心の自由

被曝を最小限にして命を繋ごう!

1<福島の子供達を疎開・避難させよ>5/16(毎水曜)19~21時文科省前抗議

2012年05月15日 | 日記

文/Sophie Pasquet ソフィー・パスケ(フォトジャーナリスト)   (以下転載・抜粋)

no.1                                                          新幹線で福島駅に着いてみると、普段より呼吸を控えようとする自分に気が付いた。
チェルノブイリの事故以来、最大級の原発事故で有害物質がまき散らされた空気の中で、そんなことをしようとするのは馬鹿げた試みだった。
2児の母のAさんは笑いながらこう言った。「私たちも始めはそう思ってました。呼吸してもいの?って。だけどすぐ呼吸しないなんて無理だってことに気が付くんです。爆発の後から日常のほんの些細なことですら、いちいち疑問に思うようになりました。                          この水は飲んでもいいの?食べ物は?外で干せなくなった洗濯物は?                 ちょっと窓を開ける時ですら、風向きを確認してから開けるんです。」

原発から60キロの福島市は他の都市と大して変わらない雰囲気。津波や地震による痕跡はほとんど残ってない。マスクをしている人を見かけることすらまれ。
この街で事故を想起させるのは、母親のカバンに入ったガイガーカウンター、子供の姿の見えない公園、窓際から離して置かれた子供用のマットレス。
福島市には放射能通りと呼ばれる道があり、高線量を示すらしい。
親達の頭を離れることがない疑問。                                      「今日の福島は、子供達にどれほどの危険性があるのだろう?」

1月福島市民主催の子ども健康相談会が開催された。
毎月日本中から10名位の小児科医や栄養士、心理士たちがボランティアでやって来て、福島の住民が無料で身体の調子や悩みについて相談する。                            やってくる親は、中学生の子供の慢性的疲労や、小さい子の気になる症状、病院での検査結果などを抱えてやってくるという。
チェルノブイリの架け橋のメンバーで、小児科医のHさん「福島の子供達から、大量の鼻血や下痢が報告されています。チェルノブイリ以来、これらは外部から大量の放射線を浴びた結果の初期症状だとわかっています。子供の免疫力は大人の8分の1の強さしかないのです。」

N医師によると、爆発後の急激な外部被曝に加え、呼吸や食べ物で引き起こされる内部被爆が、
一番危険だという。今日の日本のコンセンサスとは違った言葉で話を締めくくる。
「福島産の果物や野菜、水や牛乳、米はなるべく避けること。体内の放射性物質を除去する効果があるペクチンをなるべく摂取すること。子供達の様子を定期的にチェックすること。        可能な限り頻繁に、遠く離れた所へ子供を連れて行って保養させること。               そしてもし可能なら--- 避難させること。」

避難・・・愛着のある土地や人から離れて引っ越しをする・・・。 
福島県では人口200万人のうち、すでに6万2千人が県外へ避難したという。
爆発直後、避難区域に指定されたのは20キロ圏内だけ。数団体が「福島市まで避難区域にすべき」だと主張。福島市では避難区域の立ち入り禁止地区より高線量を示すところがあるから・・・                                                     「少なくとも家庭を持つ人や妊婦さんで避難したい人たちは補償をもらって避難できるようにするべきと思います。20キロの避難区域なんて、当時のチェルノブイリ以下です」と言うのは福島市に市民放射能測定所を設立したIさん。

お金の問題は避難を妨げる主要な要因。けれど問題はそれだけじゃない。
福島に残る方がいいと言う人たちも沢山いるのが現状。                          離れようとすると家族がバラバラになることもある。                                                       30代でエレガントな女性のNさんは台所で娘さん達の料理を作りながら取材に答えてくれた。                           「5月に内閣参与の方が涙ながらに訴えているのをテレビで見た時にすごく衝撃を受けました。 彼は政府が子供達の放射線許容量を引き上げようとしているのが許せなかったんです。     それを訴えて彼は辞任。その頃長女のリンパ腺は腫れ、大量の鼻血を何度も出しました。    鼻血を止めるのにティッシュを一箱使うことすらあったんです。私のまわりには今までに見たこともないような症状を出した子供達が沢山いました。」
彼女は料理を教える仕事を中断し、住んでいた郡山市から110キロ離れた山形県の借り上げ  住宅に移ることにした。3部屋あるアパートの家賃は山形県が払ってくれる。
以降彼女は家族の形を保とうとして努力している。旦那さんは週末に山形にやってくる。「以前に比べて毎月10万円近い出費。今のところ節約してやっていますが、この先は?           主人と離れて暮らすのは本当に辛いです。」

事故から1年が過ぎようとしても、この出来事は人間関係を引き裂いている。
カップル間、家族間、世代間、市民間、避難区域に指定された人たちと自主避難者との間でも、放射能の危険性について話を始めた途端、ギクシャクしたものに変わってしまう。           強制避難区域を広げることを拒否した政府は「除染」効果を強調することを選び、「福島での生活は危険でない」と言っている。                                             福島市役所の説明「今後5年間で森林も道路も全ての家も放射線の除染が完了する予定」
                                                                                            
  フランス語翻訳、取材同行通訳 飯田美樹                      (続く)                       


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