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2022年7月8日に安倍晋三元首相が射殺されてから今日で丸3年。
この日に合わせて大阪護国神社で7月6日、慰霊祭と顕彰碑の除幕式が行われたそうなんですが、参政党や国民民主党など右翼政党がずらっと並ぶこの参院選の最中に、右翼政治家の代表格だった安倍氏の顕彰碑が神社に建立されるなんて薄気味悪くて仕方がないです。
しかも、護国神社は国家神道体制のもとでアジア太平洋戦争を可能にした「道具」の一つ、靖国神社の下部施設ですからなおさらです。
あれですか、安倍晋三氏はとうとう神様になったんですか。
安倍晋三元首相、死去。敵対者の存在を許さない風潮を作った張本人が非業の死を遂げる。安倍氏の生前に政治的・法的責任を取らせることができなかったことが市民社会の大きな悔いだ。
統一教会の強化に使われた安倍晋三元首相の国葬。「安倍氏が総理になれたのは、我々がトップにつけるように祈っていたからだ。そのおかげで、国葬という形で霊界に旅立たれる」
呆れたことに、正面右側に、妻の安倍昭恵さんが揮毫した
「憲政殉難之碑」
の文字が刻まれているのですが、安倍首相が「憲政」史上最も長く首相の座にとどまった総理大臣であることは間違いありませんが、そもそも憲政とは、憲法に基づいて行われる政治、すなわち立憲主義に基づく政治体制を指します。
曲がりなりにも戦前も大日本帝国憲法ができたので、それ以降の日本の政治を憲政というわけですが、本来はこの体制では、国家権力の行使が憲法によって制限されていることが特徴であり、単に憲法が存在するだけでなく、その憲法が実質的に権力を制約し、国民の権利や自由を保障する仕組みが整えられていることが憲政の条件です。
そこからすると、安倍氏ほど憲法を蹂躙する政治、安保法制など憲法違反と人権侵害の立法を強行採決して無理やり作った首相もほかにいないわけで、彼の死が「憲政殉難」(憲政の危機に際して身を挺して犠牲になったの意)とは程遠いものであることは明らかです。
だって、憲法を軽んじて市民の自由と権利を侵害し続けた統一教会と癒着して、広告塔にまでなったから、安倍氏は殺されたのでしょう?
【#安倍晋三が諸悪の根源】伊達忠一前参議院議長が、安倍晋三元首相に旧統一教会の票を依頼し、当選のお礼に統一教会のイベントに3回出席。安倍元首相は統一教会票の手配師だった(動画あり)。

統一教会の機関紙「世界日報」が安倍派を応援!「安倍派報道の屈辱に負けるな」「 安倍元首相と安倍派の名誉にかけて、その遺志を受け継ぐ有志らによって再起し、日本国のために立ち上がらなければならない」w
さらにこの顕彰碑の左側には、安倍氏の写真が入った陶板が組み込まれ、その下部には、安倍氏が生前記した
「板垣死すとも自由は死せず」
の文言も刻まれています(板垣氏が暗殺未遂の時に本当にこう言ったかについては争いがあり、しかも彼は90歳代まで長生きして病死です)。
板垣退助って明治政府に抵抗して、まともな憲法を作ろうという自由民権運動を進めた人ですよ。
安倍氏が政治家としてやったこととまるで真逆じゃないですか。
安倍昭恵氏と彼女を取り巻く安倍信者たちはどうしても安倍氏が自由と人権を守るという信念を貫いて殉難したんだというストーリーをでっちあげたいようですが、安倍氏が政治家としてやったことは実は今の雨後の筍のようにある右翼政党の生みの親になったことです。
彼らの歴史修正を許してはなりません。
【独自】安倍晋三氏と旧統一教会会長、自民党本部で選挙支援確認か 写真入手https://t.co/hRuxewH8Qc
— 朝日新聞デジタル速報席 (@asahicom) September 16, 2024
安倍晋三首相(当時)が2013年の参議院選挙直前、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会長らと自民党本部の総裁応接室で面談していたとみられることが複数の関係者への取材でわかりました。 pic.twitter.com/DiAWoKckGG
朝日新聞が安倍晋三首相が自民党総裁室での統一教会会長ら幹部との面談をスクープ。2013年参院選で元産経新聞記者の北村経夫氏への応援を依頼。自民党総裁候補9人は教団と党の関係を再調査するかどうか答えろ。
【何が聞く耳を持つだ!】森友事件の訴訟で国が原告の請求を認諾して裁判強制終了。安倍夫妻らを守るためなら何でもする岸田政権に対して、原告の赤木雅子さんが「ふざけるな!」「卑怯!」と罵るのは当然だ。
私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?
編集後記
森友学園事件。自死された財務省職員が遺書で「すべて佐川局長の指示」。それでは佐川局長に指示したのは誰なのか。
石破政権が公開し始めた森友事件文書に欠落があるのは「国会での質問につながりうる材料を極力少なくすることが主たる目的だった」(財務省)。国会は特別委員会を作って麻生元財務相や佐川元局長らを証人喚問せよ。
安倍晋三氏が自由と人権を守るそれほど立派な夫であり政治家だったと思うのなら、彼とあなたを守るために公文書の改ざんをさせられた赤木俊夫さんの
「悪政受難之碑」
とでも、顕彰碑も作ってあげてくださいよ、安倍昭恵さん。
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昭恵さんは慰霊祭などが終了した後、「関係者の多くの皆さまのご尽力で(主人の顕彰碑を)建立できました。ありがとうございました。主人も喜んでいることと思います。主人は毎朝、神棚と先祖に手を合わせ、夜戻ってくると国家の平和を祈っているような人でした。魂になっても、国家のために働いているでしょう」とあいさつした。
魂になっても国家のために
大阪護国神社の本殿近く憲政殉難之碑に建立された顕彰碑は、高さ約160センチ、幅約150センチ、最高級の庵治石(あじいし)製。正面右側に、昭恵さんが揮毫(きごう)した「憲政殉難之碑」の文字が刻まれている。左側には、安倍氏の写真が入った陶板が組み込まれ、その下部には、安倍氏が生前記した明治時代の政治家、板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」の文言も刻まれた。板垣も自由民権運動中に暴漢に何度も襲われた。
碑の裏側には、「偉大なる遺徳と足磧を 今を生きる私たちは受け継いでまいります」と建立者らの思いがつづられていた。
建立責任者である大阪護国神社責任役員の寺内俊太郎氏は「数年前、安倍さんにお会いして、講演を聞かせていただいた。『日本の国のため』という思いが全身にあふれていた。まさに、『日本人の誇り』を体現されていた。事件は残念だった。みんなの(顕彰碑を建立しようという)思いがつながった」などと述べた。
安倍氏と板垣には縁がある。
一般社団法人「板垣退助先生顕彰会」が平成30年、板垣の100回忌に合わせて位牌(いはい)を新調した際、板垣が結党した自由党の後継政党である自民党の当時の総裁、安倍氏に揮毫を依頼し、安倍氏が快諾したのだ。
顕彰碑建立に尽力した板垣会の理事長で、板垣の玄孫(やしゃご)である高岡功太郎氏は「実は、当会は昭和43年、板垣の50回忌に合わせて安倍氏の大叔父である佐藤栄作元首相が名誉総裁となって設立された。このため、安倍氏は多忙な公務の合間に素晴らしい字を書いてくださった。それから4年後(令和4年7月8日)、考えられない事件が起きた」といい、続けた。
安倍氏の志を途絶えさせない
「安倍氏と、暴漢に襲われた板垣と重ねずにはいられなかった。安倍氏は外交・安全保障や経済政策などで多くの功績を残した。日本の自主的な憲法改正も悲願としていた。ところが、安倍氏の死後、安倍氏を誹謗(ひぼう)する言動が見られた。ある新聞は、安倍氏の事件や国葬を揶揄(やゆ)するような『川柳』まで掲載した。暴力によって安倍氏の志を途絶えさせてはならないと強く思った」
「現場である奈良市・近鉄大和西大寺駅前に、あの事件と安倍氏の功績を伝える碑などができることを期待し、板垣会としても奈良県や奈良市に請願したが、取り付くしまもなかった。事件の翌年と昨年、板垣会が主催して大阪護国神社で慰霊祭などを開いた。『恒常的にお奉(まつ)りできるものをつくりたい』という声が広がった」
護国神社は、国家のために殉難した人の霊を祀る神社である。前出の寺内氏が顕彰碑建立の具体案を提示し、修正を重ねた。同神社の藤江正鎭宮司や、昭恵さんの快諾もあり、今年1月以降、顕彰碑建立が一気に進んだという。
人々に支持された元首相
高岡氏は「国葬のとき、一般参列者が何キロも列をつくったように、あれほど人々に支持され、愛された元首相はいなかった。安倍氏の死後、日本は良くない方向に進んでる気がしてならない。碑に刻んだ『憲政殉難』の文字は、安倍氏を単に偲んで顕彰するだけでなく、われわれが、その精神を継承する決意を込めたものです」と語った。
慰霊祭と顕彰碑の除幕式には、自民党の青山繁晴参院議員や、中山泰秀、長尾敬両元衆院議員、高市早苗前経済安保担当相の秘書ら約40人が出席した。
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