ただウェブに駄文を綴るのみ

駄文綴り続けて早1年。
誰かのためになることを書いたら負けかなって思ってる。

ブログの記事とコメントはセットで考えよう

2006-04-16 | Webのお話
 ブログ記事において,記事の内容とコメント欄は別々に考えるべきなのでしょうか.僕は,記事とコメントはセットとして考えています.

■記事内容はまとも…かな?
 アップされている記事内容は,人それぞれに捉え方は変わってきます.特に一つの話題に対して論じているもの,それに対する批判や反論記事なんかは,どれだけ丁寧に書いていても書いた人が想定した内容とは別の捉え方をする人がいるものです.

「誹謗中傷だ!」
「こんな意見は押し付けだ!」

 誰もそんなことは言ってない.しかし,批判や反論を中傷や押しつけと捉える人はいるものです.また,

「これは私を批判しているのか!」
「○○さんのことなんですか!」

 という捉え方をする人もいる.これによって批判だった記事がバカ晒しになってしまうという話をekken♂:NGワード・クリリンのことかーッ!にてうんメルの人が書いているので,詳しくはこちらを適当に縦読みしておいてください.

 ここでは,記事の捉え方を曲解された方のコメントによっては,本質とは別のところで議論,いや,不毛な罵倒ばかりな記事へと変わってしまうという例です.

■脱線してきちゃったよ!
 常連がいるブログに多いとは思います.
 せっかく真面目な記事を書いていても,気づいたら自分語りされていたり,別の話題へと話が二転三転していくことがあります.そうした時,せっかく真面目に議論しようと思っていた人が来ても,「馴れ合いのブログか」と呆れられてコメントや言及したトラックバックが来なくなる可能性があります.

 脱線したコメントのやりとりは,時として楽しんでしまうものです.しかし,それによって記事自体が軽んじられる可能性も秘めています.何か議論をしたいと思った記事に対しては,コメント欄の内容をある程度コントロールしていくことが大事なのではないかなと思います.まぁ,馴れ合いなコメントはまだ軌道修正が効く方ではあるでしょう.記事内容自体が色褪せるものではないと思いますから.

■コメントで悪口言ってる人がいるお!
 上記にて,「馴れ合いなコメントはまだ軌道修正が効く方」と言いました.こう思うのは,話題が脱線しただけで,記事内容自体の趣旨はまだ生きていると考えるからです.しかし,馴れ合いなどによっても,批判・反論記事などの場合に

「そういや,onoxってまだアホなWeb論とか書いてるんだな」
「なんかコメント欄で必死になってるよ(笑)」
「こういうやつって,ほんとバカだな」

 とまぁ,批判・反論対象者に対する悪口的なものが書かれている場合はないでしょうか.記事を書いた本人がコメント制御しなかった場合,その記事は誰が読んでも正当な批判・反論記事であろうとも,コメント欄にて悪口が書かれていようものなら,「結局は,この記事って悪口言いたかっただけ?」と思ってしまいます.

 いくら自分が書いたわけじゃないにしても,コメント欄にて批判・反論対象者への悪口が書かれていて,それを容認するかのようにコメントが残っている,もしくはその悪口に対して「そういうことを書くのは趣旨に反するからやめてください」等といった悪口を制御するような姿勢が見えない限り,その記事は批判・反論記事から,記事内容で皮肉って,コメント欄で悪口を言う記事へと変貌してしまうように思います.

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