赤ガエルのボンヤリ日記

クルマもカレラ、自転車もカレラ、
すべて前世紀生まれの乗り物を愛する、クルマバカオヤジの中身うすーい日記です。

「ガダルカナル 学ばざる軍隊」 ~指導者が取るべき責任とは~

2005-11-21 23:55:00 | こんな本を読んだ


 ちょいと間が空いてしまったのだが、ディズニーランドへ時間つぶし用として持って行ったもう1冊がこちら。10/19に取り上げたシリーズの第2巻(全6巻)にあたる。これまたハロウィンバカ騒ぎのおとぎの国には最高に似つかわしくない1冊だったが、構成の巧みさから来るわかりやすさであっという間に読めてしまった。

 前の第1巻でもそうであったが、旧軍の将来展望の貧しさに加えて、この本では「失敗から学び改善する」という思考が全く欠けていたという事実が追加されて突きつけられる。
(1)自分たちが作戦行動を行う地域についてしっかり調べない
(2)攻めてくる敵の実力をしっかり調べない。自分たちの都合に合わせて敵兵力予想数を勝手に変える
(3)一度決めたら状況の変化にかかわらずとにかく突き進むだけ
(4)失敗しても決めたことは変えてはいけないんだから同じ手段を繰り返す
(5)最高責任者の責めはうやむやにして、現場の指揮者に押し付ける

 もう頭痛くなってくるような愚行の数々。当時の作戦参謀というのは超バリバリエリートコースの主席クラスが集まっていたはず。その連中がこの体たらくとは・・・
(1)にもあきれるが、恐るべきは(2)で、
「敵情判断に捉われ敵の行動で自己の作案を立つるが如き思想なお存するは深く反省を要する。敵の行動如何に拘わらず積極的自主的方針を以ってし・・・」東条英機大佐=参謀本部編成動員課課長の演説:昭和7年当時)にあるがごとく、「敵の行動とか戦力とかを考えて自分の行動を決めるのは恥ずかしい。こっちが一度決めたら敵がどう出ようととにかく決めたことにしたがってやるだけだ」というような、まあ「参謀本部」ともあろうものが口にするのも恥ずかしいような内容を平気でおっしゃる。敵情など考慮せずに自分の都合のいい解釈で作戦を立てられるんだったら、当時の参謀本部というのはさぞかし楽な職場だったことだろう。これなら別に超エリートの集団をそろえなくたって書類作成能力さえあればいいんじゃないの?おまけとして(5)まで付いてるし。

 それにしても悲惨なのは現場の作戦当事者で、(4)はあまりにひどい。べつにカイゼンという言葉は最近できた新語でもあるまい。最初の一木支隊の完敗を教訓とせず、川口支隊も同様のがむしゃら散発突撃で壊走。さらには3度目の正直のつもりか?第2師団まで同じ轍を踏むとは・・・
(ちなみに旧第2師団は仙台に司令部があって、ぼくの通っていた学校はまさに旧師団本部の敷地跡だった)
 おまけに3回目の攻撃では、「(2回失敗した)ジャングル迂回はダメだから海岸線から正面突破しかない」といっていた参謀当人が、予定通り資材を揚陸できず米軍防備も強力なのを見て、突然「やっぱ海岸からでなくてジャングルから行こう。迂回奇襲は結構簡単だ」と急遽方針変更。道なき道を重武装背負わされて無理やり突破した攻撃部隊は、集結もできず成りゆき任せの散発攻撃でボコボコに打ちのめされて敗走。食料もなく補給も来ないままよく知られた飢餓状態の地獄に・・・
(この作戦指揮をした参謀の辻はノモンハンでもポートモレスビーでも独断独善な指揮で攻撃部隊を失っている。こんな男でも別名は「作戦の神様」)

 ぼくはもちろんガ島の悲惨な敗北という事実については上っ面くらいは見聞きしていた。物量に劣る日本軍は完敗し、補給も途絶えて飢餓状態となり多くが餓死・病死したこと。見捨てられ生きるすべを失った兵士たち中では、友軍兵士の人肉まで食料にされたという話があること。(司令部は「友軍兵士の肉を食ったら処刑する」との訓示を出したという。敵兵や現地人ならいいということか?)餓島という言葉も知ってはいた。ただ、こんな悲惨な状況を生んだ原因がこのように稚拙かつ傲慢な思考しか持てない馬鹿者にあったかと思うと、同じ日本人としてあまりに悲しい。さすがにNHKだけあって、敗残兵たちのたどった飢餓地獄の描写は抑制が効いていて、「終戦のローレライ」とかみたいなえげつないシーンは出てこない。それでも収録された捕虜の姿を見れば、その飢餓がどれくらい厳しいものだったのかの片鱗はうかがえると思う。

 状況を実際に見て先頭に立つリーダーの中には、現実に応じた方針見直しを具申するものもいたというが、そういった「まともな」リーダーは臆病者呼ばわりされ更迭された。(支隊長:川口少将、参謀長:二見少将)ノモンハンでは辻ら関東軍参謀部の愚策に従い敗北した部隊の将校は自決を選びあるいは強要もされたとされる。一方で責任をすべて現場に押し付けたエリート参謀たちは(5)のようにお咎めなしでのうのうと生き延びた。「国のためになる」と信じて戦い散っていった人々をよく「英霊」と呼ぶ。ぼく個人は先の大戦には日本の国としての道義が欠けていると考えている(別に米英に大義があったとも思わないが)のだが、少なくとも戦争において命を落とした人々を「慰霊」し「追悼」する行為に異論は持たない。ただしその対象をどこまでとするか?慰霊・追悼の方法をいかに行うかという方法について、現在行われている靖国神社という存在には明確に反対意見を持っている。さらにいえばこの神社で(現場で落命したわけでもない)最高指導責任者たちを他の戦没者と同等に扱うこと自体、戦場での死没者に対して大変な非礼と考える。
(この場合に責任の分担を議論する向きもあるだろう。死者は慰霊して生き残りの高位者に責めを負わせることの是非とか、東京裁判の正当性うんぬんといった問題は確かにありだ。ただしどこかで責任の軽重・線引きは考えなくてはならない。皆それなりに責任があったというのは口当たりがいい解釈かもしれないが、社会での掟として組織運営の責任所在をうやむやにしてごまかしてはいけないはずだ)

 今の靖国神社は中国・韓国との対立構造の下で、本来の姿とは異なる視点で語られすぎているように感じている。対外政策面での扱いという視点以外に、国内に向けての問題として考える必要性が重要なのではないか?そもそも日本の伝統文化などというしょぼい根拠を持ち出す割には、所詮は明治になって急ごしらえした「新興宗教団体」ではないか?いまだに多数の人命を死に追いやった旧軍体勢を開き直って賛美し、国家の慰霊機関の代表面をして戦没者を我が物顔しているのはおこがましいとぼくは思う。

 あほうな指導者を擁護したいなら、あほうの仲間という立場をわきまえるべきだと感じるのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿