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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-24 10:24:57 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれが人格神を信じなくなった日に神が死ぬ、というようなことはない。かえって、

いっさいの理性を越えたところに源を発する、たえず更新してやまぬ奇跡の放つ光によって

照らされて、われわれの生が変容を遂げる、ということがたえてなくなった日に、われわれ

のほうが死ぬのである。

 

 「他人を目的として扱い、けっして手段としては扱わない。」その半面、私自身を目的と

して扱うのは、私の手段としての資格の範囲内のみに留める。すなわち、私の存在のなかに

ある主体と客体との境界線をしだいに後退させていって、ついに主体が--------たとえそれが

私の内側に留まっていてさえ-----私の外に出て、私を越えた上方に位置するにいたらしめる。

------私の存在全体が、私の内側にありかながら私より偉大なもののための道具となるように。

 

 いま、まさしくこの瞬間にこそ、私はこれまで自分の受けてきたすべてのものにすかんし

て支払をすまさなくてはならない。過去の負債は現在とまさしく等価である。差引ゼロであ

って、私は未来にたいしていかなる債権をも主張しえない。

 ひとりの人間が生と出会うたびごとに、そして、彼がこれまでに生から受けてきた全力を

おのれの生きているこの瞬間に傾注することによって、おのれの負債を返済するたびごとに、

美が湧きあがってくるのではないか。美が------おのれの負債を返済する当人にとって。また

おそらくは、ほかの人たちにとっても。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊱・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-23 10:44:00 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊱・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 成功がその空しさを、仕上げた業がその虚妄を、勤労がそのわびしさを、おまえの目から

離すことがけっしてないように、そうすれば、われわれをさらに遠く駆りたてる力は、すな

わち、われわれを押しやってわれわれ自身を越克せしめる魂のなかの痛みは、つねに疼きつ

づけるであろう。

 どこへむかってか。そのことを、私は知らない。そして、知ろうと求めはしない。

 

 小児が片足で横ざまにぴっんと二飛びし、ころばずにすむ。そして、われながら上手なも

のだと得意になる。見物人がいるので、二重に得意になる。われわれは、いつかは大人にな

るのであろうか。

 

 我々の暮らし向きがよく、なにもかも思いのままに進んでゆくとき、われわれは自分が精

神的な自己規律や魂の気高さや高慢な人生観を会得したものと自認することができる。-----

これでは安直すぎる。これでは成功は美徳の報酬なりという考え方とはほとんど選ぶところ

がない。

 

 いつでも立ち去る用意のできていない部屋では、埃が熱くたまり、空気はよどみ、光はか

げる。

 

 われわれの愛は、その対し様を犠牲にする勇気がわれわれになければ、貧相なものとなる。

 われわれの生きようとする意志は、生が自分のものかひとのものかを意に介せずに生きて

こうと思うようになって、はじめて確固たるものとなる。

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-22 15:21:36 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 ずっと以前に死んでしまった人たちについて語った文章を、私はいま読んでいる。こっそり

と、ほかの人たちの名前がその文中に忍びこんでくる。そしていまや、ここに語られているの

はわれわれのこと、われわれが過去の人となりおおせてからのわれわれのことなのである。

そのうち、おおよそは跡方もなく消え失せてしまった。かつては灼けつくほど熱気を帯びてい

た問題が、いまでは冷やかな抽象物のようにペ-ジからペ-ジへとひらたく広がっている。

簡単な問題だったのである。ところが、われわれはそれを解きほぐすことができなかった。

われわれははどうやら愚鈍な操り人形であって、個人的利益で夢中になり、だれもり目にも

くっきり見える糸に引かれて踊らされているのである。しかも、その糸がときおり解れてしま

うのである。

 私が歴史の探求という、この歪んで映る鏡のなかに認めるものは、なにも戯画などといった

ものではない。たんに、それらすべては空であったということの証明にすぎない。

 

 ともあれ、彼は自分のなかにこういうものがあるのを知っていたる-------どの人間にもある

もの、すなわち、卑俗・貪欲・傲慢・羨望------そして、あこがれ。

 あこがれ-----なかんずく、十字架への。

 

 人生とはそんなにも情けないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの

目のほうが濁っているのではないか。おまえこそ、成長しなければならなぬ。

 

 われわれは、自己の運命の輪郭を選ぶことはできぬが、それに内容を与えることならできる。

冒険を求める者はそれに出会うであろう。------自己の勇気に応じて、犠牲たらんと欲する者は

犠牲にせられるであろう-------自己の純粋さに応じて。

 

 

 

 

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清き心の未知なるみのの為に㉝・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-16 09:58:20 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉝・・・ダグ・ハマ-ショルド

 

   沈黙は歌い  

   暗黒は光線に溢れ

   光は

   おのれに対するものを

   旋律のうちに探し求めて

   静寂は

   ことばによって

   おのが解放に至らんと努め 

   生命は

   地底の暗がり潜む

   草木と花とのいかに稀なことよ

   果実のいかに稀なことよ

 

 体験を把握せんがための、これらのみじめな試み(私自身のためにか、それともほかの

人たちのためにか。)------明日の務め。-----Yの友情、はたまた、Xが私の仕事をほめて書

き送ってくれた短信。------いずれも、紙の衝立である。私は、自分の凝視が無限の空間と

時間とのうちに迷いこむことがないように、これらの紙の衝立を自分と虚無とのあいだに

立てる。

 いくつかの小さな紙の衝立。いまにも風が吹き寄せればたちまち千々にちぎられ、ごく

かすかな花火が飛んできてもめらめら燃え上がるであろう。だいじに保存しようとするの

に-----それでも、たえずつぎつぎと取り換えねばなるまい。

 無限の空間に直面したときのこの眩暈(めまい)。------われわれは、あえて無限の空間を

凝視して奥底まで貫き通そうとするとき、また、この空間こそはわれわれの存在を正当化

しうるか否かの試金石となる実在であると認めるとき、そのときにのみ眩暈を克服するの

である。なんとなれば、あらゆるものが在り、そしてわれわれはまさしくそのうちにある。

ということこそ、生きてゆくためにわれわれが到達すべき真理だからである。 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉜・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-14 10:07:44 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㉜・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれの日々のパンのために働く者。

 地位を得よ絵とあくせくする者。

 おのれの権利を享受する者。

 おのれにとっては問題が存在しなくにり-----今は昔日の月桂冠の上に憩っている者。

 では、おまえ自身は。?

 地虫の掘り進めて来た横穴の末端で幼虫が顎(あご)を動かしつづけているように、坑夫は

山のなかの岩を貫きながら道を切り開いていった。その狭い坑道の奥は、坑夫の顔に取り付

けたライトでわずかに照らし出されていた。どこまでも続く暗黒。どこまでも続く同じ冷気

が露を結んで、ぽぽとと滴が垂れていた。どこまでも続く同じ孤独-----彼はそこで、岩の壁

に閉じ込められ、しかも岩のように泰然と構えていられなかった。

 

 そのようにして、彼は大地のなかから鉱石を掘り出した。それは有用な鉱石で、お金にな

った。その金のうち、いくらかはほかの三人のものとなり、あとのいくらかはおまえ自身の

手に入ることとなった。

 すくなくとも骨の髄までこのような実感に徹すること。すなわち、おまえが働くのは専門

において完成の城に達して利己的な満足を得るためではなくして、彼の為なのである。と。

また、彼はおまえに要求をだす権利を保有しており、彼のこの権利はおまえが彼に要求をだ

す権利より優越しているのであると。

 おまえが幸にも得た成功のうちに罪障の償いをする道は、おまえが所有するものを正当化

するために、あるがままのおまえのすべてを捧げつくすことにある。そのさい、おまえ自身

をも他人をも憐れに思うことはいらないし、おまえがこの道を辿りつづけるかぎり、おまえ

は他人にたいして権利を保有しているのだということを完全に自覚してしかるべきある。

 

 

 

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