大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、主将を務めるバスケットボール部の顧問の男性教諭から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下市長が2013年1月12日、やっとご遺族のもとを訪れ、謝罪する予定だと報じられています。正直ホッとしました。
橋下市長は
「きちんとした対応が取られなかった。教育現場の最悪の大失態だ」「教育委員会に任せておけない。僕が責任をもって引っ張っていく」「僕が陣頭指揮を執らないと駄目」
などと怒って見せていましたが、この体罰事件について、まるでテレビのコメンテーター時代のように他人事のような評論に終始していました。彼は大阪市の市長なのですから、大阪市立高校の事件については、責任者として謝罪すべき立場にいるのがわからないのでしょうか。たとえば、大津市のいじめ自殺事件でも市長に就任したばかりの越市長が何度も謝罪したのは、自分が責任者であるという自覚からです。
とにかく、全く謝罪しない橋下市長には、遺族の方々に対して、二次被害を与えているという自覚が感じられません。まあ、身内の不祥事や違法行為でも全く謝罪してこなかった彼には、謝るという能力が欠けているのかもしれません。
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週刊朝日のことを間違えて「鬼畜」と言っちゃった橋下市長の謝り方
大阪市ねつ造リスト職員は維新政治塾に応募 最低なのは市議会ではなく過ちを謝れない橋下維新の会
(あくまでも教育現場の失態だと責任逃れ)
橋下氏はこれまでも教師による体罰を容認する発言を繰り返してきました。大阪府知事時代の2008年10月26日に大阪府と府教育委員会の討論会で
「子どもが走り回って授業にならないのに、注意すれば保護者が怒鳴り込み、頭を小突くと体罰だと騒ぐ。こんなことでは先生が教育をできない」
「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」
と発言していますし、2012年10月2日の大阪市の教育振興基本計画有識者会議では
「先生ももうちょっと、どうなんですか、懲戒権というか、認めてあげられないもんなんですかねー。ちょっと立たせただけで体罰(と言われる)とかですね…。『これぐらいはいいでしょう』っていうガイドラインを示してあげるとですね…。もう(生徒を)怒れなくなってますよ、先生が」
「胸ぐらつかまれたら放り投げるぐらいまではオッケーだとか、蹴られた痛さを体験しないと(自信)過剰になる。蹴られた痛さ、腹ド突かれた痛さが分かれば歯止めになる」
と、教員が問題生徒に対して行なえる対策が限られていることを問題視し、ガイドラインの一例として、
「僕は、もみあげをつまんで引き上げるくらいまではいいと思うんですけどね、そんなのしょっちゅうありましたし、それぐらいなかったらねー、ダメです。大阪市でそれを体罰とか何とか言われたら、政治で僕が引き受けますから」
と発言したばかりです。もみあげをつまんで引き上げるっていう、ありそうもない例しか橋下氏が出せなかったことが、まさに体罰ではない有形力の行使なんてありえないことのなによりの証拠なのです。
(体罰はだめ、体罰は禁止とされていることが悪いわけではない。彼一流の問題のすり替えです)
このように橋下市長は自分がこれまで体罰を容認してきたからか、今回の事件でも、教育委員会や学校を激しく責めながら、必ず体罰を肯定する発言を付け加えるので、遺族の方々がどう傷ついておられるか、ひやひやしました。
たとえば、
「30発、40発(殴った)ということであれば、これは許されない。これはもう犯罪だ。もしそれが事実であれば、完全な暴行傷害だ」
などと言った直後に
「正直、ボクはクラブ活動の中でビンタすることはありうると思っている」
「僕も体育会をやってたから分かるが、試合中にビンタすることはある」
「体罰禁止だとか、手を上げることは絶対にダメなんだというスローガンのもとに思考停止するのではなく…」
と言ってしまいました。今、一人のお子さんが体罰を苦に自殺した、その事件の直後に、責任者がこういうことを言うべきではありません。自分が体罰容認のまま思考停止に陥っているというべきでしょう。また、
「重大な要因に体罰があったことは認めざるをえず、いじめの自殺よりはるかに重い、とんでもない事案だ」「教育委員会と共同で外部監察チームを立ち上げて、徹底的に事実解明をする」「子どものSOSを受け止めるチャンネルを直ちに立ち上げてほしい」
と述べた同じ記者会見で、
「全国大会を目指す桜宮高校の体育科では、保護者も含め、ある程度のところは教育的な指導だという暗黙の共通認識があったのではないか」
「にもかかわらず教育委員会が体罰禁止とか、手を上げることは絶対にありえないという、うわべっ面のスローガンだけで事にあたっていたことが(事件の)最 大の原因」
「体罰を禁止するといったスローガンだけで、現場をコントロールするのは無理だ。これだけ『体罰はダメだ』と言っても出てくるのは、学校や先生の事情もあるかもしれない。どんなときに体罰をしてしまうのか、真正面から分析をして考えていかなければいけない」
「僕が(子どもに)手を上げることもある。親がそうだから学校現場でも(体罰は)ある。そうなったときに事後フォローをどうしないといけないのかだ」
とも述べてしまうのです。いま、この事態の中で、体罰容認の発言をする必要性があるのでしょうか。橋下氏はなにか憑りつかれたかのように必ず体罰容認に言及しているように見えます。
これで思い出すのは大津のいじめ自殺事件について、教育長が
「学校については(市教委が)一定の調査をしたが、本人や家庭のことも明らかにされていくべき」
「いじめがその一つになるとは考えられる」と述べ、初めていじめと関連する可能性を認めた。ただ、「家庭などさまざまな要因が考えられ、いじめだけが原因かどうかは判断できない」
と述べたことです。あれは責任回避のためにご遺族に責任をなすりつけるセカンドレイプともいうべき暴言で、心底呆れたのですが、マスコミは、大津の教育委員会と学校を責めたてたあの激しさで、橋下市長の配慮のない暴言を糾弾すべきだと思います。
大津の中学生いじめ自殺事件で驚いた教育長の一言 そして教育者と司法は今まで何をやってきたのか
(一発でも暴行罪・傷害罪で犯罪です)
橋下市長は今回の事件が明るみに出てから、他人事のように現場を責めるだけで、お悔やみの言葉を言うでもなく、謝罪の言葉も言いません。結局、一つの若い命が失われ、家族が嘆き悲しんでも、彼にとっては教育現場への政治介入の機会だとか支持率を上げる良いパフォーマンスの場としてしか映らないのでしょう。
橋下徹大阪市長に使い捨てにされる人々
そして、そんな彼を遺族の方々がなじったとしたら、かつて小泉首相を北朝鮮拉致被害者のご家族が責めたときに逆に世間から激しく指弾されたようなことになりかねません。
そもそも、橋下市長が本気で体罰根絶に取り組むなら、自分の体罰容認姿勢が今回の事件の原因の一つになったかもしれないと真剣に反省し、考えを改めるべきです。
とにかく、12日の橋下市長のご遺族への謝罪が真摯に行われることを祈るような思いで願っています。
参考記事
Afternoon Cafeさんより
橋下氏に学校の体罰問題を偉そうに論じる資格はない
学校の部活で未だに継承される軍隊式しごきは教育とは呼べない
心よりお悔やみ申し上げます。
大丈夫でしょうか・・・
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追伸
ちゃんと謝られました!
ただし、スポーツ指導の場面だけではなく、教育における体罰を全面否定できるのかはこれからも注目しなければなりません。
クルクル王子ですし。
高2男子自殺、橋下市長が両親に謝罪
大阪の高校2年の男子生徒がバスケットボール部の顧問に体罰を受けた翌日に自殺した問題で、12日、大阪市の橋下市長が生徒の自宅を訪れ、両親に謝罪しました。
「命を奪ってしまったことに対して釈明の余地はありません。全て行政側の責任で弁解の余地はないが、おわび申し上げた」(大阪市 橋下徹市長)
橋下市長は午後2時から2時間程度、自殺した大阪市立桜宮高校2年の男子生徒の自宅を弔問し、生徒を自殺に追い込んだことを謝罪しました。応対した両親と兄は感情的にならずに謝罪を受け止めてくれた様子だったということです。
また、これまで体罰はあり得るとしていた橋下市長は、スポーツで体罰は必要ないと考えを改めたことを明らかにしました。
「スポーツの指導の中で手をあげることはありうるとずっと思っていたが、『この考え方を改めないといけないと猛反省している』と両親に伝えた」(大阪市 橋下徹市長)
橋下市長は、教師や保護者もスポーツで厳しい指導が必要との考えを改めなければならないと話しました。(12日17:36)
橋下市長が遺族に謝罪“行政の責任”
大阪の市立高校で、バスケットボール部の顧問の教師に体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題で、大阪市の橋下市長は12日午後、遺族のもとを訪れ、「釈明の余地はなくすべて行政側の責任です」と謝罪しました。
大阪市立桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンだった2年生の男子生徒は、顧問の教師から体罰を受け、去年12月23日に自殺しました。
大阪市の橋下市長は、12日午後、遺族の自宅を訪れたあと記者団の取材に応じ、遺族に対し「命を奪ってしまったことに釈明の余地はなく、すべて行政側の責任です」と謝罪したことを明らかにしました。
遺族は「今回のことをきっかけに、学校現場や保護者が『スポーツの指導ではある程度の体罰は必要だ』という意識を改めてほしい」と要望したということです。
また橋下市長は、男子生徒の遺書を遺族から見せてもらったことを明らかにしたうえで、「生徒は相当追い込まれていてつらかっただろう。最後の言葉をつづっている姿を想像するだけでも耐えられない」と述べました。
さらに橋下市長は、「私自身もスポーツの指導で手をあげることはあり得るという認識があったが甘かった。『スポーツの指導で手をあげることは全く意味がない』という専門家の意見に触れて、正していくべきではないかと感じている」と述べました。
一方、この問題で、学校側は、大阪市教育委員会に提出するために部員の保護者に行ったアンケートの結果を、回答した保護者の了解を得ずに先月30日に遺族に見せ、今月9日の保護者説明会で保護者に謝罪していたことが分かりました。
教育委員会は、男子生徒が自殺した経緯などについて、引き続き調査を進めることにしています。
再追伸
やっぱ、だめみたいです。。。
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部主将の2年男子生徒(17)が顧問の男性教諭(47)の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹大阪市長は12日午後、生徒の遺族宅を訪れ謝罪した。橋下市長はこれまで学校での体罰に関し「口で言って聞かなければ手を出すときもある」などと発言してきたが、両親と兄との2時間以上の面会後、「自分の認識は甘すぎた」「この気持ちを保護者の皆さんに伝えることが僕の役割」と述べた。
橋下市長は2時間20分にわたり遺族と面会。「学校、市教委、市に百%責任がある」と謝罪し、遺族の了解を得て生徒の遺書を読んだという。面会後、取材に応じた市長は「本人はもうつらいですよ。あそこまで追い込まれてね、あの年代で人生を終わりにする。最後の言葉をつづる姿を想像するだけでたえられない」と涙ぐんだ。
学生時代はラグビー部員だった橋下市長はこれまで、「スポーツの指導で頭をたたかれたり、尻を蹴られることは普通にあると思っていた」。だが自殺に至る経緯を両親から聞き、認識が甘かったと気づいたという。「顧問と生徒は絶対的な上下関係。周りの教員も、保護者も、生徒も何も言えない。そういう状況の中で厳しい指導を認めると、こういうことになってしまう。むしろ厳格に暴力は排除しなければいけない。そこに思いを至らすことが不十分だった」
また生徒の自殺後、学校が行った生徒や保護者のアンケートに「もう一度バスケをしたい」「この顧問の指導を受けたい」という言葉が並んでいたことにもふれ、「部活に熱い思いを持っている在校生や保護者にも言いたい」と呼びかけた。「これは異常な世界。僕自身そうだったが、勝つためには厳しい指導が必要という意識を変えないと。保護者や大人の意識を本当に改めないといけない。僕もその保護者の一人だった」「意識改革を徹底してやっていく」と話した。
また朝日新聞が12日朝刊社会面に掲載した元プロ野球投手の桑田真澄さんのインタビュー記事を踏まえ、「あそこまで極めた方が、暴力はスポーツの能力は伸ばさないと言っている。反論できる人はいない」とも話した。
一方、スポーツ以外の教育現場に関しては「ギリギリの状況で手を上げねばならない状況だってあるかもしれない。歯止めがきくようにルール化したい」とも述べた。
以下、過去の記事と今回の事件について
橋下知事「手を出さないとしょうがない」 体罰容認発言
2008年10月26日22時49分 朝日新聞
「大阪の教育を考える府民討論会」で発言する橋下徹知事=26日午後、堺市中区、山本裕之撮影
大阪府の橋下徹知事は26日、堺市で開かれた「大阪の教育を考える府民討論会」(府、府教委主催)に出席、学力向上のための緊急対策に盛り込んだ反復学習の実施に理解を求めた。一方、「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」と体罰を容認する発言をした。
知事は「私は学力を必ず上げます」と断言、「子どもが社会に出て壁にぶつかったとき、乗り越えられる能力が絶対必要だ」と訴えた。一方で「子どもが走り 回って授業にならない。ちょっとしかって頭でもコツンとしようものなら、やれ体罰だと叫んでくる。これで赤の他人の先生が教育をできるか」と話し、どこま でを教育と認めるか合意形成が必要だとした。
また、質問に立った日教組の組合員という小学校職員が、「日教組の強いところは学力が低い」などと発言した中山前国土交通相を知事が擁護したことを批 判。その後、知事を非難するヤジが続くと、知事は「中山発言正しいじゃないですか」「これが大阪の教育現場。こういう教師が現場で暴れ放題する」「9割の 先生は一生懸命やってる。1割のどうしようもない先生を排除してください」と激しい口調で話した。
討論会後、報道陣から体罰を容認するのかと聞かれた知事は「体罰という言葉にとらわれる必要はない」と答えた。これに対し、討論会に同席した生野照子・府教育委員長は「体罰に関する発言は間違っている」と話した。
「体罰」場合によってはOK? 橋下氏ら問題提起
2012年2月6日 朝日新聞
大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が府議会に提出した教育基本条例案に「(教員は)教育上必要があるときは、必要最小限の有形力を行使して児童生徒に懲戒を加えることができる」という条項がある。体罰批判を恐れるあまり、必要な指導ができなくなっているとの問題意識があるのだという。殴る、けるなどの行為とは区別するため「体罰は加えることができない」とも加えた。だがその線引きをめぐり、現場では長く論争が続いてきた。
有形力とは目に見える物理的な力のこと。条例案作りにかかわった維新の会の横山英幸府議(30)によると、暴れる生徒を羽交い締めにして押さえるなどの行為を想定。体罰とは明確に区別しているという。
橋下氏は1月30日、保護者が学校運営にかかわる仕組みをつくり、有形力の行使を認めるかは学校ごとに判断できるようにしたいと話した。「保護者との信頼関係の中で、宿題を忘れたら立たせるぐらいいいじゃないかという学校もありますよ」
学校教育法は体罰を禁じているが、指導との線引きは難しく解釈が分かれてきた。文部科学省は2007年、線引きの基準となる指導方針を通知。体罰にあたるかは、前後の経緯や子どもの心身の状況などを総合的にみて判断するとし、有形力の行使は「一切が体罰として許されないものではない」と位置づけた。
学校現場では保護者のクレームの増加もあり、体に触れることには慎重になっている。50代の男性中学教諭は「遠回りでも言葉でさとすのが最良だという意識が定着してきた。政治が困難な現場に目を向けてくれたことはうれしいが、体罰容認と取られ、力に頼らぬ指導が混乱する可能性もある」と心配する。
大阪市の橋下徹市長が提案した問題生徒・児童への対応指針が物議をかもしている。市の有識者会議で、橋下市長は教員が「懲戒権」を活用できるようにすべきだと提案し、「もみあげをつまんで引き上げるくらいまではいいと思う」などと述べた。橋下市長は、これは「体罰」とは異なるものだとしているが、「発言は体罰容認につながる」との批判が出ている。
学校基本法では体罰を禁じており、「指導」と「体罰」の線引きについては議論が続いてきた。この線引きについては、07年に文科省が、問題行動を起こす生徒への対応についてのガイドラインで示している。それによると、「殴る、蹴る」「正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる」といった行為は体罰にあたると解釈されているが、有形力(目に見える物理的な力)の行使をともなう懲戒については、「一切が体罰として許されないというものではない」とも説明している。
「ちょっと立たせただけで体罰とかですね…」
橋下市長は、2012年10月2日に開かれた教育振興基本計画を議論する有識者会議の中で、
「文科省のガイドラインに(加えて)、また大阪市が作ってもいいんじゃないですか?」
と、さらに具体的なガイドラインを作るように求めた。橋下市長は、
「先生ももうちょっと、どうなんですか、懲戒権というか、認めてあげられないもんなんですかねー。ちょっと立たせただけで体罰(と言われる)とかですね…。『これぐらいはいいでしょう』っていうガイドラインを示してあげるとですね…。もう(生徒を)怒れなくなってますよ、先生が」
と、教員が問題生徒に対して行える対策が限られていることを問題視。「体罰はダメ」と断りながらも、ガイドラインの一例として、
「僕は、もみあげをつまんで引き上げるくらいまではいいと思うんですけどね、そんなのしょっちゅうありましたし、それぐらいなかったらねー、ダメです。大阪市でそれを体罰とか何とか言われたら、政治で僕が引き受けますから」
と述べた。さらに、
「腹をどつかれた時の痛さ、そういうものが分かれば、相手側の方に対しても歯止めになると思う」
と、いじめ対策の側面も強調した。
囲み取材では一転「それは有識者が考えること」
だが、この日の夕方の囲み取材では一転、慎重姿勢に終始した。
「文科省のガイドラインよりも踏み込んだ形にするのか」
との記者の質問には、
「そこは僕は何もいっていない。有識者で考えてもらうこと。僕は問題提起をしたところまで」
とかわし、
「市長の問題意識としては、有形力の行使をある程度認めるべきだ、ということなのか」
と重ねて聞かれても、
「それは有識者が考えること」
と繰り返すにとどまった。
この発言をめぐっては、早速批判が出ている。例えば、橋下市長に対して対決姿勢を続けている日本共産党の「しんぶん赤旗」は、10月3日の紙面で、
「体罰は暴力そのもので、絶対に許されません。橋下氏の発言は体罰容認につながるもので、批判は免れません」
と報じている。
毎日新聞 2013年01月08日 21時04分(最終更新 01月09日 02時28分)
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、主将を務めるバスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹大阪市長は8日、記者団に対し、「きちんとした対応が取られなかった。教育現場の最悪の大失態だ」と高校側の対応を批判した。「教育委員会に任せておけない。僕が責任をもって引っ張っていく」と話し、事実関係の解明について積極的に関与する意向を表明した。
橋下市長は、自殺をまねいた背景として「子どものSOSをきっちり受け止めるチャンネルが整備されていない」と指摘。一方で、「僕が(子どもに)手を上げることもある。親がそうだから学校現場でも(体罰は)ある。そうなったときに事後フォローをどうしないといけないのかだ」と話し、体罰が存在するとの前提をもとに、体罰が起きた後の生徒への対処方法が重要との認識を示した。
また、いじめや体罰などの問題が起きた際に、市長が教育委員会に指揮命令を出せるような条例案を検討するよう指示したことも明らかにした。【原田啓之】
大阪・橋下市長“いじめより重い”
大阪市の橋下市長は、市の教育委員との会合に出席し、市立桜宮高校の男子生徒の自殺について、「重大な要因に体罰があったと認めざるをえず、いじめによる自殺よりはるかに重い」と述べました。
会合では、初めに市教育委員会の長谷川委員長から、今回の男子生徒の自殺について経緯が報告されたあと、出席者全員で黙とうしました。
このあと、橋下市長が今回の自殺について、「重大な要因に体罰があったことは認めざるをえず、いじめの自殺よりはるかに重い、とんでもない事案だ」と述べました。
そのうえで橋下市長は、「教育委員会と共同で外部監察チームを立ち上げて、徹底的に事実解明をする」と述べ、自殺を巡る事実関係を徹底的に調査する方針を示しました。
また、橋下市長は、「子どものSOSを受け止めるチャンネルを直ちに立ち上げてほしい」と述べ、教育委員会に対し、子どもが悩みを相談できる窓口を早急に設けるよう指示しました。
一 方で、橋下市長は、「体罰を禁止するといったスローガンだけで、現場をコントロールするのは無理だ。これだけ『体罰はダメだ』と言っても出てくるのは、学 校や先生の事情もあるかもしれない。どんなときに体罰をしてしまうのか、真正面から分析をして考えていかなければいけない」とも述べました。
教育委員会では、今後市立学校の校長らを集めた緊急の会議を開き、今回の自殺の経緯を説明するとともに、部活動での体罰をなくすよう徹底することにしています。
<大阪・高2自殺> 橋下市長、直轄100人態勢で調査へ
- 毎日新聞
- 2013年01月10日11時45分
橋下市長は体罰や謝罪を巡り、学校側と遺族の説明が食い違うことについて「遺族の求めるような対応策が取れていない」と問題視。全ての市立小、中、高校を対象とする体罰調査について「僕が陣頭指揮を執らないと駄目」と話し、100人態勢の直轄チームを作る考えを示した。
また、11年9月に顧問の体罰を指摘する通報があったのに、調査までに1カ月かかったり、顧問から15分間しか聴取しなかった点についても「許されない」として、制度見直しを表明した。
橋下市長は、生徒が自殺前日に顧問から30~40回顔をたたかれた、と両親が証言していることについて、「事実であれば許されない。犯罪だ」と激怒。一方で、「子どもに対して手をあげることは場合によってはあり得る。僕も体育会をやってたから分かるが、試合中にビンタすることはある」とも話している。【林由紀子】
橋下市長が12日にも遺族宅訪問へ「遺書も拝見したい」
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒=当時(17)=が自殺した問題を受けて、橋下徹市長は12日にも大阪府内にある生徒の自宅を訪問し、謝罪する方針を固めたことが10日、学校関係者への取材で分かった。
橋下市長は同日開かれた記者会見で「(遺族と)お会いします。ご了承を得た上で遺書も拝見させていただきたい」と述べていた。
できるだけ早く面会したいという橋下市長の意向を踏まえ、市教委が遺族側と、今週末の12日を中心に調整しているという。
捜査関係者によると、生徒は昨年12月22日、自宅で家族宛ての遺書をしたためた。「長い間バスケットボールをさせてくれてありがとう。迷惑をかけること は分かっていますが、死ぬことに決めました」と記載。翌日の早朝、自宅2階で制服のネクタイで首をつっているのを母親が発見した。
毎日新聞 2013年01月10日 02時30分
大阪市立桜宮高校の2年男子生徒が自殺し、バスケットボール部顧問の男性教諭から体罰を受けていたと記した手紙を残していた。男子生徒は顔面を平手打ちされるなどの体罰を繰り返し受けていたという。スポーツ指導の名の下に行われていたとしても、暴力を伴う体罰は実質的には虐待であり、絶対に許されない。体罰の実態や自殺との関連を徹底的に調査し、再発防止策を確立しなければならない。
男子生徒が残した遺書などには、顧問による体罰や、主将としての責任に苦しんでいたことが書かれ、体罰が自殺の引き金になった可能性が高い。
市教委による調査では、他の部員へのアンケートで「かなりの頻度で体罰があった」との回答があり、体罰が常態化していたことが明らかになっている。自殺前日の練習試合では本人や他の部員にミスがあると、顧問が男子生徒の頬をたたいていたのを多数の部員が目撃していた。
バスケット部での体罰の情報は11年9月に市教委に寄せられていたが学校側は「体罰はなかった」と報告していた。調査は各運動部の顧問教諭らに尋ねるにとどめ、生徒への聞き取りなどは行わなかったという。これでは実態が明らかになるはずはない。きちんと調査をしていれば自殺という最悪の事態を防ぐことはできたはずだ。学校と市教委は責任を重くかみしめなければならない。
桜宮高は五輪メダリストやプロ野球選手も輩出してきたスポーツ強豪校だ。男子バスケットボール部も過去5年で3回インターハイに出場するなどの成績を上げている。一方で過去にも男子バレーボール部で顧問の男性教諭による体罰が発覚し、停職3カ月の処分を受けている。
スポーツ強豪校では特に、成果を出すために体罰が広く行われ、厳しい上下関係の中で「愛のムチ」として見過ごされてきた傾向がある。しかし、こうした体質は根本的に改めなければならない。
教育現場での体罰は学校教育法で全面禁止され、文部科学省は06年度に「いかなる場合も行ってはならない」と通知している。児童生徒の心身を傷つけたり、いじめや暴力容認の風潮を生んだりする恐れがあるなど、重大な負の影響があるためだ。
だが、実際には体罰は減少せず、文科省の統計では90年代後半以降、体罰で処分された教職員は年間400人前後で推移している。大阪だけでなく、全国的に体罰を容認する風潮が根強く残っているのが現実だ。
体罰を根絶するには社会全体での取り組みが必要だ。教育委員会や教師だけでなく保護者も強い意思を持って対応していかねばならない。
取り上げないけど、この問題とかは橋下が関わってるから反橋下派であるマスゴミ(朝日、毎日)は取り上げ続けてるんだから....
橋下が大阪市長じゃなかったら桜宮高校の体罰問題なんかとっくに終わってるよ!!
だから、橋下に感謝しないと!!
それに橋下が嫌ならリコールすりゃーいいじゃん!!大阪市民じゃなかったら、引っ越して市民になってリコールしてください。
どうせ、大阪市民以外がだいたい批判してると思うんだけど!(笑)まぁ俺は橋下派だけどね♪
維新も、終わったね。
とても痛ましいです。
学校、教師、行政の責任者。
責任を問われなければならない立場の方々もいるでしょうが、
それよりも、自殺やむ無しに至った子供が、保護者に相談できる関係作りをしなければならないのでは?
自分の子供が自殺してしまった責任を他人に求めたくなる気持ちも理解できますが、先ずしなければならない事を避けているように思います。
ただ一言の相談が出来れば子供の自殺は減ると思いますが…
そもそも「体罰の禁止」が本当に暴力の否定につながっているのか?私は非常に疑問です。
「しつけ」と称して自分の子供に怪我を負わせたり殺したりしている連中こそ、体罰禁止の時代に育ってきた世代のなれの果てのように思いますが、偏った見方でしょうか。他の条件もあるから単純には比べられませんが、昔はやんちゃ世代の小学生の頭にたんこぶ作るくらいの親父はうじゃうじゃいたけど、赤ん坊に暴力ふるうような親は居なかった。
それに、今の体罰規制は、教育上の配慮と言うよりは、親からの苦情が怖いからやらないと言う要素の方が大きいように思います。はっきり言って動機が不純。そこをきれいごとで覆い隠しているために、却って大きなひずみを生じさせているのではないでしょうか。
で、今まで違法行為をあおる言動を続けてきた橋下トオル氏、言うに事欠いて、大阪市の校長を全員外部から入れるんだそうです。つまり、担任経験皆無の校長だらけにしたいと。度し難し橋下オトル行政。
競争や強制が大好きだ、とも言ってました。
先生やお巡りさんは、ペーパー試験やたいこ持ちでなく、住民や生徒との密着度で出世(本人が望まないなら昇給)させるべきだと思います。
そもそも、そういう手続きもなされずに、生まれたらいつのまにか、理由もわからず、学校という、きつくて、なぜ行くのか意味の分からない場所にいかされる、という状況に一般になっており、これは、主体性を持ちたい人間にとって我慢しがたいことだと思います。生徒が、学校にいろいろ逆らう行動をしはじめるのも(それはそれでまた、学校の理不尽さに対する、売り言葉に買い言葉的な反応なのでしょうが)無理はないように思えます。
本当は、就学義務がある、というのも考え直すべきだと思っています。学校に行くかどうかも子供と親が相談して、主体的に選べるように。私としては、就学義務や義務教育は、子供を大人や親の為の過剰な労働から解放すること、知性を得たい子供の願いをかなえるためにあったのだと勝手に思っているのですが、であるなら、子の知的欲求をかなええる親の家庭には就学義務を免除したりできるとかすればいいと思っています。
理不尽な規則、と言うのは、単純に、制服やおしゃれの制限からしてそうです。本人の安全を守るために制服にしているということが正当化できるのであれば、この意義をきちんと説明すべきです(そしてそういう学校に行くかどうかも生徒が選べるようにしておくべき。特に、公立の学校なら、―経済状況の良くない子の場合私立は選べず否応なくその学校になるから―理不尽な規則はなくしておくべきです)。学校の美意識からであればその規則は不要です。制服は結構お金もかかります。校区内の生徒の監視、というのも、これは親や警察にまかせるべきだと思います。ともかく学校が手を広げすぎて、学校外のことでまで生徒を監視しすぎです。給食も全部たべさせるなどして(残飯は持ち帰らせればいいのに)、生物的な無理を与えてしまいますが、それが教育だと考えられがちのように思います。これほど、理の通らない無理を与えられている生徒が逆らいはじめるのは当然だと思います。すべてを(法律も含めて)一回白紙に戻して、考え直したほうがいいのではと思います。体罰もしかたがない、と言うまえに、そこまで考えないとと思います。現実はそんなにすぐ変えられない、と言われるかも知れませんが、それがいつまでも同じ状況を存続させているのだと思います。このような方向性を学校側が努力していることをしめせれば、それだけでも少しは生徒側も変わってくるのではないでしょうか。
特にモンペアについての記述部分。私の解釈では,
・何気に押したり(=小突いたり?),
・(プリントで頭の上を軽く)ハタいたり」
するだけでも,教委に訴えるモンペアがいる云々の箇所には,わかるところがありました(注:このコヅくハタくの例は,上の投稿からの引用ではなく,趣旨を理解してわかりやすく実例としてまとめた具体例です)。
私は早期に若年退職した身ですが,いつ頃からか「ちょっとしたことでも暴力と言われないか」を常に意識せねばならなくなり,教師としてやりにくいと思ったことがありましたので。
私は高校教諭でしたが,公立中教諭の友人(女性)に荒れた中学の実態を聞いて(警察が鎮圧に校舎に入るレベル),自分なら(というか女性なら,身の危険を感じて)指導できないレベルやなーと思ったことがあるし,新卒で公立中教諭になったが,生徒の暴力的行為によるストレスゆえ数年で退職した大学の友人(男性)も知っています。荒れた中学で、生徒への「罰」としての暴力ではなく,生徒を抑え,生徒から守る力(としての暴力)を禁じられたら,先生は,教室内は,どうなるのか,
現場で大変な思いをされている先生の心労を考えると,心が痛みます。
でも,もちろん,それが全ての学校にあてはまるわけではありません。
まず,中学生と高校生とでは,教師が生徒指導の際に取れる「手段」に違いがあります。高校生は(ray先生の生徒さんである大学生も)ある意味大人なので,言い聞かせてわかる範囲が広く,仲間や親のことも考えることができる。また社会のこともある程度わかっているので,犯罪や逮捕なんたるかの認識,自分の将来への損得の判断も可能。そして高校では公的な(懲戒)処分として停学や退学があり,そもそも生徒は義務教育でない場に自ら望んで入学して来るので,ある程度,学校側も強い線引きができ,それらを歯止めとして指導することもでき易いです。
でも中学は違います。周囲に重大な迷惑を及ぼす場合に「出席停止(出停)」があるものの,停学や退学の懲戒はなし。出停も,内申書に書く関係で,学校・教師側の「中学生という年齢の若さ」への配慮があり,実際にはなかなか出停に踏み切れないらしい。15才の壁は思いのほか高いようです。酷い場合,暴力生徒の方が「教師はどうせオレらを殴れない」とタカをくくり,自分は気に入らない教師を殴る蹴る,暴言,器物損壊など,したい放題することもあるとか。“現場に立った人間”さんは,もしかしたら,そんな例を思い浮かべて「理想論では済まない」と言っておられるのかもしれないと思いました。
また私の(昔の)勤務高におられた,定年退職間際で「仏の〇〇さん」と生徒に呼ばれていた先生。温和で優しく,声を荒げることのない彼は,「(自分は)若い頃(底辺高と言われる高校に勤務時)は,殺人以外の暴力行為は何でもやった」と仰ってました。誇張もあったかもしれない。でも,壮絶な葛藤の日々があったことはよくわかりました。若い教師が授業時の生徒に関する悩みを種々彼に話すと,「でもココの子は皆,座って前向いてるやんか」と。
このような教師としての経験から,中学(生)だけでなく,高校(生)でも,どうやら学校により,先生が暴力で対応しないと先生自身や他の生徒を守れないという意味で,「暴力が(やむを得ず)必要」な学校があるのかもしれないと思ったことが,私にもありました。
橋本は昔から体罰を容認する発言をマスコミでしてきました
弁護士で法を勉強しているのをいい事に、この程度ならとか
この部位ならとか体罰を正当化する発言をしてきました
人に影響を与える仕事をしている自覚がない
橋本は1000万使って調べさせると言っていましたが
それも税金、金が必要なら責任を取り自分の給料から払うべきです
私のハンドルネームは、そのまんまの意味です。知らない土地に旅行などで行ったら、国内外問わず、まず私はドラッグストアに突入し、ケア製品や特に海外では安くて色とりどりのビタミン類にうっとりします。
海外は最近はとんと行けませんが。
本題、体罰について。
コメントに、ブログ主のような甘いバカ親のせいでバカな生徒は暴れ、街でも老人に席もゆずらないとまでするものがありましたがバカいっちゃあいけません。
今でも体罰などしなくても指導できる先生はいらっしゃいますよ。それでも押さえられない凶暴生徒は学校全体、自治体レベルで対処しなければ無理ですから、橋下市長のように他人事パフォーマンスだけでは困るのです。
ただ教師が体罰などしなくても指導できるまでに成長するのを妨げる環境というものもあるかもしれません。
学生からいきなり先生になる新卒採用主義、文科省トップからの上意下達オンリーで一人一人の先生が弱い現場。
いっそ先生採用には、モンペア(私は地域性か?この目で見たことは無いのですが実在するとして)にも堂々渡り合える度量を持ち、教育委員会をも上手くはぐらかせる年輪の知恵を持ち、
無償で少年野球を指導しているような熱意ある大人の方をたくさん中途採用してほしいです。
いくらでも応募はあるでしょう。
どこまでも自由に考えることを勧め、自分をよりよく表現できるように助けるのが教育だと思います。しかし一般には、これとまったく逆行する、なるべく自由を抑え込むこと、しめつけること、上に従うようにさせること、自由に考えさせず(考えさせたとしても、せいぜいそれは教科内にとどまり学校、社会批判はタブーとされる)思考停止させること、が教育と思われているように思えてなりません。こういう考えこそが、体罰がやまない原因のひとつではないでしょうか。
その意味では、以前橋下氏が、どこかの学校での生徒への講演で、だったでしょうか、「なぜこの規則があるのか、なぜ起立して国歌斉唱をしなければならないのか、なんて、今の年齢で考える必要はない。従っておけばいい。」というような旨のことを話していたように記憶していますが(私の記憶違いであれば、申し訳ありません)、基本的な心性としては体罰へ向かう心性と共通するものがあるように思えます。のみならず、こういう思考停止の勧め自体が既に、体罰と等価であり、パワハラであるとも思います。安倍氏の親学も、子育てのマニュアル化という思考停止であり、共通する心性を持つものに思えます。
「いじめ」も、結局、大人が冷静に論理的に子供と話し合うこともなく、子供扱いすることによって、子供自身もまさに「子供」の位置に落とされつづける。論理的に主張しようとしても大人にさえ通じないものだから、結局、論理に無力を感じ、論理を自分たちの導きの糸として上におけず、同胞関係においても、論理的に話し合うでもなく、自分自身がルールブックになろうとする、とか、力に頼ってインスタントに自分の欲望を満たそうとしはじめる。そういうところに原因のひとつがあるのではないでしょうか。そういう意味では体罰もいじめも全て連動しているのだと思います。
結局、自由な考えを子供に許すとめちゃくちゃになる、という考えが教育者にあるのが一つの問題なのでしょうか。中途半端でなく十分に自由に考えを言葉にさせれば本当はそんなことにはならないのに。なぜなら、言葉は、他者が自分とは違う独立した存在であり言葉で伝えないと相手もわからないのだと思っているからこそ在るものであり、また言葉を育てるほど他者がますます独立した存在となっていくわけです。「怒り」は、まさに、他者が独立したものと感じられていず自分の自由になる存在であるはずなのに、それに応じてくれない、と言うときにあるものでしょう。その意味で、言葉が育って他者を独立した存在に思えるということは、他者を傷つけない方向へと行けた、ということになるわけで、実は、自由に考えさせることこそ、思いやりも育てえる方向だということになるからです。
また、10回以上、公立の中学や高校に行って授業をしたことがあります。
しかし、それは毎日毎日中学や高校で教えることとは違うと思います。ただ、教えることの勘はあるつもりです。
>橋下市長が今まで述べてきた体罰についての見解はわたしは、間違っていないと思います。文句がるなら、あなたがあんなに大変な大阪を変えていこうと、日本を変えていこうと立ち上がればいいじゃありませんか。
もし橋下氏を支持されるなら、あなたこそここでコメントされるよりも、橋下氏と同じく勇気を出して、ご自身の現場で堂々と体罰肯定をおっしゃったらどうですか。
>偽善者のように、体罰禁止、とだけ叫ぶあなたたち、日本の若者が平気で電車内の優先席に座って高齢者に席を譲ろうともしない、こんな世の中にしつしまったのは、この体罰禁止になってからです。
そうは思いません。
かつて体罰を受けて育ち礼儀正しきはずの中高年のモラルなき姿を見て育ったのが今の若者たちだからだと思います。だいたい、今の中年の人も高齢者のために席を譲らないようです。これでは青少年が譲るように育たないでしょう。
誤解されているようですが、日本では明治維新の10年後には体罰禁止が定められていました。体罰が肯定されたのは戦争を起こす段階になってからです。学校の教育が軍隊方式になってしまったのです。
また体罰を禁止する学校教育法が制定されたのは昭和22年のことです。
それでも体罰が後を絶たなかったのは、戦前の洗脳が尾を引いてきたせいだと思います。体罰以外にもそういう事例はたくさんありますよね。
現場に立った人間様が、もし今も現場で頑張られているのでしたら、林竹二先生(学校の現場にも立たれたことのある高名な教育学者)と灰谷健次郎氏(学校の現場に立たれていた児童文学者で体罰をする教師を「教員やくざ」と呼んでいました)の「教えることと学ぶこと」を是非お読みください。
たとえ予備校の教壇であっても、そこに立つ限りは常に私は忘れないようにしてきました。
生徒さんたちに教えることは、あの人たちから学ぶことだと。
戸塚ヨットスクールの度を越えた体罰が社会で問題になったからです。
しかし、その体罰全面禁止になったせいで、ほんの軽く拳骨を頭に、ということすら許されなくなり、生徒によっては親にすぐ言いつけ(るように親から指導されている)、警察にすぐ電話する親が最近は増え、学校はそんな馬鹿親のせいで、頻繁にパトカーが入るような場所になっています。
橋下市長が言う、「教室で暴れまくる生徒がいて言っても言っても聞かない場合」、それでも、頭を叩くなり、引っ張って教室の外に立たせるなり、そういうこともあなたは全く不可、許さない教室現場でよいとほんとに思いますか。
私は、今回のような度を遥かに越えた体罰で生徒を自殺に追い込んだ教師は、その度を越える線引きができない、麻痺していてのだと思います。
こういう度を越える体罰を禁止するために、体罰全面禁止になった歴史があります。
しかし、それを全くの勘違いした親たちが強くなり、モンスターペアレンツが溢れだしたのも事実。体罰禁止になったせいで、教師たちの立場を全面的に弱くとらえ、教師に平気で上から突っかかる馬鹿親が増えました。
体罰以外の面で教師たちに異常な要求をする親が増えました。
偽善者のように、体罰禁止、とだけ叫ぶあなたたち、日本の若者が平気で電車内の優先席に座って高齢者に席を譲ろうともしない、こんな世の中にしつしまったのは、この体罰禁止になってからです。
あなたは教育現場に立たれたことがありますか。騒いだり常識を越えて全く聞かない生徒がいる教室には、まじめに授業を受けようとする生徒もいるのです。
その子たちの、学習する環境を乱す一部の生徒に口だけで指導しろと?
暴力団があなたの会社に入ってきたら、あなたは出ていってもらいませんか? 学校ではそれを認めずに、まじめに学習したい生徒に我慢させろと?
今回の事件は、特例です。
橋下市長が今まで述べてきた体罰についての見解はわたしは、間違っていないと思います。文句がるなら、あなたがあんなに大変な大阪を変えていこうと、日本を変えていこうと立ち上がればいいじゃありませんか。
今の若者の社会でのマナーの悪さ、これを解決できないのは、なんのせい?
親たちです。あなたのような親たちが子供を甘やかしすぎ。
部活での体罰を禁止にするなら、部活顧問が全くのボランティアである制度を廃止すべき。顧問がどれほどのプレッシャーで期待をされているか、今回のような強豪校で調べてみて下さい。
今回の事件は異例。
けど、全く体罰を禁止にしたら、日本の教育はいまのように崩壊です。
勿論、橋下は悪者ですよ。
民主主義の破壊者です。
「独裁」などと言っていますが、恐ろしいことです。
「金がない」とも言っていますが、誰のせいですか?
みんな、戦後の悪い政治家の汚職が原因でしょう。
橋下は「官僚体質を変える」などと言って出てきましたが、
結局、利用されてしまっているように思います。
日本人のミーハー体質をいい加減変えないと、
こういう危険な勢力がこれからも出てくるでしょう。
間接的な「殺人鬼」である、「ワタミ」の会長を
ブレーンに据えようとしていた人物に、
政治に出てこないでもらいたい。
まあ、閑話休題。
体罰はやはりいけないんでしょう。
子供に「人間として最低限の倫理」を教えるのは
親の役割ですが、家族が崩壊してしまって、
親が子供の教育をすべて学校に押し付けしまうのが、
何より問題です。
更に真摯に謝罪するよう「願ってます」と書きました。
パフォーマンスの謝罪だったと非難している文章がどこにあるのか逆に教えて下さいませんか。
しかしながら、謝罪するのは当たり前であってプラス要素には見えず、逆に今頃の謝罪はマイナス要素としか感じません。
そして、私は謝罪後の記者会見を見て、「この件に関して言えば」とか「行政側の責任」という言葉を使う辺り、この人の本質はやはり変わらないなと思いました。
体罰に対する考えが改まったのかは、今後の対応を見なければ評価は出来ないと考えています。
…橋下氏が何をすればやるべき事をやっているですか?
私に言わせれば、これから何もせずとも結構、就任してから今までの数々の問題の責任を取り、今すぐに市長を辞めてくれと思っています。
いじめ事件が報道されて以来の大津の越市長の対応とは、えらい違いです。
こういう細かなところで、人間の本性が露わになってきますね。
橋下が首長としての責任を自覚していないことは、彼のこの間の一連のコメントでよくわかりました。
自殺なさった高校生は、学校教師のみならず行政や行政機構のトップの資質、さらには橋下の支援者の体質までも明らかにしてくれました。
ここに瞑目し、謹んで彼の魂が安かれと祈りを捧げます。
ありがとうございました。
刑法上の罪に問えるとしたら、虚偽診断書等作成罪がまず思い浮かびますが、これは医師にしか適用されない罪です。刑罰は類推適用はありませんのでスクールカウンセラーには関係しません。
160条 医師が公務所に提出すべき診断書,検案書又は死亡証書に虚偽の記載をしたとき
しかし、体罰は暴行罪、けがをさせれば傷害罪なので、その証拠を隠滅すると証拠隠滅罪になります。
他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
臨床心理士さんも業務記録の改ざんを命じた校長先生たちも共同正犯となります。
それにしても現場の実態は厳しいものですね。
なんとか頑張ってくださいませ。
12日、謝罪に行きました。
そしたら、パフォーマンスっていうんですか?
じゃ、なにすればあなた方は橋下氏はやるべきことをやっていると言うんですか?
なんでも非難してるって、見苦しいです。
処分数でなく、生徒の訴えてきた数を公表すべきですね。と言っても、泣き寝入りして訴えない生徒もいるだろうし、そもそも学校側は調べないでしょうが。地域によるかも知れませんが、スクールカウンセラーに対しても、いじめの数を教委に報告する欄が文書上はあっても、体罰数を報告する欄は無いらしいのも問題だと思います。
また、生徒側が被害届を出すということは、今後の学校や他の家族との関係などもあって、やりにくいということもあるでしょうから、それを知った他の生徒なり、教員なりが訴えることによって事件にすることができればいいと思うのですが、それは法律上不可能なのでしょうか?
臨床心理士はスクールカウンセラーに派遣される機会も多い職業ですが、教師の体罰をカウンセラーに訴えてきた生徒に対してうまくなだめるように、「自分たち(生徒)が悪かったからそうされたのだ」、と理解できるようにして丸く収めてくれ、と校長や教員側から言われる心理士もあると聞きます。また業務記録から体罰が疑われる記録は削除を命じられた心理士もありました。しかし、心理士としてそうすることは、また、生徒の心にまで踏み込む洗脳であり、また、場合によれば、教師との共謀罪あるいは隠匿の罪になるようにも思えます。法律にはあかるくありませんのでそのへんよくわかりませんが(実際どうなのでしょうか)、むしろ、そのように教師の体罰を隠すことに協力することは違法なのだ、と明示されると心理士としても今後やりやすくなるな(しっかりと上記のような学校側からの促しも断れるし)と思っているところです。
12日に謝罪するという橋下市長にはくれぐれも故人や遺族を軽視したパフォーマンスではなく、真摯に謝罪をされるよう願ってます。
しかし…「いじめによる自殺よりはるかに重い」なんて発言するとは…信じられないです。
今年の一文字は「愛」と言ったのは誰だったのか…橋下市長の本質は「愛」とはかけ離れたものだという事を新年早々に再度思い知らされました。
そして、あんな過剰な体罰を行った先生も酷すぎます。体罰の名を借りた私刑です。
体罰であれ言葉であれ、暴力は相手を傷つけ暴力の連鎖を作るだけです。
何とかそんな流れが良い方に向けばと願わずにはいられません。
ご挨拶が遅れましたが、昨年はお世話になりました。
年末の総選挙後、仕事で一年以上一緒に作業していた後輩が脊椎分離症でリタイアし、自分もふくらはぎ肉離れで年末年始を療養で過ごすといった、何とも言えない新年の幕開けとなりましたが、健康に気をつけて頑張ります!
ブログ主様も、忙しい仕事の合間を縫ってのブログ執筆大変かとは思いますが、自分にとってはこのブログは勉強になり励みにもなりますので、記事のアップを楽しみにしております。
本年もよろしくお願いします。
遺族への謝罪も「パフォーマンス」に見えて仕方がない。
この件を利用して「如何にして教育現場に介入してやろうか」と「あくどい計略」をめぐらしいるのではないだろうか・・