(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第三十二章 おめでたいこと 八

2010-02-16 21:05:33 | 新転地はお化け屋敷
 確かに、子どもを持った経験があるのとないのとでは大違いなのでしょう。
 養子の話以前に自分達の子どもという存在自体を上手く想像できない僕(話をした限りでは、栞さんも)とは違い、想像どころか既に得ている成美さんが、しかしそれでも僕達と同じく「考えたことがなかった」と。
 結論は同じ。しかし、過程が同じであるわけがないのです。例えば――もちろんこれは僕の想像でしかないんですけど――僕達は、養子を迎えるという発想に至れなかったわけです。成美さんも、至らなかったという結果は同じですが、しかし至れなかったというわけではないんじゃないでしょうか?
 想像ゆえの無責任な言い方になってしまいますが、子どもがいたという記憶から話を展開していけば、養子のことを思い付くのも可能だったろうなと思うのです。「もう一度子どもを得るとしたら」とか。
「日向。もしかしたら、わたしもお前から料理を習うようなことになるかもしれんな」
 からかうような口調でそう言い、成美さんは笑いました。話が飛んだようにも思えましたが、しかしそんな思いが口から出る前に意図を掴むことができ、なので、
「もしそうなったら遠慮なく言ってください」
 と笑い返すことができました。
 するとそこで栞さん、「えっと……?」と、僕が直前で撤回した戸惑いを引き継いだかのように、こちらと成美さんとの間で視線を往復させました。
 成美さん、ふっと息を漏らしてからそれに答えます。
「人間の子どもを迎えるとなれば、人間の親としてそれくらいのことはできてしかるべきだろう? 食事をする必要がないとは言っても、食事をしないというわけではないのだし」
「あ、そういうことか。――うん、そうだね」
「まあ、あくまで『もしそうなったら』の話だがな」
 最後の一言にはいろいろと重いものが込められているように思いますが、成美さんは笑顔のままでした。ならばそこに感心せずにはいられないわけですが、しかしそこから連想してしまうことがあったりします。
 成美さんは凄いなあ。
 事情に差異はあれども栞さんも同じような感じだし、女性は凄いなあ。
 ――というわけで、それに比べて男性は、と。
「もしわたしがその気になったとしても、だからと言ってわたしの判断だけで決まることでもないのだし」
 僕が勝手に気恥ずかしくなっている間にも、成美さんの話は続きます。
 成美さんの判断だけで決まることではない。それは言うまでもなく、大吾の判断も合わせて考えるということなのでしょう。
「そういえば大吾、あれはどういう意味だったのだ?」
 話の流れから意識が大吾に向いたところで、成美さんは何か思い出すことがあったようです。
「あれ? って、何だよ?」
「ほら、『わたしがこうだから』っていう。家守が養子の話を今すぐしていいものか悩んだと言っていた時、高次に返事を促されてそう言っていただろう?」
 力強い女性二人に比べて男性二人は、という話。
 噂をすれば何とやらです。噂すらしてませんけど。
「……どういう意味も何も、言ったまんまの意味だよ」
「そう言われてもなあ。『こうだった』とだけ言われても、わたしの何がどう『こうだった』のか分からんぞ。それに、どうしてそれでお前がしょんぼりしていたのかも」
 確かにあの時、成美さんは大吾の言葉に首を傾げていました。僕や大吾からすれば「皆まで言わずとも理解してください」ってなもんですが、なかなかそうもいかないようです。
 ところであの時、返事をしたのは大吾だけでなく、同様に首を傾げたのは成美さんだけではありませんでした。
「孝一くんも同じこと言ってたよね?」
「……言いましたねえ」
 101号室の時とは違って当事者以外の進行役がいるわけではなく、ならばこうなってしまえば、逃げ場はありません。ああだこうだと話を先延ばしにしたところで、次の話題は提供されないのです。
 観念するしか、ないようでした。
「大吾も同じだと思いますけど、栞さんと成美さんが子どもについての話にあんまり前向きなんで、僕達はそれに合わせざるを得なかったってことです。しょんぼりしてたっていうのは……情けないじゃないですか、やっぱり」
 言い終えて、直後にあははと小さく笑ったりもしてみましたが、まあ見事に引きつっていたことでしょう。しかも栞さんは全く笑ってくれなかったので、そんな小さな笑いすらすぐにしぼんで消えてしまいました。
「順番が違うと思う」
 栞さんは言いました。
「同感だ」
 成美さんも言いました。
 そりゃあ僕と大吾が同じ気持ちだったという体で話しましたが、だからと言って二人にそこまで息を合わせられると、これまた辛いです。
「私達が前向きだから孝一くん達がそれに合わせてるんじゃなくて、孝一くん達がいてくれるから私達も前向きになれるんだよ?」
「その通りだ。それを情けないなどと言われては、こちらとしてはむしろ気分が悪いぞ」
「うんうん」
 どうやら、ご不興を買ってしまったようです。そんなつもりじゃなかった――というのは、そりゃ当り前なんですけども。
「んなこと言われてもなあ。オレは――それに多分孝一も、言っちゃ悪いけど、そういう話についてはそこまで深刻に考えられてねえぞ? なんつーか、どっか他人事みてえに思ってるとこあるし」
 まさに「言っちゃ悪いけど」な話なのですが、そうなのです。僕も大吾も好きな女性と付き合い始めたばかりという状況なのであって、そこへ子どもがどうこうという話が顔を覗かせても、まだまだ現実味を感じることができないのです。
「それは私だってそうだよ」
 栞さんはそう言いました。
「そうなるであろうことぐらいは、わたしも把握しているさ」
 成美さんはそう言いました。
 方向性は似たような返事でしたが、中身は違っているようです。栞さんは僕や大吾と同じであると言い、成美さんは僕や大吾がそう思っているのは知ってのうえだと。
「しかし、深刻ではなくとも、真剣ではあるだろう? その真剣さが将来の自分でなく、現在のわたし達に向けられているとしても、だ」
 ものは言いようだという気がしないでもないですが、しかし確かにその通り。現実味を感じることができないとは思いつつ、なのに話自体は真剣にしているのです。
 否定できず、そもそもそれ以前に否定してはいけないであろう部分を持ち出されて、僕と大吾はむっと口を尖らせるのでした。言われていることからすれば褒められている筈ではあるのですが、我ながら何とも奇妙なものです。
「それとも、孝一くんも大吾くんも、私と成美ちゃんは誰とでもああいう話をすると思ってたりする?」
「いえ、さすがにそこまでは……」
「でしょ? それって言い方を変えたら、『孝一くんと大吾くんだから話せる』ってことになるよね?」
 ぐうの音も出ませんでした。まさかここで「家守さんや高次さんとも話してますよね?」なんて揚げ足取りの屁理屈をこねるわけにもいかず、ではその家守さんと高次さんを除けば、僕と大吾しか残らないのです。
「自覚を持って助けてくれる時は物凄く強気なのに、自覚がないことについては物凄く弱気なんだね、孝一くんって」
 割と、どころかかなり胸にグサリと来る一言でしたが、それに続けて「それはそれで凄いことだと思うけどね」と言った時の栞さんは、にっこりと頬を緩ませているのでした。
 落ち込めばいいのか喜べばいいのか難しいところでしたが、内心でホッとしたのは事実です。まあ、少なくとも今のままじゃ駄目だろうってことははっきりしてますけど。
「大吾もだぞ。自覚のあるなしにまで噛み付くつもりはないが、わたしがお前の想像以上にお前を頼りにしていることは、知っておいてくれよ?」
「分かったよ」
「うむ。そして無論、逆も然りだ。お前からもどんどんわたしを頼りにしてくれ」
「そっちの自覚はしっかりあるんだけどな、今でも」
 というわけで、大吾と成美さんのほうも笑顔で話を終えました。一応、めでたしめでたしと言って差し支えはないでしょう。
 するとその時、ぽつりと小さな呟きが。
「若いな」
 猫さんでした。誰の何がどう若いと思ったのか、そもそも「若い」という言葉が何を表現しているのかは分かりませんでしたが、しかし猫さんの呟きはその一言だけ。それ以上の説明はありませんでした。
「そりゃもう実際に若いからなあ。……言われてみれば、わたしとお前でも同じようなことがあったか?」
「あったとも。むしろお前は酷いほうだったんじゃないか? かなり落ち込んで、そこから立ち直らせるのに丸一日掛かった記憶があるぞ」
 というのは、つまり成美さんが僕や大吾と同じような状況に立ったということでしょうか? そうでなければ落ち込む側に立つこともないでしょうし。
 ――それはともかく、丸一日ってどうなんですか成美さん。
「ふん、忘れたなそんなこと」
「いや、今思い出しかかってたとこだろオマエ。『同じようなことがあったか?』とか言って」
「あんまり言うとまた落ち込むぞ。思い出す直前で止めているんだから、忘れているも同然だろう?」
「直前だっつうのを把握できてる時点で、思い出せてるも同然だと思うけどなあ」
 こういう時に限っていちいち的確な大吾の指摘に、成美さんはぷいとそっぽを向いてしまいました。そしてそのまま傍らの猫さんをひょいと抱え上げると、おもむろに立ち上がって栞さんのもとへ。
「喜坂、大吾が意地悪い」
「あはは、私のところで良ければいくらでも」
「うむ、お邪魔させてもらうぞ」
 というわけで成美さん、101号室でそうしていたように、再度栞さんの足の上へ腰を下ろします。
 もちろんそれは冗談交じりの行動で、ならば傍を離れられた大吾も、嫌そうな顔をしているというわけではなかったのですが――。
「文句があるわけではないが、なぜ俺まで」
 一番困惑しているのは、巻き添えで栞さんに抱かれることになった猫さんなのでした。
 それはともかく栞さん、猫を抱くということで。
「ごろごろー」
「おぉおぉおぉ」
 なんと羨ましい光景でしょう。
 ――は、ともかく。それを見て「成美さんも喉をくすぐられると気持ちいいんだろうか?」なんて思ったりも。僕が気にしてもどうにもなりませんけどねこれ。
 ならば、ということでどうにかすることができる相手を考えてみるに、浮かぶのはもちろん栞さん。ご当人が今そうしているように喉をくすぐられると……? って、いやいや。
「なあ、喜坂」
「ん?」
 自分の腕の中でごろごろされている猫さんにはまるで構わず、成美さんが栞さんに話し掛けました。それもただ構わないというだけでなく、どうもその口調に重い空気を孕ませているような気がします。もちろん、それに対する栞さんの相槌はそうでもないようですが。
「話を戻して養子の……いや、もう一つ前の子どもの話なのだが、失礼を承知で訊いてみたいことがあってな」
 そう言われて栞さん、「失礼?」と首を傾げてからほんの少し、言葉を詰まらせます。恐らくはどんな話が出てくるのかを想像したのでしょうが、結局は「まあ、そういうのはあんまり気にしないでよ」とのこと。
 親密さを考えればそういう返事にもなるのでしょうが、しかしそれ以外にも理由は考えられます。
 というのも、そもそもどんな話が来たところで、それはほぼ間違いなく成美さんと栞さんでお互い様なのです。なんせ子どもの話なんですし。
「ありがとう。そういうことなら聞かせてもらうが、その……」
「うん」
 気にしないでいいと言われ、それを受けてもなお尻込みしているらしい成美さんに対し、栞さんは優しく話の先を促しました。
 そこまで気が咎めている様子を見せられると、僕としてはちょっと不安に思う部分も出てきたのですが、どうやら栞さんは全くそんなことはないようです。
「わたしと大吾は、二人ともが幽霊だろう?」
 成美さんの語り出しは、そのようなものでした。
 二人ともが、という言い回し。それが差しているであろう事柄に、ちょっとだった不安が単なる不安にまで成長してしまいます。
「言い方は悪いが、『だから割り切れる』という部分もあると思うのだ。しかし、お前と日向ではそうはならないだろう? だから……凄いなと、思ってな」
 大吾と成美さんは、そのどちらともが幽霊です。子どもの話だということを当て嵌めれば、どちらともが子どもを作れないのです。それを指して成美さんは、だから割り切れている部分もある、と。
 一方の僕と栞さんでは、幽霊なのは栞さんだけです。同じく子どもの話だということを当て嵌めれば、僕だけは子どもを作れるのです。それを指して成美さんは、だから割り切れない部分があるだろう、と。
 単なる不安は、それを通り越して表に出てきてしまいました。もちろん、予想だにしなかったというならともかく、そうでない以上は取り乱したりしませんけど。
 栞さん、「んー」と考えるように唸ってから、成美さんに返事をします。
「もう孝一くんに話してあるからねえ。『そのことが気になるようだったらそれでもいいよ』って」
「それでもいいというのは、つまり――」
「うん、まあ、そういうこと。さすがにそこまでの我儘は言えないからね」
 どうしても子どもが欲しいというのなら、それを押し殺してまで自分に拘らなくてもいい。成美さんも気付いていて、そして気付いていたからこそ言い切れなかったようですが、栞さんが今言った「それでもいい」というのは、そういうことなのです。
 栞さんがそのことを以前僕に話してくれたというのは本当で、そして僕もそれを受け入れ、そのうえで栞さんとの交際を継続しています。
「成美ちゃんが言った通り、孝一くんが幽霊じゃないってことは気になるよ? やっぱり。でも、だから余計に嬉しいって部分もあるし、おあいこかな」
「余計に嬉しい……そうか、それでも日向はお前を選んでいるんだしな」
「あはは、言葉にされちゃうと照れ臭いけどね」
 その言葉の通りに栞さんは照れ臭そうにしていましたが、それはどうやら僕も同じようで、なんとはなしに成美さんから視線を逸らしてしまいました。
 もちろん同じだというのは照れ臭いという部分だけではなく、「だから余計に嬉しい」という部分についても同様です。なんせそれは、子ども云々を捻じ伏せられるほどに栞さんを好いているということの証明に他ならないんですから。
「でもまあ、孝一くんが特別ってことでもないと思うよ? 例えば成美ちゃんと大吾くんが私達と同じ状況になったりしても、結果は同じだろうし」
「それはもちろんそうだろうさ」
 たった今、「どれほど栞さんを好いているか」ということの証明ができる機会を得た僕ですが、しかしそれはあくまで証明に過ぎません。もしこの機会を得られなかったとしても、自分がどれほど栞さんを好いているかということに変化があるわけではなく、となれば当然、実際に機会を得られなかった僕以外の誰かが僕より劣っている、ということにもならないわけです。
 そういうわけで成美さん、自分に対する大吾の気持ちには自信満々なようです。
 なんて思ったその途端、「――いや、『そうであって欲しい』と答えるべきだったか?」と自分の発言を訂正してしまいました。自信はあっても、照れを覆ってしまえるほどではないようです。
 でもまあそれは殆どの人がそうだろうな、なんていろいろ考えながらそれを口に出せない自分を省みつつ思うわけですが、しかしそこへ猫さんから突っ込みが。
「言い方ひとつで何がどうなるというわけでもないだろう?」
 猫さんとしては悪気があったわけではないのでしょうが、しかしその突っ込みに成美さん、不機嫌そうに目を細めます。
「お前まで意地悪いことを言うな」
 大吾に意地悪いことを言われて座る場所を変えたというのが響いているんでしょう、自分が相手を避けるのではなく、今度の成美さんは実力行使に出ました。
「おぉおぉおぉ」
 栞さんにされたのと同じように喉をくすぐられ、猫さんは気持ち良さそうに目を細めます。
 恐らくそれは猫にとって、猫じゃらしにじゃれついてしまうのと同じようにどうしようもない反応なのでしょう。となれば、いくら猫さんが喜んでいるとは言っても、やっぱりそれは実力行使ということになるんでしょう。無理矢理にと言えば無理矢理になんですし。
 ――というような屁理屈はともかく、手段はどうあれ成美さんは猫さんの発言を封じることに成功しました。もちろん傍から見ていれば仲良くじゃれ合っているようにしか見えないのですが、するとそこへ栞さん。
「大吾くんだけじゃなくて、猫さんもなんだろうね。『それはもちろんそうだろうさ』って」
「お前まで言うのか?」
 わざわざ訂正前の言葉を持ってきた栞さんに、成美さんは不機嫌を通り越して困った表情になってしまいました。なんせ今の成美さんは栞さんに抱っこされているわけで、その体勢上、猫さんにしたような手出しは難しいのです。
 とはいえ栞さん、にこにことはしつつもそれ以上は口にせず、総合的に見れば幸せそうな成美さんを抱きながら、幸せそうにしているのでした。

 さて、それからやや時間をおきまして。
 202号室にお呼ばれしたそもそもの理由である子どもについての話は、成美さんが困った表情になるとともに割とすぐ収まったのですが、その後も僕と栞さんはダラダラとお邪魔し続けていました。
 僕はともかくとして、栞さんは成美さんと猫さんを抱いているだけで楽しそうでしたんで、ただ何となく残っていたというのとはちょっと違うような気もしますけど。そして僕もそんな栞さんを眺めているだけで楽しかったので、同じくただ何となく残っていたというのとはちょっと違うような気もしますけど。
 しかしそれにしたって、もう窓の外が暗くなりつつある時間でした。この場に留まる理由のあるなしに関わらず、そろそろお暇したほうがいいのかもしれません。
 部屋に戻るということで、そういえば今日、家守さんと高次さんは夕食に来ないんだっけ、なんて考え始めてみたところ、この部屋のチャイムが鳴らされました。
「はーい」
 大吾が応対に出たのですが、しかし誰がどういう用件で来たのかは、居間に残った僕達でもすぐに分かりました。
「猫さん、まだいるよね? 絵が完成したってさ、せーさん」
「あ、分かりました。すぐ行きます」
 夜にはなるんじゃないかと予想を立てられていましたが、しかしさすがは清さん。まだ夜の一歩手前といったところでした。……もちろん、絵の知識がない集団の適当な予想ではあるんですけどね。
「しぃちゃんとこーちゃんも来てるの? じゃあ折角だし、一緒に来てもらって」
 玄関の履物にでも目がいったのか、室内を覗かないまま僕と栞さんがいることに感付く家守さん。それはまあいいのですが、僕と栞さんに呼ばれる予定がなかったことを表しているような「折角だし」という理由は、意外というか、ほんのちょろっとだけショックです。
 ではそれに対する大吾ですが、
「まあ、ここに来てなかったとしても一緒になるんでしょうけど」
 なるんでしょうけどね。

 というわけで、全員揃って102号室へ移動。僕達を呼びに来た家守さんも一緒のままだったので、101号室に残っているらしい高次さん以外は、みんな揃うことになりました。
「ちょっと急いだ部分もありますけど、どうでしょうか?」
 早速と言わんばかりに持ち出される清さんの絵ですが、どうでしょうかと言われれば、いつもながら素晴らしいの一言です。
 今回の絵はゴムプールで遊ぶ成美さん達が題材となったものなのですが、水中で弾丸のように泳ぐウェンズデーや犬掻きでゆったり浮かんでいる猫さん、普段はもふもふな毛を水気でぺったりさせつつお座りしているジョンに、その頭の上から今まさに飛び込もうとしているナタリーさん、そしてプールの外側にもたれかかっている大吾と、そんな大吾へ水を掛けようと腕を振るった直後の成美さん、というふうに、動と清が混在しているといった印象の絵に仕上がっていました。
 傍からその当時の様子を眺めていた身としては「ただただ賑やかだった」というふうに思っていたのですが、絵になってみるとなんとも違って見えるものなのでした。
 ただまあ、今回清さんが絵を見せようとしているのは猫さんであって、僕なんかはそのおまけです。なのでぱっと浮かんだこのような感想も、先陣を切って答えてしまうのは遠慮してみたのですが、
「おい楽、ちょっといいか?」
 けれど先陣を切ったのは猫さんでなく、成美さんなのでした。
 ともかく、そんなふうに問われれば清さんもそれに答えるのですが、「なんでしょう?」という台詞の前に「んっふっふ」と笑ってみせます。清さんが笑っているのはいつものことなのですが、しかしこのタイミングでというのはちょっと引っ掛かりました。なんと言うかこう、成美さんから質問があることを予期していたふうだと言うか。
「大吾に水が掛かったのは事実だが、これではどう見ても故意に掛けているではないか。掛けたわたしが言うのも何だが、あれは事故だぞ」
 言われてみれば確かにそうだったような気もします。そしてこの絵の中の成美さんは、どう見ても大吾に水を掛ける気満々なのでした。しかも楽しそうな表情で。
「最終的には庄子さんに渡る予定の絵ですから、『事故で濡れてしまった』よりも『遊びの一環として濡れさせられた』というほうが楽しげでいいかと思いまして」
「むむ、それは確かにそうかもしれんが……」
 清さんの立場で考えれば、意味も無しに手を加えたりはしないでしょう。というわけでその意味を伝えられた成美さん、押し切られてしまいそうに。
「だが、ならばそもそも『大吾が濡れてしまった』という事態そのものを省いてしまえばよかったのではないか? ここまでして濡れさせなくてもいいだろう」
 絵の中の大吾は水が掛かる直前なので、厳密に言えばまだ濡れてはいないのですが、しかしそれもごもっともです。
 ところが清さん、またも「んっふっふ」と笑います。
「事態への過程を変えるぐらいのことはあっても、事態そのものを変えてしまうというのは勿体ないですしねえ。絵というのは、その時起こっている事態を切り出せるという一面があるわけですから」
「むう……そういう話を持ち出されてしまったら、もうお手上げだ」
 今ここにある絵がどうだという話でなく、絵というものそれ自体についての話。成美さんは即座にギブアップしてしまいましたが、しかしそれは絵を描かない人ほぼ全てについてもきっと同じなのでしょう。少なくとも僕はそうです。
「その時起こっている事態を切り出す、か。面白いな」
 成美さんが落ち着いたところで、今度は猫さん。今度というか、そもそも猫さんのコメントが本題ではあるんですけどね。
「しかもそこへ――んっふっふ、今話していた水掛けのことのように、絵の描き手が手を加えられるわけですしね。仕上がった絵だけでなく、描いている最中も楽しいですよ」
「なるほど。……器用なことをするものだな、人間は」
「器用さが取り柄だというところはあるでしょうねえ、やっぱり」
 清さんがそれを言うと、なんだか自分が同じ人間であることが勿体ないような気すらしてきますが、まあこんな小話でそこまで大袈裟に自分を蔑むこともないでしょう。


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