(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十一章 前日 一

2011-05-06 20:41:43 | 新転地はお化け屋敷
「いいよいいよ、私がそっち行くから」
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 朝一番からいきなりですが、後悔していることがあります。僕は昨晩、栞さんの部屋に泊まらせてもらいました。ならばもちろん今朝はその栞さんの部屋で目を覚ましたわけですが、ある手抜かりのせいで、いきなり自分の部屋に戻ることになってしまったのです。
「今回は全部任せてもいい? 手伝うのもいいけど、こうくんの手料理が食べたいな」
「いいですよ。とは言っても朝食ですし、そんなに手が込んだものは作れませんけど。時間は問題ないにしても、胃がもたれますし」
「うん、それは全然構わないよ。なんだったらトーストでも……ああ、それはちょっと言い過ぎかな」
 栞さん、今朝は随分とご機嫌なようです。
 というわけでその手抜かりとは、昨晩、翌日の朝食の具材を栞さんの部屋に持ち込まなかったことなのです。そうしたらそうしたで「そこまでしなくても」ってな感じなのでしょうが、後でこうして後悔するよりはマシだったのでしょう。栞さんの部屋で栞さんと朝ご飯。ああ、勿体無い。
 もちろん僕だけが一旦自分の部屋に戻って具材を取ってくるという選択肢もあったのですが、しかしそれは、つい今しがた栞さんからあっさり却下されてしまったのでした。無理を言えば自分の意見を通すことも出来たのでしょうが、こうも期待に胸を膨らませている様子の栞さんに水を差すなど、どうしてできましょうか。
 というわけで、二人一緒に203号室を退室です。
「お邪魔しました、じゃないんですよね」
「うん」
 分かっているのにわざわざそんな甘えたことを言ってみたのは、残念がっている自分の心を強制的に前に向かせるためでした。
 ではその結果ですが、気分を良くしている栞さんは甘えられたなら甘えられたなりの笑顔を見せてくれ、そのおかげで、この自分へ向けた強硬策は大成功と相成りました。
 自分で仕掛けておいてなんですが、非常に単純な男で御座いますとも。ええ。

「お邪魔します、じゃないんだよね」
「ええ」
 返されるとこっ恥ずかしいという面でも、僕は単純な男だということになりましょうか? まあともかく、204号室に到着。隣の部屋なのでまさにあっという間です。
「じゃあ栞さん、ちょっとお時間を頂きます。ちょうど昨日買ったばかりの座椅子もありますし、その座り心地でも堪能しててもらって」
「はーい」
 というわけで栞さんは居間へと進み入り、僕は台所に。
 そういえばあの座椅子、特に何を思うでもなく居間のほうに置いちゃったけど、私室のほうでもよかったんじゃなかろうか。――という今更な思いつきは、まあ後回しにしておきましょう。そのまま忘れてしまっても特に問題があることじゃないですし。
 さて、気持ちを切り替えたら調理に入りましょう。
 まずは献立をどうするかというところから決めなくてはならないのですが、さてどうしましょう。朝から手の込んだものは避ける、というのはさっき栞さんに言ったばかりですが、だからといって手を抜き過ぎるのもどうかという話です。もちろんトーストのみというほど手を抜くつもりは初めからありませんけど。
 そしてもう一つ、胃がもたれるという話。ざっくりとした解決策としてはあまり油を使わない料理ということになるでしょうが、しかしだからといって肉の使用を控えるというのは、安直に過ぎましょう。ならばここは、肉を使いつつさっぱりしている料理、ということになります。見栄えも豪勢になりますしね、野菜のみの食卓よりは。
 纏めると、適度に手が込んでおらず、肉を使っていて、かつさっぱりした料理ということになります。
 ならば。

『いただきます』
「これで手が込んでないって言うんだからなあ。さすが先生」
「いや、ただの肉野菜炒めですよこれ」
「一人で料理した経験が少ない身からしたら、これでも手が込んでように見えるんだって。…………うん、美味しいし」
「まあ、その一言が貰えるなら結局は何でもいいんですけどね」
「レモンの汁が掛かってるのかな? これ」
「正解です。そのほうがさっぱりしますしね。――好みは分かれるかもしれませんけど、どうですか?」
「美味しいって今言ったばっかりだって」
「あ、そうでしたね」
「ふふっ。とはいえ、美味しいって言ってるばっかりじゃなくて盗んでいかないとね、こういうの」
「盗むって言うほど個人的なものでもないですけどね。よくある味付けですし」
「んー、嬉しそうな顔でそう言われてもなあ」
「おや?」

『ごちそうさまでした』
 栞さんに満足していただけたことについては、食事中にたっぷり見せ付けられたのでいいとして。
 僕自身としても今回の朝食は出来がよかったと思えていたりするのですが、それは自分の腕を褒めるべきか、それとも状況がそう感じさせたということで、栞さんに感謝すべきか、といったところです。だからと言ってそれを栞さんに尋ねたら、間違いなく前者を推してくるんでしょうけど。
「ご飯が美味しいとすっきり目が覚めるねえ、やっぱり」
 勝手に想像した栞さんの反応で勝手に嬉しがっていたところ、空になった食器をカチャカチャと重ねながら、栞さんはそんな話を始めました。
「食べる前からばっちり覚めてませんでしたか?」
「食べる前から美味しいって分かってるからだよ。うん、矛盾してない」
 そういうものなんでしょうか。そういうこともあるのかもしれませんが、少なくとも栞さんの目が覚めていたのは別の理由からだと思います。ご機嫌だったのは目が覚めた直後、つまり朝食の話をする前からでしたし。
 ならばどうしてご機嫌だったのかという話になるのですが、僕がその答えをぼんやりと浮かべ、しかしはっきりさせるには至らないところで、栞さんが食器を抱えて立ち上がりました。
「明日だね」
 立ち上がり、けれど台所には向かわないまま、栞さんは座ったままの僕を見降ろしていました。
 明日がどうした、なんて言ってられる時期はとっくに過ぎています。僕と栞さんにとっては明日という言葉、明日という日それ自体が、既に特別な意味を持っているのです。
「やっぱり、ちょっと不安でさ。普通だったら……まあ、こうくんも一緒なんだし、起きた後もベッドの中でうとうとしてたんだろうけど、そうしてられる余裕がなかったっていうか」
 今朝、僕が栞さんと同じベッドの中で目覚めた時。寄り添って横になっていた栞さんはしかし既に起きていて、その時にはもう、さっきまでと同様のご機嫌な様子でした。
 どうやら、僕がぼんやりと浮かべた答えは間違っていたようです。
 嬉しいだとか幸せだとかそんな甘ったるい理由ではなく、むしろそれは、空元気という言葉で表すべきものだったようです。
「大学も今日は午後からですしね。もうちょっとくらい寝ててもよかったんでしょうけど」
「こうくんはそっちのほうがよかった?」
「はいとは言いませんけど、いいえとも言いません」
「ふうん? どういう意図でそういう返事なのかは気になるけど、訊かないでおこうっと」
「そんなふうに言われると教えたくなっちゃいますよ?」
「それを見越して誘導しただけかもしれないよ? 私」
 そんな遣り取りのおかげで、会話は膠着状態に入ってしまいました。先に喋ったほうが負けというわけでもないでしょうに、お互いの口はむっと横一文字に。
 ……いや別に、口にし難いようなやましい意図があるとか、そういうわけじゃないですよ? そりゃあ、栞さんと一緒にベッドでぬくぬくうとうとするというのは魅力的です。けれどそれを隠すためにあんな言い方をしたというわけじゃなくて、今しがた終えた朝食もそれと並ぶくらいにいいものだったというか、つまり、「どちらか一方だけを選ぶなんて無理」という意図があってのあの言い方だったのです。
 などと自らに説明している時点でちょっと怪しいですが、しかしあくまでもそういうことなのです。
「ふふっ」
 タイミングからして僕の一人相撲を笑われたのかと錯覚してしまいましたが、しかし声に出していないのでもちろんそんなことはないでしょう。栞さんが、楽しそうに笑いました。
「初めはちょっと無理して笑ってたんだけどね。でもそんなの、すぐに普通の笑いになっちゃったよ」
「笑わせた覚えがないのに普通に笑われてたっていうのも、それはそれでどうなんだって話なんですけどね」
「そういう笑いじゃないって分かってるくせに、そういうこと言ってくるんだもんなあ」
 そう言って再度笑った栞さんは、体の向きを反転させて台所へ向かいます。
 ただ普通にご機嫌なだけだと勘違いしていた空元気はしかし、今も続いているというわけではないそうです。それならいいか、と安心した僕は、栞さんに続いて自分の食器をもって台所へ向かうことにしました。
 ――僕だって、栞さんと同じく不安の一つくらいは持っていてもおかしくなかったのでしょう。というか、むしろ持つべきだったのでしょう。けれど起きた直後からずっとご機嫌そうな栞さんにばかり気を取られて思考がそちらを向かなかったというか、まあ、そんな感じです。
 自分の単純さを恥じるべきなのかもしれませんが、しかしここは、栞さんに感謝しておくことにしました。目覚めが悪いというのは、割と厄介なものですしね。

 で、台所に食器を置いてきたらまた居間に戻るわけですが、
「かなり時間がありますけど、どうしましょうか」
「うーん、お皿洗うとか?」
 というわけで、台所にとって返すことになりました。
 いつもならそろそろ大学へ行く時間なわけで、同じ暇であるにしても「出掛ける前の小休止」ということで特に何もせずぼーっとしている頃合いです。しかしこれが昼までずっと暇だということになると逆に何かしたくなるというのは、何なんでしょうね一体。
「僕一人で大丈夫ですよ?」
「まあまあ、暇潰しが目的なんだし」
 栞さんの部屋に泊まったので昨晩からの洗い物が溜まってはいますが、だからといって二人掛かりでするほどの量でもありません。とはいえやはり一人でするよりは早いでしょうし、それに何より、栞さんの言い分には反論できませんでした。洗い物をしている間居間で待っていてくれって話になると、それは結局暇なままってことになりますしね。
 ということで、別にそれ自体が面白いというわけでもない作業での暇潰しがスタートしました。後片付けという見方をすれば、これも料理の工程の一つと捉えていいのかもしれませんけどね。
「さっそくで何なんですけど」
「ん?」
「これが終わったら、どうしましょうか」
 苦し紛れに見出そうとした趣味との関連性を放り捨てるような格好になってしまいましたが、暇潰しをしながらの暇潰しの話です。なんせ二人掛かりなので、あっという間に終わってしまいそうですし。食器洗い。
「そうだねえ。まあ、何かしなきゃならないってこともないんだろうけど」
「ですけどね」
 暇だ暇だとぼやきながらだらだらしているというのも、結局のところそれはそれでいい暇潰しということになるのでしょう。一人ならともかく、二人でいるわけですし。
 けれど今の僕としては、できれば何かしら行動していたい気分でした。むしろ何もせずにぼけーっとする、なんてことも気分によってはアリなんですけどね。
「あ、そうだ。その前に」
 何かを思い付いたらしい栞さんは、皿洗いの手を止めてこう尋ねてきました。
「今日はどういう日にしよっか? 昨日は『気楽に』で、一昨日は『一緒に居よう』で」
「あー」
 わざわざそんなことを決めてきたのは、土曜日、つまり明日のことを意識したためです。はっきりとそういう目的を掲げていたわけではありませんが、変に不安がったりしないだとか、不安がるなら不安がるで落ち着いて不安がるだとか、そういう効果もあったように思います。
 ならば前日である今日に限って何も設定せず、というのは確かにちょっと片手落ちのような気も。まあ、拘るようなことでもないんでしょうけど。
「うーん……なんだかんだ言って、もう明日ですしねえ。今日はちょっとくらいそっちのほうに意識を向けてみても、とは思いますけど」
「そっか。――そうだよね、昨日一昨日があんな感じだったし、今日くらいは」
 同意はしてくれた栞さんでしたが、初めからそのつもりだったというわけではないようでした。恐らくですが、昨日一昨日と同じような流れにしたかったのではないでしょうか。ゆったりというかべったりというか、そんな感じの。
「無理にとは言いませんよ?」
「ううん、それでいい」
 お断りの言葉に加え、首まで横に振られてしまいました。普段よりちょっと強めな否定の仕草が少々心配になったりもしましたが、しかし同時に、「そういう人だよなあ」と和まされてしまったりも。
「それじゃあ、今日はそういう日ってことで」
「うん」
 手を止めていた栞さんと、それに合わせて同じく手を止めていた僕は、そこで皿洗いを再開させます。
 …………。
 少し待ってみましたが、どうやらこの会話はさっきの取り決めで終了したようでした。つまり、これが終わった後はどうしましょうか、という当初の質問はすっかり忘れられてしまったようです。
 しかし、敢えて指摘はしないでおきました。ぱちゃぱちゃという水音と、かちゃかちゃという食器の音が、何となく楽しげに感じられ始めたのです。

「ええと、で、どうしよっか」
 まあそうなりますよね。
 ということで台所から戻って一息ついた直後、栞さんからそんな質問をされました。
 それを尋ねてくるからには、さっき僕からの同じ質問をすっぽかしていたことを思い出したのでしょう。栞さん、尋ねる口調が照れ混じりなのでした。
「どうしましょうかねえ」
 恥ずかしそうにしている栞さんに対して、にやにやしながらそんな返事。もちろん意地悪です。即座にはいい案が思い付かなかった、ということもあるにはあるんですけどね。
「あはは、ごめん」
 謝られてしまいました。ならば許しましょう。
 許したということを笑顔で伝えたつもりになっておきつつ、しかしここで、全く関係のない話を思い付いてしまいました。
「関係ない話なんですけど、なんとなく落ち着かないですね。自分だけ座椅子に座ってるって」
「本当に全く関係ないねえ」
 この部屋に座椅子は一つしかなく、ならばそこに誰が座るのかということになれば、そりゃあもちろん自動的に持ち主である僕になるわけです。けれど横で床に直接座っている栞さんを見ていると、なんだかそわそわしてしまうと言いますか。
「神経質過ぎない? 椅子のあるなしだけでそんな」
「じゃあ栞さん、試しにどうぞ」
 横に滑るようにして座椅子から降り、代わりに栞さんをご招待。怪訝そうな顔をしたままそこへ座った栞さんは、
「……あ、なんとなく分かるかも」
「でしょう」
 とのことでした。ほらね。
 どうしてそんなふうに感じてしまうのかということについては、多分これだろうという予想は既に付いています。
「肘掛けがあるせいか、なんとなくふんぞりかえって偉そうにしてるような気になっちゃうんですよね」
「それかあ。確かにそうかもねえ」
 もちろん実際にはふんぞりかえってるわけでもなければ偉そうにしているわけでもないんですけどね。
「まあでも、僕がこんなこと言わなかったら栞さん、ここに座ってもそんなふうには思ってなかったんでしょうけど」
「あー、それはそうだろうね。昨日座った時はこんなふうに思わなかったし」
 僕だってそうでしたし、だったら座る度に思い付くようなことではないのでしょう。たまたま僕が妙なことを考えてしまったというだけで。
 というわけで、この話はそれで決着ということにしておきます。
「――で、どうしましょうかこれから」
 あくまでも今の話は本題からそれたどうでもいい話なわけで、だったらすっぱり切り替えてしまいましょう。
「あ、その話の前に」
 言いながら座椅子から降りた栞さん、手でその場所を僕に譲る仕草をするのでした。別にそのまま座って貰っててもよかったんですけどねえ。落ち着かない云々の話はともかく、座り心地は好評なんですし。
 とはいえ、大人しく譲られておきまして。
「どうしましょう?」
「デートしましょう」
 即座に返されてしまいました。多分、僕が要らぬ話をもち掛けている最中に思い付いていたのでしょう。――なんて予想を立てるくらいなら自分も何か考えとけばよかったのにってな話ですが、見事に後の祭りです。
「お昼までまだまだ時間はあるし、ちょっとお出掛けするくらいなら大丈夫かなって」
「そうですね、そうしましょうか。買い物以外で自転車に乗ることがなさ過ぎますし」
「昨日は買い物なのに乗り物じゃなくて荷台として使ってたけどね」
「……自転車も自転車で買ったばっかりではあるんですけどねえ」
 勿体無いというか、何と言うか。いや、自転車のことをどうこう考える前に「もっと栞さんを連れて外に出ろよ自分」ってな話なのかもしれませんね。一緒に暮らすだの結婚だのという話をしている割に、そこのところが不足しているっていうのはなんとも可笑しな話ですし。
 しかしともかくそうと決まったならば、と立ち上がってみたところ、栞さんが「あとね」と若干小さい声で呼び掛けてきました。
「お皿洗ってる時に決めたでしょ? 今日はどういう日にするかって。だから――デートしながらだったら、そういう話も、少しは楽に出来るかなって」
「あ、なるほど」
 これもまた、「感心してないでお前もそういうこと考えとけよ」ってな話なのかもしれませんでした。
「だからってデート中に絶対するって決めたわけじゃないんだけどね、そういう話」
「心得ました」
 前向きなばかりの話でないことは分かっています。
 しかしその割に、いいデートになるだろうな、という予感がポンと浮かんだのでした。

「どこに行きます?」
「うーん、どこでもいいというか、決めないでおいて適当に走り回りたいというか――ああ、走るのはこうくんなんだけどね」
 もっと言えば、僕じゃなくて僕が漕ぐ自転車なんですけどね。
 というわけで、あまくに荘の玄関先。今日の掃除はまだながらもやっぱり綺麗な庭を抜け、今まさに自転車に跨る寸前、なのですが。
「僕に適当に走らせたら、とんでもないとこに行っちゃいかねませんよ?」
「大丈夫だよ、そうなっても道が分からないのはこうくんだけだから」
 ぐぬう、ごもっとも。
「私にも分からないような所に行きそうだったら声掛けるぐらいはするから、心配しなくて大丈夫だよ。行きたいように行っちゃってください」
「承りました」
 それでもやっぱり多少の心配は燻り続けるわけですが、そんなことを言っていても始まりません。自転車に跨り、次いで栞さんも荷台へ横向きに腰を下ろしたところで、さあ出発です。
 まだ朝だから、ということもあるんでしょうけど、今日は空気が少しひんやりしています。それでいて自転車に乗っているわけですから、そのひんやりした空気が風になって随分といい気持ちです。
 栞さんはどう感じているだろうか、と後ろを向いてみれば、栞さんと目が合いました。そりゃまあそうなりもしましょうが、しかし何だか照れてしまい、あと運転中に後ろを見続けてはいられないという理由もあって、すぐに前を向き直しました。
 しかしそうして一時ながら後ろを向いたことによって、当初考えていた風の件よりも気になることが出てきました。
「横向きに座るって、怖くないですか? 跨るよりバランス悪そうですけど」
「んー? んー、急カーブなんかされちゃうと怖いけどね。それが私の前方向なんかだと、怖いとか以前に落ちちゃうだろうし。でも、普通にしてる分にはそうでもないかな」
 そういう座り方をしたことがない身としては意外なのですが、そういうことだそうでした。
 まあ栞さんスカートですし、跨って座ると風がどうのこうのでああだこうだなのかもしれませんしね。どうせ僕から見える位置ではないですし、僕に見えないんだったらそれはほぼ誰からも見られないってことでもあるんですけど、そういう問題ではないでしょうし。それに、せっかく気持ちいいと評した風にそんな破廉恥なことを期待するのもどうなんだって話ですしね。――ってちょっと待て僕、期待っておい。
「今の、失敗だったかな」
「はいっ!?」
 失敗だったかな、という栞さんの言葉に対するリアクションを失敗した僕は、多分馬鹿だと言われても何ら差し支えがないほどの馬鹿っぷりを発揮しているのでしょう。失敗した理由はもちろん、直前まで妄想、もとい想像していた内容です。多くは語りません。
 そして栞さんですが、不必要なほど大袈裟だった僕の反応に、しかしこれといって食い付きはしないのでした。風の影響で聞こえ辛くて声が大きくなったとか、そんなふうに捉えられたのでしょうか? どうかそうでありますように。
「この向きで座っても怖くない理由、『こうくんの運転技術を信頼してるから』って言ったらそれっぽかったかなって」
「それっぽくはありますけど、実際にそういう技術に長けてる人相手じゃないと『ぽい』止まりですよねそれ」
「まあまあ、そんなに卑屈にならなくても。方向音痴と運転技術は関係ないんだから」
 思考を完全に読まれていました。読まれているからこそ笑い飛ばしてもらえているんでしょうけど、それはそれで情けないというか。
「それに、運転技術を別にすれば『ぽい』じゃなくて事実だしね」
 運転技術を信頼している。運転技術を別にする。つまり、シンプルに信頼している。
「いや、今の話でそこを別にしちゃ駄目じゃないですか?」
「ふふ、そんな照れなくてもいいのに」
 今度は冗談で言っているトーンでしたが、しかし結局のところ図星なのでした。
 さっきからこんなのばっかりですが、でもこれはこれでデートっぽいかな、なんて思わないでもありません。今度は卑屈とか照れとかでなく、単純に。

 どこをどう行くかは任せられているので、物凄く適当な所で曲がったり曲がらなかったりを繰り返した結果、なんだか十分ほど前からずっと住宅街の中で彷徨っているだけになってしまっていました。いや、どこかに着いたとかならともかく、これを結果というのは何か違うような気がしますが。
 そして栞さんですが、雑談はしつつも、道のことについては何も言ってきませんでした。自分にも分からない所へ行きそうだったら声を掛ける、とは言ってましたが――まあ近所の住宅街ですし、分かってるんでしょうねそりゃ。
 それからもう少しだけ彷徨い続けたのち、こうなったら変にカーブせずに住宅街を抜けるまで真っ直ぐ突っ切ってやろうか、なんて思ったところ。
「止まって」
 栞さんからそう言われ、ならばと僕は「住宅街の中」としか分からない位置で自転車を止めました。コンビニなんかがあるわけでもなし、はて、なんでこんな所で?
「ここ、私の実家」
 栞さん、目の前の家を指差して言いました。
 ――なんと。


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