
清き心の未知なるものの為に㊸・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
筋骨隆々がお自慢のヒロイズムだの、思い入れよろしく気高い態度をみせる犠牲精神-----
それは慈善パ-ティ-の視界を勤めるご婦人方のお茶う受けのケ-キに風味を添えてくれる
-------だのとは、いかにもかけ離れたものがある。すなわち、ある男がこれなら生命を代償
とするに値すると判断したことがらに一身を捧げつくすという。とるに足らぬように見える
事実なのである。
外的状況にさいわいされて自己のもっとも深い運命を達成することができる者が、他のす
べてのものを投げ捨てることを望まなかったがために目標まで到達せずにしまう、というよ
うな結果にむざむざ陥ってよいであろうか。
ある道を選ぶ者は他の道を断念する、という公理を受け入れぬばあいには、十字路立ち止
まっているのが賢明なのだということわを得すべく努めざるをえまい。しかし、ある道を選
んで進んでゆく者を責めてはならぬ、------責めもせず、ほめもするな。
剛毅な、そして熱烈に生きようとする青年。彼ともっとも近づきのあった人たちが語ると
ころによると、彼は最後の晩に食卓から立ち上がると、マントを脱いで、同志や仲間の足を
洗いはじめた。------自己の窮極の運命にただひとり立ち向かう、剛毅な青年。
彼はそれまで、彼の------まさに彼の!-------友情を自分に繋ぎとめようとめざす、いくつ
ものささやかな陰謀を見ていた! 自分の同志たちのだれひとりとして、自分がなぜいま行
動しているように行動せざるをえないのか理解していないのを、彼は知っていた。彼らがど
れ程怖れ、どれほど疑うことになるかを彼は察知していた。そして、彼らのうちのひとりは
すでに自分を密告したのであり、おそらくやがて警察にたいして合図を発するであろう。
彼は、自分の存在と運命とに差しのべられたある可能性に、すでに賭けていたのであった。
彼は前に荒野から帰ってきたときに、すでにその可能性をかいまみたのであった。もし神が
なにごとかをお求めになるならば、自分は逃れはしないであろう。彼はようやく近頃になっ
て、自分の行く道が苦悩の道かもしれぬということを彼は知っていた。それでも彼は、自分
がはたして(・・・その人)なのであろうかと、自問するのであった。しかし、この道を辿っ
てゆかぬかぎり、返答を得ることはできないであろう。終末は、意味のない------この可能性
の行きつく果てということ以外に意味のない------死であるかもしれない。
さて、最後の晩。剛毅な青年。
「わが汝らに成したることを知るか、今その事を成らぬ前に之を汝らに告ぐ、汝らの中の
一人われを売らん。なんぢらは我が往く処に来ることを能わず。------なんぢらは我が往く処
に来ること能わず。-----なんぢ我がために生命を棄つるか。誠にまことに------われ平安を汝
らに遺す。我の、父を愛し父の命じ給うところに尊ひい行うことを、世の知らん為なり。起き
よ、いざ此処を去るべしる」
非情なまでに飾り気のない、この永遠のドラマの主人公は、(世の罪を除く神の子羊)なのか。
彼は、みずからの察知している終末にたいし終始一貫して信従している。-----この意味におい
てこそ、彼は神のものであり、あがないの犠牲であり、贖罪牲なのである。剛毅な、そして
熱烈に生きようとする青年。彼は、自己憐憫(れんびん)もせず、他人に憐みを乞うこともなく、
自分が選んだ運命にしたがって行くべき道を最後まで辿るのである。-------もはやほかの仲間
が彼のあとについて新しい交わりを作るところまで行けなくなれば、そのときには彼は現在の
交わりをさえ犠牲にするのである。