清き心の未知なるものの為に㉛・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
感ずると感じてしまったとのあいだに-----感覚がその最後の秘密をわれわれに提示する
一瞬・・・・。その瞬間を通過したと意識するや否や、そのときにはわれわれは亀裂やし
みや剥げた鍍金のまえに立って、いったいなにものがさっきあれほど心をそそったのであ
ろうか、と不思議に思っているのである。
自分には否定されたことをほかの連中がいま享受しているのだと思うと、おまえは灼け
るような苦がにがしさを感ずることがある。それはつまるところ、陽光の輝く数日間を楽
しみそこねたか、というようなことであったりする。しかしそれにしても、ほかの連中は
これからも生きてゆく者を、と思うときに死が呼びおこす苦がにがしさもまた、かような
卑俗次元に発するものなのである。
蜜蜂と同様、われわれは自己防衛のために密から毒液を蒸留する。その毒液を使えば、
人も知るごとく、当人の死を招くのである。
「おまおはいつまでも、おまえ以外のだれかにたいし、あるいはなにかにたいして(感
情)なるものを抱いているのか------おまえがなにごとであれ(感ずる)ものとしてのことであ
るが」個人的になんらかの関わりあいがないばあいには、おまえが他人を前に見て感ずる
ことはせいぜい純然と審美的なものにすぎない。
しかしながら、たとえこのように半端な感覚であろうと、かような感覚がきょうおまえ
を精神的実在の一端にふれさせたのであり、そしてそれがおまえの底知れぬ貧困さを暴露
したのである。
起るべきことはおこらずにはいない。したがって、その必然性の境界線の内側では、お
まえは傷つきようがないのである。