唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

高霞寓伝

2019-05-19 10:23:03 | Weblog
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高霞寓伝
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霞寓は幽州范陽人。

祖仙、父棲鶴は孝をもって有名。

霞寓は春秋や兵法を学び、権謀術数に通じていると大言していた。

長武城使高崇文に仕え猶子になり将となる。

西川劉闢の反に従軍し、兼御史大夫。
元和元年六月.鹿頭城を降し、闢将李文悅、仇良輔を捕らえた。

九月.また闢を羊灌に捕らえ、彭州刺史。

崇文に代わり長武城使.封感義郡王。

元和中.左威衛將軍として宦官吐突承璀に従い王承宗を討つ,諸軍の敗北の中で健闘。
加左散騎常侍。昭義盧從史の罷免時の軍乱を抑える。

豐州刺史三城都團練防禦使。
加檢校工部尚書。

右羽林大將軍/将軍。
  
元和十年十月.淮西吳元濟征討時、唐州刺史唐鄧隋節度使として先鋒となる。

しかし霞寓は勇敢であったが知謀乏しく、十一年六月.猪突猛進して鐵城に大敗。

山東李遜に責任転嫁したが、七月.貶歸州刺史。

宦官に贈賄して右衛大將軍/左衛将軍に戻る。

十三年九月.振武節度使。
吐蕃の鹽豐来寇を防ぐ。

左武衛/右衛大將軍。

長慶元年三月.檢校工部尚書邠寧節度使
諌官達は任命に反対した。

檢校司徒に至る。

三年.加檢校右僕射。

四年.加検校司空、また検校司徒。

寶曆二年四月.疾により辞し、検校司徒右金吾衛大將軍となるが、途次に卒した。年五十。贈太保。
兵士より昇進、下品で教養無く自尊。宦官と結び言辞不遜であった。
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