「うん、今済んだところだよ」
ここに残って話をしていたことは知っていた、という口ぶりの庄子ちゃんですが、それはまあ先に控室に戻ったうちの両親や家守さん高次さんに訊けば分かろうというもの。であれば気になるのは、というか気にすべきなのは、「こちらが話をしていると分かっているうえでその帰りを待てなかった」ということでしょう。
となると、どうやらよほど緊急の用事らしいのですが……いや? でも用事という程のことではないんでしたっけ? あれ?
この話をどれくらいの力加減で扱ったものか量るに量れず、なので返事にも詰まってしまうのですが、そこは庄子ちゃんの方から説明をしてくれるのでした。
「兄ちゃんが助けてくれって」
大吾が僕に助けを求めている、とのこと。それだけ聞けばまだ情報としては不足しているということになるのでしょうが、しかし――ううむ、以前にも似た話があったような。
「もみくちゃにされてる?」
「はい、もみもみくちゃくちゃにされちゃってます」
…………。
語感だけの話とはいえ、中学生の女の子が男、それも二回りほども年が離れた相手にさらっと口にするような言葉ではないような……。
しかしその中学生の女の子こと庄子ちゃんとしては、特に何も考えずただの強調表現として音を重ねただけだったのでしょう。なので、後からじわじわとその顔が赤くなってきたりもするのでした。
「庄子ちゃん?」
「あっ、すすすすいません」
せめて何とも思わなかったふりをしましょうそうしましょう。目上――かどうかはともかく、少なくとも年齢では上に当たる人間として、せめてそれくらいは。隣にお嫁さんの目もあることですしね。
「じゃあ、あの、こちらへどうぞ」
「はい、お邪魔します」
公共の場である控室に入るのにそんな遣り取りは不自然だろう、というのは言うまでもなく。これについても後から顔を赤くしたりするのかなあ、なんて思いながら、しかしわざわざそれを確認しに掛かったりはしないよう、エスコートに従って大吾の下へ進み入ることにする僕なのでした。
――で。
「おう、おけーり」
「兄妹揃って……」
「は?」
「いや何でも」
兄妹揃ってここが自分の家であるかのような。
と言ってもそれはそう聞こえるというだけのことであって、二人ともそんなつもりは全くないんでしょうけどね。庄子ちゃんの場合は慌てていた結果ですし、それに大吾についても、助けを求めまでしたなら出迎えがそうなるのも分からないではないですし。
――で、その助けを求める原因となったもみもみくちゃくちゃなのですが。
「助けて欲しい?」
「……いや、これはどうしようもねえんじゃねえかな」
というわけで、助けを求めていたこと自体はどうやら認めるまでもないことだったようですが、しかしその「助けて欲しい事態」に対しては既に降伏してしまっている大吾なのでした。となればこれはもう助けも何もあったものでは、というところなのですが――。
「で、何でこんなことに?」
一般的にもみくちゃという言葉が表すのは、多人数から多発的な接触を受けている状況、ということになると思います。が、しかしいま大吾が落ち入っている状況というのは、「多人数から多発的に」ではなく「一人から継続的に」なのでした。
具体的には、大吾と向き合うようにしてその膝の上に座っている成美さんが、思いっ切りその大吾を抱き締めています。うむ、夫婦仲が宜しいことで。
「なんかまたオマエが出てきた途端に引っ込んじまったんだけど、オレ今の今までみんなからもみくちゃにされててな――なんで笑ってんですか栞サン?」
ああ成程、もみくちゃはもみくちゃだったわけね。ごめんね庄子ちゃん、栞には後で注意しておくからね。
ふるふるしながらも口を押さえ顔を俯かせ、手だけで「お気遣いなく」の意を示した栞に、大吾は怪訝そうな顔をしながらも話を続けます。
「それで庄子がオマエを呼びに行ったんだけど、そこでコイツがな」
そう言って目線を下ろした先には、自身の胸に顔を埋めている奥さんが。
「庄子に気を遣わせるようなことじゃねえってことなんだろうけどな、多分」
そんなふうに言ってみせ、同時にその奥さんの背中をポンポンと叩いてもみせた大吾は、割と満更でもなさそうな笑みを浮かべていたのでした。助けを求めまでしたくせに、とは言いますまい。
「夫の窮状を横で見ていて助けを他の者に任せるなど、妻のすることではないからな」
背中を叩かれたのに反応したのか、今度は成美さんが顔を上げながらそんなふうに。僕が来た途端に収まった、と大吾はそう言っていましたが、しかしこれは成美さんのお手柄と見て間違いはないのでしょう。そりゃあさすがに、お嫁さんが抱き付いているのを無視してもみくちゃし続ける、なんて人はいなかったことでしょうしね。
「もしかしてあたし、余計なことしちゃいました?」
とここで、誇らしげにしている成美さんへ不安そうに尋ねたのは庄子ちゃん。確かに今の話だと、助けを呼びに行った人はそう思わざるを得ないところではあるのでしょうが――。
「まさか。お前はお前で兄の窮状をなんとかしようとしただけだろう? 私と同じではないか」
まあそうなりますよね。特にそれが、成美さんと庄子ちゃんともなれば。
成美さんから見た夫。庄子ちゃんから見た兄。なんだかさっきまで廊下でしていた話を思い起こさせられたりもしないではないのですが――。
「つまり家守姉妹!」
といったところで、成美さんが急激な動きをみせました。
「今お前達は私達姉妹共通の敵ということだ!」
それまで座っていた大吾の足の上で膝立ちになり、大吾の後方に控えているその家守姉妹をびしっと指差す成美さん。そうすることによって椅子代わりの大吾の目の高さには成美さんの胸部が位置することになったのですが――いや、だからどうだというわけではないんですけどね? 単に事実として、です。
で、それはそれとして、そうでしたか。大吾をもみくちゃにしていたのはそのお二人だったんですか。椛さんはともかく家守さんなんかついさっき控室に戻ったばかりだというのに、なんとまあ行動的でいらっしゃることで。
「二人とも連れ合いがいるくせに人の旦那にもにゅんもにゅんちょっかい出してくれおって……!」
何ですかその擬音は。羨ましがればいいんですか僕は。
「大丈夫だよなるみん、そういうのは椅子の背もたれに当たってたんだから」
「ねえ。いくらアタシらでもそこまでは」
……ええと、察していいのかどうかは分かりませんがお話から察してみるに、つまりは家守さんと椛さんが、椅子に座っている大吾の背後方向からあれやこれやをしていたと。だから「もにゅんもにゅん」の正体は大吾でなく椅子の背もたれに当たっていたと、そういうことでいいんでしょうか?
というわけで、「『もにゅんもにゅん』というのは大吾の頬を捏ね繰り回しでもした様子を表す擬音だったのかも」なんて淡い希望は、生まれるよりも先に叩き潰されていたのでした。
「あ、でもなっちゃん相手ならそんなに問題にもならないかな?」
「な、なにい? わたしか?」
「そうだねえ、女同士ならねえ」
問題ないというのであればせめて厭らしそうな笑みを引っ込めてからにした方が、と思わなくはないのですが、しかしそう思った途端にそれを引っ込めながら――それでも若干手遅れのような気はしますが――椛さんはこんなふうにも。
「そういう話抜きにしても、久しぶりになるみん抱っこしたいしね。ちょっと前まではあんまりいい顔されなかったけど、そろそろそうでもないみたいだし」
「むう……確かに、わたし自身と比べてという話であれば、それはまあ――」
「成美ストップ、多分その話オレに飛び火する」
椛さんに成美さん、そして大吾。それぞれが何を言わんとしているのかは、想像するだけに留めておきましょう。僕は一応、大吾を助けるためにここに来たわけですしね。まあ僕がそうしたところで、周囲からは抑え切れない笑いが漏れ出してきていたりもするわけですが。
で、それはともかく。大吾を助けるために抱き付いていた成美さんもそんな僕と同様……いや僕よりよっぽどその意識が高かったところではあるんでしょうし、ならば大吾の制止には逆に頷きすらしないまま、
「よし分かった。もう大吾にちょっかいを出さないと約束するのであれば、わたしのことは好きにしていいぞ」
と。なんだか貴い自己犠牲のシーンみたいになっちゃってますが、しかしその時の成美さんの表情は、悲壮なものどころかむしろ期待のそれを滲み出しているのでした。そうですか、憂いさえ除けられればそういう顔が出来ちゃうほどですか、もう。
自分に飛び火すると言っていた大吾ですが、同じ男としてはその火を称賛したいところなのでした。いや本当に。
「愛されてるなあ、兄ちゃん」
…………。
あ、僕のこと言ってるんじゃないですよね。そりゃそうですよね、成美さんがっていう話ですよねそりゃあ。
「さらっと愛とか言うなよ恥ずかしいだろ兄として」
「そっ!――こは、普通に照れるだけにしといてよ。こっちまで恥ずかしいじゃん、そんなふうに言われたら」
「これくらい付き合えよ、オレなんかずっと恥ずかしい目に遭ってんだぞ」
と言われると庄子ちゃん、それ以上は何も言わないのでした。いつもなら大吾が折れるまで反論するところでしょうが、果たしてそれは人前だからなのかそれとも他にも何かあるのか。
などとにやにやさせてもらっていたところ、そちらが済んだら今度は、ということなのか、大吾は再度成美さんの背中をぽんぽんと。
「ほらオマエも、そろそろ降りるかせめて座ってくれ」
「む、済まん」
というような遣り取りを経て成美さんが取った行動は、大吾の言う「せめて」の方――だったのですが、しかし。
「いやいや、家守と椛に好きにさせるという話だったろうが」
自分へのそんな突っ込みを経て、名残惜しそうにもそもそとその膝から腰を下ろすのでした。
そして家守さんなり椛さんなりの下への移動――をする前に、何やら考え込むようにしてみせもした成美さんは、
「うむ、ならばよし」
と。
「お前がわたしの代わりに大吾を守れ」
「…………」
ジョン達と一緒にいた猫さんを抱え上げ、本人の承諾を待つこともないまま、その元旦那さんを現旦那さんの膝の上に着地させるのでした。まあ猫さんの場合、返事がないということはつまり承諾したということになるんでしょうけどね。
で、それを見て苦笑いを浮かべるのは家守さん。
「あー、まだアタシらがだいちゃん襲うと思ってるんだ?」
「ふん、やはり襲ったという認識なのではないか。――わたしの身体は一つだからな。お前達二人のうち止められるのが一人だけである以上、こうするしかあるまい」
愛されてるなあ、大吾。
「キシシ、大丈夫大丈夫。大好きななっちゃん怒らせてまでそんなことしないよ、安心して椛に抱っこされてて頂戴ね」
反撃、ということになるのでしょうか? 家守さんの意図がどうあればっちりしてやられてしまったらしい成美さんは、数瞬ほど返答に詰まったのち、「で、椛が先でいいのか?」とたどたどしく。
「うん。そもそも、なっちゃん抱っこしたいって言ったの椛だし」
「む、そういえばそうだったか」
確かにそう言ったのは椛さんですが、大吾に向けていたちょっかいのターゲットを最初に成美さんに移そうとしたのは家守さんだったような……いやまあ、丸く収まるならそれでいいですけど。
「では椛、いつでもいいぞ。……と、そうだそうだ」
丸く収まった成美さんは、ならば今度は椛さんの腕の中へ収まりに行くわけですが、しかし何か思い付くことがあったらしく、その直前でストップ。
「ん? 何かご注文でも?」
腕を広げて受け入れ態勢だった椛さんは肩透かしを食らってしまうことになったわけですが、しかし続けてそうも言う頃には、心なしか胸を張っているようにも。ならばそれに対して成美さんは、「いや、そうではなくてな」と。そして、
「断じて胸をどうしろという話でもなくてな」
とも。まあそうですよね。
「抱かれるのはまあいいのだが、あまりじたばたしたりされたりはできないな、とな」
「んん?……ああ」
成美さんが何を言っているのか一瞬分からなかったらしい椛さんでしたが――と言っている僕も同様ではあったのですが――しかしどうやらその後すぐに察せられたらしく、視線を下へと。
「そうやって見下ろしてみたところで、お前からは胸しか見えていないのだろうがな」
「おや。ふふふ、言ってくれるねえ」
色々と克服したからといってやたらめったらそこに話を絡めることもないとは思いますが、ということでそれはともかく、それが何の話かというともちろん椛さんのお腹の話――お腹の中の、赤ちゃんの話です。
「そういうことだから、くれぐれもお手柔らかに頼むぞ」
「もちろんですとも。つまりは――」
「ぐおっ!?」
「こうすれば問題ないわけだよね?」
お腹に負担を掛けないように、ということであれば、他の部分で受け止めればよいのです。というわけで椛さんが選んだ「他の部分」というのがどこだったかというのは敢えて、というかわざわざ語らないではおきますけどね。
「いやー、あったかいしふわっふわだし、癒されるねえやっぱりさあ」
その言葉通りに今にも溶けだしそうな表情を浮かべながら、抱き込んだ成美さんの感触を堪能する椛さん。それがどれだけ気持ちいいものなのかは僕も知らないところではない――のですが、しかしどうしてもその点だけを見てはいられないというのは、男の性というやつなんでしょうね。
この時栞が椛さんと成美さんの様子に目を奪われていたのは、不幸中の幸い、といったところなのでしょう。いやどこにも不幸なんて発生していないような気もしますけど。
「ふもも……! へめへはもはははへほ……!」
「せめて顔は出させろって言ってますよ椛サン」
つまり成美さんの顔はどこにどうなっているのか、というのは置いておきまして。
お腹のこともあってか抵抗はしない成美さんでしたが、それでもどうやら抗議の声は上げていたようなのでした。よく聞き取れるね大吾。
「おっと失礼。うん、じゃあこれでどうかな」
腰を屈めまでしてその状態へ持っていっておきながら失礼も何もあったものではないと思いますが、ともあれ椛さんはその屈めていた腰をまっすぐにし、直立した姿勢で再度成美さんを抱き留め直すのでした。
で、そうなると成美さんの顔はどこの高さに来るのかというと、
「これでは、さっき言っていたことの真逆になってしまっているような……」
丁度椛さんのお腹の辺りなのでした。
「いやいや、だからこそお互い気を付けられるってもんだよ。それに、なるみんにもご挨拶させておきたいしね」
「別に今まで一度もしてこなかったわけではないだろうに。――ふふ、まあ、して欲しいというなら何度でもしてやるがな」
結局のところ成美さんも乗り気であるらしく、自分から椛さんのお腹へ耳を押し当てに行くのでした。
じたばたしたりされたりはできない、と言っていた成美さんですが、しかしそれを考慮するまでもなく、ここから暫くは動きを見せないことでしょう。それでもこちらとしては、見ていて飽きるようなものではないわけですが。
といったところで、
「さて、じゃあアタシはこっちで」
家守さんも動きを見せ始めるのでした。そしてその「こっち」とはどうやら四人の友人を指していたらしく、
「おっかえりぃ」
「ええ、ただいま」
そのまま髪が長い女性に抱き付く家守さん。顔を埋めに掛からないだけ椛さんより優しい……ということになるんでしょうか?
「おかえり」
「ただいま……」
その後、続けざまにそうして髪が短い女性にも抱き付く家守さんだったのですが、するとそこで顔色が変わってくるのは残る男性二人です。
「まさかとは思うけど家守ちゃん、僕達にはしないよね?」
「見た目通りの年齢ならまだしも、ねえ」
えー、まあ、そういうことにもなってきますよねやっぱり。
「おや、見た目と違っていいおっさんなのにウブなことで」
そんなふうに言いながら既に腕を広げて待ち構えている家守さんは、しかしというかやはりというか、いつものあの笑みを浮かべているのでした。それさえなければまだ、友人同士のスキンシップで済ませられる範囲でしょうにね。
……というふうに考えてしまうのは、僕自身何度かそうされた経験があるからだったりするんですけどね。真面目な話の後だったり栞も一緒だったりしたこともあって、今のような話には繋がらなかったわけですが。
翻って、そういう「使い分け」ができる人だというのが家守さんの魅力でもあり――と、今がそれに値する場面なのかどうかは微妙なところなので、あまり言わないでおきますが。
というわけで、それはともかく。
「まあ、家守ちゃんに任せるけどさ」
「そうなるよね、結局」
ウブと言われたことに対抗して、ということではないのでしょうが、二人とも最終的には家守さんの判断に従うつもりのようなのでした。その辺りは僕達と同じだなあ、なんて親近感を持ってしまうのは、果たして妥当なのか否か。
「キシシ、ではお言葉に甘えて」
ともあれ、許可を得たのであれば遠慮はしない家守さん。広げた腕で抱き込んだのは、一人ずつではなく二人同時に、なのでした。
「おかえり」
「うん、ただいま」
「ところでこの『おかえり』『ただいま』っていうのは?」
家守さんの友人である以上はこういうことにも慣れている筈で、ならば照れ臭さから話を逸らしたというわけでもないのでしょうが――なんてふうに思ったところで、でもそういえば彼は最近まで、というか今日の今日までその家守さんと仲違いをしていたんですよね、と。
それでも、「だから慣れてはいないだろう」とはどうしても思えないほど強烈だというのが、僕の中での家守さん像だったりするんですけどね。いや、さすがに失礼かもしれませんけど。
で、抱かれ終えた後ならともかく抱かれている最中に質問を投げ掛けた背の高い男性に対し、ならば家守さんは同じく彼、というか彼らを抱いたまま、「まあまあ」とだけ。
単なるスキンシップであるならそう言っていることでしょうし、であればつまり、そうして濁すような何かがある、ということになるんでしょうか? とは言ってもここまでにあったことといえば大吾が困らされてたことくらいですし、もう少し遡って彼ら側の話をするにしても、僕と栞を交えて廊下で話をしていただけですが。
じゃあやっぱり特に何もないのかな――と、そう結論付けてみたところ、しかし。
「はい、しぃちゃんとこーちゃんも」
続けてこちらにも腕を広げてみせる家守さんなのでした。
「……なんで僕達だけ、自分からそっちに行かせてもらう感じに?」
ではなくて。
「というか、僕達もですか?」
「もちろんだとも。いくらアタシでも何の脈絡もなくこんなことしないし、その脈絡にはこーちゃん達も関わってるわけだし」
…………。
と、いうことは?
「ほらほら孝さん、待たせちゃ悪いし」
「あ、ああうん」
と急かす栞につい勢いで頷いてしまいましたが、しかし最初に気にしてみせた通り、こちらからあちらの腕の中に収まりに行くというのは、中々に勇気がいることなのです。栞が一緒だというのはせめてもの救いなのかもしれませんが……いや、救いになるのかどうか正直よく分かりませんけど。
何にせよ頷いてはしまったわけですし、それに恥ずかしくはあれど嫌だというわけでもなし、ということで栞に半歩遅れてぐっと抱き締められたところ、
「ごめんね、我儘言って」
家守さんは小さくそんなふうに。そしてそのまま僕の肩と栞の肩の隙間に顔を埋めもしながら、
「友達の友達は友達って言うけど、友達が友達の友達っていうのは、じゃあどう扱うべき情報なんだろうね?」
とも。つまり、そんなふうに言いはしながらも既に扱い方を明確にさせながら。
「ああ、まだ友達って程じゃない、なんて言っても無駄だからね? アタシが勝手にそう思っとくだけだから」
続けて囁いてきたその言葉で家守さんが僕達に期待したのは、苦笑いを浮かべる様だったのかもしれません。
が、しかしそうはならないのでした。
自分が勝手にそう思っておくだけ。僕達がついさっきまで廊下でしていたのは、要約すればそういうことになる話だったんですしね。既に真面目な顔をして語っていたものを、後から出てきた時に苦笑いで受け止める、なんてことはそりゃあ起こりようがないでしょう。
というわけでこちらからは何を返すでもなく、ただ黙って抱擁を受け続けるのみだったのですが――家守さんの頭越しに視線を合わせることになった栞はしかし、まるで自分のことのように嬉しそうにしていたのでした。
ならば恐らく僕だって同じようなことになっているんでしょうし、そして僕と栞のそれがこうまで密着している家守さんに伝わっていない道理はないでしょう。だから僕と栞は引き続き、家守さんが自分から抱擁を解くまで、ただじっとしているのでした。
……十秒程でしょうか。単なる経過時間としてはほんの僅かながら、「抱かれながらただじっとしている」時間としては程々に長く感じられたりもするくらいに待ったところで、家守さんはゆっくりと顔を上げました。
「良い抱き心地になってきたねえ、二人とも」
一人ずつそれを確かめたというならともかく、二人同時にだとあれやこれや齟齬が出てきてしまうのでは――などという突っ込みは、やはり野暮ということになってしまうのでしょう。というわけで家守さん、満足した様子で僕と栞を解放するのでした。
「成美ちゃんと高次さんにはどうやったって敵わないんでしょうけどね」
栞は栞で同じく満足そうにそう返してみせるのですが……ううむ、それは確かにそうなんでしょうね、やっぱり。
で、家守さんとしてもそれは否定のしようがないということなのか、「そりゃまあそうなんだけどさ」と渋々ながらも認めてみせます。が、それに続けてこんなふうにも。
「なっちゃんはもう絶対の存在として、自分の旦那様が比較対象に出てくるってだけでも凄い話だと思うよ? それでなくても新婚ホヤホヤでアッツアツなのに」
せっかくお褒め頂いているところ非常に心苦しいのですが、だったら高次さんも絶対の存在ということにしてあげて頂きたく……なんて、恐らくは家守さんの目論見通りにそんなふうに思わされていたところ、するとここでちょっと離れた位置から声を上げたのは、その新婚ホヤホヤでアッツアツな人でした。
「自分で言ってて恥ずかしくないのか楓。ちなみに俺は恥ずかしい」
「キシシ、もう今日くらいしか言えないんだから言えるうちに言いまくっとけばいいんだよ、こんなのは」
「いやあ、明日以降もちょくちょく言うだろお前なら……」
言うでしょうね。間違いなく。
「まあ、そういう人間だと分かっていながら結婚相手に選んでくれたのは高次さんですし?」
「はっは、それを言われるともうどうしようもないな」
どうしようもない人にそう言われたところ、どうするつもりもない人はそう言って笑うのでした。
ここに残って話をしていたことは知っていた、という口ぶりの庄子ちゃんですが、それはまあ先に控室に戻ったうちの両親や家守さん高次さんに訊けば分かろうというもの。であれば気になるのは、というか気にすべきなのは、「こちらが話をしていると分かっているうえでその帰りを待てなかった」ということでしょう。
となると、どうやらよほど緊急の用事らしいのですが……いや? でも用事という程のことではないんでしたっけ? あれ?
この話をどれくらいの力加減で扱ったものか量るに量れず、なので返事にも詰まってしまうのですが、そこは庄子ちゃんの方から説明をしてくれるのでした。
「兄ちゃんが助けてくれって」
大吾が僕に助けを求めている、とのこと。それだけ聞けばまだ情報としては不足しているということになるのでしょうが、しかし――ううむ、以前にも似た話があったような。
「もみくちゃにされてる?」
「はい、もみもみくちゃくちゃにされちゃってます」
…………。
語感だけの話とはいえ、中学生の女の子が男、それも二回りほども年が離れた相手にさらっと口にするような言葉ではないような……。
しかしその中学生の女の子こと庄子ちゃんとしては、特に何も考えずただの強調表現として音を重ねただけだったのでしょう。なので、後からじわじわとその顔が赤くなってきたりもするのでした。
「庄子ちゃん?」
「あっ、すすすすいません」
せめて何とも思わなかったふりをしましょうそうしましょう。目上――かどうかはともかく、少なくとも年齢では上に当たる人間として、せめてそれくらいは。隣にお嫁さんの目もあることですしね。
「じゃあ、あの、こちらへどうぞ」
「はい、お邪魔します」
公共の場である控室に入るのにそんな遣り取りは不自然だろう、というのは言うまでもなく。これについても後から顔を赤くしたりするのかなあ、なんて思いながら、しかしわざわざそれを確認しに掛かったりはしないよう、エスコートに従って大吾の下へ進み入ることにする僕なのでした。
――で。
「おう、おけーり」
「兄妹揃って……」
「は?」
「いや何でも」
兄妹揃ってここが自分の家であるかのような。
と言ってもそれはそう聞こえるというだけのことであって、二人ともそんなつもりは全くないんでしょうけどね。庄子ちゃんの場合は慌てていた結果ですし、それに大吾についても、助けを求めまでしたなら出迎えがそうなるのも分からないではないですし。
――で、その助けを求める原因となったもみもみくちゃくちゃなのですが。
「助けて欲しい?」
「……いや、これはどうしようもねえんじゃねえかな」
というわけで、助けを求めていたこと自体はどうやら認めるまでもないことだったようですが、しかしその「助けて欲しい事態」に対しては既に降伏してしまっている大吾なのでした。となればこれはもう助けも何もあったものでは、というところなのですが――。
「で、何でこんなことに?」
一般的にもみくちゃという言葉が表すのは、多人数から多発的な接触を受けている状況、ということになると思います。が、しかしいま大吾が落ち入っている状況というのは、「多人数から多発的に」ではなく「一人から継続的に」なのでした。
具体的には、大吾と向き合うようにしてその膝の上に座っている成美さんが、思いっ切りその大吾を抱き締めています。うむ、夫婦仲が宜しいことで。
「なんかまたオマエが出てきた途端に引っ込んじまったんだけど、オレ今の今までみんなからもみくちゃにされててな――なんで笑ってんですか栞サン?」
ああ成程、もみくちゃはもみくちゃだったわけね。ごめんね庄子ちゃん、栞には後で注意しておくからね。
ふるふるしながらも口を押さえ顔を俯かせ、手だけで「お気遣いなく」の意を示した栞に、大吾は怪訝そうな顔をしながらも話を続けます。
「それで庄子がオマエを呼びに行ったんだけど、そこでコイツがな」
そう言って目線を下ろした先には、自身の胸に顔を埋めている奥さんが。
「庄子に気を遣わせるようなことじゃねえってことなんだろうけどな、多分」
そんなふうに言ってみせ、同時にその奥さんの背中をポンポンと叩いてもみせた大吾は、割と満更でもなさそうな笑みを浮かべていたのでした。助けを求めまでしたくせに、とは言いますまい。
「夫の窮状を横で見ていて助けを他の者に任せるなど、妻のすることではないからな」
背中を叩かれたのに反応したのか、今度は成美さんが顔を上げながらそんなふうに。僕が来た途端に収まった、と大吾はそう言っていましたが、しかしこれは成美さんのお手柄と見て間違いはないのでしょう。そりゃあさすがに、お嫁さんが抱き付いているのを無視してもみくちゃし続ける、なんて人はいなかったことでしょうしね。
「もしかしてあたし、余計なことしちゃいました?」
とここで、誇らしげにしている成美さんへ不安そうに尋ねたのは庄子ちゃん。確かに今の話だと、助けを呼びに行った人はそう思わざるを得ないところではあるのでしょうが――。
「まさか。お前はお前で兄の窮状をなんとかしようとしただけだろう? 私と同じではないか」
まあそうなりますよね。特にそれが、成美さんと庄子ちゃんともなれば。
成美さんから見た夫。庄子ちゃんから見た兄。なんだかさっきまで廊下でしていた話を思い起こさせられたりもしないではないのですが――。
「つまり家守姉妹!」
といったところで、成美さんが急激な動きをみせました。
「今お前達は私達姉妹共通の敵ということだ!」
それまで座っていた大吾の足の上で膝立ちになり、大吾の後方に控えているその家守姉妹をびしっと指差す成美さん。そうすることによって椅子代わりの大吾の目の高さには成美さんの胸部が位置することになったのですが――いや、だからどうだというわけではないんですけどね? 単に事実として、です。
で、それはそれとして、そうでしたか。大吾をもみくちゃにしていたのはそのお二人だったんですか。椛さんはともかく家守さんなんかついさっき控室に戻ったばかりだというのに、なんとまあ行動的でいらっしゃることで。
「二人とも連れ合いがいるくせに人の旦那にもにゅんもにゅんちょっかい出してくれおって……!」
何ですかその擬音は。羨ましがればいいんですか僕は。
「大丈夫だよなるみん、そういうのは椅子の背もたれに当たってたんだから」
「ねえ。いくらアタシらでもそこまでは」
……ええと、察していいのかどうかは分かりませんがお話から察してみるに、つまりは家守さんと椛さんが、椅子に座っている大吾の背後方向からあれやこれやをしていたと。だから「もにゅんもにゅん」の正体は大吾でなく椅子の背もたれに当たっていたと、そういうことでいいんでしょうか?
というわけで、「『もにゅんもにゅん』というのは大吾の頬を捏ね繰り回しでもした様子を表す擬音だったのかも」なんて淡い希望は、生まれるよりも先に叩き潰されていたのでした。
「あ、でもなっちゃん相手ならそんなに問題にもならないかな?」
「な、なにい? わたしか?」
「そうだねえ、女同士ならねえ」
問題ないというのであればせめて厭らしそうな笑みを引っ込めてからにした方が、と思わなくはないのですが、しかしそう思った途端にそれを引っ込めながら――それでも若干手遅れのような気はしますが――椛さんはこんなふうにも。
「そういう話抜きにしても、久しぶりになるみん抱っこしたいしね。ちょっと前まではあんまりいい顔されなかったけど、そろそろそうでもないみたいだし」
「むう……確かに、わたし自身と比べてという話であれば、それはまあ――」
「成美ストップ、多分その話オレに飛び火する」
椛さんに成美さん、そして大吾。それぞれが何を言わんとしているのかは、想像するだけに留めておきましょう。僕は一応、大吾を助けるためにここに来たわけですしね。まあ僕がそうしたところで、周囲からは抑え切れない笑いが漏れ出してきていたりもするわけですが。
で、それはともかく。大吾を助けるために抱き付いていた成美さんもそんな僕と同様……いや僕よりよっぽどその意識が高かったところではあるんでしょうし、ならば大吾の制止には逆に頷きすらしないまま、
「よし分かった。もう大吾にちょっかいを出さないと約束するのであれば、わたしのことは好きにしていいぞ」
と。なんだか貴い自己犠牲のシーンみたいになっちゃってますが、しかしその時の成美さんの表情は、悲壮なものどころかむしろ期待のそれを滲み出しているのでした。そうですか、憂いさえ除けられればそういう顔が出来ちゃうほどですか、もう。
自分に飛び火すると言っていた大吾ですが、同じ男としてはその火を称賛したいところなのでした。いや本当に。
「愛されてるなあ、兄ちゃん」
…………。
あ、僕のこと言ってるんじゃないですよね。そりゃそうですよね、成美さんがっていう話ですよねそりゃあ。
「さらっと愛とか言うなよ恥ずかしいだろ兄として」
「そっ!――こは、普通に照れるだけにしといてよ。こっちまで恥ずかしいじゃん、そんなふうに言われたら」
「これくらい付き合えよ、オレなんかずっと恥ずかしい目に遭ってんだぞ」
と言われると庄子ちゃん、それ以上は何も言わないのでした。いつもなら大吾が折れるまで反論するところでしょうが、果たしてそれは人前だからなのかそれとも他にも何かあるのか。
などとにやにやさせてもらっていたところ、そちらが済んだら今度は、ということなのか、大吾は再度成美さんの背中をぽんぽんと。
「ほらオマエも、そろそろ降りるかせめて座ってくれ」
「む、済まん」
というような遣り取りを経て成美さんが取った行動は、大吾の言う「せめて」の方――だったのですが、しかし。
「いやいや、家守と椛に好きにさせるという話だったろうが」
自分へのそんな突っ込みを経て、名残惜しそうにもそもそとその膝から腰を下ろすのでした。
そして家守さんなり椛さんなりの下への移動――をする前に、何やら考え込むようにしてみせもした成美さんは、
「うむ、ならばよし」
と。
「お前がわたしの代わりに大吾を守れ」
「…………」
ジョン達と一緒にいた猫さんを抱え上げ、本人の承諾を待つこともないまま、その元旦那さんを現旦那さんの膝の上に着地させるのでした。まあ猫さんの場合、返事がないということはつまり承諾したということになるんでしょうけどね。
で、それを見て苦笑いを浮かべるのは家守さん。
「あー、まだアタシらがだいちゃん襲うと思ってるんだ?」
「ふん、やはり襲ったという認識なのではないか。――わたしの身体は一つだからな。お前達二人のうち止められるのが一人だけである以上、こうするしかあるまい」
愛されてるなあ、大吾。
「キシシ、大丈夫大丈夫。大好きななっちゃん怒らせてまでそんなことしないよ、安心して椛に抱っこされてて頂戴ね」
反撃、ということになるのでしょうか? 家守さんの意図がどうあればっちりしてやられてしまったらしい成美さんは、数瞬ほど返答に詰まったのち、「で、椛が先でいいのか?」とたどたどしく。
「うん。そもそも、なっちゃん抱っこしたいって言ったの椛だし」
「む、そういえばそうだったか」
確かにそう言ったのは椛さんですが、大吾に向けていたちょっかいのターゲットを最初に成美さんに移そうとしたのは家守さんだったような……いやまあ、丸く収まるならそれでいいですけど。
「では椛、いつでもいいぞ。……と、そうだそうだ」
丸く収まった成美さんは、ならば今度は椛さんの腕の中へ収まりに行くわけですが、しかし何か思い付くことがあったらしく、その直前でストップ。
「ん? 何かご注文でも?」
腕を広げて受け入れ態勢だった椛さんは肩透かしを食らってしまうことになったわけですが、しかし続けてそうも言う頃には、心なしか胸を張っているようにも。ならばそれに対して成美さんは、「いや、そうではなくてな」と。そして、
「断じて胸をどうしろという話でもなくてな」
とも。まあそうですよね。
「抱かれるのはまあいいのだが、あまりじたばたしたりされたりはできないな、とな」
「んん?……ああ」
成美さんが何を言っているのか一瞬分からなかったらしい椛さんでしたが――と言っている僕も同様ではあったのですが――しかしどうやらその後すぐに察せられたらしく、視線を下へと。
「そうやって見下ろしてみたところで、お前からは胸しか見えていないのだろうがな」
「おや。ふふふ、言ってくれるねえ」
色々と克服したからといってやたらめったらそこに話を絡めることもないとは思いますが、ということでそれはともかく、それが何の話かというともちろん椛さんのお腹の話――お腹の中の、赤ちゃんの話です。
「そういうことだから、くれぐれもお手柔らかに頼むぞ」
「もちろんですとも。つまりは――」
「ぐおっ!?」
「こうすれば問題ないわけだよね?」
お腹に負担を掛けないように、ということであれば、他の部分で受け止めればよいのです。というわけで椛さんが選んだ「他の部分」というのがどこだったかというのは敢えて、というかわざわざ語らないではおきますけどね。
「いやー、あったかいしふわっふわだし、癒されるねえやっぱりさあ」
その言葉通りに今にも溶けだしそうな表情を浮かべながら、抱き込んだ成美さんの感触を堪能する椛さん。それがどれだけ気持ちいいものなのかは僕も知らないところではない――のですが、しかしどうしてもその点だけを見てはいられないというのは、男の性というやつなんでしょうね。
この時栞が椛さんと成美さんの様子に目を奪われていたのは、不幸中の幸い、といったところなのでしょう。いやどこにも不幸なんて発生していないような気もしますけど。
「ふもも……! へめへはもはははへほ……!」
「せめて顔は出させろって言ってますよ椛サン」
つまり成美さんの顔はどこにどうなっているのか、というのは置いておきまして。
お腹のこともあってか抵抗はしない成美さんでしたが、それでもどうやら抗議の声は上げていたようなのでした。よく聞き取れるね大吾。
「おっと失礼。うん、じゃあこれでどうかな」
腰を屈めまでしてその状態へ持っていっておきながら失礼も何もあったものではないと思いますが、ともあれ椛さんはその屈めていた腰をまっすぐにし、直立した姿勢で再度成美さんを抱き留め直すのでした。
で、そうなると成美さんの顔はどこの高さに来るのかというと、
「これでは、さっき言っていたことの真逆になってしまっているような……」
丁度椛さんのお腹の辺りなのでした。
「いやいや、だからこそお互い気を付けられるってもんだよ。それに、なるみんにもご挨拶させておきたいしね」
「別に今まで一度もしてこなかったわけではないだろうに。――ふふ、まあ、して欲しいというなら何度でもしてやるがな」
結局のところ成美さんも乗り気であるらしく、自分から椛さんのお腹へ耳を押し当てに行くのでした。
じたばたしたりされたりはできない、と言っていた成美さんですが、しかしそれを考慮するまでもなく、ここから暫くは動きを見せないことでしょう。それでもこちらとしては、見ていて飽きるようなものではないわけですが。
といったところで、
「さて、じゃあアタシはこっちで」
家守さんも動きを見せ始めるのでした。そしてその「こっち」とはどうやら四人の友人を指していたらしく、
「おっかえりぃ」
「ええ、ただいま」
そのまま髪が長い女性に抱き付く家守さん。顔を埋めに掛からないだけ椛さんより優しい……ということになるんでしょうか?
「おかえり」
「ただいま……」
その後、続けざまにそうして髪が短い女性にも抱き付く家守さんだったのですが、するとそこで顔色が変わってくるのは残る男性二人です。
「まさかとは思うけど家守ちゃん、僕達にはしないよね?」
「見た目通りの年齢ならまだしも、ねえ」
えー、まあ、そういうことにもなってきますよねやっぱり。
「おや、見た目と違っていいおっさんなのにウブなことで」
そんなふうに言いながら既に腕を広げて待ち構えている家守さんは、しかしというかやはりというか、いつものあの笑みを浮かべているのでした。それさえなければまだ、友人同士のスキンシップで済ませられる範囲でしょうにね。
……というふうに考えてしまうのは、僕自身何度かそうされた経験があるからだったりするんですけどね。真面目な話の後だったり栞も一緒だったりしたこともあって、今のような話には繋がらなかったわけですが。
翻って、そういう「使い分け」ができる人だというのが家守さんの魅力でもあり――と、今がそれに値する場面なのかどうかは微妙なところなので、あまり言わないでおきますが。
というわけで、それはともかく。
「まあ、家守ちゃんに任せるけどさ」
「そうなるよね、結局」
ウブと言われたことに対抗して、ということではないのでしょうが、二人とも最終的には家守さんの判断に従うつもりのようなのでした。その辺りは僕達と同じだなあ、なんて親近感を持ってしまうのは、果たして妥当なのか否か。
「キシシ、ではお言葉に甘えて」
ともあれ、許可を得たのであれば遠慮はしない家守さん。広げた腕で抱き込んだのは、一人ずつではなく二人同時に、なのでした。
「おかえり」
「うん、ただいま」
「ところでこの『おかえり』『ただいま』っていうのは?」
家守さんの友人である以上はこういうことにも慣れている筈で、ならば照れ臭さから話を逸らしたというわけでもないのでしょうが――なんてふうに思ったところで、でもそういえば彼は最近まで、というか今日の今日までその家守さんと仲違いをしていたんですよね、と。
それでも、「だから慣れてはいないだろう」とはどうしても思えないほど強烈だというのが、僕の中での家守さん像だったりするんですけどね。いや、さすがに失礼かもしれませんけど。
で、抱かれ終えた後ならともかく抱かれている最中に質問を投げ掛けた背の高い男性に対し、ならば家守さんは同じく彼、というか彼らを抱いたまま、「まあまあ」とだけ。
単なるスキンシップであるならそう言っていることでしょうし、であればつまり、そうして濁すような何かがある、ということになるんでしょうか? とは言ってもここまでにあったことといえば大吾が困らされてたことくらいですし、もう少し遡って彼ら側の話をするにしても、僕と栞を交えて廊下で話をしていただけですが。
じゃあやっぱり特に何もないのかな――と、そう結論付けてみたところ、しかし。
「はい、しぃちゃんとこーちゃんも」
続けてこちらにも腕を広げてみせる家守さんなのでした。
「……なんで僕達だけ、自分からそっちに行かせてもらう感じに?」
ではなくて。
「というか、僕達もですか?」
「もちろんだとも。いくらアタシでも何の脈絡もなくこんなことしないし、その脈絡にはこーちゃん達も関わってるわけだし」
…………。
と、いうことは?
「ほらほら孝さん、待たせちゃ悪いし」
「あ、ああうん」
と急かす栞につい勢いで頷いてしまいましたが、しかし最初に気にしてみせた通り、こちらからあちらの腕の中に収まりに行くというのは、中々に勇気がいることなのです。栞が一緒だというのはせめてもの救いなのかもしれませんが……いや、救いになるのかどうか正直よく分かりませんけど。
何にせよ頷いてはしまったわけですし、それに恥ずかしくはあれど嫌だというわけでもなし、ということで栞に半歩遅れてぐっと抱き締められたところ、
「ごめんね、我儘言って」
家守さんは小さくそんなふうに。そしてそのまま僕の肩と栞の肩の隙間に顔を埋めもしながら、
「友達の友達は友達って言うけど、友達が友達の友達っていうのは、じゃあどう扱うべき情報なんだろうね?」
とも。つまり、そんなふうに言いはしながらも既に扱い方を明確にさせながら。
「ああ、まだ友達って程じゃない、なんて言っても無駄だからね? アタシが勝手にそう思っとくだけだから」
続けて囁いてきたその言葉で家守さんが僕達に期待したのは、苦笑いを浮かべる様だったのかもしれません。
が、しかしそうはならないのでした。
自分が勝手にそう思っておくだけ。僕達がついさっきまで廊下でしていたのは、要約すればそういうことになる話だったんですしね。既に真面目な顔をして語っていたものを、後から出てきた時に苦笑いで受け止める、なんてことはそりゃあ起こりようがないでしょう。
というわけでこちらからは何を返すでもなく、ただ黙って抱擁を受け続けるのみだったのですが――家守さんの頭越しに視線を合わせることになった栞はしかし、まるで自分のことのように嬉しそうにしていたのでした。
ならば恐らく僕だって同じようなことになっているんでしょうし、そして僕と栞のそれがこうまで密着している家守さんに伝わっていない道理はないでしょう。だから僕と栞は引き続き、家守さんが自分から抱擁を解くまで、ただじっとしているのでした。
……十秒程でしょうか。単なる経過時間としてはほんの僅かながら、「抱かれながらただじっとしている」時間としては程々に長く感じられたりもするくらいに待ったところで、家守さんはゆっくりと顔を上げました。
「良い抱き心地になってきたねえ、二人とも」
一人ずつそれを確かめたというならともかく、二人同時にだとあれやこれや齟齬が出てきてしまうのでは――などという突っ込みは、やはり野暮ということになってしまうのでしょう。というわけで家守さん、満足した様子で僕と栞を解放するのでした。
「成美ちゃんと高次さんにはどうやったって敵わないんでしょうけどね」
栞は栞で同じく満足そうにそう返してみせるのですが……ううむ、それは確かにそうなんでしょうね、やっぱり。
で、家守さんとしてもそれは否定のしようがないということなのか、「そりゃまあそうなんだけどさ」と渋々ながらも認めてみせます。が、それに続けてこんなふうにも。
「なっちゃんはもう絶対の存在として、自分の旦那様が比較対象に出てくるってだけでも凄い話だと思うよ? それでなくても新婚ホヤホヤでアッツアツなのに」
せっかくお褒め頂いているところ非常に心苦しいのですが、だったら高次さんも絶対の存在ということにしてあげて頂きたく……なんて、恐らくは家守さんの目論見通りにそんなふうに思わされていたところ、するとここでちょっと離れた位置から声を上げたのは、その新婚ホヤホヤでアッツアツな人でした。
「自分で言ってて恥ずかしくないのか楓。ちなみに俺は恥ずかしい」
「キシシ、もう今日くらいしか言えないんだから言えるうちに言いまくっとけばいいんだよ、こんなのは」
「いやあ、明日以降もちょくちょく言うだろお前なら……」
言うでしょうね。間違いなく。
「まあ、そういう人間だと分かっていながら結婚相手に選んでくれたのは高次さんですし?」
「はっは、それを言われるともうどうしようもないな」
どうしようもない人にそう言われたところ、どうするつもりもない人はそう言って笑うのでした。
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