その後、貞觀十年頃までは安定していたが、太宗は父の高祖の死後、父と同じ過ちを
繰り返すことになった。皇太子に承乾をつけながら、弟の魏王泰の才を喜び特別扱い
を行うことである。兄建成と自分との闘争を忘れたようである。
正史では承乾にいろいろ不法があったことが記録されるが、これは後の理由付けと思
える。太宗の代理として太子に聴政させたところ、見事に処理したとの記述もあり、
それなりに有能な人物であったことは間違いない。
10.6 母である長孫皇后崩御 これにより承乾を庇える人がいなくなった。
11.6「詔荊州都督荊王元景等二十一王所任刺史,鹹令子孫世襲。」
「以功臣長孫無忌等十四人為刺史,亦令世襲,非有大故,無得黜免。」
なにを思い惑ったのか、封建制への復帰を図った。35人の子孫・功臣に各州を世襲統
治するという馬鹿げた治策を思いついたようである。統治者としては無能な幼児や武
臣に分与しても御機嫌取りにしかならない。
13.2 うまくいかないため廃止する。
12.1「《氏族志》成,分為九等。士廉等以黄門侍郎崔民幹為第一。太宗于是以皇族為首,
外戚次之。」
氏族を公正に分類すると、蕃族である鮮卑の末裔である「李氏」は低い地位でしかなか
った。太宗は皇族をトップとして、同じく蕃族出身の長孫氏や竇氏を上位とした。
これはもちろん不当なものだが、関東に跋扈する豪族対策としてはしかたがないものか
もしれない。この後も婚姻制限など抑圧策を強めていく。
14.12 侯君集が高昌國を滅ぼした。太宗はいつもの癖を出し、私的な掠奪を弾劾させ
その功績を腐した。君集はこれにより不満を持ち太子につくようになった。
繰り返すことになった。皇太子に承乾をつけながら、弟の魏王泰の才を喜び特別扱い
を行うことである。兄建成と自分との闘争を忘れたようである。
正史では承乾にいろいろ不法があったことが記録されるが、これは後の理由付けと思
える。太宗の代理として太子に聴政させたところ、見事に処理したとの記述もあり、
それなりに有能な人物であったことは間違いない。
10.6 母である長孫皇后崩御 これにより承乾を庇える人がいなくなった。
11.6「詔荊州都督荊王元景等二十一王所任刺史,鹹令子孫世襲。」
「以功臣長孫無忌等十四人為刺史,亦令世襲,非有大故,無得黜免。」
なにを思い惑ったのか、封建制への復帰を図った。35人の子孫・功臣に各州を世襲統
治するという馬鹿げた治策を思いついたようである。統治者としては無能な幼児や武
臣に分与しても御機嫌取りにしかならない。
13.2 うまくいかないため廃止する。
12.1「《氏族志》成,分為九等。士廉等以黄門侍郎崔民幹為第一。太宗于是以皇族為首,
外戚次之。」
氏族を公正に分類すると、蕃族である鮮卑の末裔である「李氏」は低い地位でしかなか
った。太宗は皇族をトップとして、同じく蕃族出身の長孫氏や竇氏を上位とした。
これはもちろん不当なものだが、関東に跋扈する豪族対策としてはしかたがないものか
もしれない。この後も婚姻制限など抑圧策を強めていく。
14.12 侯君集が高昌國を滅ぼした。太宗はいつもの癖を出し、私的な掠奪を弾劾させ
その功績を腐した。君集はこれにより不満を持ち太子につくようになった。
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