清き心と未知なるものの為に⑨・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
人生に思いをひそめている者は、一瞬の稲妻で照らしたように、他人の占めている
立場を洞察することができる。必要なのは、感情的に不快な刺激がきっかけとなっ
たばあいでも、問題と取り組んで、これを知的に、また明瞭に解明するところまで
行きつき-------そのうえで、行動することである。
なんびとかがある成果をかちとうるために全霊を打ち込んだのに、その成果なるも
のの救いがたい不完全さや空しさが当人ばかりにはわからずにいるのが、はたで見
ていてはっきりと目につくときには、われわれは胸が張り裂けるような思いをする。
しかし、これは程度の差にすぎないのではなかろうか。人生の悲愴な偉大さは、ひ
とつには、この世においては-------そこでは、生き延びるための保存本能のゆえに
自己欺瞞が行なわれるのであるが------努力に打ちこむ真剣さと成果の空しさとのあ
いだに永遠の不釣合いが見られる、ということのうちに存在しているのではなかろ
うか。われわれすべてが-------ひとりひとりが------自分自身をまじめに受け取って
いるということは、たんに滑稽というだけではすまされぬものがある。