清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
われわれが人格神を信じなくなった日に神が死ぬ、というようなことはない。かえって、
いっさいの理性を越えたところに源を発する、たえず更新してやまぬ奇跡の放つ光によって
照らされて、われわれの生が変容を遂げる、ということがたえてなくなった日に、われわれ
のほうが死ぬのである。
「他人を目的として扱い、けっして手段としては扱わない。」その半面、私自身を目的と
して扱うのは、私の手段としての資格の範囲内のみに留める。すなわち、私の存在のなかに
ある主体と客体との境界線をしだいに後退させていって、ついに主体が--------たとえそれが
私の内側に留まっていてさえ-----私の外に出て、私を越えた上方に位置するにいたらしめる。
------私の存在全体が、私の内側にありかながら私より偉大なもののための道具となるように。
いま、まさしくこの瞬間にこそ、私はこれまで自分の受けてきたすべてのものにすかんし
て支払をすまさなくてはならない。過去の負債は現在とまさしく等価である。差引ゼロであ
って、私は未来にたいしていかなる債権をも主張しえない。
ひとりの人間が生と出会うたびごとに、そして、彼がこれまでに生から受けてきた全力を
おのれの生きているこの瞬間に傾注することによって、おのれの負債を返済するたびごとに、
美が湧きあがってくるのではないか。美が------おのれの負債を返済する当人にとって。また
おそらくは、ほかの人たちにとっても。