姚崇。本名元崇。字元之。
陝州石の人。
父の善意は巂州都督。
孝敬挽郎から始まり下筆成章舉に合格。
濮州司倉から夏官郎中に進む。
契丹の寇に功績が有り、則天に評価され夏官侍郎。。
ついで同鳳閣鸞台平章事として相となる。
突厥の叱利元崇が叛逆し、改名元之。
鳳閣侍郎平章事に移る。
長安四年母の孝養と称して辭し相王府長史となる。
すぐまた兼知夏官尚書事同鳳閣鸞台三品として復相。
春官尚書に代わる。
張易之に讒言され司僕卿に移る。
その後靈武道大總管となる。
神龍元年中宗復位により梁縣侯賜實封二百戶。
しかし老いた則天が幽閉される事を嘆き亳州刺史に出される。
常州刺史に転じる。
睿宗が即位し兵部尚書同中書門下三品として復相。
ついで中書令。
太子隆基と太平公主の党争に巻き込まれ貶申州刺史。
揚州長史淮南按察使に転じて簡政。
にわかに同州刺史へ。
先天二年玄宗に請われて兵部尚書同中書門下三品となる。
また紫微令[中書令]。
開元の尊號を避けて改名崇。梁國公に進む。
僧尼になり避役することを排除、1萬二千人を還俗させる。
開元四年山東の大蝗害対策に当たる。
玄宗の信頼厚く専権。
子の不正により開府儀同三司となり免相。
東都行幸、五日一參仍入閤供奉として優遇される。
太子少保となるが疾により辞す。
開元九年、72才で薨,贈揚州大都督,謚曰文獻。
十七年,贈太子太保。
子の彝は光祿少卿。
次子異は坊州刺史。
少子弈は禮部侍郎・尚書右丞。
[宰相履歴]
①聖暦元年十月夏官侍郎平章事~長安元年三月鳳閣侍郎
~四月往并州以北檢校諸軍州兵馬~六月兼知夏官尚書事
~十一月加相王府長史~二年十月同鳳閣鸞臺平章事
~四年六月相王府長史一事以上並同三品
~兼知夏官尚書同鳳閣鸞臺三品~八月兼知春官尚書~司僕卿
~九月知群牧使兼攝右肅政臺御史大夫靈武道行軍大總管
~十月靈武道安撫大使權檢校左臺大夫~神龍元年二月罷
②景雲元年六月兵部尚書同中書門下三品~七月兼太子左庶子
~兼中書令~二年二月罷
③開元元年十月兵部尚書同中書門下三品~十二月兼紫微令
~四年閏十二月罷
陝州石の人。
父の善意は巂州都督。
孝敬挽郎から始まり下筆成章舉に合格。
濮州司倉から夏官郎中に進む。
契丹の寇に功績が有り、則天に評価され夏官侍郎。。
ついで同鳳閣鸞台平章事として相となる。
突厥の叱利元崇が叛逆し、改名元之。
鳳閣侍郎平章事に移る。
長安四年母の孝養と称して辭し相王府長史となる。
すぐまた兼知夏官尚書事同鳳閣鸞台三品として復相。
春官尚書に代わる。
張易之に讒言され司僕卿に移る。
その後靈武道大總管となる。
神龍元年中宗復位により梁縣侯賜實封二百戶。
しかし老いた則天が幽閉される事を嘆き亳州刺史に出される。
常州刺史に転じる。
睿宗が即位し兵部尚書同中書門下三品として復相。
ついで中書令。
太子隆基と太平公主の党争に巻き込まれ貶申州刺史。
揚州長史淮南按察使に転じて簡政。
にわかに同州刺史へ。
先天二年玄宗に請われて兵部尚書同中書門下三品となる。
また紫微令[中書令]。
開元の尊號を避けて改名崇。梁國公に進む。
僧尼になり避役することを排除、1萬二千人を還俗させる。
開元四年山東の大蝗害対策に当たる。
玄宗の信頼厚く専権。
子の不正により開府儀同三司となり免相。
東都行幸、五日一參仍入閤供奉として優遇される。
太子少保となるが疾により辞す。
開元九年、72才で薨,贈揚州大都督,謚曰文獻。
十七年,贈太子太保。
子の彝は光祿少卿。
次子異は坊州刺史。
少子弈は禮部侍郎・尚書右丞。
[宰相履歴]
①聖暦元年十月夏官侍郎平章事~長安元年三月鳳閣侍郎
~四月往并州以北檢校諸軍州兵馬~六月兼知夏官尚書事
~十一月加相王府長史~二年十月同鳳閣鸞臺平章事
~四年六月相王府長史一事以上並同三品
~兼知夏官尚書同鳳閣鸞臺三品~八月兼知春官尚書~司僕卿
~九月知群牧使兼攝右肅政臺御史大夫靈武道行軍大總管
~十月靈武道安撫大使權檢校左臺大夫~神龍元年二月罷
②景雲元年六月兵部尚書同中書門下三品~七月兼太子左庶子
~兼中書令~二年二月罷
③開元元年十月兵部尚書同中書門下三品~十二月兼紫微令
~四年閏十二月罷
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