(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十一章 前日 五

2011-05-26 20:34:57 | 新転地はお化け屋敷
「そうなんですかねえ」
 言いたいことは分かりますし、否定したいというわけでもないのですが、けれど僕はそんなふうにとぼけてみたりするのでした。そうした理由はもちろん――と言えるようなことなのかどうかは分かりませんが、素直に認めるのが照れ臭かったからです。けれど、そこで照れている時点で尚更栞さんの言う通りなんだろうなあ、とも。
「あれですか、やっぱり。さっきも通り掛かりましたけど、少し前に実家に戻ってみたから」
「だろうねー」
 断言はしないまでも、否定はしない栞さんでした。たった今の僕の受け答えもそんな感じだったのですが、それで人に与える印象は随分と違ってくるのでしょう。
「私だってそれまでは今のこうくんみたいな感じだったけど、家に戻ってお母さんに会った時、とてもそんなこと言ってられる状態じゃなくなっちゃってたし」
「まあ、分かります。同じ状況で自分の場合だとどうだろうかなあ、なんてふうには思いますけど……同じようなことになるんでしょうねえ、やっぱり」
「なると思うよ。それで泣いちゃたりまでするかどうかは、さすがに人に寄るだろうけど」
 その時に泣いてしまったというのは、その当日、実家から戻ってきた栞さんから話してもらっていました。今初めて話されたというならともかく、なので今更ということではあるのでしょう、あるのでしょうが、僕は栞さんを慰めてあげたくなりました。もちろんそんなこと、栞さんは既に必要としていないのでしょうが。
「こうくんがそんな顔することないよ?」
「ですよねえ」
 頭を撫でようか撫でまいかと落ち着かなかった右手は、その一言ですっと落ち着くのでした。
 しかしそうして落ち着いた右手に、栞さんの左手が重なります。どうやら、逆に慰められてしまったようでした。
「まあ、関係ない話を振っちゃったのは私なんだけどね。明日の段取りの話だったのに」
「いや、関係ないってほどでも」
 おかげで自分が両親を好きだと確認できたわけですし、というのはやっぱり照れ臭くて言えませんでした。しかし言えないにしても、収穫ではあったのでしょう。なんせその両親こそが明日の決戦の相手なわけですし。
 栞さんはにこりと首を傾げてみせました。
「じゃあ、話を戻して」
「はい」
「私がどの段階でご両親の前に現れるか、って話だったよね。私がご両親から見られるようになるのか、それともご両親が私を見られるようになるのかはいいとして」
「ですね」
 それについてはどちらでもいいというか、それこそ家守さんと高次さんに頼るしかないことなのですが、「いきなり現れた自称霊能者に何かされる」というのはうちの親からすれば穏やかでないことは確実です。ならば前者のほうがいいんだろうなとは思いますが、しかし栞さんの言う通り、それは今いいとしておいて。
「普通に考えたら、始めはやっぱりこうくんからの話から入るよね? 私はその時まだ見えてないわけだし、私とこうくんのことを楓さんと高次さんに話してもらうっていうのも変だし」
「そうなるでしょうね。というか、家守さんと高次さんは後で入ってきてもらった方が良かったりしませんかね? 恋人を紹介するって話なのにいきなりそれと関係ない二人が一緒だと、何事だと思われそうですし」
「ああ、それもそうかも」
「下手したら、家守さんが恋人だと勘違いされたりとか」
「あー……ん? その場合、一緒にいる高次さんは何だと思われるんだろう?」
「……家守さんのお兄さんとか?」
「それは物凄く気の毒だね。うん、後で入ってきてもらうことにしよう」
 そんな理由で決定ですか、と思ってしまったことは事実ですが、しかしもちろんそれが本当の理由だというわけではないでしょう。
 もちろんここでそう決まったら絶対そうするというわけではなく、家守さん高次さんとも相談のうえで、ということにはなるわけでしょうけど。
「でもそうなると、楓さんと高次さんが入ってくるまで私は何もできないってことになるね。もちろんこうくんと一緒にはいるけど、それで大丈夫?」
「いやあ、さすがに自分の親の前に出られないようなことはないですよ。いくら重大な話だとは言っても」
「そっか。うん、じゃあそこまでは決まりだね」
 なんて言ってはみましたが、一緒にいる、と言われたことで実際かなり安堵している僕なのでした。
 さて、最初の最初、ほんの僅かながらもそこまでは決定です。家に着いてもすぐに家守さんと高次さんを招き入れるのではなく、まずは僕と栞さんだけで話をする、と。
 そこで話すのはもちろん、付き合っている女性がいる、ということになるんでしょうが、
「……どっちのほうがいいんですかねえ。家守さん達を呼ぶ前に栞さんのことを話すか、それとも家守さん達を呼んでから話すか」
「難しいところだねえ。考えなしに幽霊のこと話したら、変な宗教にでも捕まったんじゃないかって思われちゃいそうだし」
「更に下手したら、家守さんと高次さんがその『変な宗教の人』ってことにされかねませんしねえ」
 両親はどちらも普段から他人にきつく当たるような人柄ではなかったけど、今回はさすがにそんなことも言ってられないだろうなあ、と思うわけです。だってそりゃあ、自分で言うのもなんですが、一人息子の人生に関わるような話ですし。恋人の話についても、宗教の話についても。まあ、後者はもしそうなったとしても勘違いなのですが。
「幽霊が、というか私がその場に居るってことを証明できれば、取り敢えずこうくんが変になっちゃったってことじゃないのは分かってもらえる……かな? 筆談とかで」
「ああ、異原さんの時はそれで上手くいきましたしねえ」
 もちろん、異原さんについては「霊感」という取っ掛かりがあってのことではあるんでしょうけども。もしかしたらうちの親にもあるかもしれない、なんて初めから絶望的な可能性に掛けるわけにもいきませんし。
「少なくとも、楓さんと高次さんを呼ぶまでにそこまではしておいた方がいいと思うんだよね。じゃないと、こう、手品的なことで誤魔化されてるんじゃないかとか、そんなふうに思われちゃうかもしれないし」
「かもしれませんね」
 幽霊の存在を知っている身からすれば馬鹿馬鹿しい話ですが、知らない人にとっては幽霊が存在するという話のほうがよっぽど馬鹿馬鹿しいわけですしね、残念なことに。手品か幽霊かと考えたら、普通は手品の可能性のほうを取るのでしょう。
「となると……栞さんに筆談をしてもらうにしても、その筆談まで持っていくのは僕の話力ってことになりますねえ」
「うん。そこは、頑張ってもらうしか。手伝いたいけど手伝いようがないし」
「頑張ります。まあ、頑張るのなんて大前提ですしね、初めから」
 頑張ることを惜しむほど安い気持ちではないのです。語るまでもなく。
「筆談に入ったら私も頑張るよ。って、まだ別に筆談に決まったわけじゃなかったね」
「でも実際、それが一番分かりやすいし平和だと思いますよ? 人柄も一緒に出せるというか……大ざっぱに纏めちゃうと『物を動かす』か『音を立てる』のどちらかしかできないわけですし、その条件で考えたら、会話ができるっていうのは凄く大きいんじゃないですかね」
「そうなのかな、やっぱり。うう、文面どうしよう」
「文面ですか。まあ、最初はやっぱり――」
「ああっ、待って待って言わないで!」
 言葉でも手でも、口を塞がれてしまいました。言わないでというか、言えません。
「こうくんが考えて『こうくんっぽい文章』になっちゃったら、それはそれでまた疑われる材料になっちゃうかもしれないし。私が全部考えるよ、そこについては」
「あ、ああ、なるほど」
 いきなり口を塞がれたから。栞さんの言う通りだと背筋に冷たいものが走ったから。果たして僕の親は「僕っぽい文章」というものを把握しているのだろうかと思ったから。いろんな意味で、言葉が詰まり気味になってしまうのでした。
「それにどうせ、絶対にその場で考えることのほうが多くなるしね。ご両親の返事がどんななのかは予想できないわけだし。――だからまあ、『文面どうしよう』なんて取り越し苦労でしかないんだろうけど」
「ありがとうございます。頑張ってください。としか、僕からは言えないんですよね」
「それで充分だけどね。そうでなくても、こんなにくっ付いちゃってるんだし」
 確かにそう表現すべき座り方をしてはいますが、そのことがお礼や激励に繋がるんでしょうか。いや、本人がこう言っている以上、間違いなく繋がってるんでしょうけど。
「それが済んだら家守さんと高次さんに入ってきてもらうことになるんですけど、だったら後のことは、僕と栞さんだけで決めるってわけにもいきませんよねえ」
「そうだねえ。今決めるのはこれくらいにしとこうか」
 今のところ想定している「家守さんと高次さんに手伝ってもらうこと」は、栞さんを僕の両親にも見られるようにすることです。けれど本当にそれだけで済むのかと言われたらそうとも言い切れず、なので今の時点では、それが済んだらまた退席してもらって、とも言えないのでした。
 というか正直なところ、霊能者としてのあのお二人が仕事の場でどう動くのかは、まるで知らないと言っても過言ではないほどなのです。そりゃあ霊能者としてお世話をしてもらった経験はあるわけですが、身内に対するそれと対外的なものじゃあ、やっぱり全然違うんでしょうし。
「今って何時くらい?」
「えーと……十時半ですね。まだ結構余ってますよ、時間」
 大学に行くまでの時間、ということで「余ってる」と表現すべきか、デートしていられる時間、ということで「残ってる」と表現すべきかは微妙なところでしたが、拘っても特に意味はないでしょう。「残ってる」にしておけばよかったかな、なんて微塵も思ってはいませんとも。
 ちなみに十時半というと丁度一限目が終わった時間になるのですが、これもまあ気にしてどうなるという話ではありません。「割とのんびりしたつもりなのにまだそれくらいか、随分早くに出たんだなあ」くらいには思いますが。
 まあともかく、デートはまだ暫く続けられるわけです。しかも明日についての話も一段落したわけで、ならばあとは何を気にするでもなく楽しむだけです。
「うーん……」
「どうかしました?」
 今の時点で既にいい気分になっていると、しかし栞さんは何やらお悩みの様子でした。はて、この状況で何か、そんなふうになる要素なんてありますでしょうか?
「こんなこと言うのはおかしいって、分かってはいるんだけど――帰りたいなあって、ちょっと思う」
 おずおずと、しかしきっちり言い切る栞さんなのでした。
 もちろんその意見について思うところくらいはあるわけですが、しかしそれを差し挟む暇は与えてもらえませんでした。
「デートがつまらないってわけじゃないよ? 見てて分かってもらえてると思うけど、すっごい楽しんでるし。だからそういうわけじゃなくて――あの、その」
「そういうわけじゃなくて?」
「……さっきああなっちゃった膝枕とか、頭撫でてもらうとか、そういうことしたいなって……。多分、今してた話があったからだろうけど」
 今していた話。つまり、明日の話。もちろん望まれる分には大歓迎ですがそれはともかく、はて、その話からこうなるものなのでしょうか? 膝枕とか、そういうことに。
「優しくされた時に、それで満足するんじゃなくてもっと優しくして欲しくなるっていうのは――あはは、ちょっと甘えん坊過ぎなのかな」
 尋ねるまでもなく説明されたところによると、そういうことなのだそうでした。
「うーん、優しくしたっていう気はあんまりしないんですけどねえ、自分では」
 なんせ明日に迫った重要な案件について相談をしていただけのことなんですし。
 けれど、それを聞いた栞さんはこう返してきました。
「逆効果だよ、そんなこと言われちゃったら」
 別にここで帰ることを回避したいというわけではありませんが、ならば回避のしようはないようです。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん。ありがとう、いろんなこと」
 お互いにまだ少し残っていたレモンティーとミルクティーをここで飲み干し、けれどゴミ箱が見付からなかったので結局空のペットボトルを手に持ったまま、帰宅することとあいなりました。
「でも楽しけりゃいいってことなら、家に帰ったってまだデートではあるんでしょうけどね」
「ああ、それもそっか。あんなに言い難くしてることなかったね、それじゃ」
 そして僕はまた、道が分からなくなるのでした。

 さあ着きました我が家。正確を期すなら我等が家。またしても方向音痴っぷりを栞さんに笑われたことは気にしない。さあさあ、向かうべきは203号室か204号室か。
「あら。おかえりぃお二人さん」
 何はさておき取り敢えずはこれから、と自転車置き場へ自転車を停めに行こうとしていたところ、途中で声が掛かりました。
「あれ、楓さん? 今日はお仕事お休みなんですか?」
「そーだよー」
 101号室の台所の窓からだから、なんて論理的な思考を重ねるまでもなく、その人は家守楓さんなのでした。そういえば今朝は車のエンジン音を聞いてなかったっけなあ、なんてのは、休みだったと知って初めて思えていることなのでしょうが。
「そっちは大学終わったとこ?」
「あ、いえ、今日は午後からで――ええと、ちょっと出掛けてました」
「おお、朝っぱらから自転車でデートかあ。若いねえ、青春だねえ」
 ……確かにデートでしたし、「自転車でデート」が若いというのも分かります。しかしどうしてだか、そう言われると反論したくなるのでした。しませんでしたけど。
「とまあ、冗談はそれくらいにして。いいことだと思うよ、プレッシャーに押し潰されたりはしてないってことだろうし」
 何のプレッシャーかといえば、それはもちろん明日のことなのでしょう。
「能天気なだけかもしれませんよ?」
 デート中のことを考えればそれはもちろん冗談なのでしょうが、栞さんがそう言いました。デートの内容を知らない人からすれば、そちらのほうが自然ではあるのでしょう。
 しかし家守さん、いつものようにキシシと笑います。
「しぃちゃんとこーちゃんに限ってそりゃないでしょうよ。問題を先延ばしにするような二人だとしたら、かつて起こった大喧嘩は何だったんだね?」
「うーん、それを引き合いに出されちゃうと……」
 どうやら栞さんの完全敗北のようでした。まあ、今日だって我慢できずに明日の話を切り出したって感じでしたもんね、栞さん。元々先延ばしにするような性格でないどころか、意識して先延ばしにすることすら耐えられない、ということになるのでしょう。
 家守さん、もう一度同じように笑いました。
「さて。で、どうしよっか? 明日のことで話がしておきたいっていうのはあるんだけど――デートから帰ってきた直後ってのはねえ? いつもみたいに晩ご飯の時でいいかな?」
「あ、はい。できたらそれで」
 大幅に時間を残しつつデートを切り上げて帰ってきた理由。なんだかそれを見透かされているみたいで照れ臭くはありましたが、そうであろうがなかろうが、ありがたい提案であることに違いはありません。むしろこちらからお願いするくらいの気持ちで、そう返事をしておきました。
 けれど、それでさようならというわけにもいきません。
「明日、宜しくお願いします」
 まず間違いなく、夕食の時にも同じ遣り取りをすることになるのでしょう。しかしだからと言って惜しむような感情ではなく、なので僕は、出来る限り深く頭を下げました。栞さんも、それと同じく。
「宜しくお願いされました。うん、大船に乗ったつもりでいてちょうだいな」
 嫌味なくその言葉をその意味のまま受け入れられるというのは、凄いことなんだと思います。もちろんそれは受け入れた僕達ではなく、受け入れさせた家守さんが凄いということになるんですけど。
 さてしかし、頭を下げる相手は家守さんだけでなく、高次さんも当然そこに加わります。恐らく部屋の中にいるんでしょうし、だったら家守さんに呼んでもらおうかな、とも思ったのですが、
「キシシ、後からじゃあ出てき難いだろうしね、こういう展開だと。高次さんにはアタシから同じように言っとくよ」
 と言ってきた家守さんはその直前、居間のほうを振り返っていました。そのうえで笑いながらそんなことを言ってきたということは、出難そうにしている高次さんを目撃した、ということになるのでしょうか?
「お願いします」
 どうであれ、家守さんがそう言っているならそういうことにするほかないでしょう。
 というわけで間接的に高次さんへの挨拶も済ませた僕達は、自転車を自転車置き場に停めたのち、部屋へ戻ることにしました。

 部屋に戻るとは言っても、さてそれは203号室なのか204号室なのか。特に決めていたわけでも栞さんと相談したわけでもありませんでしたが、成り行き任せというか単に近いほうを選んだというか、足を踏み入れたのは203号室なのでした。
「お帰りなさい」
「ただいま――ですけど、一緒に帰って来た人に言われると違和感がありますね、やっぱり」
「あはは、まあ私も言いたかっただけだから。というわけで、ただいま」
「お帰りなさい」
「あ、こうくんも言うんだ?」
「へ、変でしたかね? やっぱり」
 最後の質問に返事はなく、栞さんはくすくすと笑みを浮かべるばかりなのでした。変ではない、ということなのでしょう。希望的観測ではありますが。
 さて、居間、を通り過ぎて私室。沢山かつ多種類な陶器の置物とゾウのぬいぐるみに出迎えられて、僕と栞さんは適当に床へ座りこみました。
「こうくんと公園で話したこともあるんだろうけど――」
 適当に座った割に、栞さんはすぐこちらへ擦り寄ってきました。帰ってきた理由を考えれば、それはまあ当然の行動ではあるのでしょう。
「楓さんと話が出来たせいかな。不安なんか全部飛んじゃって、今の時点で嬉しくなっちゃってるよ、私」
 行動に反して家守さんの話でしたが、栞さんがどれだけ家守さんを慕っているか知っている身としては、頬が緩みこそすれ後ろ向きな気持ちなど浮かぼう筈もありません。一般的に、あくまでも一般的に考えれば、そんなふうにもなり得るのかもしれませんけど。
「そうですね」
 栞さんの頭を抱き寄せながら、僕はそんなふうに返します。というわけで結局のところ、僕も栞さんと同じなのでした。
「良いのか良くないのかで言ったら、良くないんだろうけどね。今のうちから上手くいくつもりで浮かれてるって」
「それは、そうなんでしょうけど……」
 意識したつもりではありませんでしたが、かなり残念さを漂わせたような声になってしまいました。そりゃまあ浮かれられるなら浮かれていたほうが気分がいいわけですが、だからといってそこまでというのは、ちょっと甘え過ぎなんじゃなかろうか自分。
「あはは、ごめん。余計なことだった」
 抱き寄せられていた頭を少し離し、真っ直ぐ僕と向き合って、栞さんはそう謝ってきました。しかし今の話はもちろん余計なことでもなんでもなく、重要な――。
「言われなくても分かってただろうしね、こうくんなら」
 ……実際、その通りではありました。しかし素直に「そうですね」とは言い難く、だからと言って「そんなことはないです」とも言い難かったので、離れた栞さんの頭を再び抱き寄せておきました。照れ隠しの割にはそれ自体も照れ臭い行いだったのですが、まあ、そういうことが目的で帰ってきたわけですし。
「学校行くまでにお昼ご飯と庭掃除――と、あともしかしたらお散歩にも呼ばれるかもしれないから、ちょっとだけ。三十分くらいだけ、甘えさせてもらってもいい?」
 浮かれていると自分で言った割に、時間をきっちり設定たりもする。そんな栞さんからはどこかちぐはぐな感じを受けたのですが、しかし僕は同時に、そんな栞さんに敬愛の念を抱きもしました。一般的な意味より幾分か、「愛」のほうに比重を傾けて。
「そのつもりですしね、僕も」
 三十分という時間設定はさておき、ですが。
 いや、もう一つ。ここでいう「そのつもり」は、明確に表現すると「甘えさせてあげる」と「こっちからも甘えさせてもらう」のどっちになるんでしょうか?
 ……まあ、深く考えるようなことでもないですよね。
「ありがとう」
 僕もです、と言った割に礼を言われてしまいましたが、それはさておき。くすぐったそうな笑みを浮かべた栞さんは、その場にころんと寝転がりました。僕に抱き寄せられていた「その場」なので、横になった栞さんの身体は僕の膝の上へ。
 さすがにそのままでは苦しい体勢だったのか、栞さん、ずりずりと位置を微調整。結果、公園でそうしていたのと同じく膝枕の形に。
「えへへー」
 気持ちよさそうな声を上げる栞さん。公園でのこともそうですが、それ以外にもこうして膝枕した経験は何度かあります。もしかしたら栞さん、これが結構お気に入りだったりするのかもしれません。ならばそれをしている側である僕はどうなんだと言われれば、そりゃもう、栞さんに喜ばれている時点でそれは野暮な質問ということになるのでしょう。
「あれ? でも」
 三十分間ずっとこうして気持ちよさそうな栞さんを見下ろしていてもいいな、なんて思っていたら、その栞さんが何か思い付いたようです。
「よく考えたら、今はこうじゃなくてもいいんだよね。他の人の目はないわけだし」
「こうじゃないって――……ええと、どうなるんですか?」
 他の人の目がない、という言い方に対して無闇にドキリとしてしまいましたが、はてさて。
「私が膝を貸す側になってもいいなって」
「あー……」
 なまじたった今「三十分間ずっとこうして気持ちよさそうな栞さんを見下ろしていてもいいな」なんて思ったばかりなので、もちろん栞さんの提案は魅力的なのですが、どうしたものだろうかと。
「気乗りしない?」
「いや、そういうわけじゃなくて。……暫くしたら交代ってことで、どうですか?」
 どちらにしようかと迷うなら、どちらもしてしまえばいいじゃない。ということで、そんな案を上げてみました。
 栞さんの返事は、想定していた通りのものでした。横になったまま頷くというのは随分と可愛い仕草なんだなあ、なんて思わされもしつつ、これまた公園でもそうしていたように、僕は栞さんの頭へ手を伸ばしました。
 髪。
 綺麗で温かみのある栗色の、さらさらと指通りのいい、栞さんの髪。
 ――そういえば。
「口宮さんのあれ、驚きましたね」
「ああ、髪の色?」
 あれの一言で伝わってしまったことがなんだか面白く感じられましたが、付随してきた小さな笑いは、なんとなく口宮さんの名誉のために堪えておきました。いや、それが名誉に関わるのかどうかなんて知りませんけど、なんとなく。
 この状況で持ちだす話ではなかったのかもしれませんが、思い付いてしまうと口に出さずにはいられない話題なのでした。
「真っ黒でしたねえ。いや、そのほうが普通なんでしょうけど」
「結構変わって見えたよねえ、印象」
 頭頂部のみが黒で、他は金。プリンっぽいなあと常々思っていたあの髪色は、しかしすっかりカルメラのみになってしまっていたのでした。こうなったらいっそコーヒーゼリーということにでもしておきましょうか?


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