清き心の未知のものの為に51・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
より高い任務に身を捧げることができると思って心を灼かれる。なぜかといえば、生は
いまなおすべてを要求しつくしてはいないからである。しかし、もし生が利用しうるかぎ
りのものをすでに取り上げてしまったあとだとすれば、どうであろうか。私の存在の織り
地を豊かにすることができたとすれば、その場合にのみ、もし、そうでなければ・・・。
では、なぜ緊張しているのか。私の人間としての努力のなかを、いかなる野心の流れが還
流していることであろうか。
荒涼たる簸野の秋。------個体が滅びるばあいにさえ、それ自体目的となりうる生。見晴
らしは明らけく、そして高遠である。消滅の寸前にあって、近辺は静まりかえっている。
今宵、死刑執行班の面前に立っているのだとすれば、私は「よし」と言うことであろう。
------疲労や挑戦のゆえにではなくて、連帯性が付与する充全の信頼をもってである。私が
人びとのあいだで生活してゆくにあたっても、このような信頼を保てるようにすること。
ラブランドの秋のあたたかな東風が、水の涸れた川に沿って、雨をふきつけながら過ぎ
てゆく。岸辺では、黄ばんだ楓の木立たちが暴風雨に曝されて揺れ動いている。
消滅の大賛歌の冒頭の数少節。消滅なのである。
「未開の領域の境界線に立つ」未開の領域------おそらくは、ジム翁が自己への絶対的忠
実を通じて絶対的勇気と絶対的謙虚とに到達したときの、ドラミンとのあの最後の出会い
からうかがえよう。執拗につきまとう己の罪悪感を抱きつつ、しかも同時に、この世での
生涯になしうるかぎりにおいては自分の過失を償ったのだ------すでに生命をよこせと詰め
寄ってくる人たちのために、すでに自分がなしおおせた行為によってね------と自覚しつつ。
幸せで、そして穏かである。あたかも、ただひとり海辺を散歩している途中ででもあるかの
ように。
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