日日是好日

「アナザー・カントリー」について、実に主観的に書き散らしてます。
たまに身辺の雑記も。

こないだの能

2014-12-24 22:55:09 | 
※私は能前の「お話」が嫌いで、わざと聞かないことにしています。
解釈が乱れているかもしれませんが、あくまで私見なので。


小督:
どの能でもそうですが、まず注目してしまうのが、
衣裳のきらびやかさの順列。
宮殿の勅使は、金箔のきんきらきん。
シテの仲国は地味。
嵯峨野の里人も、里人にしてはかなりいい服を着ている。
そして、小督の局と、その侍女。
どっちが局?とわからぬほどに二人とも豪奢です。色も、おそらく故意に合わせてオレンジ系統。
つまり金がかかっている順に、
小督と侍女>勅使>里人>仲国、となる。
都会の小金持ちが、田舎の大金持ちのところに、貧乏人を派遣した格好です。ただ小金持ちの上役は前天皇の院なので、高貴さだけは誰にも負けません。

仲国は変な棒きれを持って、小督を訪ね歩く。
仲国と小督の間は、最初は木戸と柴垣に遮られていますが、問答するうちに、それが文字通り取り払われます(後見が舞台から下げるのです)。
仲国と小督と侍女が、おなじ器に入るのです。
これがいいんだなあ。三位が一体となり、平均化される。三人ではなく、一人が三分割される。
豪華な衣装は女性二人だけのものではなく、仲国のものともなる。仲国が宮殿から背負ってきた想いは、小督の想いともなる。
懐の文を交換するという動作で、『文以外の何か』もまた、交換が行われるのです。
仲国は貧相な棒ではなく扇を持ち、舞を舞う。仲国の舞でもあり、また小督の舞でもある。両者が合わさったために化学変化を起こし、発火した熱の発露かもしれません。

登場人物は最後に橋掛かりから退場します。小督はフィジカルにだけでなく、メンタルな意味でも、仲国に「付いていく」ように見えました。



国栖:
壬申の乱がバックボーン。
ただしのちの天武天皇はまだ子供で、伯父に追われて吉野に逃げこんだことになっています。伯父・甥が逆になっているわけだ。個性を剥いで受け身にするための手法でしょう。
可哀そうな子供である王子を、親切なおじいさん(前シテ)とおばあさんがもてなし、庇ってあげます。

中入り後すぐ、天女が入場し、ほのぼのと祝いの舞を舞います。
この天女がね、ずいぶん幼く見えるのですよ。王子が小学生ならば、中学生ぐらい。
子供の、拙い舞い。技術がどうとかいうのではなく、『前座』であることを観客に強調するような天女の年齢設定です。

そして「やっぱり」という感じで、後シテがおどろおどろしく登場する。
この後シテは、前シテの「親切なおじいさん」と同じ人です。
保護者であったはずの老人が一転、今度は荒々しく舞う。
優しいだけではダメ、暖かなだけではダメなんだ。いい子いい子と愛撫されているだけの子供では、お前はこの先生きていけない。この戦いに勝利し、いずれは一国を背負って立つべき身なのだから。
つらいこと、苦しいことが、王子の将来には山積みなのだと、そう言い聞かせるような舞いでした。

天女が『保護されるべき子供=過去』の象徴ならば、
権現(だったかな)は『道を切り開く成人=未来』です。


席は自由席で、私には珍しく正面で見られました。
高いシートなんですが、意外と死角が多いんですよね。
いつもの脇正面は、時として人物の背中ばかりが見えるが、それでも満遍なく見渡せる。橋掛かりも近いし。前には舞台、左側には橋掛かりで、「舞台に抱かれている」ような心地よさがあります。
やっぱり私は、脇正面が好きです。



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