(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 最終章 今日これまでも、今日これからも 三十二

2015-02-17 20:58:05 | 新転地はお化け屋敷
「孝さん孝さん」
「ん?」
 僕達を抱き締めた家守さんですし、じゃあ高次さんに対しても言葉だけで済ませることはないんじゃないだろうか。心配半分期待半分にそんなことを考えながらあちら二人の様子を眺めていたところ、するとそんな僕に栞が弾んだ調子で声を掛けてきます。
 また何か見透かされたか、なんて不安が頭をよぎるのは当然、見透かされると不都合なことを考えていたからです。
 が、しかしどうやらそういうことではなかったようで、
「孝さんもアッツアツなこと言ってくれていいんだよ? 同じ状況なんだしさ、楓さん達と私達って」
 想定より更に酷い状況が待ち受けていたのでした。
「それは、『言え』と言っているのかな」
「ふふ、そうは言わないよ。言わないだけだけどね」
 ふんわりと首を傾げながら言う栞ですが、言っていること自体はふんわりどころかとてもハードなのでした。
 その「自分から言うか僕に言わせるか」というのが栞と家守さんの決定的な違い、ということになるのでしょうか? なんてついつい考えてもみてみるわけですが、とはいえそれは別に良し悪しの話ではないですし、それに先程の家守さんの言葉を借りるなら、栞がそういう人だと分かったうえで結婚相手に選んだのは僕だ、ということにもなるわけですけどね。
 ……ええ、まあ、可愛らしいとか思っちゃうわけですよやっぱり。それもまた今日がこういう日だからということなのかもしれませんし、そう思ったからといって意気揚々と要求に従うわけでもないのですが。
「会話の流れも何もなしに言えと言われて言うってなると、中々ねえ」
 そんなふうに言い返してみる僕なのではあったものの、しかしそれはただ逃げ腰なだけというわけではなく、本当に難しいことだったりもするのです。……しますよね?
「ああ、それはまあねえ」
 栞も納得してくれたようでした。ほっ。
「でも、言葉が駄目なら行動でもいいよね?」
 …………。
「何故そこまでして?」
「楓さんと抱き合っておいて私とは何もなしっていうのは、片手落ちってやつじゃない?」
「違うと思うけどなあ……」
 あと抱かれはしましたが抱き合ったわけではないですし。
 というのはともかく、片手落ちという表現が適切かどうかは別としてここでその言葉が出てくるということは、少なくともそれは嫉妬だとかの感情による要求ではなさそうなのでした。
 であればこちらとしてもいくらか、本当にいくらか程度ではありますが、抵抗感は減ろうというもの。そして今の話を聞く限り、だったら家守さんがしてきたことをそのまま栞にすればいいのかな、という判断をしてもみたのですが、
「じゃあキスとかどうでしょうか?」
 足元からそんな声が。別にそこで判断する必要はないわけですが、足元から、という時点で声の主は随分絞られますよねナタリーさん。あとキス。
「して欲しいんですか?」
「はい。するのもしてもらうのも誰かがしているところを見るのも好きですから」
 その言い分を他意なく受け取れてしまうんですから、割と凄いですよね。本人、もとい本蛇としては、別に何を努力するでもなく言いたいことを言っているだけなんでしょうけど。
 他の誰かであれば悩んだ末に断っていたのかもしれませんが、しかしそれがナタリーさんであればそうもいかないでしょう。多分。
 というわけで覚悟を決め、ついでに足元のナタリーさんを肩の上までご招待したりもしつつ、自分から言い出したくせに照れたような表情をしている栞と――と、思ったその時。
「いかん大吾! このままではどうせわたし達も同じ目に遭わされてしまうぞ!」
 もちろんそうなってもらいますよ?――ではなくて。
 ここで慌てふためいてみせるのは成美さんなのでした。その割には「どうせ」なんて、既に諦めてもいるかのような言い方でしたけど。
 ちなみにそれに対する大吾の反応ですが、
「静かにしてりゃいいのによオマエはよう」
 ごもっともで。
「おおしまった。そうだな、こんなに近くでいきなり大声を出したら赤子が驚いてしまうな」
「いやそういう……ああ、そういうことでいいやもう」
 自分達より目の前のお腹の中の赤ちゃんを心配する成美さんに大吾が匙を投げてしまいましたが、その顔は穏やかなのでした。
 成美さんをお嫁さんにするとなればそりゃあ、「母親」という要素は外せないわけでしょうしね――なんて、余計なお節介もいいところながらそんなふうに思っていたところ、
「成美お姉ちゃんもこう言ってくれてるし、早くびっくりできるくらいおっきくなるんだぞー」
 と、椛さんが自分のお腹を撫でながら。外から見てお腹が大きくなっているわけでもなし、となればまだそれくらいの時期なんですかね、やっぱり。
「お姉ちゃん……ううむ、実際には婆さんなのだが……」
 一方、またしても妙なところに引っ掛かっている成美さん。
「でもしょこりんのお義姉ちゃんなんでしょ?」
「おお、言われてみればそうだった」
 そうですけどそうじゃないです成美さん。いや、お姉さん扱いに異論があるわけではないので、声に出しはしないでおきますけど。
「可愛い女の子でも綺麗なお姉さんでも格好良いお婆ちゃんでもあるのが成美さんのいいところですからねえ」
 ちょっと長い褒め言葉を一息で、しかも予め用意されていた台詞かのようにすらすらと言い切ってみせたのは、その成美さんの義妹さんことしょこりんこと庄子ちゃん。格好良いという形容をしているとはいえ、女性に対する褒め言葉として「お婆ちゃん」という言葉を持ってこられるというのがもう、その評価に対して一切の曇り陰りがないということを如実に表していました。
「ふふふ、あまり褒めちぎってくれるな庄子」
 そして成美さんの側も、それを褒め言葉としてのみ受け取ってみせるわけです。そりゃあもう格好良いおばあちゃんですとも、ええ。
 ――というのは何も軽口としてだけではなく、本質的な話としても、です。
 たとえ実年齢がそれ相応であるとしても、分類するのであれば「若者」ということになる大吾を夫としている以上、気持ちの上ではまだ若い部分だってそりゃあありはする筈です。それらの一見相反していそうなものを、しかし無理をして抑え込むのでなく自分の一部として自然に受け入れているというのは、これはもう格好良いという評価に相応しいというものでしょう。
「ただでさえこの後恥ずかしいことをさせられそうだというのに、そんな追い打ちじみたことをしてこなくても」
 で、その格好良い成美さんはくすぐったそうな笑みを浮かべながら続けてそんなふうにも言ってみせるのですが、しかしそれに対しては大吾がすかさず、
「オマエ一人が騒いだだけでオレらまだ誰にも何も言われてないからな?」
 と。そういえばそうでしたっけね、僕も勝手に頭の中で確定事項にしちゃってましたけど。
「まあまあ大吾、そう固いことを言うな」
「やっぱ乗り気なんじゃねえか!」
 結局のところそういうことであったらしい成美さんに声を大きくさせる大吾。膝の上の猫さんはそれでも涼しい顔をしてらっしゃいますが、それはそれとして。
 相手が気を荒げたと見るや、腕を組み鼻をふんと鳴らし、逆に落ち付いた様子を見せ付けつつ、成美さんはこんなふうに。
「今日は皆にお前との結婚を祝福してもらう日ではあるが、ならばそれに見合うようなことはしていかなければならんだろう? 何もなしにただ祝えとは、わたしは少々言い難いな」
 すると大吾、一時フリーズ。猫さんここで大吾の顔を見上げますが、だからといって特に何をするでも何を言うでもなく上げた顔をすぐさま元の向きへ。
 目がちょっと細くなっているのはもしかしてこれ、笑ってらっしゃる?
「……急にそれっぽいこと言い出すなよな」
「そういう話になったら勝ち目ないもんね、兄ちゃん」
「うっせえ」
 成美さん自身はもちろん庄子ちゃんの茶々入れにすら反論を諦め、ならばこれはつまり――。
「では大吾、決心が付いたところでどうぞ」
「はいはい分かったよ……」
 横から実行を促してみたところ、思った以上に素直に従う大吾なのでした。「んじゃ旦那サン、ちょっと失礼して」と膝の上の猫さんを抱きかかえ、そこで「あ、あたし抱っこしとくよ」とその身元引き受けを名乗り出た庄子ちゃんに猫さんを託し、愛しの成美さんの下へと。
「今日こんなんばっかだなオレら」
「そりゃあ、今日だからな」
 そう言って笑い、腕を広げてもみせた成美さんを、ならば大吾はお姫様抱っこの形で軽々と抱え上げます。周囲に見せる目的で――というほど大吾としては積極的な話でもないのでしょうが――それをするとなれば、大吾がしゃがみ込むよりも成美さんを持ち上げたほうが見易いだろう、ということなんでしょうね。
「でも、だからといって投げ遣りなのは嫌だぞ?」
「そりゃオレだって嫌だよ、もちろん」
 それだけ確認し合ってから、二人は唇を寄せ合うのでした。
 すると周囲から歓声が上がり始め、その中でゆっくりと唇を離した二人は、成美さんはもちろん大吾まで一緒になって微笑んでいて――。
 …………。
「孝さん?」
「はい」
「後悔はしてない?」
「……してます」
 実のところ大吾と成美さんをスケープゴートにキスを回避しようとした、いや既に回避してしまっている僕は、だというのにその回避した行為を目の当たりにしたところ、それを実行した二人が羨ましく思えてしまったのでした。実に身勝手な話ですが。
「うん、そういう意地張らずに素直になれるところは好きだよ」
「それはどうも」
「じゃあそういうことで早速」
「あはは、なんか軽いなあ」
「大丈夫、それは外見だけだから」
 今の今まで避けようとしていた展開だった筈なのに、とんとん拍子に話が進みます。というか、進まされます。まあそういう展開には割と慣れていたりもする僕なので、今更それをどうのこうのと言いはしませんが。
 で、慣れているというのであればもう一つ。今からしようとしている「人前でのキス」というのもまた、残念ながらというか何と言うか、慣れていると言えば慣れていることではあるのでした。
 ……ただまあ、それは「だから抵抗がない」というものではないんですけどね。避けるに避けられずそうすることになってしまった時、「まあ今までにも何回かしてきてるし」とスムーズに諦められかつ開き直れる、という話です。
「ほらほら、みんなが見てないうちにささっとやっちゃえば」
「そうさせるつもりならその台詞はいらなかったかなあ」
 大吾と成美さんの方へ注目が集まっているうちに、という意味だったのでしょうが、しかしその発言こそがこちらへ注目を集める結果を招いてしまいます。実際にくるっと周囲を見渡してみたところ、僕達に集まる視線にはその大吾と成美さんのものすら含まれているのでした。
「上手いこと乗せられそうになったってことか? オレ」
 僕が大吾に先を譲り自分の番を有耶無耶にしようとしたことに、今ようやく気付いたのでしょう。顔の下半分では笑いつつ上半分では怒っているという、器用なことをしてみせる大吾なのでした。
 するとそこへ庄子ちゃんは、
「いや兄ちゃん、その後の展開はともかくキスはさせられちゃったんだし、じゃあ乗せられたのは間違いないんじゃないの?」
 そしてそれに続いて成美さんも、
「良いではないか大吾。いつも言っているだろう、その単純さがお前の魅力なのだとな」
 ならばそれらに対して大吾は、
「ああ、文句すら言わせてもらえねえのな今日は……」
 と、諦め交じりの笑顔という、これはこれでまた器用な表情を浮かべるのでした。
 単純なところが大吾の魅力だと成美さんは言いましたが、そうして器用な表情を作ってみせるのはそれに反しているとすべきか、それとも複雑な胸中を複雑なまま顔に出してしまうという意味で、やはり単純なのだとすべきなのかは――まあ、成美さんの捉え方を尊重すべきなんでしょうね、ここは。
 自分を定義するのは自分ではなく他人である。ここでその話を持ち出してみるのであれば、しかしそれはその「他人」がいつでも好き勝手に定義するばかりというわけでもなく、今のように極めて近しい別の「他人」を挟むこともある、ということになりましょうか。
 自分が他人によって定義されるものであるのならば、その大部分を担ってもらうことになる「極めて近しい他人」とはつまり、自分を映す鏡のようなものなのかもしれません。
 そして、そういうことであれば僕の場合は――。
「あ、孝さん真面目な顔になった」
「面倒な性格してるからね、我ながら」
「知ってるよ。だから一緒になってもらったんだし」
 その知ってくれていることを、僕は知っています。だから一緒になった、というにはこの理屈は、一緒になった後で思い付いたものだったりするのですが……。
 でも、そうは言ってもやはり、
「愛してるよ、栞」
 後だろうが先だろうが、今ではそれももう「僕が定義付ける栞」の一部なのです。妻を愛する夫としても、日向栞を移す鏡としても、順序の前後なんかよりはそれ自体を重要視すべきなのでしょう。
 ――ここまで直接的な言葉を贈られるとは思っていなかったのか、栞は少し驚いたような顔をしていました。しかしそれもすぐに引っ込められ、代わりに浮かんできた一番好きな笑顔と少しの間だけ見詰め合った後、
「私もだよ、孝さん」
 僕達は唇を寄せ合いました。これまで何度か、いや何度も、そうしてきたように。

「私がいること忘れてましたよね? 完全に」
「いやその……」
「お恥ずかしい限りで……」
 大吾と成美さんが包まれたのと同じ歓声に包まれながら、しかし僕と栞の二人は、バツの悪い顔にならざるを得ないのでした。
「いえいえ、私としてはむしろ良かったんですよ? 自然なお二人をあんな間近で見られたんですから」
 それは何も気を遣ってくれているということではなく、本心からの言葉なのでしょう。彼女こと僕の肩の上のナタリーさんは、そういう方なのです。
 であればその言葉の通り、僕達は何も責められているというわけではないのですが――……恥ずかしいじゃないですか、やっぱり。どんだけ浸ってたんだと。
「孝さんはまあ視界の外だったからいいとしても、私なんか、ねえ? 孝さんの顔のすぐ横にナタリーがいたっていうのに恥ずかしい」
 よっぽど恥ずかしかったのか、間を置かず二度目の恥ずかしいアピールをしてみせる栞なのでした。気持ちは分かります。いいとしても、なんて言われても、いいわけがありませんしね。
 栞が視覚であれば僕は肩の触覚だよ、なんて説明をしてみるのも実に馬鹿馬鹿しいので、それはそれとしておいて。
 気分を害したわけではなく、それどころか気分を良くしているナタリーさんは、ならばその宜しい気分に任せてこんなことを言い始めます。
「精神は肉体を超越するんですねえ」
「凄い言い回しですね。言いたいことは分かりますけど」
 随分と大袈裟な話なのですが、しかし今の今まで実際にその「大袈裟」な状態にあった僕と栞ではあるので、あまり強いことは言えなかったりしないでもなかったり。もちろんナタリーさんのこと、そうやって僕達を追い込むのが目的、なんてことは一切ないんでしょうけど。
 なんてことを考えている僕だったのですが、しかし一方で栞はというと。
「まあ幽霊なんて、ある意味それそのまんまの存在だしねえ」
 口調も表情も和やかなものではあったのですが、とはいえそれは、冗談というわけではなかったのでしょう。冗談で言えるような話ではないですし、ならばそれを冗談として口にするような人でもないわけですしね、この人は。
 相手が僕一人だったら怖いくらい真面目な顔をしていたんじゃないでしょうか。なんて。
「言われてみればそうですねえ。もうないわけですし、肉体」
「…………」
「ん? 孝さんどうかした?」
「いや」
 ……女の人が「肉体」って言うといやらしく聞こえてしまう、なんて言っちゃ駄目でしょうか。駄目なんでしょうね。
 それに親しい間柄とはいえ蛇相手に何言ってんだ――とまあ、栞なら多分そこには言及しないんでしょうけど。
「あ、すいません日向さん。別に悲観してるとかじゃないんですけど」
「ああ、大丈夫だと思うよナタリー。孝さん多分、えっちぃこと考えてただけだから」
「…………」
 言及しないからといってあっさり受け入れ過ぎるのもそれはそれでどうかと思うんですがどうでしょうか栞さん。
 それに対しては首を傾げるばかりなナタリーさんだったのですが、それが丁度いい機会になったということなのか、
「いつまでもお邪魔しているのは悪いですよね。そろそろ退散します、私」
 とのこと。ううむ、本当によく気が利く方で。
 だからこそその申し出を今暫くお待ち頂きたいような、一方で同じ理由から滞りなく速やかにそうして頂きたいような、などと優柔不断さを発揮してもしまう僕だったのですが、しかしそこで、ああそれだったら、と。
「ナタリーさんルールだと、嬉しくさせてもらった時はキスをするんでしたっけ?」
「はい」
 唐突もいいところだった質問に間髪入れずそう反応してみせたナタリーさんは、するとそれから一拍の間を挟んだのち、その細長い身体をくねらせながら「……あ、でもさっきキスを見せてもらったっていうことについてはやっぱり、キスの上からキスっていうのはどうかなって思ったんですけど」とも。
 僕は栞を見ました。
 栞は先を促すようにニコニコしていました。
 うむ、どうやら許しは得られたようです。心が広い奥さんで良かった。

「でも孝さん」
「ん?」
 僕の肩からその身を下ろし、どうやら今度は庄子ちゃんの下へ向かっているらしいナタリーさんの背中――でいいんでしょうか?――を目で追っていたところ、横から栞がこんなことを。
「庄子ちゃんとの間接キスでもあったよね、あれ。二人はちょくちょくしてるんだし」
 そういえばそうなるのかなあ、なんて思いはしつつ、とはいえそれで動じたりはしない僕。僕がする直前に庄子ちゃんもしていたということならともかく、そういうわけではないんですしね。
 といったところで、今度は遠くからこんな声も。
「ふぁー!?」
 結構距離あるのによく聞こえたね庄子ちゃん。それとも成美さんが伝えでもしたんでしょうか? だとしたら中々に意地悪なお義姉さんで。
 ……ともあれあちらに対しては遠目から頭を下げておき、それから僕達のもとを離れたナタリーさんのご厚意をより良く活用させてもらおうということで、隅のテーブルに移動してみたりも。
 しかしそれは何も二人で引き続きいちゃいちゃ仕様という話ではなくて、
「あら、良かったの? いい雰囲気だったでしょうにこっち来ちゃって」
「はは、そんな追い返すようなこと言わなくてもいいだろ母さん」
 移動先の隅のテーブルというのは、僕の両親が掛けているテーブルでもあるのでした。
「良い意味でぶち壊しにされたからね」
「ねえ。奥さん以外の女の子にキスなんかしちゃって」
 そういう言い方しなくても。というのは、あんまり人のこと言えませんかね僕も。
「ナタリーさん、だったわよね? あの蛇さん。アメリカとか出身の方なの?」
「いや、そういうことはないと思うけど……」
 恐らくは、さっきのような形でのキスを指して言っているのでしょう。外国っぽいイコールアメリカというのも何とも単純というか、ある意味偏見と言って差し支えない発想なのかもしれませんが――しかしそれ以前に、果たして野生動物が人間の文化を取り込むことはあるのか、という話にも。
 そしてその更に以前に、という話は栞の口から。
「そもそもナタリーがキス好きになったのってあまくに荘に来てからじゃなかったっけ? 誰のキスが切っ掛けだったのかは、まあ、もう分かんなくなっちゃってるけど」
「ああ……あー、ああ?」
 言われて思い出そうとしてみたところ、本当に分からないのでした。いやもう、どれだけ人前でちゅっちゅちゅっちゅしまくってるんだって話ですよね僕達。……今日を区切りにちょっと控えめにした方がいいだろうか、なんて言ったらナタリーさんはがっかりするでしょうか? あとついでに栞も。
「そこだけ聞いても随分賑やかな所なのねえ、あまくに荘」
「あはは、あんまり自慢げにできることではないんですけど……」
 楽しそうに頬を緩ませてみせるお母さんに対し、同じく頬を緩ませてみせ返した栞だったのですが、しかしその頬は若干ながら引きつってもいるのでした。意外や意外、そういう感性もしっかりお持ちのようで――。
「失礼なこと考えてない?」
「否定したら信じてくれるのかな?」
「嘘を見抜けないことを『信じる』とは言いません」
「ですよね」
 本当にいい奥さんで。
「喧嘩するほど仲がいい――というか、これはもう喧嘩しながら仲が良いって感じねえ」
「それこそ、住んでる家の影響もあるのかもなあ。随分賑やかな所っていう」
 照れ臭いところではありますが、両親からはそんなお言葉が。喧嘩しながら仲が良い、というのは、なるほど確かにしっくりくる表現ではあります。重ね重ね照れ臭いですけど。
 で、それが住んでいる家、つまりはあまくに荘からの影響もあってのことなのではないか、という話なのですが……。
「なんか、灯台もと暗しというか」
「盲点を突かれたというか……」
 別にそこは息ぴったりでなくてもいいでしょうに、揃って呆けたような顔をすることになる僕と栞なのでした。
「あれ、変なこと言っちゃったか父さん」
「いやいや、変なんてことはないです。ありがとうございます」
 そう言って軽く頭を下げる栞。変でないのは確かですが、だからといって礼を言うようなことでもないような――というのはやはり、実の息子と義理の娘の差、ということになるんでしょうか? 面白い話を聞かせてもらった、ということではあるわけですしね。
「あまくに荘に住んでなかったら孝さんとも出会ってなかっただろうな、みたいなことは考えた記憶もあるんですけど、知り合った後のことってなるとやっぱり、孝さんの方ばっかり見ちゃってたっていうか」
「お世話になった人個人に対してどうこうっていうのは、もちろんあったんだけどね」
 その代表例として一人挙げるとなれば、それはやはり家守さんということになるのでしょう。その名前を出すと話が脱線しそうな気がするので、ここでは敢えて頭に思い描くだけに留めておきましたが――。
「うわあ」
「ん?」
 せっかく思い描くだけに留めてもそんなことをしてしまったら意味がないだろう、と言われてしまうかもしれませんが、ここで僕はその家守さんの方をちらっと見てしまったのでした。それだって何もなければそれまでのことではあったのでしょうが、しかしあの光景を目の前にして「何もなければ」とは、やはり言えないわけで。
「うわあ」
 僕と同じ反応をする栞でしたが、しかし五十音で表す場合の音こそ同じなれど、その声色には随分と差があるのでした。見てはいけないものを見てしまったという僕に対し、見るべきものを見ることができたという栞、というか。
 で、結局家守さんの何を見られたり見てしまったりしたのか、という話なのですが――ここまでの流れからして、そうなるのは避けられなかったことでしょう。周囲に見せ付けるようにして高次さんと唇を重ねている家守さんなのでした。
 まあ、避けるつもりなんか初めからなかったんでしょうけどね。


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