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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㊶・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-06-10 10:11:04 | 森の施設

 

   清き心の未知なる者もの為に㊶・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 おまえは引き立って見えるようにと念を入れて舞台衣装や仮面を作りあげたのであるが、

それらは、おまえ自身と、おまえがほしがっている同情とのあいだに立ちはだかる壁とな

ったのである。おまえは、裸のままで立っていた日には、その同情をかちえたのに。

 

 命令を発する声は、それが衰えて弱々しい泣き声となったときにしか、服従してもらえ

なかったのである。

 

 自己の将来に拘束されながら生きる。

 たとえば、それが「死にぎわをよくするように心の準備をする」という意味にすぎない

としても。

 

 日ごとにおのれの権力を正当化する者だけが、その権力に値する。

 

 入り交ざった動機。なにかじゆうだいな決定をくだすさいには、われわれの全存在が、

すなわち全量な面も下劣な面もこれに参与する。われわれがある行動を起すにあたって、

それらの諸面がわれわれの人格の内側でひとつに纏(まと)まったばあい、いずれの面が多

面を欺しすかしたのであろうか。

 その行動のあとでメイフィストが現れ出て、にたにたしながら自分のほうが勝ったの

だと名乗りでようととも、その行動の結果にかんするわれわれの活用方法しだいでは、彼

は以前として打ち負かされることがありうるのである。

 

 

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊵・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-06-03 10:20:34 | 森の施設

 

    清き心の未知なるものの為に㊵・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 (社交的)であること-------黙っていては失礼にあたるというだけの理由からおしゃべりする

こと。心を通いあわせ、触れ合わせているという幻想を作り出すために、たがいに身体をこ

すりあわせること。なんという人間の条件の例証であろうか! そのうえ、われわれの精神的

資源を不当に使うみとがすべてそうであるように、これもまたいたずらに疲労を招く、人類が

人類自身にたいしてあたかも-------霊の死という地獄において-----われわれとわが身を懲らし

める鞭にほかならぬかのようなふるまいを見せる仕方は多々あるが、これもまたそのごく小型

なもののひとつなのである。

 

(根性のなさ)------。 われわれはあまりに容易に以下の両者を混同する。そのひとつは、みず

からの所信を責任をもって養護せねばならなくなることへの怖れであり、われわれ自身の確信

以上に他人の意見に左右されがちな傾向であり、端的に言うならば確信の欠如である。あとの

ひとつは、成熟し、また強健な人間が、他人の論拠を十分に尊重する必要があると感ずること

である。まるで隠れん坊のようではないか。悪魔は、われわれの根性のなさを利用しようとす

るとき、それを視野の広さという名で呼ぶわれわれに視野の広さをもたせまいとするとき、そ

れを根性のなさと呼ぶ。

 

 善意の人を包んで輝く勝利の後光。この人が発散する魂の甘美さ。-----つるこけももや黄い

ちごの風味、秋霜烈日の感触。

 

 甚だしい傲慢さの破廉恥。そのほこりは王冠を台座からつかみ取り、われとわが手でそれを

額にかぶせる。

 人間の秩序を形づくるいっさいのものと無縁なるに至った、甚だしい傲慢さ。

 寓話一遍。-----むかしむかし、あるところに、ひとつの王冠がありました。それはたいへん

重かったので、それをかぶっていられるのは、その光輝をすっかり忘れきっていられる人だけ

でした。

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊴・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-31 10:25:44 | 森の施設

   

   清き心の未知なるものの為に㊴・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 「夜は近きにあり。」そう、またひととせを重ねた。そして、もし今日最後の日であると

したら!

 「-------われわれが買いたたかれたり脅かされたりすることが、どうしてありえようか。

とうにそのときどきに余分の支払を得ているのに・・・・」

 日は日にあいつぎ、われわれを容赦なく前へ前へと押しやってゆく。------この最後の日に

むかって、そう思うとき、はっとするのは、もう(その先)がないという瞬間があるのを考える

ときである。私は選ぶ者として、すべてを指先で試してみることができる。すべてを--------

ただし、ひとつだけ別のものがある。すなわち、日々と歳月とが凝結して成った一瞬である。

死の光に限りなく照らし出された、死の直前のその一瞬である。ただ死のみが測ることので

きる、その一瞬である。

 

 だれかが重要な決定をくだすに先立っておまえの手を握ろうとするとき------鉄の色をした

墨絵のように薄暗い風景のなかに、金色の光がほのかに反射する。おまえが思い切って信ず

ることができずにいたすべてのことの証明。

 

 クリスマスとか、来年の夏とか、大人になると日とか------なにかをまちうけている子供に

とって、時の流れはゆるやかに感じられる。幸福な一日の一瞬一瞬に全霊を捧げつくしてい

る者にとっても、やはりゆるやかである。だが、そのあとは----------

 

 彼は他人にたいして忠実なればこそ、彼らの劣等感のせいで攻撃的にならずにはいなかった。

 

 「他人の無関心のうえにあぐらをかく。」そして同時に、同情に飢えているとは!

 

 現在の瞬間に意義があるのは、われわれを未来へと渡してくれる橋としてではなくて、それ

自体の内容のゆえなのである。もしわれわれにその内容を受け取る力さえあれば、それはわれ

われの空虚を充填して、現在の瞬間に立つわれわれの内容となるのである。

 

 「老人は探検家であってしかるべきだ。」なかには、そうならざをえない人たちもいる-----

なぜならば、普通人の住みなれた世界は彼らにたいして閉ざされているからである。しかし、

首尾よく新しい土地を開拓する者は稀である。

 

 ナルキソスは泉に身をかがめた。-------彼は、これまでに大胆にも思いのままに見つめるこ

とのできた唯一の男から、金縛りあったように目を逸らせずにいたのである。

 ナルキソスは泉に身をかがめた。------彼自身の醜さに魅せられて、なぜならば、彼は自分

の醜さを認める男気があると思って得意がっていたのであるから。

 

 悪魔の宴会の日に伏魔殿へ飛んでゆく。そこでわれわれが出合うのは、ただただわれわれ自

身、われわれ自身、われわれ自身。

 

 われわれはあまり豊かでないのであるから、どんな体験も、もっとも辛い体験さえも、忘れ

てしまう余裕はない。

 

 われわれは懐かしい死者たちのことを思い出す。かれらが生まれたときのことを、前途のあ

った人たちとして。------それとも、みまかったときのことを、達人の域にいたたった人たちと

して。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊳・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-28 09:52:07 | 森の施設

 

    清き心の未知なるものの為に㊳・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

    もっとも長い旅は

    内面へむかっての旅である。

    自己の運命を選びとって、

    おのれの存在の根源をたずねつつ

     (根源があるのであろうか。)

    旅路に立った者は、

    いまだにおまえたちのあいだに留まりつつも、

    それでいて仲間はずれになっていて、

    おまえたちの気持ちからは孤立している------

    まるで、死刑の宣告を下された者が、

    それとも告別がさし迫って、

    万人の避けえぬ定めである孤独へと

    いち早く運命づけられてしまった者のごとく。

 

    おまえたちと彼との間には介在する、

    -------距離が、疑惑が、

    気がかりが。

 

    彼は見るだろう、おまえたちが

    遠く、さらに遠く、さがってゆくのを、

    彼は聞くだろう、おまえたちの呼び声が

    かすかに、さらにかすかに、薄れてゆくのを。

 

 

 今晩の会合が終ってから、罪障感と隣あわせの空虚感が不安の念をかきたてた。この

不安は、無為と不満とに必然的に伴ってくるものである。。

 それというのも、おそらくはこの夕べの集いがなんの意味もなかったからであり、さ

らに無益だったからでもある。-------これほど判明しきっている人間関係においては、

なにを配慮してみても、結局は無益という死に至る罪に譲歩することになるのが落ちで

あるのに、それを承知で、いろいろ配慮して演出した集いだったのである。

 このような事情のもとでは、この喜劇は生ある実在の品位をおとしめる無駄話といった

調子のものとなったが、それでもこれを最後まで演じとおさねばならなかった。

 

 彼が生命の通った接触を求めて、取り乱してみえるまでに苦悩している前にたったとき、

おまえの厚い皮で蔽われて自足している孤独が、なんとあからさまに露呈したことか!

おまえ自身と同じ問題を抱えている者------その同じ問題が彼に腐れのきていない本来の

ままの姿をしているのに、おまえは出会ったのである。------を助けることが、おまえに

とってなんと難しかったことか。

 

 突然、私はこのことを理解した。すなわち、私が私自身にとって実在的であるよりも、

彼は彼自身にとっていっそう実在的なのである。そして、私にたいして要請されているの

は、私の実在に参与するよりいっそう緊密な仕方で彼の実在に------これを客体でなく主体

と見なして------参与せよ、ということであった。

 

 

 

   

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清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-24 10:24:57 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれが人格神を信じなくなった日に神が死ぬ、というようなことはない。かえって、

いっさいの理性を越えたところに源を発する、たえず更新してやまぬ奇跡の放つ光によって

照らされて、われわれの生が変容を遂げる、ということがたえてなくなった日に、われわれ

のほうが死ぬのである。

 

 「他人を目的として扱い、けっして手段としては扱わない。」その半面、私自身を目的と

して扱うのは、私の手段としての資格の範囲内のみに留める。すなわち、私の存在のなかに

ある主体と客体との境界線をしだいに後退させていって、ついに主体が--------たとえそれが

私の内側に留まっていてさえ-----私の外に出て、私を越えた上方に位置するにいたらしめる。

------私の存在全体が、私の内側にありかながら私より偉大なもののための道具となるように。

 

 いま、まさしくこの瞬間にこそ、私はこれまで自分の受けてきたすべてのものにすかんし

て支払をすまさなくてはならない。過去の負債は現在とまさしく等価である。差引ゼロであ

って、私は未来にたいしていかなる債権をも主張しえない。

 ひとりの人間が生と出会うたびごとに、そして、彼がこれまでに生から受けてきた全力を

おのれの生きているこの瞬間に傾注することによって、おのれの負債を返済するたびごとに、

美が湧きあがってくるのではないか。美が------おのれの負債を返済する当人にとって。また

おそらくは、ほかの人たちにとっても。

 

 

 

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