唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

南山 高玉の乱

2022-12-02 08:21:51 | Weblog
吐蕃の京師侵攻と代宗皇帝の逃亡により、京師近郊の治安は崩壊し、高玉は諸軍より逃亡・脱落した兵士や、無頼の賊を集めて吐蕃の寇掠より自衛しました。その後唐軍が復帰すると、彼らは京師の南「南山五谷=斜谷・駱谷・蘭田谷・子午谷・和衡嶺谷」に入り盗賊となりました。

そして東は虢州から西は鳳翔まで富豪の掠奪を重ねました。

寶應2年/廣徳元年正月
京師の付近での賊党横行は権威に関わるため、地元に詳しい太子賓客薛景仙を南山五溪谷防禦使として賊を伐たせました。

廣德元年十月
南山五谷賊高玉が反しました。

廣徳2.11
五谷防御使薛景仙は南山群盜を伐ちましたが、山岳を活用する賊党に実効が上がりません。そこで鳳翔節度使李抱玉に代えました。

抱玉は各谷に侵攻すると同時に、將兵馬使李崇客が洋州より山に入り、高玉を桃虢川に大破しました。

玉は梁州城固/成固縣に入り、挟撃した山西節度使張獻誠に捕らえられました。

廣徳2.12
高玉は誅され、南山賊は一掃されました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 湖南 王國良の乱 | トップ | 江南 劉展の乱 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事