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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知のものの為に51・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-07-23 14:46:03 | 森の施設

 

   清き心の未知のものの為に51・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 より高い任務に身を捧げることができると思って心を灼かれる。なぜかといえば、生は

いまなおすべてを要求しつくしてはいないからである。しかし、もし生が利用しうるかぎ

りのものをすでに取り上げてしまったあとだとすれば、どうであろうか。私の存在の織り

地を豊かにすることができたとすれば、その場合にのみ、もし、そうでなければ・・・。

では、なぜ緊張しているのか。私の人間としての努力のなかを、いかなる野心の流れが還

流していることであろうか。

 荒涼たる簸野の秋。------個体が滅びるばあいにさえ、それ自体目的となりうる生。見晴

らしは明らけく、そして高遠である。消滅の寸前にあって、近辺は静まりかえっている。

今宵、死刑執行班の面前に立っているのだとすれば、私は「よし」と言うことであろう。

------疲労や挑戦のゆえにではなくて、連帯性が付与する充全の信頼をもってである。私が

人びとのあいだで生活してゆくにあたっても、このような信頼を保てるようにすること。

 

 ラブランドの秋のあたたかな東風が、水の涸れた川に沿って、雨をふきつけながら過ぎ

てゆく。岸辺では、黄ばんだ楓の木立たちが暴風雨に曝されて揺れ動いている。

 消滅の大賛歌の冒頭の数少節。消滅なのである。

 

 「未開の領域の境界線に立つ」未開の領域------おそらくは、ジム翁が自己への絶対的忠

実を通じて絶対的勇気と絶対的謙虚とに到達したときの、ドラミンとのあの最後の出会い

からうかがえよう。執拗につきまとう己の罪悪感を抱きつつ、しかも同時に、この世での

生涯になしうるかぎりにおいては自分の過失を償ったのだ------すでに生命をよこせと詰め

寄ってくる人たちのために、すでに自分がなしおおせた行為によってね------と自覚しつつ。

幸せで、そして穏かである。あたかも、ただひとり海辺を散歩している途中ででもあるかの

ように。

 

 

 

 

 

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