り、中国自動車道で津和野に向かった。バスガイドさんが言う通り、中国自動車道はほとんど自動車が走っていない。
写真は太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)大変珍しい名前である。日本五大稲荷のひとつで願望成就などの御利益あり。
朱色がきれいで、美しい。高台にあり、津和野の町を見下ろしている。
なまこ壁が続く津和野の殿町。イチョウはもう落葉した後だった。
殿町にある武家屋敷が、今は「津和野町役場」になっている。
水路にはメタボの鯉がいっぱい。上流で護岸工事をしているため、水質が悪くかわいそう。
観賞用の鯉で、太いのは胴回り70㎝もあると言う。鯉が一か所に偏らないように、ところどころ仕切りがあり、エサは食い放題だからメタボになるそうだ。
「沙羅の木」の2階で昼食の郷土料理「うずめ飯」と「蕎麦」セットをいただく。さらに「源氏巻」なる和菓子とコーヒーも美味しくいただいた。各ツアーがわんさかとやって来る。
萩の吉田松陰を祀る松陰神社。
吉田松陰が開いた「松下村塾」(しょうかそんじゅく)。表札には「松下邨塾」と表記されている。
ここから伊藤博文・高杉晋作・木戸孝允らが育った。
奥に吉田松陰門下生の13人の写真が貼ってある。
菊屋家住宅は重要文化財。日本最古の豪商宅で主屋・本蔵・米蔵などがある。
菊屋家の庭園
美術品・民具・古書も展示されており、武士が使ったのか、尺八がまるで私を待っていたかのようだ。
見たところ右側は延べ管で、歌口も切込みが浅く虫が食って音律は悪そうだ。
高杉晋作の誕生地の敷地。1839(天保10)年生まれ。19歳で松下村塾で学ぶ。
明治維新の志士として活躍したが、29歳の若さで病死した。
萩と言ったら萩焼が有名であり、「ぐい呑み」を求めて「昭雲堂」に行く。何故「昭雲堂」か?
それは自営業時の名称に似ていたからである。
手作りだからスマートさは無いが、飲むときに唇に誠にしっくりするのである。それで日本酒を飲んだら美味さが増した。
美人の店員さんだからって、おべんちゃらを言っていたら出発時間がせまり、あわててバスに戻ったが我々が最後だった。
2日目の宿泊地は湯田温泉。キャッチフレーズは「白狐が見つけた美肌の湯」。知らなかったが、かなり有名な温泉らしい。いくつも湯船があり、無色のいい温泉だった。
バスガイドさんのお薦めで夕食後、山口市まで他の夫婦と割り勘でタクシーを飛ばし、ライトアップの国宝「瑠璃光寺五重塔」を無料で見学。日本三大名塔の一つで、全国で最も美しいそうだ。瀬戸瓦でなくすべて桧皮葺き(ひわだぶき)の屋根で、そり具合が良いと言う。運転手さんの解説が名調子だった。上手いので聞いたところ自己流だそうだ。
ここはついでに、山口ザビエル教会のライトアップも見る。牧師さんの気まぐれで、点灯する時も、しない時もあるようだから見られたのはラッキーと言うべきだった。
湯田温泉はKホテル。夕食はフグ刺しにフグ鍋、瓦焼き蕎麦。やはり熱燗一杯いただく。
翌朝ホテルを8:00出発で再びバスで秋吉台。カルスト台地だと学校で習った所に、やっと来たという感じだ。海の中のサンゴ礁が地殻変動により2億年前に隆起して、石灰岩が露出して台地となった為、大木が生えないそうだ。
特別記念物の洞窟は「秋芳洞」だから「秋吉台」とは「よし」の漢字が違うのにはびっくり。
ここで集合写真を撮る。買うつもりが無かったが、私たちが回った津和野や萩の写真集もセットになって1000円と言う事で、ほとんどの人が買ったと思う。
バスガイドさんがベテラン女性で、これが最高に弁舌さわやかで、バスの旅行中1分たりともマイクを離さなかった。本当に話が、ヘタな講談師より上手いくらいで、歴史だろうが、政治だろうが何でも知っていて、よどみが無かった。抑揚があり、面白いから眠くもならずに、良く聞いていた。まるで我々は松下村塾生だった。勉強になったのはうれしい。
これは写真の定番、黄金柱。気が遠くなるような時間をかけて出来たのには感心する。
見学中、沢井忠夫作曲「石筍」を思い出す。
洞内は一年中17度Cらしく、最初はメガネが曇った。夏は涼しくて良いと言う。
出口近くなると、地下水がこんこんと出てきて大雨の時は、溢れ出るので途中で引き返すと言う。
ここは出口。我々は上から入ったので下って来たが、ここから入る人は登って行くのである。
朝一番だった為に、混んでいなくて洞内の説明もじっくり聞けて良かった。
小学校6年次に「青の洞門」と言う劇を「学芸会」でやった事を思い出した。
秋芳洞から再びバスに乗車して、中国自動車道から山陽自動車道に入り岩国に向かった。
岩国では錦帯橋の見学であるが、その前に昼食となり、写真のように山口名物の「岩国寿司」をいただく。
これは見本であるが、これを人数分に分けるのである。
昔、岩国城のお殿様に献上されたそうだ。城は山の上だから、持っていくのに腐らない工夫をしたそうだ。
たっぷりと量があり、その上「うどん」も付いていたから、腹いっぱいだった。
錦川に架かる錦帯橋は日本三名橋の一つで、1673(延宝元年)年に創建された。
五連のアーチで、木造。ヒノキの板が広いものでは一枚100万円を越えて、普通でも30万円はするそうだ。
佐々木小次郎像。吉川英治が書いた「宮本武蔵」には、佐々木小次郎は岩国で生まれた事になっているそうだ。遠くに岩国城が見える。
1608(慶長13)年、吉川広家が築城。江戸時代に取り壊されたが、1962(昭和37)年に再建。
展望台があり、いつかは登って見たいものである。
メタセコイアが余りに美しく記念に一枚。
天然記念物の「シロヘビ」。全長2mでおとなしい。江戸時代に金運を授ける神の使いとして、保護されて増えたと言う。目は光ってしまったが赤い。
錦帯橋は往復だから、入橋券を無くすなと言われる。帰りに見た「もみじ」がきれい。
いよいよ最後の広島に向かって、再び山陽自動車道に入る。
世界遺産の原爆ドームは2年前には後ろにビルは無かったのだが、建築中である。
私には2度目の見学となった。
原爆死没者慰霊碑。埴輪の家形をモチーフにしたもので、28万人以上の原爆死没者の名簿を納めてある。毎年8月6日には追悼式が、ここで行われている。
8月9日は長崎に原爆が落ちた日だ。長崎原爆をモチーフにした「母と暮せば」の映画を早速見て来た。吉永小百合主演、二宮和也が息子役で原爆死したが亡霊で出てくるファンタジー。
平和祈念館も見たが、どうか地球上の人類が、戦争をせず、血を見ないように願ってやまない。
添乗員さんには、ツーショットの写真を積極的に撮っていただいたり、気配りが素晴らしかった。旅行は添乗員さんで決まり、と誰かのブログにあったが、本当である。
広島始発の「のぞみ」17:04に乗り、早速気を許して弁当と、宮島ビールを飲む。
外は暗闇だから景色は見えない。気が付けば「新横浜」20:44で皆さんと別れを告げた。快適な旅だった。